「任侠映画史に残る傑作」緋牡丹博徒 お竜参上 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
任侠映画史に残る傑作
『緋牡丹博徒』シリーズの中でも屈指の傑作だった。個人的には山下耕作の『博奕打ち 総長賭博』や本作と同じく加藤泰による『明治侠客伝 三代目襲名』に匹敵するほどの出来だったように思う。
物語の筋立てそれ自体はいつも通りで、不義理なやくざ者の政治的圧力に藤純子演じるお竜と助っ人の二枚目俳優(今回は菅原文太)が立ち向かうというもの。若山富三郎演じる熊虎親分の助太刀や、二つの敵対勢力の間で育まれる若者たちのロミジュリ的ロマンも健在だ。よく言えば様式美、悪く言えばマンネリ。物語がここまで形式化していると、当然ながら映画としての出来の良し悪しは撮影や演出の巧みさに依存してくる。その点本作は完璧だ。
たとえば藤と菅原が離別を果たすシーン。いかにももったいぶった足取りで雪降る浅草の街を歩く二人の側方には、水滴をポタポタと垂らす取水口や郵便ポストが奇妙な存在感を湛えて坐臥している。それらが二人の内面に湧き上がる情念や後悔の表出であることは疑いようがない。橋の上で最後の会話を交わすシーンでは画面の右半分以上を橋の欄干が覆い、左半分のわずかなスペースに二人の姿が極限されている。画角の端で別れの言葉を交わし合う二人は密室で睦言を囁き合う恋人たちのように官能的だ。「電車の中で召し上がって…」と藤が手渡した風呂敷から落ちたミカンが雪の上を転がり落ちていくカットなどはほとんど奇跡のように美しい。
橋の上のシーンばかりが取り沙汰されがちだが個人的には序盤の、嵐寛寿郎演じる鉄砲久の親分のもとに窃盗の罪で君子が引っ張り出されてくるシーンが忘れられない。シンメトリーで幾何学的な画角の右に鉄砲久の親分、左に君子と彼女を捕まえてきた子分らがいて、襖を跨いだ奥でお竜が話を聞いている。はじめは君子と鉄砲久の若衆が彼女の処遇についてやいのやいのと左右から言い合っていたが、会話の流れから君子が昔世話になった渡世人の娘であることを察したお竜がやにわに立ち上がり、襖のこちら側へやってきて君子の肩を抱く。話題はすっかり君子の処遇の決定からお竜と君子の再会へと移り変わり、鉄砲久の親分はいつの間にか背景と化している。カットを一度たりとも切り替えることなく、人物の配置とセリフだけで三次元的で躍動感のある映画空間を出現させてしまう加藤泰の手腕に恐れ入るほかない。個人的に彼は当時にしては異常なくらい長回しを多用する映画作家だが、そのどれもが自然であり、時には長回しであることを忘却してしまう。
構図やカッティングがバチっと決まっているがゆえか、登場人物たちが次々に吐き出す「ザ・60年代任侠映画」的なセリフにはまるで歌舞伎の見得のような爽快感がある。特に凌雲閣で最後の戦いに臨んだお竜が放った「死んで貰います」は完璧としか言いようがなかった。当時の映画館がどれだけこのシーンで湧き上がったことか、想像に難くない。阿佐ヶ谷ラピュタあたりでまた上映してほしいなあ。