座頭市と用心棒のレビュー・感想・評価
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大映と東宝の大スター対決に岡本喜八を注入したキメラ作
大映の看板シリーズだった「座頭市」の20作目は、なんと東宝が誇る「用心棒」との対決もの!って、三船敏郎はちょっとゲスト出演するくらいのつもりだったらしいが、気がつけばガッツリW主演状態。出で立ちやキャラはほぼ桑畑三十郎や椿三十郎と変わらない、設定とかを考えれば、一応は別人と考えたほうがよい。
正直いって、「座頭市」シリーズとしても、「用心棒」シリーズの系列としてもかなりの異色作だろう。岡本喜八の念頭にはジョン・ヒューストンの『黄金』があったようだが、金に目がくらんだ面々のみっともない奪い合いに座頭市も用心棒も参戦し、さらには岸田森演じる謎の浪人が3人目の主人公レベルで目立ちまくり、勢力図は入り組んでややこしい。
しかし、二大怪獣対決みたいな看板さえあれば、シリーズの伝統とかシランガナとばかりに枠をはみ出しまくる破天荒なパワーがあって、しかも撮影は天才・宮川一夫。娯楽映画ってこれくらいムチャクチャでいいですよね!とクビがもげるほど頷きたくなる快作にして怪作。
1970年封切
内容は、タイトルのまま、二大娯楽作キャラクターをフツーに知る人(つまりコアでゲージツ的な批評家ファンは除く)が想像する通りの展開です。
寧ろ夫々の特徴がクドく描かれていて食傷するほどの雰囲気、見終わってこれがたった79分ものと知って驚きました。21世紀の‘洗練された’?我々日本人が鑑賞すると、濃いというかしつこいというか‥
でも無法村が舞台の如くいかにも粗っぽい作り、訳がわからん呑みっぱなしの用心棒の先生、それ以上に突然キレたりスベったり、かつそのアンマ術が全然気持ち良くなさそうな座頭市、明らかに厚白塗りに見えて怪しい追加浪人‥ 不思議な背景・設定・わざとらしいのに先が読めない展開というちょっと“サイケデリック(死語)”な味の映画でした。
これ、様々な意味でタイトルに書いた“1970”を表象した商業的流行娯楽映像・大時代スター出演物語ではないかとハタと思いつきました。つまり、コアでゲージツ的に解釈すると、
「“前期昭和的文化価値が消えつつあるなか、戦後の荒廃から嵐のような乱雑な復興を遂げた社会で、戦後的大衆+ウェスタンでサイケ(再び死語)な文化価値の乱流+不況や近づく孤独社会の影”を、黄金(実は作中でもあまり意味ない)と人と欲の対立を主軸に当代のスターとなった二大キャラクターの共演ならぬ競演でやっとこさ娯楽作に仕立て上げた時代劇っぽい物語」かなと。1970年て、私はほぼ知りませんがそんな世相ではなかったかと。
うーん自分で書いていてだんだん訳がわからなくなってきましたスミマソン。まあなんか丁寧作ってなくて荒れた印象なんですが、勝新と世界のミフネを岡本喜八が監督したら(当世的に)もの凄い娯楽チャンバラになりました(→座頭市シリーズ最大ヒット)、21世紀の今日はじめて見た私も異存ございません、ということです。
食い合わせ?消化不良?! 贅沢過ぎ、盛り込み過ぎの食あたり気味超大作
西部劇に翻案された『荒野の用心棒』(1964)が国際的に大ヒットしたほか、世界中の映像作家や作品に影響を与えた日本映画のマスターピース『用心棒』(1961)。主演は言わずもがなの世界のミフネこと三船敏郎。
かたやカツシンこと勝新太郎主演の代表作『座頭市』シリーズ。こちらの世界的認知度も『用心棒』に負けず劣らずで、特に発展途上の抑圧的政治体制下の民衆からは熱烈に支持された。
本作はカツシンの念願かない、東宝からミフネを借り受けるかたちでピカレスク・ヒーロー同士の対決が実現した勝プロ製作の時代劇超大作。『座頭市』シリーズ中、最高の興行成績をうち立てた作品。
久しぶりに頭を剃り上げたことも含め、原点回帰なのか、シリーズが進むにつれ健常者のように動き回れた市は本作では階段の上り下りにも四苦八苦。しかし居合(抜刀術)の腕は相変わらずで、序盤に愛刀を折るものの、にせ座頭(実は隠密)から引き継いだ特製の仕込み杖も難なく使いこなす。
その一方で、女子供に優しく義理人情に流され易い前作までの設定は薄まり、デカダンで個人主義の人物像に描かれ、無声映画の悪役みたいなメイクまで施されている。
