砂の器のレビュー・感想・評価
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言うまでもなく日本映画の金字塔
この映画を見るのは何回目だろう?少なくとも4回、もしくは明らかにそれ以上みている。しかも何度見ても新しい発見があるこの作品はやはり古典的名作と素直に評価して良い。今回は古典的ロードムービーとしての観点から見直してみた。既に観光地として定着した感のある場所と同時に今でも中々余程でなければいく機会のない場所を実名と架空で絡めて、想像の幅を広げる手法は見事である。そして言うまでもなくそのテーマは今も脈々と繋がってきており、その根の深さを改めて浮き彫りにする。今日では名作🎦あんへも通じるテーマである。未見の方にはぜひ一度ご覧いただきたい名作のひとつである。
音楽と放浪の日々の描写が無ければ
戦前、戦後をまたぎその問題点をミステリーとして描いた松本清張の代表作。
やっぱりいろいろ謎は残る。
そもそもなんで犯人の愛人は殺人の証拠の衣服をいちいち中央線の車窓からばらまくなんていう人目につくことをしたのか?これが謎(まあそうしないと話にならんのだけども)。
後は他の方もレビューに書いていたけれど、主人公の殺人に対する葛藤は描いて欲しかった所。
突っ込み所はあるものの、芥川也寸志が手掛けた楽曲と病人の父と子が寄り添って辿る旅路の映像は素晴らしく、胸に迫るものがある。
逆にこれが無ければ見所が少ない映画であったかもしれない。
組曲
蝉の音、うちわ、夏、田舎
犯人の心情を描いてほしかった
以前にも何度か途中まで鑑賞したことはありました。その度に、途中で挫折していました。今回は最後まで鑑賞することができましたが、残念ながら高い評価をつけることはできませんでした。
理由の一つは、時代背景に対する私の理解不足です。舞台となっている時代にはまだハンセン病に対する偏見があったのでしょう。その事実を知らなくても字幕でそうした解説があるので理解はできます。でも、同時代を経験していないからなのか、いまいちピンとこなかったのです。
もう一つの理由は、犯人の心情に対する描写の少なさです。前半では犯人に至る過程に、後半では犯人の出自のルーツに焦点があてられています。一方で殺害前後に抱いたであろう感情については、ほとんど描かれていません。このあたりが、しっくりこなかった理由なのだと思います。犯人が捕まり、犯人の葛藤や苦悩が描かれている作品の方が好きなのかもしれません。
時代が生んだ悲劇
70年代の病気差別。コロナ禍の今、2020年代になっても人の根本はそんなに変わっていないのかなと。
自分の感性が弱いのか、他の人のレビューほどのものは感じれなかった。
脆い器
「宿命」
物語の真相が明らかになるシーンで「宿命」という題名の曲が独奏されるが、そこは小説では表現しきれないくらい胸が痛くなるシーンの連続だった。
小説は当然文字だけで表現される。想像を掻き立てられるがそれを文字で説明されてしまうので読み進めるほかないのだが、小説を映像化するにあたってそれをセリフではなく映像で説明する力量がとても胸を打つ。
ピアノがバックで流れる中、ある親子の壮絶な半生が再生されるのだがピアノの曲と相まって美しいけれど、その中ではとても言葉では説明できないような残酷な人生だったことがわかる。作品のとあるキャラクターがこの曲を作曲していく中で、この苦悩があったからこそ一つの作品として作り上げたのだと思うし彼の頭の中を観客にも同時に追体験させる意味で物語に落とし込んだのだと思うとこの映像化はよくできた作品だと思った。
丹波哲郎が評価の分かれ目
この映画で一番気に入っているのは捜査していく過程、警察内での捜査の進捗状況の報告等が非常にリアルっぽかったこと。マイナスポイントは、最後のクライマックスで、逮捕容疑の説明と犯人のコンサートの様子を同時進行で進んでいくが、長すぎないか。個人的な見解だがクライマックスは長すぎてはいけない。例外的に成功する例もあるが(例えばゴッドファーザーpartⅢのオペラのシーン)。しかも、肝心の動機を丹波哲郎が長々と説明する手法は映画製作者としてはやや安直すぎないか。小説ではなく映画なのだから映像で訴えなければいけないのではないか?
日本映画の名作の中の名作。!
この映画以上に感動した作品は私は見た事がありません。!
差別の問題は人間にとって永遠のテーマかもしれません。!
昨今、アメリカの人種問題、日本国内での原発被災者への心無い発言、最近ではコロナ患者への偏見等は人間の本質的な問題であり常に自身も注意しなくてはいけないと思いました。!
