PERFECT BLUE パーフェクトブルーのレビュー・感想・評価
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一昔前前の作品とは思えないクォリティー
一点二点変化するストーリー構成、当時としては素晴らしいクォリティーの映像、音響。よく出来た作品。パソコンの分厚さ以外は時代を感じさせなかった。
というか、日本はこの頃から本当止まってしまってるな、。進化が。夢とリアルが混ざるをこの時代にやっている凄さ。
一気に見れました。
【”未麻の部屋。アイドルの私、女優の私。そして多重人格者が惹き起こした恐ろしき事。”今作は20年以上前の作品とは思えぬクオリティを誇るサイコ・サスペンススリラーアニメーションである。】
■人気アイドルから女優へ転身した未麻は、大胆なレイプシーンやヌード写真を映されるなど、急激に芸能界での立ち位置を変えていく。
だが、未麻の周囲にはストーカーの影が徐々に、見え隠れするようになっていく。
ストーカー行為は次第にエスカレートし、ついには彼女が出演したドラマの脚本家、写真家が惨殺される事件が次々に起きる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・主人公の未麻のキャラクターデザインが、江口寿史氏である事がエンドロールで流れる。
そして、制作には大友克洋氏の名も記載されている。
成程と思う。
・予想を超えるサイコサスペンススリラー要素を孕むストーリー展開や、未麻の混乱する心理を表した表情の描き方が、歳月を感じさせない。
これは「千年女優」「パプリカ」でも思った事だが、46歳で早逝した今作の監督である今敏の図抜けたセンスを感じさせるのである。
・”アイドルの未麻”が混乱する”女優の未麻”を、アイスピックでひらりひらりと軽やかに追い詰めるシーンの描き方などは、その一例であろう。
・又、多重人格者であったマネージャーのルミと”アイドルの未麻”が被るシーンの描き方も同様である。
・未麻が見る”現実”と”虚構、幻”の描き方も見事であるし、作品の怖さを増している。
<今作は、アイドルから女優への転身を図った若く美しき女性を襲った恐ろしき出来事を描いた20年前の作品とは思えないクオリティを誇るサイコ・サスペンススリラー・アニメーションなのである。
改めて、今敏監督の早逝が惜しまれると感じる作品でもある。>
2人の精神病の話
ひたすら1人の女の子の解離性健忘の話しかと思ってたら、アイドルであることに本人よりも固執していたるみちゃんもドラマに沿った精神病を患ってるとはたまげた!
serial experiments lainみを感じた。
この時代って精神疾患とインターネットが流行ってたのかな?
エンドレスエイト的な?
昔、VHSでレンタルして以来の視聴。
虚実入り混ぜ過ぎて、リアル感がなさすぎるかなぁとは思う。
実写でやったら怖いと思うが、最後の肥満がアイドル衣装で追い回すシーンはどうなるかなぁ。
人間って怖いな
リバイバル上映にて。前にも観たことあったけれど、改めて観てよくできた映画やなあと思う。今、大スクリーンで観られて感無量!!
最後のみまのセリフも今思うと、ん?どこまでが妄想で現実やったんやろう…と思う。あのカメラマンとかを殺したんはみまやったんちゃうか?みまがルリちゃんをコントロールしていた可能性もあるよなあと思った。みんなの意見を聞いてみたい。
現実と虚構がわからなくなってくる
今敏監督作品を今まで見たことがなかったので
4kリマスター版で上映されている今作を観ようと思いました
アイドルグループを卒業して
女優として転身した主人公の周りで
様々な事件が続発をする
R15+作品だが
個人的に一番キツイと思ったのは
カメラマンがめった刺しにされるシーン
本作は現実と虚構(ドラマシーン、幻覚)が
混ざりあっていく感じがして
ストーリーが進むごとに
どこまで本物でどこまで虚構がわからなくなってくる
ラストシーンも本当かどうか信じられなくなってしまう
アイドルオタクが
過激なストーカー化しているのは
90年代のオタクのイメージがこんなんなのかな?
