世界大戦争のレビュー・感想・評価
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世界大戦争
テポドン、ノドンと言ったミサイルによる攻撃を脅威として実感したここ1、2週間、いざ日本本土上空にそれらが飛来したところで、それに立ち向かう迎撃体制は愚か、警報システムすら何一つ確立されていない我が国ニッポン。この映画、観るなら今しかないと思い立ち、即購入した。
映画は飽くまでもフィクションであり、架空の連盟軍と連邦軍との二つの陣営に世界が分断されている。とは言え、もちろん東西の冷戦がテーマである事は明らかであり、連盟軍が西側、連邦軍が東側と言う設定だ。ある日38度線付近で紛争が起き、両軍入り混じっての戦闘状態に入る。また各々のミサイル発射基地にシステム上或いは自然災害による誤作動が発生し、アワヤ核弾頭ミサイル発射の危機に遭遇すると言った緊迫したシーンが、当時の東宝が得意としていた無名外国人俳優達の競演により描かれる。両軍による陸海空の大攻防シーンが、当時としては世界最高レベルであった東宝特撮陣の手により、見事に描かれていく。
一触即発の危機的シーンやボタン戦争の恐怖を描いたシーンと交互に、それとはおよそ別世界の如き、平和な日本の日常風景が丹念に描かれていく。
初老のサラリーマン田村茂吉(フランキー堺)とその妻のお由(音羽信子)には結婚適齢期の長女である冴子(星由里子)と、かなり年が離れた次女と末っ子の長男がいる。
冴子には大型タンカーの通信技師である婚約者の高野(宝田明)がいて、近い内に二人は結婚しようとしている。同じ船には老料理長(笠智衆)がいたが、胃潰瘍の手術を受ける為に暫く船を離れていた。無事手術を終えた笠が、孤児院で働く娘(白川由美)を尋ね、運動会で元気に遊ぶ子供達を眺めながら、「これからも生きていけることの素晴らしさ」を心の底から喜び、見舞いに訪れた宝田に思わず語るシーンが感動的だ。
とかく戦争批判を前面に打ち出し過ぎ、重く暗いメッセージばかりが先行するこの手の映画の常套手段とは異なり、意外にも当時の庶民の姿が極さりげなく、自然に力まず、淡々と小津的な雰囲気までもを醸しながら描かれているのだ。
しかし、ついに或る日、来てはいけない日が来てしまう。ベーリング海にて両軍の戦闘機が戦闘状態に入ってしまったのだ。しかも小型核弾頭が使用されてしまい、そしてとうとうICBMのボタンが押されてしまう。
東京都心から郊外へと逃げ惑う人々。しかし、水爆の飛来に対して、一体何処へ逃げれば良いのか?
ついに東京上空にも核弾頭ミサイルが接近する。
閣務室で一人うなだれる内閣総理大臣(山村聡)。外務大臣(上原謙)、防衛庁長官(中村伸郎)の力も及ばず・・・
一瞬の内に吹き飛ぶ東京。富士山をバックに燃える関東平野。
遥か彼方、太平洋上からも日本上空に巨大なキノコ雲が見えている。衝撃波を受けて、木の葉のように揺れ動く大型貨物船。
続いてパリ、ロンドン、モスクワ、ニューヨークが次々と一瞬の内に灰と化していく。
シーンは波一つ無い穏やかな太平洋上の甲板
遥か日本の南海上、太平洋上の船に居た船長(東野)、宝田、笠を含んだ乗組員たちだけが皮肉にも命を救われていたのだ。
東野:『皆、東京の最期を見たんだ・・・それでも皆は東京へ帰ろうと言うんだね。やがて、放射能が降って来て、この船が東京へ着くまでには、我々もどうなっているか分からない。それでも皆は。わしもそう思う。東京へ帰ろう。』
笠:『船長。美味しいコーヒーを入れて参りました。』
東野:『やっ、こりゃどうも。』
笠:『皆さんにも一杯づつありますよ。さっ、どうぞ。何がどうなろうと、熱いのをグッと飲んで、ああ、こらうまいと思うのが、何っつたらいいのかな?わしには上手く言えないが。』
東野:『人間の生きている権利ですよ。』
笠:『あっ!それだ。人間は誰でも生きていく権利があると言うのになあ。それを同じ人間が奪い取るなんて、どっか間違ったんだ。皆が今、東京へ帰りたいと言うように、生きていたいと言えば良かったんだ。もっと早く人間が声を揃えて、戦争は嫌だ、戦争は止めようと言えば良かったんだ。人間は素晴らしいもんだがなあ。一人も居なくなるんですか?地球上に。』
操舵室
