洲崎パラダイス 赤信号のレビュー・感想・評価
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☆☆☆☆★ 小津安二郎の『浮草』 成瀬巳喜男の『浮雲』 吉田喜重の...
☆☆☆☆★
小津安二郎の『浮草』
成瀬巳喜男の『浮雲』
吉田喜重の『秋津温泉』
これらと並び、日本映画を代表する日本四大《腐れ縁》映画の名作。
橋の手前と橋の向こう
この僅かな距離の違いにより、、、
【自由を満喫出来るか】それとも
【見えない鎖に縛られてしまうのか】…との違いに苦しめられてしまう。
新珠三千代の元廓街出身経験者として、手練手管で男を誘うチャキチャキ感の素晴らしさ。
三橋達也の新珠が居ないと何にもしない、どうしようもないクズなヒモ男。
芦川いづみの真面目な性格。男の観客から見ると、1日の終わりに帰宅すると待っていてくれる奥さんにしたい安心感は満点なのだが。だからこそ、どうしようもないヒモ男から見たら、どこかに物足りなさを感じる辺り。
女のズルさを知りながら、ついつい男としてそんな女の裏の顔を覗こうとする為。何度も失敗しつつも、少しばかりの豪放磊落的で前向きなところを見せてしまう河津清三郎のお茶目なところ等々。
この作品の見所は数多いのですが。何よりも素晴らしいのが、自身が抱えた過去の辛さを胸の奥に潜めつつ。新珠と三橋の2人の関係の危うさを心配しながら、幼い子供達を育てている轟夕起子の奮闘振り。
作品中には、ほんのひと時の幸せを感じながら。その後に巻き起こる悲劇に翻弄されてしまう様が何と言っても涙を誘う。
金八先生の言葉じゃないけれど。【人】という文字には2つの棒線が支え合いながら存在する。
《ノ》は《ヽ》の支えがあるから倒れる事はない。
とは言え、《ヽ》もまた《ノ》が有るからこそ倒れる事がないのもまた事実。
お互いが、男女それぞれの【生活】であり【人生】を支え合い、背負いながら生きている。
それを実感させてくれるのがこの作品最大の魅力的なところだと思っている。
何度観ても尽きる事がなく、観る度に新たなる発見をさせて貰える名作です。
初見 日時・劇場名不明
2022年3月27日 シネマブルースタジオ
今日の観客数は何と10名!
これまでここには数多く通っているけれど、こんなに満員御礼状態だったのは初めてで。関係者じゃないのに、つい嬉しくなってしまった。
いつの日かここが本当の満員御礼になりますように。
赤信号?正に青信号じゃ!!
紐にもなりきれない馬鹿な男の話
紐にしきれない余り賢明でない女の話
時は赤線防止法が施行される前夜。
さて、何を言いたいのか?
まぁ、どちらにしても元の鞘に戻れるなら、いいのではないか?
ただのすれ違い映画なり。溝口健二監督の赤線に対する考え方とは全く違うような気がする。寧ろ、おざなりにしてしまった赤線防止法が現代の闇を作っている様な気がする。勿論、洲崎にはその姿はないが、形を変えて全国各地に星の数程存在する。勿論、表看板では売春防止法に抵触する行為はしてはいない。さて。
秋葉原の『万世橋』くらいしか分からないかなぁ。
両国の水上バスの発着場が出てきたが、隅田川はまだまだきれいなようだ。つまり、この後、エコノミックアニマルと言われる程、日本はぶっ壊れるのだ。ストーリーは陽気に終わるが、日本人にとっては、戦争に敗けて約十年。やっとこさ平和になったと思ったが。実は艱難辛苦の再出発の様な時期なのだと思う。そして、結果、絶滅危惧種になってしまったのだ。登場する子供達は正に団塊の世代。
カッコ悪く足掻く主人公の姿に、監督自身の姿が重ねられている様な
川島雄三 監督による1956年製作の日本映画。配給:日活。
川島監督作視聴の第2弾。古い白黒映画ながら、作家性が満載でかなり気に入った。
今はほぼ完全に消えてしまった洲崎遊郭(江東区東陽町1丁目周辺に在ったらしい)、その入口にある飲み屋「千草」を舞台とする。
主人公は定職持たず稼ぎも無く冴えない青年三橋達也と、その恋人で元洲崎遊郭の娼婦新珠三千代。あの三橋達也が、去って行ってしまった恋人を探し回って路頭に倒れ込む。監督の心情反映か、世を拗ねた様で暗くイジイジとして嫉妬深くカッコ悪いのが、印象に残る。
飲み屋で雇われた新珠はラジオ店の店主河津清三郎に見染められ愛人となり神田に越すが、そこに飽き足りず、結局三橋の元に戻ってくる。三橋も勤めていた蕎麦屋で働く可憐な芦川いづみと世帯持つことを飲み屋女将は望むが,結局新珠を選ぶ。
別れたりくっついたり男女の腐れ縁を描いていて,何処かフランス映画風。主人公に、撮影所前の食堂に入り浸りそこの娘と縁談話が持ち上がったが断わり、家を持たず行きつけの宿を家替わりに泊まり歩いていて小料理屋で働く女性に惚れこみ同棲したという川島監督の姿が重なる。
