日本仁侠道 激突篇
劇場公開日:1975年1月15日
解説
任侠道に生きる親分を中心に、義理・人情・掟にしばられた男たちの姿を描いた任侠映画。脚本は「逆襲!殺人拳」の高田宏治、監督は「極道VS不良番長」の山下耕作、撮影も同作の古谷伸がそれぞれ担当。
1975年製作/95分/日本
配給:東映
劇場公開日:1975年1月15日
ストーリー
東京・八王子の竜神一家親分・竜崎市蔵は、任侠道に徹した折目正しい侠客として人望も厚く、屈強な子分共々、一家の評判も高かった。賭場の得意客の沢野喜兵衛が借金を苦に自殺した。一人娘のおきみを女郎屋に売り飛ばし、博奕のキリをつけての自殺だった。おきみの身売り先の紅梅楼へ駈けつけた市蔵は、三多摩の土方の親分、房州熊の毒牙からおきみを救った。三多摩土木会社は、市蔵の兄貴分で、恋女房・お幸の兄でもある青梅・扇家一家二代目・東金参次郎が経営している。参次郎は新宿の十国一家と組んで、八王子に三業地を開発すべく市蔵に協力を求めて来た。しかしこの計画は十国一家総長・神戸雷吉の縄張り荒らしだと見ぬいた市蔵が反対したために、参次郎との間は険悪な状態となった。やがて、竜神一家の縄張内で、十国一家の賭場が立った事を客分の千成和助から聞いた市蔵は、代貸の左吉と子分の三五郎を引き連れて賭場に乗り込むが、熊が放った銃弾が市蔵を庇った三五郎に命中、三五郎は重傷を負った。そして数日後、再び竜神一家の縄張内に十国一家の賭場が立った。だが、客分である旅常こと友時常次が単身賭場に殴り込み、十国一家の子分を血祭りにあげてから姿を消した。この抗争を知った関東一円にその名を轟かせる秩父・藤ヶ崎一家の親分・国領達之助は、氷川の円蔵ら数人の供を連れて仲裁に入った。達之助の貫禄には神戸も二の句がつげず、両者は手打ちをした。数日後、市蔵夫婦の計いで紅梅楼の下働きをしているおきみが、熊の子分の松と留に強姦された。おきみに恋心を抱く市蔵の子分、巳代吉の怒りが爆発、留を刺し殺した。市蔵は涙をのんで巳代吉を破門、巳代吉は追おうとするおきみを振り切り、一人旅に出るのだった。喧嘩の仲裁以来、市蔵に惚れ込んだ達之助は、藤ヶ崎の跡目を市蔵に継がせる事を決心した。この事を知った参次郎の腹は煮えたぎり、熊たちとともに、一気に竜神一家を潰すべく動きだした。市蔵の家に熊の投げ込んだダイナマイトが爆発、皆を庇った三五郎が死んだ。お幸を楯に市蔵と対決する熊。その時おきみが熊の胸に飛び込み、お幸を逃がし、自分は熊のドスを受けて絶命した。おきみの葬式の日、お幸も自害し果てた……。左吉に竜神一家の二代目を継がせた市蔵が、渡世の掟を破って兄費分殺害に向かった。急を聞いて駈けつけた巳代吉の手引きで阿修羅の如く斬り込んだ市蔵は、参次郎、神戸を血祭りにあげた。--竜崎一家初代組長・竜崎市蔵、懲役七年ののち、昭和十年藤ヶ崎三代目総長を襲名。同十二年、関東侠道会を結成、会長に就任。