地獄門

劇場公開日:

解説

イーストマン・カラーによる大映第一回総天然色映画で製作は永田雅一、菊池寛の原作「袈裟の良人」を「大仏開眼」の衣笠貞之助が脚色し、監督している。撮影は「浅間の鴉」の杉山公平、音楽監督を「続思春期」の芥川也寸志、美術監督を伊藤熹朔がそれぞれ担当している。出演者は「花の喧嘩状」の長谷川一夫、「あにいもうと(1953)」の京マチ子、「砂絵呪縛(1953)」の黒川弥太郎、香川良介、小柴幹治、「夕立勘五郎」の石黒達也、「南十字星は偽らず」の千田是也、「薔薇と拳銃」の田崎潤など。

1953年製作/89分/日本
原題または英題:Hell's Gate/The Gate of Gate
劇場公開日:1953年10月31日

あらすじ

平清盛の厳島詣の留守を狙って起された平康の乱で、焼討をうけた御所から、平康忠は上皇と御妹上西門院を救うため身替りを立てて敵を欺いた。院の身替り袈裟の車を譲る遠藤武者盛遠は、敵をけちらして彼女を彼の兄盛忠の家に届けたが、袈裟の美しさに心を奪われた。清盛派の権臣の首が法性寺の山門地獄門に飾られ、盛遠は重囲を突破して厳島に急行した。かくて都に攻入った平氏は一挙に源氏を破って乱は治った。袈裟に再会した盛遠は益々心をひかれ、論功行賞に際して清盛が望み通りの賞を与えると言った時、速座に袈裟を乞うたが彼女は御所の侍渡辺渡の妻だった。然しあくまで彼女を忘れえない煩悩に苦しむ盛遠は、加茂の競べ馬で渡に勝ったが、祝宴の席で場所柄を忘て渡に真剣勝負を挑み、清盛の、不興を買った。狂気のようになった彼は刀をもって袈裟と叔母の左和を脅かす。従わねば渡の命が無いと知った袈裟は、夫渡を殺してくれと偽り、自らその身替りとなって命を失った。数日後、頭を丸め僧衣をまとった盛遠は、都を離れて苦悩の旅に出て行く。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第27回 アカデミー賞(1955年)

受賞

衣装デザイン賞(カラー) 和田三造
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映画レビュー

4.5日本の美意識の全貌を初めて世界に広めたといって過言ではないと思います 日本映画にとり大きな意義のある作品だと思います

2025年5月11日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

地獄門

羅生門は、ご存知1950年に黒澤明監督が大映で撮った作品
翌1951年にヴェネツィア国際映画祭金獅子賞と1952年のアカデミー賞名誉賞受賞
どちらも日本映画初でした
以後国際映画祭から日本映画への出品要請や海外からの日本映画への買い付け要請が相次ぐようになります
それを受けて、海外で受けそうな日本映画の製作がおこなわれます

大映では2作あります
そのひとつ雨月物語は1953年3月の溝口健二監督の作品
ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞しました
但し、金獅子賞は該当無しだったので実質的にはグランプリです

もう一つが本作です
雨月物語と同じ年1953年10月の作品
第7回カンヌ国際映画グランプリ受賞

つまり、
日本映画は羅生門、雨月物語、地獄門(本作)と連続して世界最高峰の映画賞を受賞していたのです

羅生門と雨月物語は白黒映画でした
本作はカラー作品です
日本最初のカラー映画は1951年3月公開の「カルメン故郷に帰る」本作は、半年遅れほどですが、最も初期のカラー映画といえます
しかし本作は単にカラーで撮った作品ではありません
羅生門は日本映画の映画技術の高さを世界に知らしめました
雨月物語は、日本の美意識とはどういうものかを、白黒映画の特性を最大限に活かして知らしめました
本作では、日本の美意識とは何かを今度はカラーでも知らしめるのだという野心をもって撮られているのです
イーストマンカラーフイルムを導入したからそれが達成できるかというとそうではありません
そこでタイトルロールのスタッフの最初の方にある色彩指導という見慣れぬ係に和田三造という名前に注目しなければなりません
その名前に心当たりがある人は美術に関心のある人かと思います
明治生まれの日本の洋画家です
和田三造の名を知らなくとも、その代表作「南風(なんぷう)」は誰でもご存知のはずです

上着を頭に掛け遠くを見据える
日本人離れをした筋肉隆々の体つきの男性が中央に立つ絵画
ほら、美術の教科書に載っているあの絵です
明治期の日本を代表する絵画です

1907年(明治40年)、第1回文部省美術展覧会(文展)で2等賞(最高賞)を受賞し、2018年には、重要文化財に指定されています
東京国立近代美術館所蔵されていて昨年念願叶って観ることができました