東野:『東京へ帰る。238度。』
甲板上に残り、遠く彼方を見つめる宝田がむせび泣いている。それを見つめる静かな笠の横顔。航海の為、正月を日本で迎えられない笠の為に、孤児院の子供たちが別れ際に歌ってくれた曲「お正月」が聞こえてくる。
笠の眼にも涙が溢れている。終
役者たちの名演が素晴らしい。特に笠さんが良い。円谷特撮も素晴らしい。
但し、欠点は日常のシーンと戦場のシーンとがまるでパズルの様にチグハグで。もうちょっとなんとかならのかったのか?残念。
制作時の世界終末時計は2分前だったらしい
無題
本作は以前から見たかったのですが中々見る機会を得ず、私の中の“宿題作品”の中の1本で、やっとDVDを購入することが出来ました。
本作は『モスラ』と同年の制作で私が6歳の時の作品であり円谷英二が特撮監督なので、役者や絵的にどうしても怪獣映画を連想してしまうのですが、中身は大真面目なポリティカル・フィクション映画として制作されていました。
こういう作品は今の目で見てしまうとどうしても映像的な稚拙さや粗さが目立ってしまい、テーマ的には小説の方が効果的な題材だと思うのですが、時代的な日本の立場としてのこういうメッセージ映画を作りたいという映画人の志や気持ちは非常によく理解出来ました。
でも、今だからかも知れませんが当時の東宝とか円谷というのが逆にテーマ性を薄めてる気がしないでもありません。
3年後にアメリカ映画では『博士の異常な愛情』や『未知への飛行』という作品が出来ましたが、恐らく本作の影響を受けているのではないかと思える様な作品でした。それだけでも本作は一見の価値があると思うのですが、ただその二本はS・キューブリック、S・ルメットという天才や名匠と呼ばれる監督作品であり、モノクロの台詞劇として人間の狂気性や緊迫感を見事に写し出していましたので、今の目で見るとポリティカル・フィクション映画として、アメリカ映画2作は大人向けの傑作、本作は子供向けとまでは言いませんが大衆向け作品と見られてしまうのでしょうね。
でも本作のメッセージは、きな臭い現在社会に於いても何ら変わらず横たわっているので、大いに伝わりましたよ。
異色の東宝特撮作品
昨日ノーベル平和賞を日本の被団協が受賞しましたが。それに合わせて鑑賞しました。高度成長に乗る日本の平凡でも希望に満ちたある家族を中心に核戦争により世界が破滅するまでを描いて作品。
フランキー堺演じる運転手と妻の音羽信子がすごく良かったです。1961年この映画上映の頃は東西冷戦の緊張した時期で翌年にはキューバ危機があったりして核戦争の恐怖が現実味を帯た時代だったのでしょう。
核戦争の犠牲者は戦争と全く関係なく片隅でひっそりと生きている小市民だと教えてくれる作品です。最後まで自宅に踏みとどまり生きる希望を持って明るくちゃぶ台を囲む家族が切ないです。
戦争は無力な一般市民の日常生活と関係ないところで進んで行くのでそれが紛争であれアクシデントであれ武装してしまえば一触即発の状況になります。核はその最大のものなのは日本人ならなおさらですね。救いのない恐ろしい物語ですがなにかズッシリくる作品でした。
何も変わっていない人類
当時リアルタイムで見た。核が降り注ぐ街に取り残された家族が晴れ着を着て寿司を食べているシーンと親父のフランキー堺が物干しから自分の夢や将来を否定され泣くところが悲しかった。特撮目当てで見に行ったので戦術核での空中戦、戦車の破壊、都市の破壊がすごいなと思った。現在のCGにはとてもかなわないけれど極めて細心に真面目に描かれている。今見ると兵器や軍装が古いけれど、同じ危機が相変わらずあることを感じた。核を殲滅する道具として考える使用者はその下に普通の人々がいてどういう事態が引き起こされるかを現実感を持って考えていない。この話は政治的主張のバランスの話だけれど現在は独裁者の侵略と防衛の対立でもっと危険性が高い。こういう映画は今は生々しすぎて作れないだろう。
現実が、この空想科学映画に近づいて来ているように感じられ…
この映画をあたかもタイムリーな作品の
ように思えたのが恐ろしい。
雑誌「東京人」の
“特撮と東京”特集号を拝読したところ、
基本的にはゴジラを中心とした怪獣映画が
大半を占めていたのだが、
