太陽を盗んだ男のレビュー・感想・評価
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強烈な、伝説的カルトムービー
DVDで2回目の鑑賞。
なんと表現すれば良いのでしょう。この映画にはとてつもないパワーがある。人を惹きつけて止まない魅力がある。だからこそ公開後50年近い月日が経っても愛され続けている。
特にテーマやメッセージは無いように思いましたが、何かを訴え掛けるような凄みを感じました。強いて言うならば、安保闘争敗北後に訪れた虚無へのささやかな復讐でしょうか?
面白いエンターテインメントをつくってやろうと云う熱気が伝わって来ました。それは画のダイナミックさに表れていて、どのシーンも邦画のイメージを凌駕するスケールでした。
ストーリーからしてセンセーショナル。原発からプルトニウムを強奪して原爆をつくり政府を脅迫するも、要求内容が思い浮かばず、ナイター中継を最後まで放送しろだとか、挙げ句の果てにはラジオ番組でやりたいことを募集する大胆さ。
1970年代の社会に漂う空気感なのか、どことなくしらけているが故に、空前の犯罪者にも関わらず憎みきれない城戸誠の行動に、山下警部と同じく振り回されてしまいました。
当時だからこそつくり得た作品、と云うものがあると思います。本作もそのひとつだな、と…。「仁義なき戦い」シリーズと同じ匂いがします。本作のために行われた撮影は今じゃコンプライアンス的にアウトなものばかり。令和では撮れない。
伝説的な本作ですが、万人に知られているわけではなく、一部に熱狂的なファンを持つカルトムービーと云う位置づけ。公開時の興行成績は芳しいものではなかったとのこと。
コケた要因はよく分かりませんが、ただひとつ言えるのは、本作はこのままカルトムービーとして伝説的となることで、永遠に輝き続けるのではないか、と云うことだけです。
[余談]
あれ。この劇伴どこかで聴いたことあるな。なんて映画だったっけかな、それともドラマだっけか。一生懸命考えましたが思い出せず、ウィキペディアで調べたら一発でした。
なるほど、エヴァか…
※修正(2024/05/15)
確かにこれは良い映画
見ておいた方が良い邦画の代表作
しかし、少し長いなと敬遠していたが
このたび鑑賞。
確かにコレは凄くいい。
衝動に溢れた名作に感じた。
作り手の勢いや、演者の気概。
今見ても、マジですげーと思える
映像に溢れている。
いま、私自身はシラケで過ごしている。
犯罪に走ろうとは思わないが
何もかもどうでも良いし
他人事のように過ごしている。
そんな中、何かに没頭できるジュリーが
羨ましくもあり
過去の努力の賜物でもあるのだろう。
あと5年はシラケで過ごす。
例えばキムタクでは無理だろう
このような作品が以後40年も撮れぬのは、
我が国に長谷川和彦に比肩する脚本家や監督が不在ゆえでなく、
沢田研二的なスターが不在ゆえだろうと思う。
想えば異様なスターであった。
例えばキムタクでは無理だろう、ということ。
狂気
城戸イカれすぎ精神状態心配なるわ!
でも、ド迫力のカーチェイス最高でした
菅原文太不死身すぎて笑ってしまった笑
なんかの評論で見たけど核(原爆)は使われない事が本質の兵器と書いてありなるほどなぁと腑に落ちた
最後になるけどジュリーカッコよすぎな!!!