三船演じる用心棒・佐々(多分、酒の女房詞「ささ」と掛けている)も黒澤作品のような堂々たる風格はなく、序盤は金に意地汚い吞んだくれの素浪人として登場。
「どうせ凄腕なんでしょ」という期待をよそに、なかなか本領を発揮しない。
主役二人の夢の競演だけで充分豪華なこの作品、彼ら以外に当時の名優が贅沢なまでに散りばめられていることにも注目。
村落のかつての長老・兵六役は元祖チャンバラ俳優のひとり嵐勘寿郎。年齢に関係なくアラカンと呼ばれていた。
新劇出身俳優きっての演技派・滝沢修が演じる烏帽子屋弥助の息子でやくざの親分政五郎役は彼の愛弟子、米倉斉加年。
後年、とぼけた人情味ある役柄が多くなる彼が、本作では眉を落としてこわもての悪役を熱演している。
本作のヒロイン、というより紅一点の梅乃役は大映のスター女優若尾文子。
怪しげな殺し屋九頭竜(正体は隠密・跡部九内)を演じたのは怪しい役が圧倒的に多かった岸田森。岡本喜八監督作品の常連で、TVシリーズ『怪奇大作戦』(1968~)など代表作も多いが、1982年に43歳の若さで他界。もっと活躍して欲しかった個性派俳優。
岸田の盟友で吞み友達の草野大悟はヒゲがトレードマークで時代劇、現代ドラマ双方で活躍した名バイプレーヤー。本作でも番太の藤三をコミカルに好演しているが、この人も51歳で早死にした惜しまれる才能。
二人とも酒飲み過ぎだよ…。
八州廻り同心脇屋陣三郎役の神山繁はTVの『ザ・ガードマン』(1965~)の出演で人気を博したが、今回は悪役。
というか、出てくる奴らみんなワルかワルワルばかり。
父の弥助を手に掛ける彼の愛息子三右衛門を演じた細川俊之はTV・映画・舞台に加え、低音の美声を活かして歌手や声優としても活躍。彼にも、もうちょっと長生きして欲しかった(70歳没)。
作品中、例外的に善人なのが約二名。
市を「先生」と慕い、体を張って梅乃を守ろうとする若いチンピラ余吾役は寺田農。彼も『肉弾』(1968)ほか岡本作品の常連で、硬軟演じ分けた実力派俳優。
鍛冶屋の留吉を演じたのは個性派の脇役、常田冨士男。のちにTVアニメ『まんが日本昔ばなし』(1975~)で市原悦子とともに永らく声を担当した人。
村を牛耳る二つの勢力をよそ者がまとめて片づけるというプロットは『用心棒』とほぼ同じ。
クライマックスでの座頭市と用心棒の対決が引き分けに終わるのには拍子抜けするが、予想できたというか、やむを得ない大人の事情。
大映と東宝、どちらの顔も立てないといけないしね。
脚本(脚色)も兼ねた東宝出身の岡本喜八監督は、『座頭市』の原作やシリーズ一作目に配慮しながら(佐々が酒乱気味なのは、平手造酒を意識しているから)、黒澤大先輩から預かった『用心棒』にも目配りしつつ、当時ブームだったマカロニ・ウエスタンの影響も反映した、少々盛り込み過ぎの映画に仕上げているが、幅広い作風で知られる監督のサービス精神が今回は裏目に出たのか、作品の輪郭も焦点もぼやけた印象。ほぼ皆殺しなのに、『用心棒』『座頭市』シリーズ、両者に感じた剣戟の凄味が見当たらない。
東宝からの三船貸し出しの条件が岡本監督との抱き合わせ、なんてことはなかったとは思うが、ともに『座頭市』シリーズにも深く関わり、TVシリーズ『必殺仕掛人』(1972~)でもシャープで乾いた演出を見せた三隅研二や、所属会社の枠を越えて黒澤明監督と交友があった森一生ら、大映組の監督がメガホンを執っていたらと想像すると、ちょっと残念。
BS日テレにて視聴。
【座頭市の腰を低くし刀を腰の後ろに構える不動の居合スタイルと、用心棒の大剣で面を狙い、小剣で突きを狙う王道スタイルがぶつかる剣劇。若尾文子さんの美しさが華を添える作品。】
ー 勝新太郎と三船敏郎と言う当時の二大スターが夢の対決を果たした剣劇。-
◆感想
・座頭市シリーズは、一作位見ていたかと思ったが、鑑賞記録を観ると一切ない。けれど座頭市の腰を低くし刀を腰の後ろに構える不動のスタイルは、知っている。何故かなあ。
マア、年代的に生まれていないのだから、後年どこかで刷り込まれたのであろう。
・それにしても、勝新太郎と三船敏郎の剣を操るスピードには恐れ入る。VFXが無い時代だから、修練の賜物なのかな、と思う。
・物語もナカナカ凝っていて、ストーリー展開は読めるのだが(二人とも、大スターだから相打ちかなあ、と思っていたらそのとうりだった。)それでも面白いのである。