彼は、単なる画家で終わらず装飾工芸や色彩研究にも力を入れ1920年(大正9年)、染色芸術研究所、1925年(大正14年)、日本染色工芸協会をそれぞれ設立しています
だから洋画家であっても、日本の色彩の研究もされていた人物です
その彼が本作で色彩デザインと衣裳デザインを担当したわけです
撮影監督や美術、衣装担当任せでなくこのような色彩芸術の専門家に委ねたことが本作の最大の成功だったとおもいます
様々な色彩が画面に展開されます
西洋とは違うカラーチャートに基づいて色彩設計がなされたのでしょう
同じ緑色や紺色でも微妙に異なってこだわっているのが伝わります
漫然と撮ってはああはならないでしょう
本作はその甲斐あって
アカデミー賞では衣裳デザイン賞を受賞しました

海外の人々は、羅生門では野外撮影が主体でしたし、焼け落ちた廃墟の黒々とした羅生門の映像、雨月物語では湖上を進む幽玄の世界の水墨画のような映像であり、日本建築の美意識は伝わっても色彩や着物の美しさは伝わっていないのです
当時の世界で日本の美意識の全貌を知る人は殆どいなかったと思います
そこに本作が日本の美意識の全貌を初めて世界に広めたといって過言ではないと思います
日本映画にとり大きな意義のある作品だと思います

インバウンド観光客が押し寄せる21世紀の日本
日本の美意識、色彩を海外の人々はまだ求めている証拠だと思います
映画が果たすべき役割は終わっていないのです

蛇足
地獄門とは?
平治の乱の4年前の保元の乱の際に大勢の討ち取られた武者の首が下げられた法起寺(ほっしょうじ)の山門のことです
でも本当は袈裟(けさ)と盛遠(もりとお)がばったりそこで再会したそのこと自体のことです
それが地獄への入口だったということです
法起寺はその後衰微していまでは民家のように小さなお寺として京阪東福寺駅そばに今はあるそうです、山門ももはや有りません

あと恋塚寺いうお寺さんが名神高速の京都南インター近くにあります
そこに袈裟の首塚があるそうです
なんでもその後盛遠は、己の非道を恥じて出家して文覚上人となり
、彼女の菩提を弔うために墓を設けて一宇を建てたのがこの寺の起こりだそうです
。境内には袈裟御前の首塚があり、本堂には文覚、袈裟、渡の三体の木像が安置されているそうです
茅葺の山門もあるそうです

もう一つ恋塚浄禅寺というお寺さんも近くにあるそうですがこちらには恋塚は有りますが山門は無いようです

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あき240

3.0綺麗

2025年2月6日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

単純

ネタバレ! クリックして本文を読む
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kossy

4.5映画終活シリーズ

2025年1月5日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

単純

1953年度作品
アカデミー賞最優秀外国映画賞2部門受賞
カンヌ映画祭グランプリ獲得
この時代では貴重なカラー作品
黒澤作品にも通じる日本独特の色彩美
70年前の作品だが素直におもしろかった

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あきちゃん

3.5【邦画の哀愁漂う独自の美意識を世界に発信した作品。袈裟御前の悲恋を鮮やかな色彩に乗せて描いた日本映画の魅力を世界に知らしめた逸品でもある。】

2024年4月8日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

知的

難しい

■ナント、70年以上も前の作品である。それが、総天然色になると(この言葉も相当に古い。)見応える作品になり、当時の海外の方々のベールに包まれた日本の魅力を伝えた作品である。

■平清盛の留守を狙い起こされた平康の乱から上皇とその妹を逃すため、平康忠は身代わりの袈裟(京マチ子)を乗せた車を遠藤盛遠に守らせて敵を欺く。
 その時袈裟の美しさに心を奪われた盛遠は、戦いの後に清盛に望みを聞かれて袈裟を乞う。
 だが既に袈裟は人の妻だった。

◆感想

・「羅生門」を筆頭にした、当時の京マチ子サンの美しさは、筆舌に尽くしがたい。
ー アンナ、美しい人妻を見たら、長谷川一夫が演じた遠藤盛遠でなくとも、それは惹かれるであろう。-

・袈裟御前を演じた京マチ子サンが自ら、夫の身代わりとなって切られるシーンなどは
今では予想通りであるが、当時は斬新だったのであろうな。

<今作は、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した作品だそうであるが、正に当時の海外の方が抱いていた謎の東洋の国、”ジャパン”を具現化している作品である。
 海外の方に取ってみれば魅力的にしか見えない平安時代の衣装も、驚きの対象であっただろう作品である。>

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NOBU