名タイトル
池上季実子が海に落とされるが、その落差はションベンライダーの一場面を連想させる。凄まじいカーチェイスも見られるが、なんか本当に事故りそうなヤバいブレーキングである。振り切っているのがこの映画の魅力。あのヤバさを二度見したくなる。
連帯ではなしえなかったことを個人でしようとするが、その実、幼稚。長島の逆転弾に無邪気に喜ぶジュリーが印象的である。決して同意できかねる活動はヒロイックには描けないようで、他方、菅原文太が体現する現場へのリスペクトだけは高い。結局は権力志向のように思えるが、これも時代の現れ。
屋上で白眼を剥いた菅原文太が忘れられない。
変わる味わい3度目鑑賞
「太陽を盗んだ男」。シーン展開や表現演出は今も飽きずに観ることができる。セリフに多少時代を感じさせる部分はあっても映像として古びていない。ということは逆に言えば、公開当時はいろいろ先取りしていたのではないかと思う。沢田研二(ジュリー)と菅原文太のWスターに池上季実子出演なのに一般的にはウケておらず、カルト映画扱いで興行収入は伸び悩んでいる。当時は時代の気分が映画の先進性に追い付いていなかったのかもしれない。それが20年後30年後と時間をかけて、映画評論家が選ぶオールタイムベストの順位を次第にランクアップさせてゆき、ついに(2018年のキネ旬で)70年代邦画のベスト1に登りつめた映画なのだ。続きはnoteにて。https://note.com/daika/n/n69065da3b7d7?magazine_key=m8000cfeda611
本作の語られない本当のテーマ
沢田研二は素晴らしい役者だ
松田優作にも負けない存在感を示している
画面に写っているだけでシーンが成立する
彼が本作に出演していることだけで本作の価値は十二分にある
日本映画にないスケール感がある
主人公の車を無数のパトカーが追う迫力あるシーンはブルースブラザーズより1年も早い
空撮の使用、首都高でのカーチェイス、渋谷東急百貨店本店のシーンも呆れる程に見事だ
皇居前広場でのロケはあり得ないものだ
東海村原子力施設の内部セットも日本映画の貧乏臭さはない
カメラの構図作りも素晴らしく美しいシーンが多い
明らかに国際的な水準を目指した娯楽アクション映画だ
ただ脚本は残念ながらそこまで行っていない
黒澤明監督作品の野良犬や天国と地獄と比較すれば雲泥の差だ
気の毒なくらいに大人と子供ぐらいの差がある
世代の力量の差は圧倒的だ
そこにはテーマ性はメッセージは見えないのだ
見えるのは熱い映画を作りたい迸るほどの情熱だけだ
だから観ての印象は確かに面白い
これ程のものを撮ったのか!という衝撃もある
しかし残念ながらカルト映画として残るしか道のない映画としか言い様がない
脚本に単にお話の展開だけを追求しない伝えるべきテーマとメッセージを持たせることができたなら、それこそ世界的な傑作になったはずと思える
お話の展開自体も撮りたい画がありそれに結びつける誘惑に負けているのだ
あまりにも強引で稚拙で国際的に一流を目指すのだという目線はない
そこが実に残念でならない
21世紀に生きる我々の目で本作を見返した時、
フクシマを経験した前と後では決定的に見え方が
全く異なって来るだろう
我々は放射線の脅威とプルトニウムの恐ろしさが、本作での放射線被曝の描写がいかに甘過ぎるのかを知っているのだ
吐き気がでる程に嘘だ
もちろん当時の知識レベルのことだろうが、それでも真剣にリサーチすれば嘘なことは当時でも分かっていたはずだ
嘘と分かっていながら物語を優先したのだとわかるのだ
フクシマ後の現代の後知恵でいえばまだある
被曝のことを目をつぶっても、あっという間に残留放射線の数値の追跡だけで足がつくのは明白なのだ
本作はシラケ世代のメッセージという声も聞く
しかし本当にそうか?