映画後半からのシーンは涙なしでは見れないがシーンが連続するが(親子の巡礼、駅での親子の別れのシーン等)特に私の好きなシーンは今西刑事約の丹波哲郎が事件の経過を話す所で千代吉(加藤嘉)と三木(緒形拳)の手紙のやりとりを紹介するシーンです。!
千代吉の言葉
「いったい秀夫はどこにいるんだ。」
「死ぬまでに会いたい。」
「一目でいいから会いたい。」
と、ただただそれだけを書き綴り。
それに対して三木は
三木の言葉。
「あなたの子供さんは見所がある頭のいい子だからきっと立派に成長しているでしょう。!」
「そして、必ず必ずいつの日かきっと会いに来てくれる事に相違ない。」と
繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し、この様に励ましております。!
ここのシーンも何回見ても涙が出てくる。!
名優丹波哲郎の演技が光る。!
(千代吉が自身の息子秀夫に強く会いたがっている事を三木が知っているため、和賀(秀夫)に強く主張する。→
これが犯行に繋がるきっかけとなる事も本当にやるせない。!)
その三木が和賀(秀夫→加藤剛)にいい放つ言葉が犯行の核心部となる。!
「秀夫なぜだ。!」
「どけんしてなんだ?」
「会えば今やりかけてる仕事に行けんようになるなんて、何故そげんこと言うだらか?」
「わしにはわからん。」
「たった一人の親、それもあげな思いをした親と子だよ。!」
「秀夫、わしは首に縄、縄つけてでも引っ張って行くから。!」
「来い、一緒に秀夫。!」
ここも切なすぎて涙が出てくる。!
誰の責任で誰か悪いと言えるのだろうか。!
しいて揚げるとしたら差別を行ってきた社会だと思う。!
この砂の器はドラマで何回もリメイクされているがこの映画以上の作品は作られていない。!
(言い切っていいでしょう。!)
それはテーマである差別(ハンセン病)の深さを本質的に目を反らしているからと思える。!
コロナ問題の今こそ見るべき映画と思います。!
最後に音楽「宿命」も本当に素晴らしい。!
もちろんCD持っています。!
不動の人生ベストワン映画。名作。今でも色褪せない。
私、高度成長期生まれなんだけれども、古い日本の映画、名作と言われている、小津安二郎とか黒澤明、溝口健二とかのモノクロ作品大嫌いなんですよ。そもそも言語体系が今と違うし、粗末で地味で、とても鑑賞に耐えられない。
まあ「ゴジラ」と「飢餓海峡」は例外的に面白いし良いのだけれども。
しかしその後ドラマ化何度もされた、元祖である、加藤剛、緒形拳、丹波哲郎、加藤嘉、春田和秀の「砂の器」は別格。
昭和49年だからこそ表現できた、ジメジメして、不便で、暑苦しく、閉鎖的な日本。美しい四季の日本。
逮捕状請求の捜査会議が始まる。コンサート会場では犯人である天才音楽家のタクト指揮棒が振られ壮大な音楽が奏でられる。併せて差別され続ける悲しい親子の放浪の旅路が画面上展開される。この同時進行、カットバックの構成が情感を揺さぶり見事である。丹波哲郎はガタイも良いけど、語りも素晴らしい。加藤嘉の無理をした「こんな人知らねぇ!」と前後して映し出される緒形拳の善意の空転。イタイけれども犯人にとっては鬱陶しかったんだろなぁ。差別も含め古き日本。昭和の日本。
実は本浦千代吉は いざ本人と認識したら『自分が親族と名乗り出たら 秀夫の幸せの邪魔になる❗️』との見方も聞きます。
その後先述のとおりテレビ版何度も作られたけれども、一つもこのオリジナル映画に及ばないどころか迫らない。
無駄な捜査シーンも、最後の逮捕直前で尻切れトンボもかえって計算されていて味がある。丹波哲郎が山陰地方の列車に乗る、宍道湖の景色が背景となる。新聞を買うそこには天才音楽家の記事が・・・という構成もいかにも昭和的で素晴らしい。
ただ血まみれの服を列車の窓から塩山で処分は余計。水洗トイレか昔の黒いゴミ袋で処分すれば良い。
ただそれでも色褪せない名作。生涯映画No.1。ちなみに2番目は「シンドラーのリスト」両方ともVHS ビデオ、DVD、ブルーレイ全て買い増し。砂の器は本とDVDセットのやつも買った。ただ私リアルタイムでは当時幼児だから当然観てない。映画館で見たかった。
原作の松本清張よりも脚本の橋本忍の力量によるところ大。エゴイストの殺人であるが、やるせなさに涙すること必至。
昭和の闇、親子の光と影…
間違い無く星5だろう。今の映画やドラマを考えたら星5では少ない星6か7くらいだ。
作中の隔離政策である「らい予防法」が撤廃されたのは実に1996年の事で、平成中頃までは行旅人と称される方が河川敷に居る噂が時折流れる。
決して近づいてはいけない。ヤクザなのかそれが何者なのか学生の私には判らなかった。
現在地上波ではこの日本人が歩んだ黒歴史を放送禁止としているようだ。この国は共産国ですか?w
さて物語は過酷な旅、肉親との離別で音楽の才能を開花する秀夫少年。改名し和賀英良となったが学歴も家族親族も無い彼にとって音楽家としての名声は唯一無二の武器だった。
なぜ彼は自分の武器を運命を信じられなかったのか?
