劇場公開日 1977年6月18日

「ツタヤでは借りて観れるがサブスクでは配信していない邦画の傑作」八甲田山 野川新栄さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 ツタヤでは借りて観れるがサブスクでは配信していない邦画の傑作

2025年11月10日
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鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

怖い

興奮

1977年公開作品
過去数回鑑賞
TSUTAYAレンタルDVD鑑賞
なぜかサブスク配信されていない数ある日本映画の名作の一つ

原作は『劔岳 点の記』の新田次郎
監督は『ゼロ・ファイター 大空戦』『日本沈没(1973)』『海峡』『小説吉田学校』『動乱』の森谷司郎
脚本は『羅生門』『生きる』『七人の侍』『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』『私は貝になりたい(1959)』『切腹』『日本沈没(1973)』『砂の器』『八つ墓村(1977)』の橋本忍

1902年に実際に起きた八甲田雪中行軍遭難事件
山岳遭難事故としては人類史上最悪
210名中199人が死亡
迫り来るロシアとの戦争に備えての冬季訓練だった
その出来事をもとに新田次郎が小説化
それを原作に映画化された
暗い内容で映画会社の中には制作に反対意見もわりとあったという
しかしこの年1番の大ヒット映画
映画作りを推し進めた側もヒットを確信していたがここまで大当たりするとは想定外

船頭多くして船山に登る

中間管理職の悲哀
多くのサラリーマンに受けたと聞く

高倉健が主人公のようだが実際の主人公は名台詞を残した北大路欣也
一歩譲ってダブル主演か
二人の名優の顔ヂカラがすごい
台詞がなくても顔だけで勝負ができる
それに加えて三國連太郎の悪辣ぶりもなかなか

緒形拳や加山雄三も出てたんだな

漢たちの映画であり女性俳優の存在感はかなり薄い
栗原小巻加賀まりこ秋吉久美子
嗚呼あと一応だけど菅井きん
久々に観たがそういえば出ていたなって感じ
それにしてもこの頃の秋吉久美子は可愛いな

賽の河原という縁起の悪い地名が登場する
実際のところ多くの軍人の遺体が発見された場所で事故からしばらくして名付けられた地名なようだ

青森神田連隊が目指した田代は今でも温泉は沸いているいるものの宿泊施設は廃業し廃墟となっているそうだ
吊り橋は崩壊し温泉地には辿り着けない状況
2031年完成予定の駒込ダムに沈む運命
残念でならない
青森県もなんとかしたかったがなんともならなかったのだろう
険しい山に温泉地はあるもので交通の便の悪さから閉業した温泉地は東北の各地にある
その点でいえば秋田県東成瀬村と岩手県一関市の境目にある須川温泉なんてまだ恵まれている方

なんとか生き残った山田正太郎は全ての責任は自分にあると回復すると心臓のあたりに拳銃を当てて自害している
東電の上層部は誰も責任を取らず自分は悪くないと主張して裁判官もそいつらの味方
雲泥の差だ
嘆かわしい
日本に侍はもういない
なんだよサムライジャパンとか

