世界大戦争

劇場公開日:

解説

「東京夜話」の八住利雄と「大坂城物語」の木村武(1)の共同オリジナルで、「続社長道中記 女親分対決の巻」の松林宗恵が監督。撮影は「香港の夜」の西垣六郎。なお「モスラ(1961)」の円谷英二が特技部門の監督を受持っている。パースペクタ立体音響。

1961年製作/110分/日本
原題または英題:The Last War
配給:東宝
劇場公開日:1961年10月8日

ストーリー

世界各地に連鎖反応的に起りつつある侵略と闘争は、全人類の平和を危機に追いつめていた。核戦争の鍵を握る同盟国側と連邦国側は、一触即発の状態を続けていた。戦争が始まったら、間違って押したボタン一つからでも音速の十倍以上で飛んでくるミサイルが、全人類を灰にし、地球は取返しのつかないことになってしまう。全人類が一つになって原水爆禁止のための何かをしなければならないのだ。アメリカ・プレス・クラブの運転手田村茂吉は裸一貫からささやかな幸せを築いてきた。娘冴子と二階にいる通信技師高野とは恋人同士で原水爆のことを真剣に考えていた。貨物船笠置丸船上で、突然夜空にオレンジ色から紫紅色へと膨らむ不思議な物体を見た高野は、冴子のもとへの帰途、胃潰瘍手術で九死に一生を得た船のコック長江原を見舞った。彼は保母をやっている娘早苗や子供達に囲まれて生きる素晴しさを感じていた。連邦軍基地で核弾頭を装填したミサイルが手違いで発射されそうになった折、同盟国ICBM陣地でも作業員のミスからダイナマイトが暴発、核弾庫の誘爆の危機に襲われた。そうなれば世界は破滅だと判断した司令官は命を賭して起爆装置をはずした。皆、一兵卒に至る迄心から平和を念じているのだが……平和の願いはパリ首脳会談に託された。記者ワトキンスを車で送った茂吉はこれらの状勢は金儲けのための株の変動への期待としか考えられなかった。そして神経痛に顔を歪めるお由に代って、庭にチューリップの球根を埋めてやるのだった。バーング海上で連邦軍と同盟軍編隊機の衝突から戦闘状態に入り、くすぶり続けた各地の侵略と闘争は再開され、日本政府は徒らに平和と停戦を呼び続けるのみだった。日本国内基地から飛び立った連邦軍爆撃機への報復として、同盟国の原子爆弾はロケットを発射し、東京は混乱の巷と化し、恐怖は全ての人を捉えた。保育園では早苗がなす術もなく、逃げまどう人々の心には平和を願い続けたのになぜ殺されねばならないのだ!と一様に去来した。冴子は無電機で高野の送信をキャッチした。「コーフクダッタネ……」やがて火球が東京を包み第三次世界大戦が勃発、巨大なビルは破片となって散り、全てが数万度の熱に晒された。ニューヨークでもパリでもモスコーでも……津波の後の静かな洋上を笠置丸は再び東京へ向っていた。東京の最期を見たのは高野達乗組員だけだろう。流れくる放射能のために生きて戻ることは不可能でも高野は帰りたいと思った。全世界がもっと早く声を揃えて戦争を反対すればよかったものを……あらゆる良識を無視して世界大戦は勃発し、そして終ったのだ。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

フォトギャラリー

映画レビュー

3.5無題

2024年10月31日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

本作は以前から見たかったのですが中々見る機会を得ず、私の中の“宿題作品”の中の1本で、やっとDVDを購入することが出来ました。
本作は『モスラ』と同年の制作で私が6歳の時の作品であり円谷英二が特撮監督なので、役者や絵的にどうしても怪獣映画を連想してしまうのですが、中身は大真面目なポリティカル・フィクション映画として制作されていました。
こういう作品は今の目で見てしまうとどうしても映像的な稚拙さや粗さが目立ってしまい、テーマ的には小説の方が効果的な題材だと思うのですが、時代的な日本の立場としてのこういうメッセージ映画を作りたいという映画人の志や気持ちは非常によく理解出来ました。
でも、今だからかも知れませんが当時の東宝とか円谷というのが逆にテーマ性を薄めてる気がしないでもありません。