・この作品に華を添えているのは、矢張り梅乃を演じた若尾文子さんの、気の強い姿である。私が見た若尾文子さんの役柄は、皆気が強い女性である。
そして、大スターが死去しても若尾さんは現代でも存命である。
<今作が面白かったので、(と言うか、資料を見ると今作は座頭市シリーズ一のヒットだそうである。
だが、どーも座頭市シリーズの中にはもっと面白い作品がある気がする。
時間がある時に探してみようと、たった今、決断した。(大袈裟。)
それにしても、昭和の映画って令和の時代に観ると結構リアルに残虐なシーンが多い気がする。実際の事件も残虐なモノが有ったみたいだし・・。>
これみようがしに差別用語を使う。今の人達はそれを知らない。無知の知だ。
『俺はもう飽き飽きした。ヘドがてる。あとは任せた』用心棒の言葉だが、見ているこっちが言いたい。
人物設定がこの演出家のオリジナルでは無い。
座頭市としては短編になる。7分くらいの映画。鑑賞者を暴騰している。
誇大広告と言える。
役者を食わせる為には仕方ないが、嘘でもかたをつけなければならない。何を忖度しているのだ。
次の演出家の為にかたは次回のお楽しみなのだろうが、もう、二人ともこの世にはいない。
いゃ、演出家さえいない。もっとも、この演出家も過大評価されていると想うが。
日本の演出家は徒弟制度の様なものはあったが、会社組織だったので、先ずは学歴って言う事が邪魔をしている。つまり、職人の様な演出家は多いが、真の芸術家がいない。
ある程度歳を重ねた方は、差別用語を使う事に嫌悪感を持つべきだと思う。
レビュー書くからには気を付けている。
ライバル対決
2023年4月15日
映画 #座頭市と用心棒 (1970年)
#勝新太郎 の代表作の #座頭市 に #三船敏郎 の代表作の #用心棒 を対決
仮面ライダーとウルトラマンが対決したような
古畑任三郎とHEROの久利生公平が対決するような
コナンとしんちゃんとドラえもんが対決するような
そんな感じなのかな?
スターの火花
1970年、もはやカラーテレビの時代。映画が斜陽になりつつある時代。でも、勝新と世界の三船はやっぱりスクリーンでしか見られない頃かな。もっと緩い共演だと思ったら予想以上の真剣勝負。二大スターの持ち味、剛の三船、柔の勝新。それだけで楽しめる。
導入部の町への登場シーンは、クロサワへのリスペクトか。大通り、通行人なし、怯え顔で窓を閉める住民。マカロニウェスタンでも使われたシーンは岡本喜八も。侵入者への恐れ、もはや定番かもしれない。
さすがに50年。名優が勢ぞろいで、ネームバリューはすごい。だけど、現役は寺田農ぐらいかなあ。二大スターの間の若尾文子良いねえ。
最後の決闘シーンは気の抜けた演出で一杯食わされた感
「用心棒」、「椿三十郎」、「座頭市と用心棒」、「待ち伏せ」という「用心棒四部作」を半世紀ぶりにいっきに見直してみた。が公開当時に感じたと同様、この作品、二度と見たくないという感想であった。本作は座頭市シリーズ最大のヒットを記録したが、やはり「用心棒」の看板は観客を呼ぶには大きいものだった。対戦物は、ゴジラ、モスラ、エイリアン、プレデター等集客のための格好の企画であり、当時も、「座頭市と用心棒」という題名だけでときめいた思い出がある。しかし、この作品、看板倒れの凡作と言わざるを得ない。「椿三十郎」(1962年)の仲代達也並みに用心棒が斬られなければ座頭市シリーズのお約束が達成されない。この腑抜けたような決闘と結末では観客が納得しないのは当たり前で、脚本の段階から観客を騙しているとの誹りは免れえない。まさか、三船敏郎、「待ち伏せ」(1970年)が控えているから死ねなかったわけでもあるまい。この結末に至るまでのストーリー展開も平凡で115分は長すぎた。何よりも、用心棒がいつの間にか名前もあり士官してアル中の隠密になっているという設定がいただけないし、座頭市の汚らしい身なり風体も見るに堪えない。脚本・監督の岡本喜八のアイデアなのか、製作者勝新太郎のアイデアなのかは知らないが、第一作の「座頭市物語」(1962年)のような設定ではどうしてダメだったのだろうか。座頭市シリーズなのだから、マンネリを逆手にとって、天知茂の平手造酒を模しても何ら問題はないはずなのだ。観客が見たいのは、最後の決闘シーンなのであって、変にこねくり回したストーリー展開などは必要ないのだ。それなのに、最後の決闘シーンは気の抜けた演出で一杯食わされた感で腹立たたしい限りなのだ。名匠三隅研次が作った座頭市映画の世界観は19作目まではそれなりに維持されていたが、この20作目では勝プロ制作ということで力みすぎたのではあるまいか。救いは、若尾文子、嵐寛寿郎、寺田農らが見られることと伊福部昭の音楽を楽しめることくらいか。
