砂の器のレビュー・感想・評価
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悲しくも家族を思い遣る気持ちに打ち抜かれる作品
松本清張の原作小説は実家にあったが、タイトルと親が購入したことの時代錯誤的な勝手な解釈で読んでいなかった。
自分も親ほどの年齢になり、何気に見てみようかと思い立って、アマプラで鑑賞した。
ストーリーはサスペンスの流れで進んでいくが、40年以上も前の作品ということもあり、言葉ははっきり分からず、方言も強く、現代のハリウッド映画を吹き替えで見るようにスッキリ見ることはできない。
それでも俳優の演技が素晴らしく、魅入らせる力は十分にあったと思った。
前半の物語は、刑事が犯人像を延々探し求めるが、遅々として進まないように見せている。参考になるであろうことも、結構あっさり流されていたり。しかし、その前半は残り40分への単なるステップであったかのように、恐ろしい事実が明かされていく。
これは、松本清張の代表的なサスペンス物語ではなく、時代と人間の心を捉える大きなテーマを、見る人に訴えるものだと分かった。
そして、それは俳優の素晴らしい演技がいかにその訴えを切実なものとしているかを如実に伝えていると感じた。
とてもとても大きなテーマを心に打ち付けられることとなった。
圧巻の人間ドラマ
松本清張氏の私の印象:例えば、時刻表を駆使した緻密なプロットが醍醐味の推理小説作家。
だが、この映画を観ると、推理の方はかなり端折っているのだろう。前半はご都合主義にも見える展開。突っ込みどころはたくさんある。その中で、地道な捜査が手掛かりを得るところが救われる。
けれど、後半、一変。ぐいぐいと迫ってくる。
子役・春田君の目力。
加藤嘉氏演じる千代吉の子を思う心。人生に・人々に諦めきった表情。
そして加藤剛氏の演技。単なる成り上がりの栄誉にしがみついているではないと思わせる、演奏会での演技。子どもを認めないのも、単に自己都合ではなく、それまでの人生を、微妙な表情で滲み出す。
まさしく”宿命”。
そんな芸達者の渾身の演技が、日本各地の映像、そこで繰り広げられる出来事、音楽と、何倍にも相乗効果を醸し出し、胸に迫る。
惜しむらくは、観光化した遍路しか知らぬ世代に、千代吉親子の生活が想像できるのか?
途中で行き倒れになる人も多かったであろう。
ハンセン病。今では治療法が確立された病。
けれど、この映画の、千代吉のころは、治療法もわからず不治の病。
村に診療所なんてないもの。
家に、村に招き入れてはいかぬ病原菌。感染させぬことが最大の防御。
自分たちが食べていくのが精いっぱいな頃。盗まれることも防がねばならない。
それだけにひどかった差別。
そんな万感の思いが押し寄せてくる。
傑作である原作を遥かに凌駕する名作
諸事情で時間を持て余す中で視聴している旧作名画スタンダードから、本作を取り上げます。
周知のように日本映画史に残る名作であり、約半世紀を経ても色褪せない輝きがあります。
前半は、ある殺人事件を追跡する刑事ドラマで、日本各地を巡って被害者の身元と来歴を探る2時間ドラマ風展開です。身元不明の被害者の謎を少しずつ解いていく妙味はあるものの、物語に波乱もなくアクションもない通俗的なミステリーで終始しています。
犯人を匂わせる人物描写も断片的に挿入されますが、対峙するシーンもなく、従いカットは引きが多く、シーンが変わる際はテロップで表示され、何だか茫洋としてテンポも緩慢且つ淡白で、捉えどころのない、やや退屈な印象です。
但し、この前半の平板な漠然とした展開の端々に、幾つもの重要な伏線が仕掛けられていることが、後半の波瀾万丈の物語展開と、快刀乱麻を断つ結末に、哀しくも儚く収束されていき大いなる感動を生む、その手際良さと切れ味の鋭さは見事な名人芸です。
本作は、日本の社会派ミステリーの元祖ともいえる松本清張の小説を原作にしていますが、映画は原作とは全く似て非なるものといえます。