製作に関わった人々は皆団塊の世代だ
沢田研二も菅原文太もそうだ
シラケ世代と言えるのは池上季実子だけだ
彼女は実に美しく輝く様に撮れている
しかし彼女の行動も言動も団塊世代のものだ
むしろ本作は団塊世代の喪失のメッセージに見える
70年安保闘争に破れ無目的に虚無的に生きている
主人公の城戸の動機はそこにある様に思えるのだ
だから冒頭に皇居突入バスジャック事件があるのだ
本作の語られない本当のテーマは団塊=全共闘世代の核による天皇制や日本国家への報復にあると思えば全てストンと得心できるのだ
それを彼ら製作陣は無意識あるいは意識して求めていたのだ
そこをストレートに裏テーマとして脚本を構成し直していれば、名作になり得たかも知れない
しかしそれでは製作はできなかったことも確かだが……
ともあれ娯楽映画として大いに楽しめる
役者としての沢田研二を観る価値は高い
公開当時なら。。。
これは絶対映画館で観る、と固く心に誓った映画である。初公開時はまだ中学生で、いろいろな映画を観るという感じではなかった。何年か前に映画館で観るチャンスがあったのに見逃してしまった。
そして今日、やっと映画館で観ることができた。
1979年の作品。
できれば、もっと若いときに見ておけばよかった、と思わせられた。
城戸(沢田研二)の行動原理がまったくわからない。高校教師という職業は誰でもなれるものではない。教員免許がいるわけで、免許をとるということはその意志があるということで、ああいった犯罪に走るには仕事上の動機がいるのでは?
目的がないというのも当時としては受け入れられたかもしれないが、それにしてはリスクも高いし、労力もハンパではない。
長谷川和彦の演出はすごいのだが、本作の脚本はいかがなものか。
DJゼロ(池上季実子)はまったくいらないキャラクターであった。
公開当時に観ていたら違った感想になったかもしれないが、いま観ると、だいぶ残念な映画と言わざるをえない。
往年の謎作
折しも「本物」が現れたようなので、前々から見ようと思っていた本作をやっと見ました。
何をしたいのかがわからない。というのがこの作品の主題の一つなのだが、この時代は本当に「幸せ」だったんだろうなあと感じた作品だった。幸せで満ち足りている時は、不満や要求は生まれない。だからこそ前時代に取り残されている冒頭の老人の存在が映える。
で、最終的にこの映画の印象として残るのは、「世代」だろうか。
役者に注目すると、沢田研二のだるさは当時のトレンドだったのだろうし(今なら即懲戒だけど)、菅原文太は格好良かったし、にゃんこは可愛かった。池上季実子はキャンキャンやかましかったが、当時の女優の声色は大概あんな感じだから仕方ない。
何か妙に「わかんねーな」と感じるのは、昭和の世界観で倫理観ぶっ飛び系の狂人を見るのに慣れていないのかもしれない。平成の狂人は狂ってるなりに何となく本人の中での論理や理屈が語られ(幼少期のトラウマとか)たり、本当に徹頭徹尾狂ってるのでそもそも論理が必要ないことが多いように思う。それは平成映画の親切さなのかもしれないが、それに対して、昭和後期の彼は、なまじきっかけたる事件があったことが一見答えに見えるのに、妙に難解にさせている気がする。強烈に「生き延びた」経験を得てしまって、日常に戻った時、生きている実感がなくなったのかなーと思われた節(ぎりぎりスクワットなど)はあったが、何故か妙に「本当にそれだけ?」という気持ちにさせられた。おそらく、「それで何で原爆? しかもプルトニウム?」という一番大事な繋がりが読めなかったからかと思う。
冒頭の老人に戻って、彼に注目した時、そこにはちゃんと感情や理由があって、感情移入を促すような仕掛けがあった。しかし「何がしたいのかわからない」系主人公には、自分はどうも共感できなかった。本当に狂人なら共感できないのも全く気にならないのだが、本作主人公は一応世間に溶け込んだふりをしている。そこに行動の一貫性がなくて、「何がしたいんだお前」「だからわかんねって言ってんだろ」「じゃあ徹頭徹尾狂ってろよ隠蔽工作とかしてんじゃねーよ」的な理屈の通らなさが気持ち悪いのかもしれない。
