大日本帝国

劇場公開日:

解説

第二次世界対戦を背景に、その時代を生きた政府、軍部、民間の人々の生きる姿を描く。脚本は「二百三高地」の笠原和男、監督も同作の舛田利雄、撮影も同作の飯村雅彦がそれぞれ担当。

1982年製作/180分/日本
配給:東映
劇場公開日:1982年8月7日

ストーリー

昭和十六年、春。東京の陸軍士官学校では、小田島剛一が陸軍少尉の任命式を受けていた。京都の教会では、クリスチャンの学生、江上孝が恋人、京子の目前で、不穏思想の持ち主ということで刑事に連行されていった。東京、下町の理髪店では、小林幸吉の出征式と新井美代との結婚式をかねた祝宴が行なわれていた。その頃、泥沼化する日中戦争の中、近衛内閣は総辞職、東条英機が後をうけ、日本は十二月八日の真珠湾奇襲攻撃に突き進んでいく。幸吉は小田島の部隊に配属され、十七年に部隊はシンガポールを陥落する。しかし、幸吉は手傷を負って、本国送還されることになった。快進撃を続けた日本軍も、ミッドウェー海戦の敗戦を機に劣勢になっていった。その頃、江上は「権力にひきずりこまれるよりは」と止める京子を振りきって入隊を決意する。一方、傷の快復した幸吉も戦線に戻ることになり、その頃、サイパンにいた小田島の部隊に再び配属されることになった。十九年六月、米軍の無差別砲撃でサイパンは生き地獄と化し、日本人は玉砕する。しかし、小田島は愛する料亭の内儀、靖子や幸吉と生き残り、ジャングル中を彷徨する。そして、米軍の投降の呼びかけに答えようとしたとき、米軍が同胞の遺骨をもて遊んでいるの見て発砲し、逆に射殺される。その頃、フィリピンにいた江上は京子と瓜二つの娘、マリアと知り合い、恋に落ちていた。しかし、米軍はフィリピンにも迫り、仲間の大門は、ゲリラと一緒にマリアも殺してしまう。二十年三月、東京大空襲、四月、米軍沖縄上陸、そして、八月六日広島に、九日には長崎に原爆が投下される。遂に天皇の決断で日本は無条件降伏をすることになる。八月十五日、玉音放送は大日本帝国の終焉を告げた。かくて、極東軍事裁判が開かれ、東条英機は死刑を宣告される。さらに、大門とともに江上もフィリピン人を虐殺したとして銃殺される。戦後、戦地から続々と兵が引き揚げてきた。そして、美代は息子を連れて歩いていた疎開先の砂浜で、幸吉と再会するのだった。

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スタッフ・キャスト

監督
特技監督
中野昭慶
脚本
笠原和夫
企画
幸田清
天尾完次
太田浩児
瀬戸恒雄
撮影
飯村雅彦
美術
北川弘
音楽
山本直純
主題歌
五木ひろし
録音
宗方弘好
照明
小林芳雄
編集
西東清明
監督補佐
馬場昭格
助監督
蔦林淳望
スチール
加藤勝雄
ナレーター
内田稔
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受賞歴

第6回 日本アカデミー賞(1983年)

ノミネート

脚本賞 笠原和夫
助演男優賞 あおい輝彦
音楽賞 山本直純
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映画レビュー

2.0情緒過多演出でみせる日本人の特質

2024年9月3日
PCから投稿
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jin-inu

4.0天皇陛下を信崇していた時代の過酷な運命をたどった青春群像

2024年8月14日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

怖い

萌える

戦争映画が多いが、天皇が登場する作品は少ない。 天皇のほかに東条英機も登場し、零戦や真珠湾攻撃の映像もある。 勝者が敗者を裁く東京裁判(連合国による国際裁判)についても考えさせられる。 今作は、「太平洋戦争を一言で要約すると“天皇の軍隊の戦争であった”。軍隊といっても単に職業軍人だけを指すのではなく、日本人全体という意味である。登場人物すべてがなんらかの面で天皇とかかわるような設定で考えた」と、脚本を書いた笹原和夫氏がパンフレットで語っている。 本編3時間の中で三つの青春がピックアップされている。 柏木京子(夏目雅子)と江上孝(篠田三郎)...夏目雅子さんが二役していて凄い。 新井美代(関根恵子)と小林幸吉(あおい輝彦)...関根恵子さんの体を張った演技が良い。 国吉靖子(佳那晃子)と小田島剛一(三浦友和)...佳那晃子さんの演技もすばらしい。 とりわけ女優三名の演技が抜群で見応えがある。 五木ひろしが作曲している主題歌の『契り』。 五木ひろしの歌声を聞いていたら、子供のころ祖母にお願いされてカセットテープをダビングした記憶が蘇った。

