「サンマはいいだろう。 しかし、亡き妻の遺影・仏壇が結局一度も出てこないことの拭えない違和感」秋刀魚の味(1962) きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
サンマはいいだろう。 しかし、亡き妻の遺影・仏壇が結局一度も出てこないことの拭えない違和感
敵を作らない人畜無害な男=笠智衆。
上映当時の小津監督や世の男性はこういう男に魅力を感じたのだろうか?
何も起こらない小津映画の典型として、宇宙人の映画でも見るような気分でこの「秋刀魚の味」を観、
ちょっとため息をついてしまった。
笠智衆にとっては、彼にとっての「改革」といえば、敗戦後の無気力さから立ち直ることも出来ずに、フラフラと今夜も岸田今日子のトリスバーに通うことだけなのか。
あの ひょうたん先生の東野英治郎が、小汚い中華料理店の主人として灰塵から再出発し、かつての戦艦の乗組員加藤大介は自動車修理工として笑顔で油にまみれ、
息子佐田啓二は恐妻家でありつつも共働きの妻の帰りを待って、エプロンをかけて台所で甲斐甲斐しくおかずを作り、
次男は早起きして老父のために朝食の準備をするというのに。
すべてにおいて暖簾に腕押しの笠智衆。
鴨居には仏像の額がかかっていて、悟りを開いているのか、あるいは死んでいるのか。この男は。
小津安二郎は、
独特の撮影技法や台詞の言い回し、そして無言のシーンや静物に多くを語らせる ユニークな作風の監督なのだが、
あまりたくさん観るとこちらまで無気力な痴ほう状態になりそうで、そら恐ろしいのだ。
これが集大成にして最後の作品というから、なおさら小津安二郎の精神状態には懸念を覚える。
ベトナム帰還兵のPTSD様のものが、もしやかつての海軍の平山艦長にはあったのではないかと、
それはもちろんまったく触れられてはいないし、こちらの読み込みが過ぎるかも知れないが、「戦争ブラブラ病の患者」の末路の様相を、静かに見つめて描いているのだとすれば
これはひとつの反戦映画ではある。
軍艦マーチは執拗に流れ、泥酔した平山の口からもそれはこぼれ漏れる。
そして、
表題にも書いたのだが、
娘路子の婚期にこだわっているのか、関心が薄いのか。
また、平山の亡き妻は彼の中に生きているのか不在なのか、
「失敬するよ」とすぐに人前からいなくなる平山の、人間関係の希薄さ。そこに彼の風貌も加わり、いささか不可解で、不気味で、オカルトなものを感じてしまった。
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追記
他の方のレビューで知りました。小津安二郎は生涯独身であったとのこと。
家庭を描いているふうでありながら、家庭人のようには見えない笠智衆という人物が、実は「小津の生立ちの自己投影」を担っているのかなァ・・と思うに至りました。
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【おまけ】
しおらしく父親の言いなりになって嫁に出された長女路子ちゃん=岩下志麻 (当時21歳)。
あの岩下志麻が嫁いだ先でのちに「極道の妻」に変身しちゃうとは誰が予想をしただろうか(笑)
芸人の清水ミチコが、ほんの数秒の短い形態模写をやっているので、ご興味のある方はどうぞ
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清水ミチコ映画『極道の妻たち』の岩下志麻の凄い電話の出かた