その中に、国会議事堂が破壊される映画の
1つとして、この作品の紹介があり、
溶解した議事堂周辺の場面写真が
あまりにも生々しく興味を引かれ、
この映画を鑑賞することにした。
作品の中での、
星由里子が宝田明の船を見送るシーンや、
核戦争の直接の被害を避けられた船の乗員が
核汚染した東京へ向かうエンディングは、
この作品の数年前に上映された
スタンリー・クレーマー監督の「渚にて」に
あまりにもそっくりの印象で、
この作品へのオマージュに感じた。
両作品共に、直接描写・間接描写の違いこそ
あれ、核兵器による世界の終焉を描いたと
いう意味では、同じ恐怖を取り扱っている。
この映画では、その恐怖への引き金として、
相手の陣営への疑心暗鬼、
機械エラー、
自然の驚異による兵器の制御不能、
局地戦の拡大化、
そして小型核の先制使用など、
全面核戦争へ至る危険要素が羅列され、
それらは、現実の核保有国や、
ロシアのウクライナ侵攻で危惧されている
事柄ばかりではないだろうか。
また、それらは、反核運動での、
“人間は過ちを犯すから…”
との論点と符合する要素でもある。
この1961年製作映画のエンディングの
メッセージ、
「この物語はすべて架空のものであるが、
明日起る現実かも知れない」
が、今でも意味を持ってしまい、
暗く人類のサガを感じさせられるばかり
だったが故に、
星由里子の美しさ・華麗さが、
ただひとつの清涼剤のように感じられる作品
でもあった。
記憶
清々しいど直球
押井守さんのオススメから鑑賞
この作品の素晴らしい点は散々語られており、その通りかと思います。
邦画で戦争を未来のものとして捉えているのはかなり珍しいそうです。平和ボケしているのでその感覚が分かります。現実感がないんですよね。
最後に監督のメッセージが流れますが、この演出も、作品のクオリティの高さがあるから臭くなく身にしみるんだろうなと思いました。
是非多くの人に見て欲しいと思いました。
今こそ本作のリメイクが必要な時だ
1961年10月公開
同年7月がモスラ公開、本作の後翌3月が妖星ゴラス、8月にはキングコング対ゴジラと東宝特撮は量産体制でフル回転していたことが伺える
クライマックスの東京を含む世界の主要都市が核攻撃を受け壊滅するシーンは余りにも有名だ
本作を観たことのない人でも使い回しされたウルトラセブンでそのシーンは観ているはず
都市の破壊シーンとだけでなく、戦闘機編隊が数機づつ別々の旋回を行うシーンなどは目を見張る出来ぱえ
ピアノ線特撮と揶揄などできない
まるで後年のモーションカメラで撮ったような滑らかな動きだ
世界のどこに当時これ以上の特撮を撮れるスタジオがあっただろうか
間違いなしに当時世界一の特撮シーンだ
米ソの原水爆開発競争と冷戦の激化がもちろん背景だ
同年8月にベルリンではベルリンの壁が突然作られ、目に見える形で冷戦が激化を始めたばかり
丁度1年後の翌年10月に発生するキューバ危機を先取りしているほどタイムリーだ
核戦争とは何かを具体的に可視化したのは本作が初めてだと思う
博士の異常な愛情、未知への飛行は共に1964年だ
しかし都市が核で破壊されるところを克明に描くシーンはどちらの作品にもない
当時は本作にしかないモチーフであり映像なのだ
本作では戦術核が38度線で使用されたシーンで炭化した人間まで見せるのだ
それに匹敵するシーンを本作以外の作品で観る事ができるのはターミネーターまで待たなければならないのだ
つまり当時は画期的かつショッキングな映像だったはずだ
海外市場への輸出も視野に入れて製作したと思えるシーンも多い
輸出サンプルの映像を観た海外の人間は腰を抜かしたことと思う
海外版の予告編もあるが、1964年に配給権が買われ1967年公開を目指して米国側で短縮版を製作したようだが劇場公開は結局なく、1985年にVHSとして発売されたにとどまるようだ
21世紀の人間が観ても古さはない
逆に本作は60年後の現代を舞台にしているのではないかと思える程だ
東西両陣営でそれぞれ起こる偶発的な核戦争の危機のお話は実は予言だ
現実でも機器の故障で敵の核攻撃と誤認して自国の核ミサイルを発射寸前にまで行ったことは、米ソ共にあるのだ
米軍は本物の水爆を誤ってスペインの陸地に落としたことすらある
