忍びの者 新・霧隠才蔵
劇場公開日:1966年2月12日
解説
「若親分喧嘩状」の高岩肇がシナリオを執筆、「ほんだら剣法」の森一生が監督した“忍びの者”シリーズ第七作目。撮影もコンビの今井ひろし。
1966年製作/87分/日本
配給:大映
劇場公開日:1966年2月12日
ストーリー
大阪夏の陣も終り、家康は既に将軍職を秀忠に譲り、自らは駿府の居城に引き籠って背後から睨みを利かしていた。しかし伊賀忍者の恐しさを知る家康は、武田信玄に仕えた乱破の子孫・風魔一族を幕下に加えて、伊賀忍者の絶滅を命じた。一方家康への復讐を誓った伊賀忍者の生残り、霧隠才蔵、音羽弥藤次、鴉佐源太らは、くノ一あかねから得た情報をもとに、家康謀殺の機を狙っていた。そしてある日、あかねが手に入れた城内の見取図をたよりに、才蔵は部下の小六とともに家康の寝所に忍び入った。が、いち早く才蔵らの動勢を察した風魔一族の首領・大十郎のために家康刺殺は失敗し、小六は殺され、才蔵は大奥の女主人弥生に助けられた。この弥生は、家康に滅ぼされた長曽我部盛親の姪で、千姫の供として城に身を寄せているものの、機あらは家康を倒そうとそのチャンスを狙っているというのだ。数日後弥生は才蔵の紹介で正式に伊賀一族に会い、家康謀殺への協力を誓った。やがて、弥生の手引きで才蔵らは、家康謀殺の計画を行動に移していった。だが何故か、この計画が事前に敵方に知れ、才蔵らはたびたび窮地にたたされた。左源太らは仲間に裏切者がいるとにらみ、まず城内に出入りするあかねを疑った。あかねは身の潔白を晴らそうと、単身、病気で倒れた家康のもとにかけつけた秀忠の行列に斬りこみ、大十郎らの罠にはまって捉えられた。このあかねの死を賭けた抗議を目のあたりに見た才蔵らは、あかねを助けだそうと、大十郎のいる洞窟を襲った。が、あかねを助けだしたものの、この戦いで佐源太は刺殺された。そして、そこで才蔵は洞窟に弥生がいるのを見た。弥生こそ裏切りの張本人だったのだ。間もなく家康は病死した。才蔵に恋心をよせるあかねはこれを機に才蔵が忍者の世界から抜けだすことを願った。しかし才蔵はこれを拒み、大十郎と勝負を決すべく、箱根に向った。見事才蔵は大十郎の秘術を破り、大十郎を倒した。が才蔵にはまだしなければならない仕事があった。秀忠を討つのだ。一人馬を駆る才蔵の後姿には忍者の厳しさと、孤独が色濃くにじみでていた。