ソナチネのレビュー・感想・評価
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アート性を強く感じた
美しかった
絵画を観ていてるかのような色彩と構図
アート性を強く感じた
アルル時代のゴッホの絵画の様な明るい光線と色彩
ゴーギャンのタヒチでの絵画を思わせる南の島の強い光線と鮮やかな色彩
主人公と親しくなる女は乳房を出して立つ
有名なゴーギャンのタヒチの女の絵のモチーフだ
ただ独り白いシャツを最後まで着通す主人公
ラストシーンでそれは赤く染まるのだ
冒頭の銛に刺され貫かれたナポレオンフィッシュ
空は赤く飛び散る
ナポレオンとは親分のこと
それを銛で突き殺す
血で赤く染まり、血しぶきは頭上に飛び散る
つまり冒頭で物語は完結しているのだ
しかしそれでは映画にならない
だから100倍に希釈して私達観客にこういう事なのですと説明していたのだ
そう思えば全て得心がいった
エンドロールが終わり、監督の名前が出たあとに写されるのはひまわりと南の島の浜辺
監督が種明かししているではないか
海外でこそより高く評価されるのも当然だろう
久石譲の音楽のクオリティが大変に高い
本作のアート性を高め更に気品すら与えている
たけしの死生感
かなり好きな映画です。
言葉や描写でメッセージを伝えるというよりは 音楽と情景、ストーリーの展開で
この映画のメッセージらしきものが浮き出す感じ。
現実的でありながら幻想的
とても北野武監督らしいです。
数々の残虐シーンがあり、特に冒頭の水責めシーンのリアルさは鳥肌がたちます。
しかし、海辺で最後のバカンスを楽しむ姿はサンクチュアリのような永遠感もあります。
この映画で監督は現実の死というものを伝えたいor表現したかったのだと感じます。
話は少しずれますがかつてテレビでは
飛び降り、暗殺、爆弾等、人が死ぬ瞬間や人が死んだ生々しい映像が流れる事がありました
多くのクレームによりテレビでは一ミリたりとも血は写らず 人が死ぬ瞬間、人が死んだ姿は映さなくなりました。
確かに死に対して嫌悪感を抱くのが人間として普通です。
しかし、完全に死を拒絶したいと考える人は果たして正常な精神を持つことが出来るのでしょうか?
映画の中で【死にたくないって思いすぎると死にたくなっちゃうんだよ】という台詞が物語っていると思います。
当時新興宗教ブームだったのも要因のひとつかと思いますが
北野武監督は現代人が抱える 現実感の喪失という病へのワクチンとしてこの映画を作ったように感じます。
多くの方に見てもらいたい映画です。
ヒリヒリするかんじ。
死について 生について
非現実感
雰囲気が良い
ズシリと来る
最も難解ではある
それまでの北野作品の総まとめ的作品
総合80点 ( ストーリー:75点|キャスト:75点|演出:85点|ビジュアル:75点|音楽:75点 )
突然の暴力がこれがこの世界での当然のことだといわんばかりにあまりに普通に出現する。彼らが進む道の前にちょっとした障壁があったりちょっと気に入らないやつがいれば、彼らにはその排除方法は一つしかない。殴り、刺し、撃ち、爆破し、全ての事柄は何のためらいもない暴力でのみ解決がなされる。そこには人の痛みを感じる心や生命を奪い奪われる恐怖がなくて、本能だけで生きる爬虫類か両生類のごとくに荒んだ道をただ歩み続ける。海に沈められる男が死にかけていても、彼らにはそれは重大ごとではない。何かが起こる前の張りつめた緊張感のある静寂と、その直後で傷つき死にゆく者たちとの対比を描く演出が際立つ。
そのような刹那的な生き方に疲れていたのか、彼らに偶然に訪れた南国の浜辺での生活の、子供の様なはしゃぎぶりがまた大きな対比をなしている。たわいもない無邪気さを見せる彼らに、人間性を取り戻した姿を垣間見ることが出来る。そして一時の安息の日々が終わりを告げ、生き方を変えられぬままにまたヤクザの世界に戻っていく姿に、哀愁や物悲しさと共に哲学的な美しさを感じ取り、全てが浄化されていって何も残らない儚さと虚しさの余韻を残してくれた。
北野監督の第一作「その男、凶暴につき」と似たような社会に溶け込めない人々の世界の延長線軸にあるし、虚しさや悲しみに満ちた雰囲気は他の北野作品と共通している。しかし静寂と暴力、また安息と暴力の対比が良く出来ているし、結末の悲劇的浄化が美しい。その意味で一段水準が高いし、ビートたけしというお笑い芸人に何の知識も偏見もなかった欧州でこの作品のもつ本質が素直に評価されたのも理解できる。
難解すぎる
天才の作り方
先ほどゴダールの『気狂いピエロ』を見終わった。
もう類似点山ほど見つかる。北野監督は『ソナチネ』撮影前に『気狂いピエロ』見ていないとインタビューで語り、今までの既存の作品の要素を徹底的に自身、スタッフから排除させたと書いてあったが、もし『気狂いピエロ』を見てなくてこんなに沢山の類似点があるのだとしたらかなりの天才かもしくは予知能力(撮影後『気狂いピエロを見る自分を予知)の持ち主だろう。ありえない。30年来の北野フリーク、キタニスト、たけしイズムの信仰者である自分であるからこそ敢えて言う。ありえない。北野武氏はもちろん天賦の才能を持った人であることは疑いようのない事実であるのと同時に自身を天才に見せることの天才であることを観察者である自分は多くの氏のインタビューを聞き,読んで実感している。それは自身の映画をピカソの絵に置き換えて『青の時代』『赤の時代』などと呼ぶのがその主な一例である。しかし既存の素晴らしい作品を引用してアレンジし、オリジナルに仕立て上げるのも天才の条件(例えばタランティーノ)であり、北野監督が初めて国際的な評価を得たこの作品は明らかに非常に『気狂いピエロ』色の強い作品ではあるがオリジナリティに溢れた北野監督の作家性の強い作品にはなっていのが素晴らしい。それではちなみに北野作品に見る『気狂いピエロ』とのいくつかの共通点、意識しているであろう点を紹介する。
1.ソナチネの仮題が『沖縄ピエロ』であった
2.最初のオープニングシーンの字がタイトルの出し方
まぁここら辺はスタッフが敢えてそうしたのかもしれない。
3.崖で車が爆破されるシーン。
4.海辺のシーンの多用(砂浜)
5.草むらの中から顔を出すシーン(これは3-4×10月)
6.最後に主人公が自殺
(その男凶暴につき、3-4×10月、ソナチネ)
まぁ上げだしたらきりがないのだが他であまりにもこの事を描いた北野映画評がないのでここに書いておきます。以上。
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