蜂の巣の子供たち

劇場公開日:

解説

坪田譲治原作の「善太と三平物語 風の中の子供」「子供の四季」と続いて児童物に成功した清水宏(1)が独立して製作する作品で脚本も演出も清水宏(1)が当たっている。戦争初期一九四二年度の松竹京都作品「みかへりの塔」以来の清水宏(1)作品である。清水宏(1)は終戦以来浮浪児問題に大きな関心を寄せ自ら手元に幾十人もの浮浪児を置き、現在生活を共にしているが、この映画にもその子供達をえらんで出演させたもので一人の既成俳優も出ていない、全くの異色作というべき第一回作品である。撮影は長らく佐々木太郎の助手をしていた古山三郎が担当した。なお、これには一ツのセットも使用せず、山陽道のオール・ロケである。

1948年製作/86分/日本
配給:蜂の巣映画
劇場公開日:1948年8月24日

ストーリー

復員して来たが、帰るべき家もなければ親兄弟もいない、何のアテもない島村修作であった。彼は下関駅構内にぼんやりとたたずんでいる。浮浪児達が入って来る列車をめがけて何かにありつこうと、狼群のように襲いかかる。だがこれは復員列車で獲ものにならなかった。浮浪児達の失望した顔、その顔に並んで一人の若い女が、これもぼけたように立っている。行くアテを見失ってすっかり考え込んでいる引揚者の夏木弓子である。彼女も修作も浮浪児達も皆同じ様な立場であった。だから気持ちにもお互いに通じ合うものがあった。何となく話し合ってみた。弓子は最後の頼みの知人を訪ねて行くといって去った。修作と浮浪児達はたちまち仲良くなった。普公、義坊、豊、丹波、寛市、源之介、弘之、清の八人組、ところがこの浮浪児達を操っている男があった。図星の政という一本足の暴れ者、彼は浮浪児を手下に使い、コソどろ、かっ払いをやらせてそのピンをはねているのである。救われぬ環境に落ちている浮浪児達であった。修作も何かして食わねばならぬ、彼は別にアテもなく流浪を始める。荷役をやったり、薪を割ったり、塩焼に従事したり、それが浮浪児達の放浪としばしば一緒に成った。例の八人組の子供達に修作は特に教えたわけじゃなかったが、子供達は働かねば食えぬという事を覚えた。修作の実践が子供心にも影響を及ぼさぬはずはなかった。彼等は次第に修作と離れ難い親密の度を増して行く。彼等を支配する図星の政は、ヘタな事をしやがると、修作をつけねらうが、反って修作にのされる。彼も始めて目覚める。今は楽しい修作達の旅であった。山陽線を海岸沿いに、歩いたり汽車に乗ったり、野宿をしたり広島の近くまで来た時豊は母を恋いながら病気になって死んだ。修作達は、広島で弓子に会った。彼女は愛情を求めてやはりさすらいの旅をしていたのである。今はすっかり心のつながれた、修作と、子供達とそれから弓子であった。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

映画レビュー

5.0第2回ヒロシマ平和映画祭の一環として上映された。 こういう、主人公...

2018年7月14日
PCから投稿

第2回ヒロシマ平和映画祭の一環として上映された。

こういう、主人公が旅をする映画を「ロードムービー」と呼ぶのだそうだ。『蜂の巣の子どもたち』が興味深いのは、戦後まもなくの特殊な時期を舞台にしていることである。復員兵、浮浪児、駅舎、蒸気機関車、廃墟の都市、豊かな自然の風景など、その時にしか撮り得なかったものが、この作品には詰まっている。そしてストーリーも。

出演者はすべて本職の俳優ではなく、子役も、清水宏監督のところに寄宿する元浮浪児たちだそうだ。

この映画の撮影は1947年。終戦から2年しか経っていない年に、このような質の高い映画が作られたことにまず驚いた。
役者のセリフは硬いし構成も上手いとは決して言えない。だが、清水監督がこの映画にかけた「思い」はビンビン伝わってくる。観るものをぐいぐい引き込む力がある。そういう意味での質の高さである。

「国破れて山河在り」とはよく謂ったものだ。この映像を見ていて本当にそう思った。主人公の復員兵と戦災孤児たちが旅をする田舎の風景の美しいこと。海辺、川原、山や林。そして今はもう見られない塩田の場景。オールロケだ。
わが国が戦後の復興をなし得たのは、農村が荒廃していなかったからだと言っていい。逆に言えば、農山村から様々な資源を収奪することによってわが国は立ち直ったのだ。

また、この映画は「働く」ことの意味についても考えさせてくれた。
主人公の復員兵は、行く先々で「○○を××へ持って行けば3倍で売れる」などと、ヤミ屋を勧められるが、毅然としてそれを断る。額に汗して働くことにこだわる。

「おっちゃん、このサツマイモうまいな」
「サツマイモがうまいんじゃないんだよ。いっしょうけんめい働いたからうまいんだよ」

しかし実際現代の経済においてわれわれは恥も外聞もなく、労働力の安い国で生産し消費力の高いところで売るという、まさにヤミ屋的商売をやっている。それがどうした悪いかと言われれば返す言葉もないのだけれど。

エンディングは、なんだか唐突だ。旅の目的である厚生施設「みかへりの塔」は、「そこへ行きさえすればみんな幸福になれる」場所として描かれているが、それでいいんだろうかという気がする。ちょっと疑問である。

それから、サウンドトラックの録音状態が悪いのか、音声が聞き取りにくい個所があった。デジタル化(リマスター版?)とか、リメイクも考えられるのではないか。いや、ぜひリメイクをお願いしたい。