原作小説も傑作ですが、犯人を突き詰め追い込んでいくプロセスでの両者の葛藤が読者を惹きつけるものの、犯人の組立ても全く異なり、精巧なミステリー小説の域に留まると思います。
映画も、前半は原作をなぞるように謎解きミステリーが淡々と進みます。ただコンサートと捜査会議がシンクロして進む後半、次々と過去の衝撃的事実と悲劇が劇的に明らかにされ、観客に息を吐かせずヤマ場からヤマ場へと進み、その間はコンサートで奏でられる交響曲「宿命」だけの台詞無しで展開し、その上それらが日本の四季の移ろいを背景に余りにも美しく哀しく、且つ過酷で悲惨な、人間存在の不条理な生き様の壮絶な人間ドラマを見せられていきます。
後半こそ、本作の本来の醍醐味を満喫できる処であり、これはもう日本映画史に燦然と聳える脚本家・橋本忍氏の渾身のオリジナル作品といえるでしょう。
人が生きていくことの、何と厳しく辛いことか、何と強かで逞しいことか、そして何と哀しくて尊いものか。
数十年ぶりの観賞後は、痛切に犇々と胸に迫りくる感動に押しつぶされてしまいます。
不協和音
幼き「乞食」の子にとって、父親は唯一の家族であり友であり、その小さな世界の全てだった。引き離されるくらいなら、ともに飢えたりのたれ死んだりするほうが、彼にとっては幸福だったのだろう。
心優しき養父母も温かいご飯も、彼にとっては響かない。ただ父親と身を寄せ合って放浪したことだけが美しく鳴り響き、「宿命」として色濃く奏でられる。
その悲しき「宿命」には儚げで美しい女も、金と権力を持った女も、一切の卑しさも持たない養父も、そしてかつての彼があれほど求めていた本物の父親さえも入り込む余地など無く、音楽の中でのみ彼は彼として生きている。砂の器を満たそうとする水は、器自体を壊してしまう。
「乞食」の子の不満げな表情が、奈良美智の描く、不機嫌そうな子供そのもので、ただ駄々をこねているわけじゃない複雑な重みを感じた。それはおそらく子供にしか持ち得ない感情をはらんだ表情で、そこから今日の彼がつくられていったのだと思えた。
結婚や子供を持つことを頑なに拒んでいた彼は、誰よりもその子供の背負う「宿命」の重さを知っていたのだろう。
砂の器はどこまでいっても砂の器。不確かであやうく、保ち続けることなどできない。
人の耳に響いてはきえる音楽のように。
形を成さなくなった砂の器は、決して拭えぬ生い立ちの不協和音を超えて、その残像をたよりに何度も作り直され、時と共鳴していく。
名作
素晴らしい
重いテーマの映画です
午前10時の映画祭で。
初めて見たのは、公開当時、高校の映画鑑賞会ででした。
ラストで泣きすぎて、目と鼻が真っ赤なのに、
すぐ場内が明るくなり、めっちゃ恥ずかしかったです。
今回もしばらくハンカチを目に当てるはめになりました。
やはりラストの加藤嘉さんのえぐられるようなセリフ、重いですね。
もう会えなくなってしまった俳優さんも多く、45年という歳月を
あらためて感じてしまいました。
なにしろCGなんか使わなくても十分そのまま何もかも古く、w
東京の国鉄の高架を走る車両も、大学の研究室の建物も、
バブルで再開発される前の都心の風景が映し出されます。
映画って、こうしてみると時代の貴重な記録でもありますね。
ピアニストの和賀の部屋も、当時としてはすごく成金趣味の感じに仕立てたのかも
しれませんが、今見ると、なんかすごくアンティーク・・・。
婚約者の父親の政治家の応接間の和室の方が
よっぽどスマートにスッキリ見えました。
全体にやはり重厚にという製作者の意図が強すぎて、
チョット確かに要らないカットあり、台詞回しも大仰で、
今の監督ならこういう風には撮らないだろうなと思えるところが多かったです。
清張の作品は、あまり湿っぽくなく、むしろそっけないくらいの書き方をしているので、
何度かドラマ化されても、その度に入れ込みすぎるのでしょうか。
個人的には加藤健一さんが、ジープで案内する地元の巡査さん役で
