風雲児 織田信長

劇場公開日:

解説

山岡荘八の原作を「百万両五十三次」の結束信二が脚色し「いろは若衆 花駕篭峠」の河野寿一が監督した、織田信長の半生を描いた娯楽時代劇。撮影は「浪花の恋の物語」の坪井誠。

1959年製作/95分/日本
劇場公開日:1959年10月25日

ストーリー

父信秀が没したのは、信長が十六歳の時である。万松寺で行われた葬礼で、信長は荒縄を腰に巻いた異形の姿で現れ、抹香を父の位牌に投げつけた。妻の濃姫は彼の陽やけした頬に光る涙を見た。狂人とののしられながら、自己の信念に生きる信長も、人の子だったのか。世は戦国、群雄割拠の時代である。濃姫の実父・美濃国稲葉城主斎藤道三は、信長の尾張国を狙うものの一人だった。使が信長との会見を申入れてきた。信長は少しも関心を示さず、武術のケイコに励んでいた。「尾張の大うつけ」が定評となった。それが、信長のつけ目だった。その奇行は家臣までもあざむいた。彼の天下統一の野望を誰が知ろう。家老・平手政秀は諫書を呈すと、切腹して果てた。信長は心から信頼していた臣を失ったことを悲しんだ。それを契機に、彼は正徳寺で道三と会見した。道三は罠を用意していた。信長は槍と鉄砲計千人を道中にひき連れ、道三をおびやかし、会見の場では例の狂人的姿から礼装に早変りし、先手をうった。道三は手の掌を返すように歓待した。信長は彼に勝った。彼の帰りを予期しなかった濃姫はその無事を喜んだ。--突然、今川四万の大軍が、尾張領になだれこんできた。今川義元の目的は上洛にあった。信長の手勢は五千、その前衛は次々につぶされた。義元は勝報に気をよくし、折からの猛暑を田楽狭間に避けた。清洲城の信長は出陣の気配を示さなかった。家臣は焦立つ。信長は十倍の敵に対する作戦を考えていた。“十人に一人、十人がもし眠っていたら……”ふと濃姫のもらした言葉が、信長をとらえた。濃姫に鼓をうたせ、“敦盛”を静かに舞い納めると、彼はすぐさま出陣を命じた。軍は嵐をついて桶狭間を襲った。--義元の首級を馬前に、信長は清洲城に引き揚げた。白装束で死を決していた濃姫には、夢のようだった。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

映画レビュー

2.0織田さん

2019年1月3日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

 尾張の大うつけのふりをしながら、道三との面会にて変身したかのように正装する信長のりりしさ。やがて今川義元との桶狭間戦いを描くが、どうもあっけない結末。4万の軍勢対わずか4千の手勢をいかに乗り切ったのか。

 演出もイマイチなのだが兵や農民の圧倒的な数がすごい。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
kossy