「高度経済成長期の家族が透けて見えた」秋刀魚の味(1962) parsifalさんの映画レビュー(感想・評価)
高度経済成長期の家族が透けて見えた
「秋刀魚の味」は初視聴。1962年の作品ということで、高度経済成長で日本が豊かになり、核家族が増えて家族関係も変わっていく時代かと。平山(笠智衆)を中心として、サラーリーマン勤めの同僚との関係、夜のお付き合い、家に同僚を招いての飲み会、女性社員との会話などが、過去の作品との違いか。そういえば、自分の父親もそんな感じだったなあと思い至った。冒頭、白と赤の工場の煙突から始まるのだが、この時代を象徴していた。
平山が妻を亡くした経緯は描かれないが、平山が駆逐艦の館長で戦地に行っていたことで、妻は子どもたちと疎開して苦労したのだろう。長女の路子は、早くから家を切り盛りしてきたせいか、気丈でしっかりしていてキツイくらい。アパート暮らしの兄は、安月給なのか妻に財布をしっかり握られ恐妻家。数年後の路子の生活なのかもしれない。女性の地位が上がってきた頃なのか、女性がはっきりとしていて、飲み屋の女店員さんの服装も変わっていく様子が見られた。そして、男のために女が犠牲になる必要はないっていうのも、この時代あたりから始まっているのではないだろうか。
平山が娘を送り出して、トリスバーに寄って妻の名残が見える女性を見つめ、軍艦マーチを聴いている様子は、妻がいた頃の若かりし頃を思い出し、その妻の代わりを娘に投影して、務めさせていたことに思い至ったいたのであろう。娘に頼れなくなって、改めて妻に立ち返ってというところか。しかし、平山のようなタイプは、若い妻をもらうタイプではなさそう。
とかく男は、妻やら娘など、家に女の人がいないとダメっていうテーマ性を感じた。戦争が終わって男尊女卑を喧伝していた軍国主義が終わって、曇りない目で見てみたら、家族にとっては女性の存在が大きいっていうのを映し出しているみたい。男が威張り散らしていただけの古き時代は終焉したのだ。そこから、現在に向けて男も家事やら育児を手伝うように変貌していくけれど、それはもっと後のお話か。
小津作品は、セリフが短く、表情の変化は少なめ、ドラマチックな展開、誇張やデフォルメ等がなく、淡々として硬質な感じで、あまり修辞がないセリフを枠に嵌めていくような趣がある。それ故に、様々な解釈が可能になるような味わいを生み出すのかもしれない。