尾崎豊に今の人が共感できないのと似たものを感じる。「何がしたいのかわからない」「どこかへ行ってしまいたいのに行けない」からって何で窓ガラス割る? バイク盗む? 年齢や社会の閉塞感があることには共感や同情ができても、それを理由に他人に迷惑をかけるような作品には全く共感できない世代で育った自分にとって、そんな奴は狂人で、狂人とは仲良くできない。
「世代差」というものを描くのも一つの主題だったようだが、今見てもそれを考えさせられるということは、その点非常に上手く行っているのかもしれない。
歌うだけ、スクリーンの中だけ、当時もそうだったのかもしれないが…でも、じゃなかったらあんなに尾崎ヒットしたりしないよなあ…とも思うわけで。
一番心に残ったのは、「お前が殺して良いのはただひとり、お前自身だ」という台詞。厳しすぎるけど真っ当過ぎる正論で、この台詞のおかげで何か妙に安心できた。
時代を切り取ったエネルギッシュな傑作
中学理科教師の城戸は無気力で適当な生活を送る反面、原子力発電所から盗んだプルトニウムを用いて、自宅で原子力爆弾を作るという過激な行動を取っていた。
丸の内警察捜査一課の山下警部率いる警察を相手取り、原子力の力を武器に政府を脅迫した男を描いた過激な作品。
バスジャックに政府脅迫、その上に原子力爆弾を持ち込んだ完全にアウトな内容の作品。
主人公の城戸誠にジュリーこと沢田研二、キレ者の警部役の山下に菅原文太などの昭和のスターを並べたキャストに加え、ド派手なカーアクションやヘリコプターにぶら下がりながらの射撃などツッコミどころ満載で迫力のある画も相まって大ヒット間違いなしの印象を受けたが当時の評価としてはそこまでだった様子。
公開から長い歳月をかけて再評価され神格化された様子はブレードランナー味を感じさせた。
ガムを噛みながら、抜けかけた髪を搔きむしり、虚ろな目つきで街を彷徨うジュリーとバックに響き渡る爆弾の時計の針の音がとても印象的で、ラストシーンがとてもカッコよかった。
エネルギッシュ!
この映画は、当時の空気感やなんとなくの倦怠感などにあふれていてそれでいて何処と無くエネルギッシュな雰囲気もはらんでいるという非常に素敵な映画!
ジュリー目当てに劇場に足を運んで公開した人が何人いたことやら・・・。
シュール
途中までリアル路線と思わせて非現実の世界へ
結論を放り投げ無責任
核に対する見解も薄っぺらい
ゴダールのベトナム戦争批判である気狂いピエロの影響か
ちなみに気狂いピエロはマスターフィルムが紛失した
同じく駄作だから仕方ないが
やはり後年まで語られない映画には理由がある
この時代に
この時代にこんな完成された映画があったんだー、日本すげー
と素直に思いました。
面白いです。
言いたいこととか、何か自然と伝わってくるし。
ただ、ポスターのダサさが残念すぎる。
時代が時代だからだけど^^;
太陽を盗んで…
日本アクション映画の頂点だと思う。
沢田研二の美しさと、何を考えてるか解らない男の演技。
原発からプルトニウムを盗み、マンションで、ビニールシートで無菌室を作り、笑いながら政府を脅迫する。
金をせびる訳でもなく、自分に怯える世界を楽しむ、そんな設定なのに、全く違和感無く、なぜかテロリストの主人公を応援してしまう。
それに対抗する、菅原文太の頑丈な刑事が、またカッコいい。
国会前や首都圏のカーチェイス、爆発、今では絶対不可能な映像を、ゲリラ撮影してるのも凄い。
平和なんて一人の馬鹿が、(理由無く)ぶっ壊す。
そんな映画でした。
猛毒爆弾