大物俳優豪華な顔合わせ
勝新太郎と三船敏郎と言う大物俳優豪華な顔合わせで楽しめたね。座頭市をどめくらと呼び、化け物と呼ぶ。まあ二百両の市の腕を見込んでの事なのだろう。滝沢修、若尾文子もからんでそこそこ面白かったよ。
相乗効果か?相殺か?
市と用心棒。結論から言うと、対決して欲しくなかったと言うのが本音。
究極の遣い手同士の対決は一瞬で終わってしまうが、やはり市は危機に陥ってはいけないし、用心棒に負けの可能性があってはいけない。市がやられるとしたら、(時代は後ですが)テレビシリーズの隠密=井川比佐志だけで良いのではないか、と勝手に思ってます。用心棒が実は公儀隠密というのもちょっといらなかったかな。
勝新と三船のカッコ良さは共に際立っているだけに、一つにまとめたり、両立させるのが困難と感じます。
勝新としてはシンプルに、あの用心棒と市を対決させたい、との活動屋の心意気が出たのでしょう。
二大スターの激突、バケモノ対ケダモノ!
政五郎と烏帽子屋弥助との対立構造は、実は親子の対立でもあった。一方はヤクザ、他方は生糸問屋を営む一見堅気の老人であるが、実はもう一人の息子(細川俊之)が小判を作る大蔵省?で目方をごまかし、6万両分の金を得ていて、それを父である弥助の元へ少しずつ届けていたのだ。
悪い奴ばかり。市が里を訪れたのは、地獄のような毎日から安らぎを求め、そよ風、せせらぎ、梅の匂いを懐かしんだためだった。ところがどっこい、3年の間に静かな里は生糸問屋と息子のヤクザが住みついてしまった。市にとっても手を引いてくれた想い出のある梅乃(若尾)も借金を背負い、誰とでも寝る女にすっかり変わってしまった。その梅乃に惚れている小仏側の用心棒佐々(三船)。最初から市とにらみ合うかと思いきや、ちょいと手合せしただけで、中盤からは金のありかを探るために手を組んでしまうのだ。
もう一人の凄腕の殺し屋、九頭竜(岸田森)もやってくるが、実は彼は金の不正をただす隠密だった。誰が“悪”なんだ?と考えるにつけ、結局、目の前にある金によって、人は変わってしまうということだ。この九頭竜にしてもそうだし、生糸問屋側は皆そう。米倉斉加年なんてのはヤクザの親分といった威厳もなかったし、単なる親の金をせしめたかった道楽息子にしかすぎないようにもとれる。市と用心棒との対立構図は一見、金に目がくらむといった雰囲気ではなかったが、最後にそれを皮肉った場面もあった。
最初に仕込み刀を折ってしまった市であるが、鍛冶屋(常田富士男)が直してくれたのか?ちょっとわからなかった。また、二大スターであることの配慮のためか、決闘してお互い傷だらけになるものの、二人は死なない。若尾文子だって生きていた。この、みんな金によって悪党になっていくシニカルな設定はいいんだけど、ちょっと残念・・・
結果は勿論…
鳴門市で開かれた映画会の一本として上映しに行っていました。
「差別的な台詞もありますが当時のまま上映します。」と挨拶してから始めていました。
単独で主演作のあるキャラクター同士の対決なので勿論引き分け…痛み分けに終わりますが、外連味たっぷりの内容です。
三船にどめくら!と放送NGワードを連発させる監督に驚きでした。
本家の重み
北野武の座頭市は見たけど、勝新の座頭市は見たことなかった。勝新といえば、中村玉緒、そしてパンツ。あまり役者としての姿が記憶にない。ごめんなさい。けっこう良かったです。やはり本家はすごい。
三船敏郎かっこいい。選択肢は二つ。斬るか斬らないか。若尾文子きれいだけど、あまりヒロインという感じがしない。これが耐える女だったり、弱い女だったりすると、もっと活きたような気がする。
出演者がやたら多くて、金の謎も大がかりにしたので、後半の流れは早かった。座頭市と用心棒が、ひとつの画面に収まっている、そこが見られればいいでしょ、的な映画だった。
BS日テレで鑑賞。
企画は大味ですが、構えは大作です 岡本喜八監督もそこを分かっての上、プロフェッショナルに娯楽作品を作り上げています
座頭市シリーズ、8年目、第20作
こりゃあおもしろい!