秀夫少年なら父親に会っていたろう。
三流ゴシップ誌にすっぱ抜かれて世間の評価が落ちようとも闇を抱え込んだろう。だが秀夫少年の心は和賀英良の中に埋もれてしまったようだった。
闇を飲み込んだ人間は強いと聞く。
この作品を見てそれに気付く筈だ。
和賀は闇を宿して音楽を作り続けるべきだった。
その闇には愛があった。仮に再び漂泊の身と成り果てようとその才能に陰る事は無い筈だ。
だが金と名声に欲を曝け出し始めた彼にはそれが出来なかった。清廉で愚直…。
それが才能が要求する糧だった。
和賀にとって偶然手に入れた才能が道具に変わった。
残念な言い方だが…器では無かったんだ彼は。
タイトルの通り砂の器だった訳だ。
現在の栄光と過去の影にまつわる哀しい性
小説は読んだことがあったが、だいぶ前なので、ストーリーは記憶があいまいになっていたのと、映画レビューで高評価が多いので観てみた。野村芳太郎監督だと、1970年代では犬神家の一族がとてもよかったので、間違いはないだろうと。
1974年当時の時代背景なので、伝染病や放浪等といった過去も当時の設定ならではであるが、現在の栄光を手放したくないために過去の経歴を消し去ろうとして手段を選ばない人間の性、エゴを追求した松本清張ならではのテーマがこの作品にも息づいている。愛情を受けたはずが、仇で返すことになってしまった人間のエゴの哀しさ。
あとは、21歳の島田陽子の品の良さといったら!当時最高潮だったのではないか、とても美しい。1970年代の島田陽子の確実なファンです。
満たされぬもの
さて『砂の器』です
もうそうとう昔の映画で、ほとんど忘れていたような作品だったのに
一度も見たこともなかったし暗そうで何度かつまらなそうだな〜ってずっと思って遠のけていました
でも
『砂の器』
このインパクトのあるタイトルは忘れることがなく気になっていたことも事実です
やっと私にも作品の言わんとする意味や気持ちが分かる歳になったのかな
どうやらあちら側から私に近づいてきたように思えてなりません
私はかねがね、世の中の全てには「時期」がありその時期が来れば自然に出会えるのではないかと思うのです
それは人だったり物だったり音楽や映画、言葉もそうだし音や匂いも、とにかく全てが何らかの出会いのように思えてなりません
このサイトもそうだし私にくださる「いいね!」もそう感じさせるものです
この映画との出会いは古いですが観賞したのは初めてで今とてもとても深く心に刺さってきました
訳の分からないものに人は恐怖して遠のけ出来るだけ関わらぬようにしたいものです
知らないのですからね
コロナ禍で学んだことに「正しく知って怖がる」を学びました
まずは噂やデマなどでなく正しく知る努力をしなければ世間に流されて右往左往するばかりで目指す方向が定まらず集団であらぬ方向へ流されてしまいますからね
映画の話もしなければ
丹波哲郎さんと言えば私には「007」のタイガー役くらいしか記憶にないのでとても新鮮でいい役者さんなのだな〜と
森田健作さんは(笑わんでくださいよ)私の兄に驚くほどそっくりでぶったまげです(皆さんは確認不可能ですな)
映画の話はこのくらいでいいですね
『砂の器』いいタイトルです、何年も忘れずにやっと出会えた作品です。
視聴を義務教育化してもよいくらいの良作
初めて見たのは20代後半。
これ以上泣けませんという位、泣いたが、
実父のシーンでは、何年も会ってないのに分かるなんてなぁ~と訝しく思った。
子供の親となった今は、素直に「ああ分かったんだな」と思う。
そしてきっと彼と同じ言葉を言うだろう。
もう二度とこんな世の中にしてはならない。
コロナ陽性者を過剰に攻撃する悲しい現在に、改めて大きなメッセージをもらえた。
削ぎ落とした
原作から映画化するにあたり主題を明確にし、余剰なところを削ぎ落とし収斂された作品。
為に、全編通して緊張感があり、後半は殺害に至る事情を情感豊に哀しく顕かにする。
ハンセン病のことをググってみた。
そうすると千代吉親子のおかれた状況に同情するとともに、まだ当時は建前と現状が合致していなかったことを知らされる。
公開当時、ハンセン病は完治する病であるとは知られていた。
原作当時もそう。
ただ、何故か日本では隔離政策がまかり通っており、社会的な差別・偏見は改善されていない。