菅原文太さんが死去された頃に、日本映画専門チャンネルで特集で放映されたと思うが、沢田研二主演の『太陽を盗んだ男』。赤か黒かどちらかの線を切らなければ東京都心で原発が爆発する交換条件に5億円をビルの屋上からばらまけという犯人の指示を警察がしたところ、もしかしたらすぐに原爆が爆発するかも知れないにばらまけれた5億円に熱狂して拾い集めようとする群集のシーン。これは何か多くを表していたように思う。1979年にハリウッド級に荒唐無稽なアクション映画が製作されていたのだが、池上季実子はわざわざ精神を病んだ犯人に接近して怖くないところが、堂々たるフィクションである。以前海に突き落とされていたのに。それで敵か味方かわからない不可解な女をみせる。敵でもあり味方でもあったということなのか。カーチェイスの場面が哀愁ある音楽になる所なども気になる。犯人の心理を問うのも何か大きい所があるのかも知れないが、アクションとサスペンス映画としても、ハラハラする。東宝映画だが、角川映画の『野性の証明』のようなのも思い出した。だいたい、菅原文太はあんなに上空のヘリコプターから飛び降りたら現実なら即死なのだが、重傷を負いながらも迫っていった。沢田研二も原爆を作る過程で被ばくしていて、症状が出て来る。楽しく遊んでいる子どもたちのプールに犯人が放射性物質の破片というのか、それらを入れてしまい、公害で仰向けに浮いてしまった魚たちのようになるイメージが出てきて、犯人まで一緒に浮いているような場面があった。これはわかりにくい。大体、猛毒の放射性物質は茨城県の東海村から盗み出したのだった。なぜヘリコプターで追った所で逃げられて、ローリングストーンズが来日した場面に移れたのか現実ではないのだが現実的ではない。後に、菅原文太さんも沢田研二さんも反原発の姿勢を打ち出している。この映画の影響もあるのだろうか。この映画の長谷川という監督は、この作品以降映画監督をしていないという。被ばく二世だという。なにかしらそういう所に本音があるのか。菅原文太が最後にあんなに撃たれたのにどうしてまだ闘えたのかも現実では無いのだが。そして、最悪の結末を予感させて終えた。ネタバレだらけに書いてしまった。
こんな映画はもう見れないですよね 被曝の症状は目を覆いたくなります...
こんな映画はもう見れないですよね
被曝の症状は目を覆いたくなりますが
音楽が異質なほど晴れやかなので平気です笑
その矛盾が好きでした
ヒロインの演技は残念だけど沢田研二さんは
天才だと
ただ衝動だけがあった
長谷川和彦監督作。寡作な監督でこの映画以降撮っていない。狂気とコメディ、アクションが混在するいい意味で狂っている傑作。脚本はバイリンガルで日米両方で書いていたレナード・シュレーダー。音楽は井上バンドで主演は人気絶頂の沢田研二と東映の顔役菅原文太。
主人公城戸誠はバスジャック事件で山下警部の揺るぎない正義を目の当たりにし、自分というものを失ってしまった。空虚さを埋めるために誠は愛と狂気を込めて原子力爆弾の製造を進めていく。何がしたいかも分からず純粋に禁忌を犯していってしまう。作ることが目的であってその先には何もないのだ。何を考えているか分からない誠を沢田研二が熱演している。
アトムを歌いながら原爆を作り、猫の死を悲しむ。とことん純粋。狂人へと変貌していく誠は沢田研二が演じているだけあって美しいの一言。変わらない日常とのギャップが鮮烈でカメラワークも秀逸。キューブリックぽい画作りだったり、コメディありと全編飽きない。
音楽も秒針の音やガイガーカウンターの音が効果的に使われ緊張感が凄まじい。スコアもよくて当時の空気感が伝わってくる。
同士を求め続けたた哀しい男、何と戦うかも知らず何をしたいのかもわからないままだった。被爆し朽ちていく自らの身体とは対照的に衝動だけはあった。既にこの街は死んでいたのだ。何もない、ただ何もなかった。
70年代の東京の風景がふんだんに映されていて、その雰囲気と沢田研二...
70年代の東京の風景がふんだんに映されていて、その雰囲気と沢田研二の影のあるキャラクターがシンクロする佳作。中身があるのかないのかわからないといったヌーベルヴァーグ的な印象で、やはりゴダールのそれのようにヒロインの池上季実子がただただ美しい。
全47件中、21~40件目を表示