出ていたのを発見出来て嬉しかったです。
前半が好き
午前十時の映画祭にて観賞。
前半、二人の刑事が犯人の手掛かりを追うシーンが、とても丁寧でわかりやすく(途中途中駅名を入れたりと人物がどこからどこへ向かうかがわかる)なんとも山田洋次的だなと思っていたら、脚本で参加していた。
この頃にノウハウを勉強したのか、それともこの頃からその能力があったのか、どちらにしても凄いなぁと感じる。
物語は早い時から犯人が示されるので、ミステリ的な楽しみ方ではなく、犯人の動機に興味を持たせる作りになっている。
後半は特に犯人である和賀の壮絶な人生に焦点が当てられ、日本にもこんな差別社会があったのだなと驚かせられる。
宿命という曲と共に幼少期の映像が流されるのだが、個人的に少し長すぎるかなと思ったが、両隣の観客は号泣していた。
これの現代版という訳でもないが、岬の兄妹を思い出した。
芥川也寸志の本気
映画史に残っているのだから、、、
世界共通の重さ
この親子がどのような旅をしたのか、私にはただ想像するしかありません
幸せを捨てた和賀の生き様に、代えがたいほどのエンパシーを感じた。そこまでするのか、そこまでしなければいけないのか。そう、それほどのことなのだ、と。
秀夫という過去を抹殺した和賀は、もう父に会うこともできない。加藤剛のその哀しみの表現が秀逸だった。今までは、和賀が父との過去をも切り捨てたのだと思っていたが、久し振りにこの映画を観て、名前を変えても父を忘れることがない和賀の気持ちがひしひしと伝わってきた。それは、父千代吉の態度からもわかる。二人は現在のお互いの立場を慮るがゆえに、他人の前ではお互いの存在を否定するのだ。お互いがお互いに、心の中ではかけがえのない存在であるからこそに。それを今西刑事が「彼はもう、音楽の中でしか父親に会えないんだ」と台詞で補う。今西は2人をよく理解していた。けして入れ込みすぎることなく、それでいて二人の心情に寄り添うように。
映画の作りとしては、今見返すと無駄も感じる。やはり冒頭は操車場での現場検証からのほうがすっと入れる気がする。秋田の出張は回想でもいい。全国を歩き回った印象を付けたいためか。緒形拳が登場してからさらに画面が引き締まった空気になったのは、さすが名作。
心が乾いてしまったら見る映画
もっとも最近見たのはいつだったか。2・3年前のなんばだったか、それとも高槻だったか。
今の若い人にはこの親子のたどった苦難の道は解らないだろうなあ。昔の日本の四季が今よりもっと美しく、そして人々の差別意識が如何にすさまじいものであったか(今も変わらないか。いや、今のほうがSNSなどを駆使して、自分の姿を見せずに安全なところから差別するからもっと陰湿か)。
重箱の隅をつついてこの映画をつまらないと語る人は、ラストで自分の子を知らないという父の心も解らないだろうなあ。
現代ミステリーの原点
名作に時代は関係なし。
まごうことなき日本映画の傑作。現代にも作られてほしいクオリティである。
ただ、何回も観ているので、気になるところが目立ってきた。
冒頭の東北出張がなんの伏線にもなっていない。あやしい人物がいたことになっているが、関係があったのかなかったのかも示されない。
映画館に掲示されていた写真のために、2日連続で映画館に行くか? 写真ならその場でいくらでも確認できる。他の作品では(ひょっとして原作?)、ニュースフィルムだったから次の日も観に行った、というのがあったが、そちらのほうが合理的。
内藤武敏はたぶん捜査一課長、または刑事部長クラスだったと思うが、捜査の進捗状況を知らなすぎ。
今西は、本浦秀夫が和賀英良だとなぜわかったか?
ピアニストが撲殺を選ぶか?
映画の価値は揺るがないので、どうということはないのだが、少し気になる。
あらためて、加藤嘉の芝居はすごかった。
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