雑誌の買い占めはネット時代の現在にはできないことだよな
「もう一人の未麻」の正体は
マネージャーが成りすましているようだが
見た目が違うので幻覚かどうかもわからない
この作品では
ファンもマネージャーも本人も
「アイドル」という虚構を
芸能の仕事で全うできなかったので
幻覚を見たり、凶行に走ったりするようになったのかもしれない
怖えー。サイコスリラー。R18と思って見たほうがよい。性描写が嫌いな人は目をつぶっていたほうが良い。
映画という虚構世界で「現実と虚構が交錯する混乱と恐怖」を現実世界で体験する。
現実と虚構が交錯する。未麻の混乱と恐怖が、映画を鑑賞している僕にも伝染し、何が現実で何が虚構か混乱してくる。
さらに劇中で未麻が演じた「ダブルバインド」の主人公の混乱と恐怖が、現実の未麻が感じている混乱と恐怖とも錯綜する。
もう何が何だかサッパリ分からない。
更に気になるのが犯人捜し。
犯人は誰なんだ? ガードマンなのか? 未麻自身なのか?他の者なのか? ガードマンは未麻の作り出した幻影なのか? 未麻は多重人格なのか? 実は殺人事件は起こってなくて未麻の生み出した虚構なのか? マネージャーが犯人であることさえ虚構なのか?とさえ思えてくる。
ますます何が何だか分からなくなってくる。
観賞後の混乱をそのまま持ち帰り、モヤモヤしたままにしておきたい。考察なんかしてキッチリ、スッキリするなんてもったいないと思った。
あと、終わりのほうでマネージャーがトラックに引かれて終わるかと思ったら、しっかり予想を裏切ってくれた。更にその場面で未麻が代わりに引かれるのかと思ったら、これもシッカシ裏切ってくれた。
僕は初めて見た。25年前のアニメ作品の再上映だからオジサンだらけかと思ったら、20代、30代のほうが多かった。理由は不明。
◆監督のブログが面白い。
アニメ「PERFECT BLUE」の製作過程、よもやま話 「パーフェクトブルー戦記」が映画以上に面白いかも。作品よりも面白いと言うのは監督に失礼な話だが、映画に関わってない人が聞けない裏話、苦労話がとにかく面白い。
夢に夢を重ねて、、、
面白かった。
夢に夢を重ねて、途中何が何だかわからなくなる。精神的に追い詰められた表現として適切な表現だと思いました。そこで観る側の認識も幾つかにズレて行ってるんじゃなかろうか。
どの事件もハッキリした結末は語られない。それどころかあったのかなかったのかも判然としない。まるで夢を見てるみたいだ。
そして最後のセリフ。
「私は本物よ」
普通の人はそんなこと言わない。
あえて言うのには理由がある、と取れば。。。
どこまでが竹内さんの原作で、何処からが脚本家の仕事で、監督の演出がどの程度加わっているのか。
【以降、余談】
1997年の作品だから、携帯電話もさほど普及していない。インターネットも一部の人の趣味。描かれたパソコンはMacのパフォーマータイプの一体型。うちの実家でも使ってたやつだ。ブラウザはネットスケープナビゲーターか?その説明と含めて懐かしかった。
この作品はリアルタイムでは観ていない。2023年に初めて観た。1997年当時、大阪のラジオ局ABCラジオでは誠のサイキック青年団という番組をやっていた。竹内義和さんはその出演者。芸能情報や噂を有る事無い事喋ってはリスナーを楽しませていた。私は年に数回、その番組のイベントの運営をする仕事をしていたが、ラジオは聞いてなかったのでこの映画の事を知ったのは随分後になってからの事だった。舞台上ではもっともらしい顔して出鱈目言ってる御大。正確さより面白さそんなステージを客席や舞台袖、楽屋の整理をしながら聞いていた。良い時代だった。
そんな人が書いた作品の映画化。気になっていたが観れなかった作品を映画館で観れたのは嬉しかった。客席の少ないスクリーンだったがほぼ満席。3日前にチケット買っておいて良かった。
結末を知った上でもう一度観よう
傑作とは聞いていたが、リバイバル上映と聞いて鑑賞
サイコサスペンスとは聞いていたが、全く情報無かったのが良かった。
チャムと戦隊物のバーターのショー、デパートの屋上でよくやっていたなと懐かしく感じたのも束の間、いかにもなファン(警備員)が早々に登場、この人が悪役ならそのまんまだから、最後には助けてくれる役なんだ。と願いながら話は進んでいく。
話が進んでいくが、出てくる男達は皆、どこか気持ち悪いやつばかり、未麻の味方はどこにもいないのか?と祈るような気持ちになってくる。
エンディングは一番の味方と思っていた貴方が、、、
でも、貴方が何故そうなるの、元々そうだったの、途中にいなかった時に何があったの、もしかすると最後の瞬間の後には「はいカット」っていうこと?