3年後にアメリカ映画では『博士の異常な愛情』や『未知への飛行』という作品が出来ましたが、恐らく本作の影響を受けているのではないかと思える様な作品でした。それだけでも本作は一見の価値があると思うのですが、ただその二本はS・キューブリック、S・ルメットという天才や名匠と呼ばれる監督作品であり、モノクロの台詞劇として人間の狂気性や緊迫感を見事に写し出していましたので、今の目で見るとポリティカル・フィクション映画として、アメリカ映画2作は大人向けの傑作、本作は子供向けとまでは言いませんが大衆向け作品と見られてしまうのでしょうね。
でも本作のメッセージは、きな臭い現在社会に於いても何ら変わらず横たわっているので、大いに伝わりましたよ。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
シューテツ

3.5異色の東宝特撮作品

2024年10月12日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

昨日ノーベル平和賞を日本の被団協が受賞しましたが。それに合わせて鑑賞しました。高度成長に乗る日本の平凡でも希望に満ちたある家族を中心に核戦争により世界が破滅するまでを描いて作品。

フランキー堺演じる運転手と妻の音羽信子がすごく良かったです。1961年この映画上映の頃は東西冷戦の緊張した時期で翌年にはキューバ危機があったりして核戦争の恐怖が現実味を帯た時代だったのでしょう。

核戦争の犠牲者は戦争と全く関係なく片隅でひっそりと生きている小市民だと教えてくれる作品です。最後まで自宅に踏みとどまり生きる希望を持って明るくちゃぶ台を囲む家族が切ないです。

戦争は無力な一般市民の日常生活と関係ないところで進んで行くのでそれが紛争であれアクシデントであれ武装してしまえば一触即発の状況になります。核はその最大のものなのは日本人ならなおさらですね。救いのない恐ろしい物語ですがなにかズッシリくる作品でした。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
四葩

4.0何も変わっていない人類

2024年4月10日
PCから投稿
鑑賞方法:その他

悲しい

怖い

当時リアルタイムで見た。核が降り注ぐ街に取り残された家族が晴れ着を着て寿司を食べているシーンと親父のフランキー堺が物干しから自分の夢や将来を否定され泣くところが悲しかった。特撮目当てで見に行ったので戦術核での空中戦、戦車の破壊、都市の破壊がすごいなと思った。現在のCGにはとてもかなわないけれど極めて細心に真面目に描かれている。今見ると兵器や軍装が古いけれど、同じ危機が相変わらずあることを感じた。核を殲滅する道具として考える使用者はその下に普通の人々がいてどういう事態が引き起こされるかを現実感を持って考えていない。この話は政治的主張のバランスの話だけれど現在は独裁者の侵略と防衛の対立でもっと危険性が高い。こういう映画は今は生々しすぎて作れないだろう。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
こめちゃん

3.0現実が、この空想科学映画に近づいて来ているように感じられ…

2023年10月14日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

この映画をあたかもタイムリーな作品の
ように思えたのが恐ろしい。

雑誌「東京人」の
“特撮と東京”特集号を拝読したところ、
基本的にはゴジラを中心とした怪獣映画が
大半を占めていたのだが、
その中に、国会議事堂が破壊される映画の
1つとして、この作品の紹介があり、
溶解した議事堂周辺の場面写真が
あまりにも生々しく興味を引かれ、
この映画を鑑賞することにした。

作品の中での、
星由里子が宝田明の船を見送るシーンや、
核戦争の直接の被害を避けられた船の乗員が
核汚染した東京へ向かうエンディングは、
この作品の数年前に上映された
スタンリー・クレーマー監督の「渚にて」に
あまりにもそっくりの印象で、
この作品へのオマージュに感じた。

両作品共に、直接描写・間接描写の違いこそ
あれ、核兵器による世界の終焉を描いたと
いう意味では、同じ恐怖を取り扱っている。

この映画では、その恐怖への引き金として、
相手の陣営への疑心暗鬼、
機械エラー、
自然の驚異による兵器の制御不能、
局地戦の拡大化、
そして小型核の先制使用など、
全面核戦争へ至る危険要素が羅列され、
それらは、現実の核保有国や、
ロシアのウクライナ侵攻で危惧されている
事柄ばかりではないだろうか。

また、それらは、反核運動での、
“人間は過ちを犯すから…”
との論点と符合する要素でもある。

この1961年製作映画のエンディングの
メッセージ、
「この物語はすべて架空のものであるが、
明日起る現実かも知れない」
が、今でも意味を持ってしまい、
暗く人類のサガを感じさせられるばかり
だったが故に、
星由里子の美しさ・華麗さが、
ただひとつの清涼剤のように感じられる作品
でもあった。

コメントする (0件)
共感した! 2件)
KENZO一級建築士事務所