監督川島雄三、脚色井手俊郎、 寺田信義、原作芝木好子『洲崎パラダイス』、製作坂上静翁、撮影高村倉太郎、美術中村公彦、音楽真鍋理一郎、録音橋本文雄、照明大西美津男、助監督今村昌平。
出演 新珠三千代蔦枝、三橋達也義治、轟夕起子お徳、植村謙二郎伝七、平沼徹和男、
松本薫良男、芦川いづみ玉子、牧真介信夫、津田朝子初江、河津清三郎落合、加藤義朗落合の店員、冬木京三そば屋の主人、小沢昭一三吉、田中筆子廓の四十女、山田禅一大工風の男、菊野明子女、桂典子女中志願の女、加藤温子バスの車掌、隅田恵子伝七の女。
橋の向こうとこちら側
Amazon Prime Videoで鑑賞。
どうしようもない男女ふたり。行き場を無くして洲崎パラダイスと云う繁華街へ繋がる橋の袂へ流れ着きました。橋の向こう側には遊郭もあって、一度足を踏み入れると堅気じゃなくなってしまう異空間のようで…。まるであの世とこの世の境目みたいな、洲崎パラダイスの入口に架かる橋の側に佇む小さな酒場を舞台に、男女の彷徨を描いた川島雄三監督の名作。
三橋達也演じる義治は働こうともせず完全なヒモ状態。女に食わせてもらってるくせに、商売で他の男の相手をしていると妬いてしまう狭い度量の持ち主と云う情けなさ…
新珠三千代演じる蔦枝は、そんな甲斐性無しの男でも、見捨てるに見捨てられないのでした。歯痒いくらいの愛がそこにはあって、ズブズブと関係を続けていました。
ふたりが世話になった酒場の女将も、自分と子供たちを置いて女と逃げた亭主に対して、半ば愛想を尽かしながらも、それでもまだ愛していて、帰って来るのを待っている…
互いに必要としていて離れることが出来ない。振り切っても結局未練たらたらで磁石みたいに引き合って元通り。それが愛のどうしようもない正体かもしれないなと思いました。
※修正(2023/01/22)
男と女の愛はどれも謎めいていて絶望と希望と憎悪とがひっきりなしに押し寄せる。
川島雄三を知ったのは「幕末太陽伝」。フランキー堺に振り回されたのを鮮明に覚えている。この映画は長い間、観たくて仕方なかった作品。
男と女の愛のカタチなどと言うといかにも陳腐だけれど、いまんのところそんな言葉しか探せなかった。
映画の落としどころを見事にはぐらかすのが実に上手いこの監督は、愛について希望に充ち溢れているのだろう。
いくつもの絶望を用意し、観るものを苛立たせて、女の側に立たせる。「弱い男とは縁を切れ」などと思わせて置き、一方の男女には男の側に立たせて「そんな尻軽女などは早く忘れろ」と思わせてしまう。
人は一人づつが違う。誰一人して同じ顔や性格ではない。だからいろいろな愛がある。
それはカタチではなくパターンなどでは決してないのだろう。
愛を十派ひとからげにして語ってはならない。と教えてくれた映画だった。
男女の間・橋の手前と向こう
川島雄三監督。56年日活。かつて存在した花街の側を舞台に腐れ縁の男女とその周辺の人達を描いた作品。
どうにも煮え切らない三橋達也のクズっぷりが上手すぎ。女優もみな良い。新珠三千代、芦川いづみ。轟夕起子の存在感が特に素晴らしい。後半好転しそうな展開かと思わせて…というのがこの監督の油断できないところ。
一緒にいると駄目になってしまう、でも離れられない、というような男女間の機微の話はお好きな人には大好物でしょうが、自分にはあまり向いてなかった。昭和30年代の風俗はとても興味深く見れました。
フランス映画の名作巴里祭のラストシーンを思わせる味のある終わりかたでした
洲崎パラダイス
冒頭の橋は永代橋の北側
都バスに乗って降りたところは洲崎弁天町
おそらく今の永代通りの東陽三丁目交差点ではないでしょうか
地下鉄東西線の木場と東陽町の丁度真ん中あたり
地下鉄が出来るのはこの11年後になります
川向こうが赤線地帯(公認売春地域)のある洲崎パラダイス
その川は今はなく埋められたのか、暗渠になったのか、緑豊かな遊歩道になっています
だからもう橋は有りません
遊歩道の右手に洲崎橋跡地の小さな記念碑があります
飲み屋の千草はその辺りかと思います
義治が出前をする蕎麦屋はおそらく洲崎神社の近くですから、今の地下鉄木場駅辺りにあったと思います
洲崎神社が蔦枝達がお参りする弁天様で、終盤で殺人事件が起こる所です
洲崎パラダイスのネオンが光るゲートアーチは当然今は跡形も有りません
60年以上前の秋葉原の光景も今では貴重です
本作は1956年7月末の公開
この年5月に売春禁止法が可決、本作の翌年4月1日からの施行を控えた中の公開な訳です
赤線地帯の娼婦達が身の振り方を考えていた時期というわけです
