東京裁判のレビュー・感想・評価
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まさに時代の証言人
一つ一つの場面にリアルの気迫を感じる。
まさに第三者からの証言を画付きで見ているようなドキュメンタリー。こりゃ、解説本を見ながらじゃないとわからねぇ。と思ったが、それくらい、より知識が欲しいと思わせる作品だった。
まずは理解よりも見たという事実が大事なのかもしれない。
ポツダム宣言を考えた
負けた日本が裁判で裁かれた。侵略戦争、自衛のための戦争、平和に対する罪、人道に対する罪、戦争犯罪、などなど色々考えさせられた。
長い長い裁判をこのような形の残しておいてもらったことに感謝しかない。
歴史を知ることは今の自分の立ち位置を確認する事だ。
負けたから仕方ないではない。勝った側にも戦争犯罪はあった。誰がどんな正義であっても暴力、戦争は間違っている。
戦争は国際問題の解決手段として永久に放棄しないといけない。理想論ではなく覚悟として。
8月15日に観るのに相応しい映画だった。
長編につき前日は十分な睡眠を❗
あれだけ膨大な量の貴重な映像が残っていたことに驚いたとともに映画として多くの人が見られるようにしてくださった小林監督に感謝と敬意を表します。玉音放送の内容を全文聞いたのは初めてだったので感慨深かった。
戦勝国が一方的に裁いた不公平な裁判だったのかと思っていたが、アメリカ人弁護士が本当に誠心誠意日本人被告を弁護してくれていたと知り頭が下がる思いでした。「ここにいる日本人が有罪なら日本に原爆を落とした者、それを命令した者の名前を私は知っている」などとアメリカ人が簡単に言えることではないだろう。
裁判にかけられたA級戦犯全員死刑(絞首刑)ではなく終身刑や禁固○年等、死刑以外の被告もかなりいたのは意外に感じた。現地で捕まり帰国もできずそれこそいい加減な裁判で死刑にされたり、現地民になぶり殺されたりした"上からの命令に従っただけ"の多くのB級C級戦犯の方々のことを考えると随分甘い判決に感じてしまった。東京裁判に出席できただけでも恵まれているのでは?命令だけして自分は一切手を汚さず多額の給料をもらい食事に困ることもなかっただろうA級戦犯でも死刑を免れた人が多くいるのならB、C級戦犯で死刑って惨いし何が基準なのか分からない。やはり上級国民はいつも安全で下級国民は"お国の為に"などと言われて当たり前のように命を捨てさせられる、、選挙で戦争大好きなおかしな政治屋を選ばないよう国民一人一人が注意しないといつかまた同じ道を辿ることになるのではと危惧する。かの大戦も国民は誰も戦争が始まるなんて思ってなかった、現在は戦前の頃とよく似ている、と瀬戸内寂聴さんが書いた記事を読んだことがあります。
今日はたまたま終戦記念日だったためか映画の後、本作のパンフレットに寄稿もされている毎日新聞の記者の方のトークショーがあり、この映画がより興味深いものとなった。
映画館ほぼ満席でした。ミニシアターだけでなくTOHOシネマズのような大手でも上映すべきではないでしょうか。
最後に余談ですが、隣席の高齢者は途中寝てたし、ごそごそ落ち着きなく、終始あくびしっぱなしで周囲に強烈な口臭撒き散らし続けてました。知識・教養の乏しい方や日頃から背中や足腰が痛い方は無理に映画館で見る必要は無いと思う。
悪い予感に慄えた
収穫はたくさんある。ひとつは膨大な資料提供をしてくれたのがアメリカだということ。流石に情報公開の国である。どんな機密情報も30年を経過したら公開するという原則を忠実に守る。日本の官庁が公開する黒塗りの文書とは大違いである。この一点だけでも日本がまだ民主主義国たり得ていないことがわかる。
もうひとつは玉音放送のすべてを聞くことができたこと。負けた国の元首にしては随分と偉そうな物言いではあるが、当時の天皇は絶対的な権威であったことを考えると、この文言がギリギリだったのかもしれない。
3つ目は映画館が満席であったこと。若者は見かけなかったが、敗戦の日を翌々日に控えた日にこの映画を見る人がこれほどたくさんいるというのは、戦争に対する問題意識が高まっている証左ではないかと思う。それほど現代の日本はキナ臭いのだ。
4つ目は東條英機が被告の中で最も愚かであるのが明らかだったこと。他の被告たちが尋問の意図を受け取って堂々と発言しているのに対し、東條は尋問者の揚げ足を取ったり、通訳の日本語がわかりにくいと非難したりする。どこぞの国会での暗愚の宰相が野党の質問をはぐらかしたり下品なヤジを飛ばしたりするのとそっくりである。
5つ目は、極東国際軍事裁判が極めて特殊な裁判であり、裁判自体の正当性が何に担保されるのかが争われたこと、そして裁判官が戦勝国の法律家ばかりであったことが不公平に当たらないかと法廷内で指摘されたこと。GHQによる一方的な裁判だとばかり思っていたが、法の下の平等、法の不遡及ということについての認識がはっきりしている。
6つ目は、天皇の戦争責任が否定される法廷であったこと。天皇に戦争責任がなかったことにしたかったのは、天皇の取り巻きや戦時政権ではなく、アメリカの意向であったことが解る。日本人をよく分析して、天皇という権威をそのままに置いておいたほうが日本を統治しやすいと考えた結果であるのは誰もが知っているところだが、東條英機をはじめとした軍官僚たちの中には誰ひとりとして天皇の戦争責任を積極的に否定する者はいなかったのだ。自分が助かるなら場合によっては天皇ひとりに全責任を被せようという肚だったのは明らかである。これもまた、誰ひとりとして責任を取らない自公政権とそっくりだ。
