第五福竜丸
劇場公開日:1959年2月18日
解説
日本人漁夫がビキニ環礁で遭遇した水爆実験の被害事件を描いたもので、「米」の八木保太郎と新藤兼人の脚本を、「悲しみは女だけに」の新藤兼人が監督した。撮影は植松永吉・武井大が担当。
1959年製作/107分/日本
原題または英題:The Lucky Dragon,No.5
配給:大映
劇場公開日:1959年2月18日
ストーリー
一九五四年三月、焼津港を出た漁船第五福竜丸は、魚を求めてビキニ環礁のあたりにいた。乗組む二十三人の漁夫たちは、故郷に妻や恋人や親たちを持つ、平凡な人々だった。船長笠井太吉はわずか二十二歳の若さで、船の実権は漁撈長の見島民夫が握っていた。苦労人の無線長久保山愛吉は乗組員たちの信任を得ていた。三月一日の午前三時四十二分、乗組員たちは夜明け前の暗やみの中に白黄色の大きな火の柱が天に向ってたちのぼるのを目撃した。六、七分の後、大爆音があたりをゆるがせて響いた。ビキニ環礁で米国の専門家たちによって行われた水爆実験であった。立入禁止区域外にいて、何も知らなかった一同の頭上に、やがて真白な死の灰が降りそそいだ。三日後、船員たちは灰のついた部分の皮膚が黒色に変り、身体に変調が生じたのに気づいた。帰港後、焼津協立病院外科主任大宮医師の診断により、一同が原爆症とわかり、第五福竜丸の船体から放射能が検出されるに及んで、事件は大きく表面化した。物理学者・化学者・生物学者・医師等が焼津に集まり、報道陣は活躍をはじめ、日本中の目は焼津に注がれた。報道は世界中に打電され、アメリカからも専門家が調査にやってきた。しかし、彼等は何故か積極的な協力を日本側に与えようとはしなかった。二十三人の漁夫たちは東京の病院に移され、日本側医療科学陣の総力をあつめて治療が進められた。慰めの言葉や抗議文が、病人たちの枕辺にはうず高くつまれた。外国からも多くの手紙が殺到した。しかし、漁夫たちの中でも年長者であり、身体の衰弱の激しい久保山愛吉は、肉身の者に見守られながら、「身体の下に高圧線が通っている……」と絶叫しつつ死んだ。こうして、原子力研究とは何の関係もない漁夫たちに突然襲いかかった悲劇は、今なお続いているのだ。
スタッフ・キャスト
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久保山愛吉宇野重吉
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久保山しず乙羽信子
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知事小沢栄太郎
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木下博士千田是也
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県衛生部長永田靖
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清川博士三島雅夫
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東一副院長松本克平
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見島民夫(漁撈長)稲葉義男
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熊谷博士浜田寅彦
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大宮医師永井智雄
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都目博士清水将夫
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アナウンサー内藤武敏
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美波博士原保美
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焼津の警官三井弘次
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社会部次長嵯峨善兵
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写真屋のおっさん中村是好
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矢代きよの父森川信
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泉谷博士十朱久雄
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助役殿山泰司
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原爆障害調査委員会所長ハロルド・コンウェイ
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アイゼンバアグジョウ・ハーディング
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米人医師Aヨハン・ライクル
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米人医師Bマリア・ウィリアムス
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米大使代理ピーター・ウィリアムス
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協立病院長武田正憲
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理髪屋の主人小笠原章二郎
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西山与市(船元)松本染升
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病院の小使島田屯
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組合長笹川恵三
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内科医長(東一)木下陽
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山崎浩司(機関長)松山照夫
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近藤次郎(甲板員)市村昌治
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矢代きよ広井以津子
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みどり(かもめの女)多摩桂子
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小森たき内田礼子
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見島の妻眸瑠璃子
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谷岡婦長桜井良子
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山崎の母原ひさ子
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河田の・母つや小峰千代子
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久保山きぬ毛利菊枝