「「宗方姉妹」は、どうにもならなかった」麦秋 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
「宗方姉妹」は、どうにもならなかった
「宗方姉妹」の翌日、BS260で視聴。
「宗方姉妹」では、原作の時間設定に無理があった。妙齢の主人公たちが満州帰り、少し年上の男がパリ帰りといったら、出かけたのは戦前のこと、帰国はせいぜい昭和15年(1940年)頃か。この映画の製作は1950年だから、10年間のタイムラグがある。どんなに、野田と小津が優れた脚本を書いても違和感が残り、原作の大佛次郎に責任がある。この原作は朝日新聞の夕刊に連載されたそうだ。書き手にも読み手にもノスタルジーがあったのだろう。
もう一つは俳優陣、「宗方姉妹」の主要人物は田中絹代と高峰秀子、田中は何かの理由で内面をうかがわせる演技を見せることができなかった。高峰の秀逸なコケットな様(さま)は、小津の映画には合わなかったとしか言いようがない。
それでは「宗方姉妹」にはなくて、この「麦秋」(1951年)にあったものは何だろう。間違いなく戦争の影、笠智衆の弟、原節子の兄は戦地から帰ってこない。あきらめきれず「尋ね人の時間」を聞いているところがでてくる。東宝のモダニズムでは、この描写ができなかった。
それから、東山千恵子の扮した母に差している老いと病の影、動作が遅いだけでなく、原への縁談の最初の候補は年を取りすぎていると言い、二人めの候補には子供があると言って涙を流す。これでは娘を手放すことなんてできはしない。しかも、この二つの要素は、やんちゃな(笠の)子供たちを含めて、そのまま「東京物語」につながっている。それにしても子供たちは贅沢だ。鉄道模型をねだるなんて。
それでは、この映画で、どこが一番印象的だったのだろう。
何と言っても杉村春子の演技、大事なところで原に「あんパン食べる?」宗方姉妹では、対照的に高い「ケーキ」を大事にしていたのだろう。原は「晩春」(1949年)ほどの美貌と壮絶さを見せることはなかったが、出てくるだけで映画が安定した。
そうだ、この映画は、見事に「晩春」と「東京物語」をつないでいたのだ。