その辺の事情は溝口監督の赤線地帯という作品に詳しいです
なのでもう赤線地帯での仕事は赤信号というわけです
二人は冒頭で洲崎弁天町でバスを降りて、永代通りを渡り、洲崎橋を渡りかけるのですが、まるで赤信号でもあるかのように渡れずに橋のたもとの飲み屋千草に入るのです
今の洲崎パラダイス跡は普通の商店街と住宅街
一本大通りから中に入った昔の民家にタイル貼りが希に残っているくらいの微かな痕跡を残すのみです
土地の由緒を知らなければここが赤線地帯であったことは気づくことも無いでしょう
大門通りの左手に美味しいと有名なタンメン屋がありよく通ったものですがそれも一昔前のことになりました
新珠三千代26歳
顔が小さいです、体の線が細いです
宝塚出身の清く正しいという空気は断ち切られています
夜の商売の女だという風情が見事に匂い立っています
初々しい芦川いずみの玉子との対比が効いています
千草の女将さんの轟夕起子が素晴らしい演技を見せています
行方不明の亭主が戻っていたときに見せる女の顔は見事です
そして家族で浅草から帰ってきたときの幸せそうに化粧した顔、そして女の戦いに勝ったという笑み
これがクライマックスの伏線に大きな効果を上げています
この三人の女が、赤線地帯を取り巻く女は、こうして、こうなって、最後にはこうなってしまうということを象徴しているのです
ラストシーンはまたまた永代橋でバスにのるのです
駄目な男とだらしない女の堂々巡りはだらだらと果てしなく続くのです
このような物語は毎日あって繰り返されるのだとカメラは高く永代通りを東陽町方面を俯瞰するのです
フランス映画の名作巴里祭のラストシーンを思わせる味のある終わりかたでした
余韻が心地よいものです
所詮男と女はだらしなく楽な関係が心地良いのです
しかし赤線地帯の廃止は決まっており、蔦枝は娼婦には戻れないのです
二人は洲崎弁天町で今度は降りず、その先まで乗っていくのでしょう
今度はかたぎになれるのかも知れません
そんな思いが明るく快い余韻になっているのでしょう
愛の不合理
どうしようもなくだらしのない男を描いた川島雄三の作品。
元女郎の女に腰巾着のごとくついて回る三橋達也がとことんダメ男を演じる。女の稼ぎをあてにしているくせに、その女が他の男に色仕掛けをすると妬くという、稼ぎも度量もない男である。
舞台は東京東部に実在した歓楽街洲崎パラダイス。現在の江東区東陽一丁目がもともとそう呼ばれる赤線地帯だったらしい。地下鉄東西線沿線に長く住んでいながら、そんなところに遊郭があったことは知らなかった。
その区域の手前には川が流れ、堅気の世界とは橋一本で繋がっている。
そして、この物語はその橋のたもとにある場末飲み屋。その世界の入り口にあるということで、あちらとこちらとの境目でドラマが繰り広げられるわけだ。再び遊郭の仕事をするのか、それとも堅気の世界に踏みとどまるのかという主人公二人の状況を、その場所が象徴している。
男の扱いに器用なようでいて、結局三橋を放ってはおけない新珠三千代。家族を置いて出たっきりの夫を待ち続ける轟夕起子。馬鹿にしているはずなのに三橋を励まそうとするそば屋の若い娘・芦川いづみ。女たちはみな不合理な愛を胸に男を待つ。いや愛などすべて不合理なものなのだが。
男たちと言えば、それぞれがその愛に頼り切っているばかりである。みんながぎりぎりのところに留まってお互いを必要としている。男と女とは本来そういうものだ。そんな世界では、文字で表記されるプロフィールに惚れる現代的な恋愛事情など狂気の沙汰であろう。
好きになれる作品
ポータブルDVDによる車内鑑賞レビュー
通勤時間を活用して、ポータブルDVDプレイヤーで車内鑑賞、モバイルPCで感想文を車内執筆をしております。
今作は
「 予見 の 提示 」 → 「 予見 の 裏切り (トラップ) 」
↓
「 予見 の 具現化 」 ← 「 トラップ の 途中放棄 」
というプロセスを推移していく、2つの事例を織り交ぜながら表面的なストーリー展開と並行する
「制作者の文脈」 を推理する楽しさ に満ちた鑑賞となりました。
そして、川島雄三 という天才が、
日陰者の視線から、日本の近代化と経済成長の 「予見」 を 語っていたことに対して 、
社会学的な価値を見い出せた作品。 と、評価します。
完成版はこちら、ネタバレ注意
↓
http(ダブルコロン)://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-98.html
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