配役
弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊長の徳島大尉にに高倉健
徳島の幼少期に石井明人
弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の田辺中尉に浜田晃
弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の高畑少尉に加藤健一
弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の船山見習士官(気象観測担当)に江幡連
弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の長尾見習士官(隊員の疲労度調査担当)に高山浩平
弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の倉持見習士官(装備点検担当)に安永憲司
青森第五連隊の長谷部善次郎一等卒の兄で弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の斉藤伍長(歩測担当)に前田吟
元山峠から銀山への行軍中に転倒し捻挫したため野営中は現地の民家に泊まり行軍隊を外され汽車で弘前に帰営する弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の松尾伍長に早田文次
徳島大尉の命令で捻挫した松尾伍長を背負う弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の川瀬伍長に吉村道夫
小山二等卒と共に行軍実施前の宿営地交渉と経路事前調査担当の弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の佐藤一等卒に樋浦勉
佐藤一等卒と共に行軍実施前の宿営地交渉と経路の事前調査を担当した弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の小山二等卒に広瀬昌助
弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の喇叭手の加賀二等卒に久保田欣也
佐藤一等卒・小山二等卒と共に「行軍本番前の経路事前調査と宿営地・案内人・消耗品・食糧調達交渉」を担当した弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の一等卒に渡会洋幸
弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の曹長に原敬司
弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の見習士官に北村博之
弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の見習士官に塚田一彦
弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の見習に広尾博
弘前歩兵第三十一連隊・雪中行軍隊・第一大隊第二中隊の見習士官に佐藤健二郎
第四旅団司令部で行われた「日露戦争に備えての雪中行軍作戦会議」終了後「八甲田山の雪中行軍で両隊をすれ違う形にしよう」と提案した弘前歩兵第三十一連隊の連隊長に児島大佐に丹波哲郎
徳島大尉の上官にあたる弘前歩兵第三十一連隊第一大隊長に門間少佐に藤岡琢也
雪中行軍作戦会議において弘前の徳島大尉と青森の神田大尉をそれぞれの指揮官に指名した弘前第八師団第四旅団長の友田少将に島田正吾
「日露戦争に備えての寒地教育訓練確立」を目的として青森第五連隊と弘前第三十一連隊への「八甲田雪中行軍」を友田少将と共に提案した第八師団参謀長の中林大佐に大滝秀治
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊・第二大隊第五中隊長の神田大尉に北大路欣也
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊・第二大隊第五中隊第一小隊長の伊東中尉に東野英心
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊・第二大隊第六中隊第二小隊長の中橋中尉に金尾哲夫
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊・第二大隊第七中隊第三小隊長の小野中尉に古川義範
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊・第二大隊第八中隊第四小隊長の鈴森少尉に荒木貞一
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊・第一大隊および第三大隊選抜特別第五小隊長の中村中尉に芹沢洋三
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊・中隊本部所属の野口見習士官に山西道広
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊の藤村曹長に蔵一彦
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊・第五小隊所属の谷川曹長に森川利一
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊・第五中隊第二小隊所属の村山伍長に緒形拳
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊・第一小隊所属の高橋伍長に海原俊介
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊・第二小隊所属の渡辺伍長に堀礼文
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊・中隊指揮班所属の江藤伍長に新克利
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊の平山一等卒に下條アトム
徳島隊の斉藤伍長の弟で青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊の長谷部善次郎一等卒に佐久間宏則
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊の小野中尉の従卒に浜田宏昭
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊のソリ隊の兵卒に大竹まこと
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊の井上見習士官に仲野裕
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊の裸で凍死する兵卒に原田君事
雪中行軍の目的を履き違え「弘前三十一連隊に勝つため」にすり替えて大惨事を招いてしまう雪中行軍随行大隊本部第二大隊長の山田正太郎少佐に三國連太郎
当初は八甲田雪中行軍に参加予定はなかったが山田少佐の命令による随行隊に付くこととなった倉田大尉加山雄三
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊の沖津大尉に玉川伊佐男
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊の永野三等軍医に竜崎勝
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊の田村見習士官に日和田春生
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊の進藤特務曹長に江角英明
青森歩兵第五連隊・雪中行軍隊の今西特務曹長に井上博一
連隊長の津村中佐に小林桂樹
連隊本部所属の木宮少佐に神山繁
遭難救助隊の隊長の三上少尉に森田健作
遭難救助隊伝令担当の花田伍長に伊藤敏孝
神田大尉の妻の神田はつ子に栗原小巻
徳島大尉の妻の徳島妙子に加賀まりこ
斉藤伍長お長谷部一等卒の伯母に菅井きん
宇樽部村の村民の滝口さわに秋吉久美子
熊ノ沢部落の村民の沢中吉平に山谷初男
熊ノ沢部落の村民の福沢鉄太郎に丹古母鬼馬二
熊ノ沢部落の村民の沢田留吉に青木卓
熊ノ沢部落の村民の大原寅助に永妻旭
田茂木野村の村長の作右衛門に加藤嘉
宇樽部村の村民で滝沢さわの義父の滝口伝蔵に花沢徳衛
三本木の宿の主人の鈴木貞雄に田崎潤
中里村の老人に浜村純
徳島隊と共に10泊11日の雪中行軍を行った東奥日報の従軍記者の西海勇次郎に船橋三郎

野川新栄