長時間の映画だが、全く退屈しなかった。それどころか、当時の人々があまりにも普通の人々であり、現在の政治家たちと大差ないことに愕然とした。まさに今の政治家たちも同じように戦争を起こすのではないかと、悪い予感に慄えてしまったのである。
東京裁判の意味を知った
1983年の公開時に見逃してから36年が経った。ようやく(4Kデジタルリマスター版で)観ることができた。4時間37分の長尺を耐えられるかと危惧したが、4時間37分では足りないと思うほど充実した内容だった。釘付けになった。
東京裁判を中心に日露戦争以降の日本を、そしてこの裁判以降も戦火の絶えない世界を俯瞰する。
東條英機を始めとする当時の幹部たちの姿を鮮明に見れるだけでも価値があるのだが。弁護団や一部の判事の戦争や法律に対する普遍的な考え方に驚かされる。1948年だというのに……
それにしてもよく完成させたと思う。残された膨大なフイルムから何を切り取り、どう繋ぎ、何を語るのか……考えただけで気が遠くなる作業だが、さすが小林正樹、驚愕のドキュメンタリーとなった。日本映画史においても稀に見る労作であり傑作だ。
今の日本の原点として
毎年、照りつける夏の陽光が眩く蝉の声が喧しいこの季節になると、あの戦争を見つめ直し、あの戦争の持つ意味とその時代背景、そして戦後日本の社稷と経綸への道筋を、年に一度は確りと思い起こし、心に刻み直すべきではないかと思います。
戦前日本を清算し、戦後日本のパラダイムを決定づけた出発点は、良くも悪くもやはりいわゆる東京裁判、正式には極東国際軍事裁判でしょう。
本作は、内外の膨大な当時のニュースフィルム原本を収集・咀嚼して校正し、緻密に再編集して制作されており、妥協を許さぬ完全主義者にして、戦争の空虚な無意味さを訴え続けた名匠・小林正樹監督の渾身の名作であり、正にあの戦争の歴史を自分なりに検証し総括し再定義するには最適の作品といえます。
4時間半と非常に長いですが、再度全編を観通し、暫し沈思黙考してみました。
なぜ日本はあの戦争に突き進んだのか、一体誰が主導していったのか、そこに至る事情と確執は如何であったのか、一方で抑々”戦争犯罪“というものは何なのか、それを裁いた側の正当性は一体何に基づくのか。再見した今、胸に去来するのは、唯々虚しく愚かな壮大な悲劇と、その一方で組織と個の葛藤が臨界点に達した時の恐ろしくも酷い人間存在です。
憲法九条改正が論議され、集団的自衛権の在り様が話題となっている今、アニメ等のクールジャパンとその反面としての伝統的日本文化・倫理観が世界から称賛され注目されている今日、更にオリンピック開催を控えて一層のグローバルな活動・展開が期待されている昨今、この命題は、改めて一人の日本人として道義的に、常に一種の原罪として心底に意識しておかねばならないのではないかと思うしだいです。
今、観てほしい映画です。
歴史に疎い私ですが、わかりやすい構成で、最後まで食い入るように鑑賞しました。
裁判の経緯に沿って、日中戦争や太平洋戦争などの映像記録を説明とともに見ることもでき、(日本はどうして参戦に至ったのだろう?)という疑問への糸口が少し見えたような気がします。若い世代が、今見なければいけない、と感じました。
なお映画館は満席で、立見席でギリギリ入れました。ご注意を(笑)
記録映画として意義深い
たまたま数年前に『東京裁判』(日暮吉延,講談社現代新書)を読んでいたので、今回本作を見るに当たり、再度読み返した上で鑑賞した。
玉音放送自体は、国立国会図書館のデジタルライブラリー等で聞けると思うが、リマスターかつ映画館の音響で聞くと臨場感があり、平成生まれの私だが、「敗戦」という言葉が単なる史実としてではなく、あたかも自らの実体験であるかのように錯覚するほどであった。
トークショーで伊藤俊也氏が仰るように、説明過多、解釈先行と感じる方もいるのかもしれないが、鑑賞者に対してどれ程の前提知識を求めるのか、ということとの比較衡量の結果なのだという小笠原清氏の意見もまた妥当だ。
これだけ厖大な映像資料を一つの映画作品として鑑賞することができるという点において、やはり本作は、いまだ大きな意義を持っていると思う。
ただ、やはりある程度の前提知識がある状態で鑑賞した方が、伊藤氏が指摘するような解釈提示を相対化し、純粋な記録映画として本作を捉えることができるのではないだろうか。
この映画を再映する意図は?!
正に文字通り「東京裁判史観」によって作られた、恐ろしく退屈で膨大な表面的な裁判の記録映画です。
初公開時は、一般に非公開だった東京裁判の映像が公になったという意味で、一定の役割を果たしました。
しかし、その後の歴史研究で、この裁判の裏側では様々な海外諸国の思惑が渦巻き、裁判の進行に関してもあまりにも不公正なやり取りが有ったことが詳らかに成ってきました。
「憲法改正」が巷の話題に成ると、ある傾いた思想の方々は、ムキになってこの映画を持ち出しますよね。その意図を理解した上で御覧に成った方が宜しいかと。
4時間半の長編ドキュメンタリー映画。 難しい言葉で字幕も早いのでと...
4時間半の長編ドキュメンタリー映画。
難しい言葉で字幕も早いのでところどころついていけませんでしたが、長さを感じさせずあっという間でした。
玉音放送の全文を始めて聴きましたし、色々と学ぶ事が多かったです。
ガラガラかと思って行ったら、シネマリンほぼ満席でした!
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