自分の世界もぐらつくような、トラウマの残る映画でした。
これが世界を揺るがした傑作
今敏(こん さとし)
北海道は釧路生まれの
漫画家・アニメ監督
漫画家としてヤングマガジンの
ちばてつや賞を受賞し
大友克洋のアシスタントを担当
やがて大友克洋が脚本等を担当した
「老人Z」「MEMORIES」
などからアニメ方面へ進出
数々の作品で評価を得たことで
監督として機会を得たのが
今作となる
どちらかと言えば国内より
海外で評価される機会が多く
「千年女優」「パプリカ」等
2010年に惜しまれながら癌で死去
するが存命ならば日本の
アニメーションを牽引する存在で
あったであろうと言われる
才能である
1997年に発表された今作は
当時まだ一般に触れられる機会が
まだ早かった「インターネット」
「ストーカー」と言った要素を
取り込みながら
アイドルが次のキャリアを
女優に定めるにあたって抱える
葛藤を今敏監督特有の
現実と空想の境目を曖昧にする
演出を駆使して観る者の感覚を
狂わせる様は何度観ても
衝撃を受ける
その表現方法にしても
アイドルユニットの
センターだった霧越未麻(きりごえみま)
が女優に転身するにあたっての
本人の内面的な葛藤や迷いを
憂うマネージャーや倒錯的なファンに
転嫁しながら進むことで
未麻に女優としての濡れ場や
ヘアヌードに差し向けた連中が
惨殺されていく展開にもっていく
流れは何度観ても予想しづらく
ストーリーとして最後までわからなく
する展開には改めて感服するところ
女優として転身するために
濡れ場でもなんでも受け入れていく自分
アイドルとしての未麻を応援してきた
マネージャーのルミやファン
それぞれの想いを「鏡」として
投影してもう一人の「理想の未麻」
として画面に出す手法
これが海外に影響を非常に産んでいたと
思います
こないだのエドガー・ライト監督の
「ラストナイト・イン・ソーホー」でも
明らかにこの作品の影響であろうと
感じられる鏡映しの描写がありました
思い描いている理想の自分と
現実の自分を鏡の向こうで分ける
今にしてみると当たり前な表現に
感じますがこの映画がストレートに
初めて表現したんじゃないかなと
思うとこはあります
26年経ったところで
今観てみると一番思うのは
昨今の作品で見られる
「わからない人向け」の配慮が
一切無く
柄の悪いアイドルのファンなどの
実在してしまうものをアッサリ
表現している点については
この作品どんだけ視点が
新しかったんだと驚くばかり
倒錯したファンが暴走する
というテーマの映画だと
ロバート・デ・ニーロ主演の
「ザ・ファン」が思い出されますが
この作品は本作の1年前の1996年の作品
タイムリーな話題をいかに抑えていたのか
と思わされるばかり
今敏氏はもしご存命であれば
ジブリや新海誠氏などのように
次世代のジャパニメーションを担う存在
として存在したのであろうと思いつつ
この作品に影響を受けた人々が必ずや
発信し続けるのであろうという
期待も願ってやみません
追記
この映画に関わられた方と
縁あってお友達なのですが
今回観に行きましたと
お伝えしたら
この作品当時は興行が
振るわず今敏監督と気になって
封切り日に新宿へ観に行ったら
あまりにガラガラで
帰りにゴールデン街でヤケ酒した
というお話を聞きました(笑)
いや時代が早過ぎたんだよなぁ…
多層的
4Kリマスター上映にて、初見。
ストーリー立てとしてはそれほど複雑なものではないが、真相は?となるとかなり複雑なものになる…
というのも…
以下ネタバレ。
未麻、警備員の男、真犯人の願望が一致しているため、ストーリーが進むにつれ、映画内で起こっている事象が誰の視点で描かれているものなのか、それが事実なのか幻想なのか、どんどん分からなくなっていくようになっているから。そういう意味ではこの映画のオチもあくまでも未麻の視点で描かれたもので、事実かどうかは分からないまま…
90年代に作られたものとしてはそういう多層性は進んでいると思うが、今となっては…ね?