千代吉のような患者はいないと言われているが、現実は療養所に隔離されていた。
しかも子を持つことが許されていなかったとのこと。
調べてみるとひどい話がいくらでも出てくる。
その現実を知って改めて思い返すと、千代吉が秀夫に持つ親子の情がなんとも深いものであることに気付かされる。
“宿命”とは言うが、それって社会が産み出した偏見が根底にある。
人の持つ業の深さが思われる。
善意は時に残酷、でもそれもまた宿命かもしれない
遅まきながら、鑑賞。テーマはハンセン病の差別、というぼんやりとしたイメージを持っていましたが、自分の全く的外れな思い込みを反省しました。
もっと大きなテーマです。人間とは、どういう生き物なのか。宿命とは何か。愛情や幸せをみんな欲しがるけれど、どれだけわかって言うのか。優生思想はいまも世の中を蝕み続ける。まず自分を見つめよ、と促されているような気がしました。
演出と役者さんの素晴らしさ、セリフなく眼で全てを物語れる子役主人公。彼の存在なくしては、成立しない作品です。映画とは何かをも教えてくれる、普遍的一本。
運命の分岐点となる田舎の巡査(緒形拳)が、わたしは印象に残りました。誰もが認める仏様のような善人。しかし社会的つまはじきの親子を救おうとした善意によって、この親子は永遠に引き裂かれてしまいます。善意とは、こんなにも危険なものなのか。今回わたしの心に刺さった棘。でも一生抜かないで、持ち続けようと思います。浮浪の親子が持っていた本物の愛情。彼らが社会的強者に勝る、最強にして唯一の財産を、巡査は悪意無き優しさで主人公から奪ってしまう。それは魂の殺人に匹敵する罪。
そして巡査は、二度も善意の罪をおかします。
失踪ののち別人となって音楽の道で自らを開花させた主人公を、なんの宿命か偶然見つけてしまい、またもや善意によって実父との再会を熱心に勧めるのです。
療養所に入った父親を、巡査は赤の他人なのに見捨てず何十年と文通します。引退した身でもなおこの親子を放っておかない。
でも。息子である主人公が、どんな思いでここまで歩いてきたか。
父と会うのを拒む、そこにどれだけ複雑な思いがあるのかを、巡査は真っ直ぐ純粋無垢で情熱のある人柄ゆえに、またもわからない。
巡査は善人夫婦、唯一欠けている点があるとしたら、子がいないことだけ、という設定です。とはいえ、全身全霊で誰にでも親身になれる、立派な人。
かたや、病という宿命を背負わされ、世間から疎まれ故郷を追われ、職もなにも持たない実父。持っているのは子だけ。巡査とは、まるで真逆。ですが実父の主人公への愛情は本物であり、人としてなにものにも変えられない、稀有な宝石をすでにこの親子は持っている。どれだけ立派な他者の善意も不要なほどの。とうてい質の違うものです。
観ていて、主人公だけでなく、この巡査もまた、砂の器なのだと気が付きました。
でもわたしは彼を責められない。巡査は巡査が持てるなりの最大級の自分を注いだ。この親子に。
それは主人公もわかっている。
しかし砂の器は、注がれたら崩れるほかありません。
たまたまお互いの人生の中で、好むと好まざるとに関わらず、ある役目を背負わされることになっている。それをまさしく宿命と呼ぶのでしょう。主人公は幼き時からずっと、あの射るような眼差しで、それを見つめ続けていたのではないか。
主人公がつくる音楽だけが、砂ではなく、本物の器として生まれました。父親の本物の愛情が、壊れない器となって、息子を通じて結実しました。しかしその昇華の恩恵に浴するのは、父ではなく、全く関係のない一般市民たちです。かつてこの親子に石を投げ蔑んだ、普通の市井の人間たちを喜ばせる役目を担う皮肉。これもまた、宿命。父子の間に流れる、強くて美しく、かなしい何かを、言葉ではなかなか言いあらわせない。
これを表現した松本清張という人があり、それを映画にできた監督や役者さんたち、凄いです。そしてこの物語をリアルにできるかどうか鍵を握っていたのは音楽でした。楽曲をつくった芥川さん達、あっぱれです。陳腐な曲ならきっと駄作になっていたはず。
人が人らしく生きていくために失ってはいけない何かを、徒労になるかもしれないが、形にして残そうとする。その魂に、人類の末席にいるわたしも震えました。
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