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Don-chan

4.0本作は決して右翼的な映画でも、左翼に偏向した映画でもありません そこが右翼からも左翼からも評価されない作品になっている原因であると思います

2020年10月3日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

東映の戦史映画三部作の第二作 第一作「二百三高地」 1980年8月 第二作「大日本帝国」 1982年8月 第三作「日本海大海戦 海ゆかば」 1983年6月 三作とも監督舛田利雄、脚本笠原和夫です 1981年公開作品が無いのは、その年に東宝が連合艦隊を公開したため競合を回避したそうです 東宝8.15シリーズは、1967年から1972年まで6年間続いたことになっています この6作品です 1967年「日本のいちばん長い日」 1968年「連合艦隊司令長官山本五十六」 1969年「日本海大海戦」 1970年「激動の昭和史軍閥」 1971年「激動の昭和史沖縄決戦」 1972年「激動の昭和史海軍特別年少兵」 ところが、そのあと断続的に戦争映画が三作品公開されています 1976年10月2日「大空のサムライ」 1981年8月8日「連合艦隊」 1984年8月11日「零戦燃ゆ」 連合艦隊と零戦燃ゆは8月公開であるので東宝8. 15シリーズに入れている人もいるようです 大空のサムライは1972年に発行されてロングセラーになった太平洋戦争のエースパイロット坂井三郎の自叙伝を映画化したもので、おそらく当の東宝も単発企画と考えていたでしょう 公開日も10月です 東映も、もう東宝が戦争映画を出さないだろうと思い込んだのでしょう そこで4年空けた1980年に二百三高地を公開したところ大ヒットしました そこで連続して次回作である本作を企画したところ、なんと逆に東映の二百三高地の成功をみて東宝が連合艦隊を出してきたのです 結果的に驚いた東映が競合を回避したという経緯であると思われます 本作のテーマはずばり、戦争責任です 東条英樹をメインに、サブに様々な人物を配してそれを描いていきます 脚本は笠原和夫は、軍閥の脚本を書いた笠原良三の弟子です(同姓でも縁戚関係ではないそうです) なので本作の内容は、軍閥を補完する内容となっています 昭和天皇に戦争責任はあったのか? 終戦の判断は遅すぎではなかったのか? 一般の兵隊や国民には戦争責任は無いのか? 大日本帝国が目指したことは本当に侵略戦争であったのか? 本作はそれを徹底的にえぐり出そうとしています 本作はそれらの答えに補助線は示しますが、断定して押し付けようとはしないところは好感は持つ事ができました それぞれの答えは本作を観た私達がそれぞれに考えるべきことです 天皇陛下陛下万歳と叫んで死んでいく日本兵が何人も登場します 終盤の戦犯の銃殺刑執行シーンもそれです 本作の意図は明らかに戦争責任は天皇にこそあるのだと主張しているように一見みえます しかし一方で、天皇陛下の戦争責任は明確に否定していると思われる描き方もされています 軍閥においても、戦争回避、終戦を模索されたのは天皇陛下ただお一人であったことが描かれています 本作においては、さらに踏み込んで御前会議で陛下には発言が憲法によって許されていなかったことが明らかにされており、それを破ってでも戦争回避と終戦の意志をお示しされたことを明確にしています つまり、本作は決して右翼的な映画でも、左翼に偏向した映画でもありません そこが右翼からも左翼からも評価されない作品になっている原因であると思います シンガポール攻略戦においては、欧米諸国の植民地支配からアジアを解放する戦いであるという大日本帝国の建て前が、現地の人々から支持されていなかった現実を描いています サイパン玉砕の悲劇をたっぷりと時間を割いて描かれています 沖縄戦の悲劇は1年も前にサイパンにおいて起こっていたのです この時点で戦争の勝敗は決していたのです サイパンが失陥すると日本本土が空襲を受けることが明白であることは分かっていたのです だから絶対的国防圏と呼称して必死に戦ったのです ここで終戦していればどうだったでしょうか? これ以降のフィリピンの攻防での大量の餓死、特攻隊の出撃、沖縄戦の悲劇、本土空襲の悲惨、原爆の地獄は、全て防ぎ得たのです ラストシーンで復員を果たした兵隊は、あのサイパンで俺が還らなかったら、お前が住民を連れて降伏しろと命令を受けた兵隊です 彼の職業は散髪屋です そうです、もちろん東宝の沖縄決戦で、田中邦衛が演じた司令部付きの散髪屋を受けているのです ここで終戦を図るべきであったのは明白です サイパンのシークエンスは東宝の沖縄決戦への回答であったと思います 当然の帰結だったのだ サイパンで答えがでていたのだという主張です 洞窟に立てこもる兵隊と住民達 降伏を呼びかける米軍の声 無視する日本人達 仕方なく投げ込まれる手榴弾、そして銃撃 それは沖縄や本土で決戦を挑もうとしている日本の運命の縮図そのものだったのです かって反戦的な考えをもっていた人物が、フィリピン戦の敗走においては、現地民を理不尽に殺害する部下を止めず黙認した人物として描かれています そのような人物であっても、結局戦争を支持して協力していたのは国民であったことを描いています バツの悪いことでも事実だと思います それでも国民もまたこの戦争を支持して始めたのは間違いないことです そしてなかなか負けを認めようとしなかったのは、国民も同じだったのです 知らされていなかったから? かも知れません 本作はそれを主張しています 果たしてそれだけであったのでしょうか? 国民が負けを本当に認めるのは、自分の身の回りに戦災が降りかかってからではなかったかと思われます だから特攻隊員は、次々に自ら戦死してそれぞれの家族に痛みを直接伝えることによって、早く国民に負ける心構えを無意識に作ろうとしていたのでないでしょうか? 彼らは負ける為に死んでいったのだと思います 様々なことを本作を観て考える事でしょう 右にも、左にも偏らず、自分の考えで太平洋戦争とは何であったのか? 大日本帝国とは何であったのか? そこを考えることは、21世紀の日本がこれから困難な時代に入ろうというときに本作を見直す意義は大いにあると思います 是非軍閥と合わせてご覧下さい

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あき240

3.0東宝8.15シリーズとは一味違う

2020年6月15日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

天皇の戦争責任にあえて切り込んだり指導者が全責任を引っ被ったという論調など、「あゝ決戦航空隊」と主張が似ているなと思ったら、脚本が同じ人だった。 2回目鑑賞だが、前回より深く重く感じた。東宝映画が特撮で爽快アクションに走るのとは対照的。 関根恵子のバストは吹き替えらしいので盛り上がり過ぎないよう注意。それはともかく真珠湾攻撃シーンを丸ごと「トラトラトラ」から拝借しているのは日本映画人の矜持としてはいかがなものか……

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あっきゃん

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