警備員の男の描かれ方もステレオタイプ過ぎるし、それは冒頭から気にはなった。
ただ、そういう「消費された側」の作品だったんだと思う…
「未麻の部屋」
2010年に46歳という若さで亡くなった今敏監督のデビュー作品。
(キャラ原案・江口寿史先生
企画・大友克洋先生 が参加)
制作のマッドハウスの創業50周年と本作劇場公開25周年を記念し、4Kリマスター版での上映が実現!
喜びに震えながら鑑賞。
3人組B級アイドル「チャム」のメンバーだった未麻は、事務所の方針で1人だけ脱退し女優に転身することになる。
しかし、清純派アイドルの未麻のイメチェンを許せない熱狂的なファンにストーキングされ精神的に追い詰められて行く。
加えて望まない仕事を続けるうちに、未麻自身にも異変が起きていく。
そして彼女の関係者が犠牲となる殺人事件が多発。
そのダメージから現実と虚構の区別がつかなくなっていく。。
というストーリー。
「もう一人の未麻」が見えるようになっていく未麻。
本当の自分と演じている自分との境目が分からなくなっていく過程が本当に恐ろしい。
「あなた、誰なの?」
「私は、未麻」
絶妙なバランスで繋げられるシーン。
ヒャンヒャンヒャンヒャン!
と大袈裟なBGMも不快感全開で、見ているこちらも徐々に追い詰められる。
嫌でも未麻の恐怖体験を共有することになる。
デパートの屋上でのこじんまりとしたステージ。
いかにもB級アイドルがコンサートをしていそうなシーン。
それに反してオタク語を話し、月でも撮るのか?一眼レフで狙う熱狂的なファン達が押しかけているその対比。
そして、日曜日にファミリーが戦隊ショーを見に来る場所でもある、そことのミスマッチも心がざわつくポイントだ。
しかし、ひと昔前なら割と見かけた光景。設定がリアルで生々しさが増す。
そして楽曲が本当に素晴らしい!
チャム「愛の天使」
2人ver「一人でも平気」
大ヒットはしないだろうと誰でもわかる「絶妙に売れない感」が抜群の楽曲!!
(振り付けも最高!)
そんなリアルさが完璧過ぎて、未麻に起きている事が、現実なのか幻覚なのかわからなくさせている。
あのお気楽な楽曲を流しながら、錯乱する未麻を描くパートは悍ましすぎる。。
未麻の芝居も完璧!
あの声のトーンと話し方。
「ルミちゃん」可愛らしい少女のようであるし、とても怖くも聞こえる。
ラストはもう殴られた様な衝撃!
まさかの真相!!いや、これも夢?!
ストーカーが?!ルミが?!
未麻が?!!
女優として成功を収めた未麻。全てが彼女の仕業だったら?と考えて背筋が凍りました。。
本作はアニメーションでしか表現出来ない世界がある事を証明した作品だったと思います。
これを実写で撮ったらと考えてみて下さい。
安っぽサスペンスに成り下がってしまいます。
アニメーションの可能性を存分に知らしめてくれた傑作です!
神がかっている!