幸い起爆こそしなかったが……
多分ソ連軍だって表沙汰になってないだけで同様の事故はあるのではないか
出てくる地名
南シナ海、シリア、アレッポ、38度線
60年経過しても何も変わってはいない
1秒程度の間隔で連続発射される弾道ミサイルのシーンは、実際の北朝鮮のミサイル発射映像と見がまう程だ
東京に核ミサイル飛来を探知するのは東京ミサイル防衛司令部だ
街の雑踏の音は今の六本木の防衛省にある雰囲気だ
当時はまだ自衛隊が発足してまだ7年
もちろんのことミサイル防衛なんて言葉すら無い時代だし、対処する組織もあるわけもない
劇中では、落下まであと124秒、落下予想地点東京中心部を探知はできるが、あとはカウトダウンしかなすすべもない
現代ならJアラートを発令して国民に避難を呼びかけ、迎撃ミサイルを打つことはできる
なんとかそれくらいの防衛力は整備された
しかし何発もミサイルが来襲したり、特殊な弾道や欺瞞弾頭で迎撃ミサイルが外れるかも知れない
政府はパニックを承知で、核ミサイルが日本に確実に飛来する状勢ですと正直に国民にアナウンスできるだろうか?
軍事力の行使を禁じられており、唯一の被爆国である日本が出来ることは何か?
それはこのような映画を製作することだと思う
一体どうなってしまうのか
徹底的にリアルに具体的に観せて、人々をたじろがせる映像を撮ることだと思う
核戦争は絶対に防がなければならない
ならばどうすのか、軍事力を禁じられていること自体が国民の安全に取って果たして本当に正しい事なのか?
そこまで国民が徹底的に考えるきっかけになるはずだ
今こそ本作のリメイクが必要な時だ
現代の方が自主規制が強くて製作すらできないかも知れない
しかしそれは同じ、当時でも製作は困難であったはずだ
先人はそれを敢然と突破して本作を残したのだ
21世紀の映画人も奮起して頂きたいものだ
平和を粗末にしちゃいけない
DVDで2回目の鑑賞。
「連合艦隊」などを手掛けた松林宗恵監督と特撮の神様・円谷英二特技監督の初顔合わせで、世界核戦争による人類滅亡を市井の人々の視点から描いた人間ドラマ大作。
東西冷戦による緊張状態が日常としてあった当時、第三次世界大戦、核戦争の危機がすぐそこに転がっており、張り詰めた空気感の中で人々は暮らしていたのだと想像します。
太平洋戦争の敗戦を経、平和国家への道を歩み出して間も無い日本の国民は、「戦争とは残酷で愚かしい行為である」とそれ以上無いほど身に染みて理解している民族でしょう。
よって本作は日本だからこそつくり得た映画だと思うし、核戦争による人類滅亡の危機を、日常を営む無后の人々の視点から描いていることに強い意義があると感じました。
フランキー堺演じるハイヤー運転手の家族は、贅沢は出来ないながらも幸せに暮らしていました。些細な出来事に喜びを感じ、将来への希望を胸にありふれた日常を生きていく。
それが突如、理不尽にも許されなくなってしまう。何故幸せな生活を奪われなければいけないのか。いったい我々が何をしたと云うのか。奪われたかけがえの無い日常が切ない。
戦争は、若い恋人たちが交わす純粋な愛さえも不条理に引き裂いていきました。なんて残酷なのか。決して許されて良いものではないのに、何故戦争は起こってしまうのだろう。
戦争への激しい怒りをフランキー堺らが迫真の演技で訴えていました。そして迎えた最後の晩餐。日常が崩壊してもなお普通の暮らしを通そうとした一家の最後の抵抗が切ない。
核ミサイルの直撃によって火の海になる東京。哀切極まり無い壮絶なラスト・シーンを熟練の円谷特撮が容赦無い描写で見せつけ、その迫力と凄絶さに圧倒されました。
このような愚かしい行為が実際に起こらないようにしなければなりません。ですが昨今の世界情勢はそれを許すことの出来ないところまで差し掛かっているように感じます。
緊迫した情勢は形を変えて今も私たちの傍にあると思うと恐ろしくなりました。「平和を粗末にしちゃいけねぇ」。主人公のこのセリフを噛み締めなければならないと思いました。
※修正(2023/10/16)
観るべき
初めて映画で泣いた。
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