名寄岩 涙の敢斗賞
劇場公開日:1956年6月7日
解説
ひたすら土俵に生き抜いた大関名寄岩の半生記の映画化である。「丹下左膳(1956)」の棚田吾郎の脚本を、「地獄の波止場(1956)」の小杉勇が監督した。撮影は「青春をわれらに」の永塚一栄。名寄岩が自身出演する他、主な出演者は「愛情」の山根寿子、「色ざんげ(1956)」の高田敏江、「ドラムと恋と夢」の芦川いづみ、「神阪四郎の犯罪」の滝沢修など。双葉山、羽黒山などが協力出演している。
1956年製作/90分/日本
配給:日活
劇場公開日:1956年6月7日
ストーリー
昭和二十五年の大相撲春場所千秋楽。一時は大関まで昇った名寄岩も転落の一途を続け今は前頭九枚目。しかも相手の琴錦にあっけなく敗れ去った。それというのも自らの体の衰え、妻千枝子の結核による長い病気生活による経済的貧困に喘いでいたからであった。しかし苦しくとも土俵は彼の生命であり、生活の糧を得る唯一の場所であった。両国河岸に近い自宅に帰った名寄岩は、鳴り響くはね太鼓に、生気溢れた関取時代を思い出すのだったが、それも還らぬ夢、やつれ果てた体を蝕む病魔があるのみであった。こうした名寄岩を心配する立浪親方や、恩師の木暮博士は何とか再起させてやろうと、名寄岩を博士の大学病院に妻千枝子とともに入院させた。入院した当初は夜中に病室を飛出し四股を踏み看護婦に手を焼かせる名寄岩だったが、木暮博士の激励で次第に回復、再起不能といわれた体も遂に夏場所に出場できるほどになった。こうして、その夏場所、名寄岩は九勝五敗の成績で敢闘賞候補に上ったが、この夫の元気な姿に比べ妻初枝の病状は悪化し、妹千枝子に後の事を頼むことが、しばしばであった。いよいよ千秋楽の日、備州山との一戦に敗北を喫したが、観衆は“良くやった”と讃辞の嵐を浴びせ、敢闘賞の栄冠は、遂に名寄岩に下った。しかし、初枝は、夫の晴の姿も見ず、その日、永久に帰らぬ人となった。遺骸を前に賞状を読む名寄岩を始め立浪親方、木暮博士らの口から鳴咽の声がほとばしった。この敢闘賞を機に名寄岩は二十八年一月、関脇に復帰、二十九年九月、波乱に富む二十有余年の力士生活を退き、年寄春日山を襲名、最後の土俵に再出発した。