もう今監督の新作が観られないのだと思うと、とても悲しく残念でなりません。
ビビって観るのを躊躇していた
グロは基本ダメなので、あらすじを読んでから視聴w
グロはダメな人でも耐えられるレベル
目をアイスピックで指すのが一番エグいだろうが、あのシーンは美しさを感じた
実像、虚像、偶像、増殖する自己
現実の自分「実像」と理想の自分「虚像」の間で揺れ動く主人公の姿が描かれていた。
主人公は、アイドル(=偶像)で、ファンが見たい自分を魅せている職業。ファンが勝手に理想像を作り上げてしまうから、いつのまにかそこにその人本人は抜け落ちてしまって、実体のないイメージだけのものになってしまう。
普段は電車で通うし、スーパーで買い物するし、アイドルの自分とアイドルではない普通の人間の自分がいて、自分の像が2つ存在していて、入れ替わりながら生活している。
主人公は女優に転身する。女優はいろんな役を演じるから、自分の像は役の数だけ増えていくことになる。ネットの中で増殖していく自分と重なる。自分じゃない人が、自分を装ってホームページを更新する。主人公はそれを読んで「私、今日原宿行ってたんだ」と徐々に現実とフィクションの境界を失っていき、現実を生きているのか、夢の世界を彷徨っているのか、現実の世界でドラマの役を演じているのかわからなくなっていく。
アイドルの自分が乖離して自分から遠く逃げ去っていく幻想、反対に、アイドルの自分に追いつめられる幻想、割れた鏡に増殖して映る複数の自己、自分の影の部分が映る鏡の中の自己。すべてが物語とリンクして、自分を見失っていく様が重層的に描かれている。
主人公の視点で描かれていて、その主人公は自己を見失っているので、この物語は「信頼できない語り手」の系譜の物語。結局、殺人事件や、精神の不安定さが、どこまでがほんとうに起きたことで、どこまでが夢の世界で、どこまでがドラマの世界なのかを確定するのは不可能である。
哲学者デカルトの「我思う、故に我あり」という言葉がある。この物語の最後の主人公の言葉「私は、本当の私よ」はこれと同義であるように思った。「私」が「或る私」を「それは私である」と認識できる時に、私は、「本当の私」になる。実像と虚像の間で悩み、揺れ続けた「私」が自己を再確立する、というのが、パーフェクトブルーの大きなテーマであろう。
現在の私たちは、ネットの中の私・社会的な私・素の私を使い分けることが容易になっていると思う。Twitterでは病みツイートしていても、Instagramではキラキラ投稿をする。アイドルだって恋愛するし、ファンはSNSで日常が覗ける。複数の私を認識できるし、使い分けできる。
でも、この「PERFECT BLUE」という作品はインターネットが普及した初期段階のお話。自分の像はひとつであることが当たり前の時代だったのではないかと思う。だから、増えていく自分の像を簡単には受け入れられない。アイドルも本気で排便しないと思われていた時代だったのだから。1990年代の人間の心情を、インターネットの台頭という時代背景を的確に捉えて描いた、この時代だからこそ生まれた傑作であると思う。
現実感の喪失
最近色々とアニメを観るようになったので、何故か海外でも評価が高い今敏監督の「パーフェクトブルー」を鑑賞してみました。えーと、率直に言うと「気持ち悪っ‼️」。
ドルオタのストーカーの描写が怖いんですよね。ホントにこんな感じ?ってか(失礼ながら)監督にはストーカー経験あるんじゃなかろか?っと思えるぐらい気持ち悪かったです。幸いストーカーの知り合いはいない(と思う)のですが、リアルであんな感じなのでしょうか?ヤベェな、ストーカー。
で、もう何処から現実で何処から妄想かわからない作りは観てる方もおかしくなっちゃいそうでした。blu-rayの特典に付いてたインタビューで今監督が「現実感の喪失を描いた」というような事を言っていたのですが、見事に監督の目指していた作品に作られてる感じです。見終わった後にゾワゾワする物が残ります。
結局ミマの関係者ほぼほぼ殺されますし、ミマもちょっと大丈夫かどうか怪しいエンディングだったのですが、20年以上前の作品にもかかわらず今観てもなかなかインパクトのある作品でした。当時から日本のアニメってスゴかったんですね。
なんだこの映画は・・・
ストーリーは理解できるが、細々した設定が多く一回見ただけでは理解できないかもしれない映画。
理解できなかった自分は見終わった後にネットのネタバレを見つつ、さらに作品の重要なシーンを見てようやく理解できた。
それでもどこか違和感が残る作品である。
それにしても最後、鏡を見ながら「私は女優よ」というシーン。みまの実際の毛色と鏡の中のみまの毛色が違うのはなぜなのだろう。
吐きそう。
全員死んでくれて良かった。つらすぎた。
途中でもう見てらんないくらいつらかったけど、劇場だったから、立てないのつらかった。