誰も好きこのんで孤児になったわけではない。わが国の歴史のそう遠くないある時期、戦争によって父母と別れなければならなかった子ども達がいたことを、しかしそれでも彼らは希望を持って生きていたことを、今の世に伝えるために。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
ROKUx

5.0私が見た、おすすめしたい難民映画

2016年8月14日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

笑える

悲しい

太平洋戦争直後の戦災孤児たちをテーマにした映画なんですが、映画の中で戦災孤児を演じているのは、本当に戦災孤児なんです。
なにしろ映画のオープニング・タイトルに、いきなり「この子たちに心当たりはありませんか?」と出るんですから、これを見ただけで昭和23年にタイム・スリップしてしまいます。

子どもたちの演技は(少々ぎこちないけど)喜怒哀楽を自然に表現しています。子タレでもない子たちに、なぜそれが可能だったのか。
「なあに、簡単なことだ。子どもたちといっしょに遊んでやればいいのさ」と清水宏監督は語ったそうです。子どもを撮ることにかけては定評のある人だったとか。

清水監督に期待に応えてか、子どもたちも頑張ってます。「急斜面のガケを全速力でかけおりる」と言う危険きわまりないシーンを、長回しの一発撮りでこなしてるのですから。かの有名な「蒲田行進曲」の「階段落ち」もマッ青です。

ストーリーは敢えて記しません。
本編「蜂の巣の子供たち」は、行き場を無くした復員兵が戦災孤児をつれて放浪する、一種のロード・ムービーです。
続編「その後の蜂の巣の子供たち」は、自分たちの居場所を見つけた子どもたちの後日談です。

「蜂の巣」シリーズは色んなテーマが盛り込まれてるし、また、楽しく見られる娯楽映画でもあるんですが、強いて挙げれば、この映画のテーマは「愛」と言うことになるでしょうか。
それはまず、子どもたちを撮る清水監督のまなざしに愛があふれているし、また、子どもたちを守る復員兵の次のようなセリフにも現れています。

「世間の人たちは戦災孤児にお金や物を与えるまではするけど、あの子たちに本当に必要なのはそういったものじゃない。何と言うかなあ、あの子たちに親身になってやる大人が必要なんですよ。」

実はこの復員兵、「みかへりの塔」と言う養護施設の出身で、そこの教師と保母に見守られて育った。子どもに大人の愛情が必要なことは身をもって知っていたのです。

それでこの子たち、その後どうなったのかと言うと、清水監督に養育されて「ふつうの人」になったとか。ふつうが一番ですよね。

日本にも難民問題はあったんだと言うことが良く分かる映画です。戦争は最大の人権侵害ですな。

「蜂の巣の子供たち」1948年、清水宏監督、日本
「その後の蜂の巣の子供たち」1951年、清水宏監督、日本

コメントする (0件)
共感した! 0件)
川野 誠

5.0私が見た、おすすめしたい難民映画

2016年8月14日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

笑える

悲しい

太平洋戦争直後の戦災孤児たちをテーマにした映画なんですが、映画の中で戦災孤児を演じているのは、本当に戦災孤児なんです。
なにしろ映画のオープニング・タイトルに、いきなり「この子たちに心当たりはありませんか?」と出るんですから、これを見ただけで昭和23年にタイム・スリップしてしまいます。

子どもたちの演技は(少々ぎこちないけど)喜怒哀楽を自然に表現しています。子タレでもない子たちに、なぜそれが可能だったのか。
「なあに、簡単なことだ。子どもたちといっしょに遊んでやればいいのさ」と清水宏監督は語ったそうです。子どもを撮ることにかけては定評のある人だったとか。

清水監督に期待に応えてか、子どもたちも頑張ってます。「急斜面のガケを全速力でかけおりる」と言う危険きわまりないシーンを、長回しの一発撮りでこなしてるのですから。かの有名な「蒲田行進曲」の「階段落ち」もマッ青です。

ストーリーは敢えて記しません。
本編「蜂の巣の子供たち」は、行き場を無くした復員兵が戦災孤児をつれて放浪する、一種のロード・ムービーです。
続編「その後の蜂の巣の子供たち」は、自分たちの居場所を見つけた子どもたちの後日談です。

「蜂の巣」シリーズは色んなテーマが盛り込まれてるし、また、楽しく見られる娯楽映画でもあるんですが、強いて挙げれば、この映画のテーマは「愛」と言うことになるでしょうか。
それはまず、子どもたちを撮る清水監督のまなざしに愛があふれているし、また、子どもたちを守る復員兵の次のようなセリフにも現れています。

「世間の人たちは戦災孤児にお金や物を与えるまではするけど、あの子たちに本当に必要なのはそういったものじゃない。何と言うかなあ、あの子たちに親身になってやる大人が必要なんですよ。」

実はこの復員兵、「みかへりの塔」と言う養護施設の出身で、そこの教師と保母に見守られて育った。子どもに大人の愛情が必要なことは身をもって知っていたのです。

それでこの子たち、その後どうなったのかと言うと、清水監督に養育されて「ふつうの人」になったとか。ふつうが一番ですよね。
日本にも難民問題はあったんだと言うことが良く分かる映画です。戦争は最大の人権侵害ですな。

「蜂の巣の子供たち」1948年、清水宏監督、日本
「その後の蜂の巣の子供たち」1951年、清水宏監督、日本

コメントする (0件)
共感した! 0件)
usao