主人公が綺麗で良かった。
皆、きっと誰にも上手く説明出来ない事を抱えても、生きていくんだと思った。
主人公が生きてて良かった。
しんどくても、じぶんなりに生きていこう。って思った。
無様に駆けずり回っているからって現実とは限らない
今敏監督没後10年の節目に「ソレイユ」が特集を組んでいます、いい機会なので見返してみる
いやー、やっぱり色褪せないてすね、普通のサスペンスなら話の筋や真犯人が分かっていてればドキドキはしないものですが、主人公の未麻が精神的に追い詰められて段々と自分の演じている役と実生活が混じりあいあやふやになっていく過程の演出が恐ろしく手に汗を握りました
今監督の作品は一貫して“虚が現実を侵食する”ことをテーマに扱っている、この作品では鏡を効果的に使ってそれを表している
当たり前だがアニメは実写とは違い絵に描かなければ存在しない、冒頭の楽屋の鏡だけでなく普通は描写をはぶくような電車の窓ガラスに映る虚像まで丁寧に描写して、さりげなく日常シーンにもう一人の自分を散りばめている
未麻の精神が不安定になるにつれ、鏡の中のアイドル・未麻が私こそが本物だと暴走をはじめる、このあたりから作品内のドラマのシーンに現実の人物が嵌め込まれたり、その逆があったりと時系列が追いづらくなる
そしてクライマックス、事件の黒幕がマネージャーのルミだとわかるシーンでは鏡の中に映るのが太った体をアイドル衣装に押し込んだルミで涼やかな笑みと重力を感じさせないスキップで夜の街を飛び回るのがアイドル・未麻という逆転が起きる
最後の病院のシーンでは鏡に話かける虚像に囚われてしまったルミ=ミマと女優として成功している未麻の対照的な結果に
この話は主人公がアイドル=押し付けられた虚像から女優=本当の自己になるアイデンティティ獲得とか、成長物語だと思う人がいるらしい
でも、本当にそうだろうか
もしそうならどうしてラストで「私は本物だよ」と言ったのがバックミラー、鏡の中の未麻だったのか、第一女優=現実の自分なんて皮肉すぎない?
不思議なシーンはもう一つ、暴走をはじめた虚像未麻が「もう一度アイドルとして二人と歌う」といってもといたアイドルグループのライブに乱入するシーン
明らかに二人に未麻が見えている様子なのがおかしい、あの場にはルミもいたので扮装したルミだった可能性も無いわけではないけれど、それならもっと大事になってるだろうし、他の二人が困惑顔をしつつも踊り続けているのは変な気がする、まあこの辺の解釈はひとそれぞれかな
「この映画は未麻視点だから虚像未麻は幻覚、最後だけ視点がルミに移った」というある意味分かりやすい構造でも充分見られるけどどうにも釈然としない、もやもやとした気味の悪さを残す所が素晴らしいと思う
鏡の外側が虚構でないとは言い切れない不気味さは実写のように緻密に描き込まれたアニメーションならではかもしれない
三十路の時
今のように映画なんて見向きもしなかった時代の上映だったので、存じ上げていなかった作品。アニメ系映画サイトで、ちょいちょいキーワードが流れ、去年、確かユジク阿佐ヶ谷で掛かったのではないかと記憶している。結局鑑賞することがなかったで、改めてDVDで。
この時代に、テレビアニメや漫画から派生した作品ではなく、小説からのアレンジ作が存在したことに驚く。そしてその入れ籠構造的な複雑なプロットを表現した内容にも驚いた。こんな作品がもう90年代にはあったという事実に。
サイコホラーでのジャンル映画であり、確かにアニメで表現したことは正解だと思う。実写では再現できない難しい演出や、日本での規制が厳しく、自由が担保されない状態では、こうしてアニメ-ションとしての形は有意義なのだろう。例えば、目をくり貫かれた死体、裸体、アンダーヘアー・・・ 枕営業こそ登場していなかったが、そんな芸能界の裏事情もストーリーの裏にはあるのかもしれないと思わせる虚構に満ちた世界をリアルに描いている。
ストーリーも、サスペンス要素をふんだんに織込み、ラストの種明かしも、きちんと感情移入できる力を持っていた。
19年経ち、今ではCGやVFXで如何様にもこねくり回せるが、世界観やストーリーテリングの妙といった目に見えない雰囲気的な表現は、昔の方がより力強さを感じると思える作品だ。今敏という監督は若くして夭逝されたということだが、伊藤計画にせよ、天才という人達のその己の命を削るプロダクトは改めて敬服を感じざるを得ない。
余談だが、先に『パプリカ』を観てしまったのだが、順番は、今作品を先に観た方が良い。時代に沿った順番は、やはり自然だ。
ちなみに、故監督のサイトには、今作品の追憶が載っており、アニメ映画制作の裏話を充分堪能できる。確かに能力の高い人達のプロフェッショナルな仕事ぶりに驚嘆させられこと請け合いである。
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