マジでエイリアンvsプレデター
いや考えてみれば
大映の座頭市 vs 東宝の用心棒
これ怪獣映画ならどうでしょう
ガメラ対ゴジラなんです!
どっちが主人公だかわかりゃしないほど三船敏郎がフューチャーされています
用心棒そのものです
見方かえると座頭市がゲストみたいです
その他に、若尾文子、嵐寛寿郎、滝沢修、岸田森
、細川俊之、米倉斉加年、神山繁、寺田農、常田富士男
とまあ大変に豪華主演です
まあ若尾文子は使い方良くなかったです
彼女を活かす脚本なら凄いことになったとは思います
カメラは用心棒を撮った宮川一夫
その時は白黒、本作はカラーです
用心棒がカラー作品だったなら?という妄想に応えてくれる映像をとっています
音楽は伊福部昭
印象にのこる旋律はないものの劇伴としては映像に大変マッチしています
勝新太郎の座頭市は第一作みたいに坊主頭に青々と剃りまで入れて気合いはいってます
お話は座頭市第一作と用心棒をかき混ぜて、ちょいと調味料を振ったような感じ
企画は大味ですが、構えは大作です
岡本喜八監督もそこを分かっての上、プロフェッショナルに娯楽作品を作り上げています
うっすらと岡本喜八監督らしい喜劇の味つけをしているのがミソ
あんまり真面目に観ちゃあ駄目ですよ、旦那って聞こえてきそうな作品です
それでも終盤の九頭竜との闘いは見ものです
お気楽に肩肘張らずに見ましょう
ラストシーンは、何かに似てるとやっとこさ思いだしたら、これジョン・ヒューストン監督の「黄金」のオマージュでした
そのまんまやん!
映画の歴史には残らないし、意義なんてものもないけど、おもしろい映画は有るんです!
本作はそれを教えてくれます
黒澤明監督もこの時期は巨匠に祭り上げられすぎました
こんな娯楽作品を作って息抜きしても良かったのだと思います
その方が70年代にもっと活躍できたのではないでしょうか?
勝が構えた!三船が抜いた!スター頂上決戦!!
座頭市シリーズ第20作。
DVDで2回目の鑑賞。
勝新太郎と三船敏郎…二大スター豪華共演! ただ一緒に出ているわけじゃない。両者の当たり役―座頭市と用心棒の共演だから堪らん。バケモノ・ケダモノと呼び合うのも面白い。
ふたりがそれぞれの扮装で並び立つだけで画面が引き締まるようで、夢の共演に心踊りました。凄まじいスターのオーラが迸り、両雄の顔合わせはまさに時代劇ヒーローの頂上決戦。
ストーリーは「用心棒」とほぼ同じでした。心安らぐ場所だった里を荒ませた二大勢力を、共倒れさせようと市が暗躍。そこに公儀隠密が絡んで来て少々ややこしくなりましたが、個人的にはもうひとつの追加要素の方に魅せられました。
それは、隠し金の在り処を巡って繰り広げられる、金の亡者たちの熾烈なバトル・ロワイアル。誰もが金に目が眩み、親子であっても殺し合う…。人間の欲望・エゴの底知れなさに戦慄すると共に、その儚さや切なさに胸が痛くなりました。
座頭市と用心棒の剣が交わるクライマックスに手に汗握りましたが、決着をつけるわけにはいかなかったと見え、痛み分けに終わってしまいました。スターへの忖度を度外視しても、どちらも死んで欲しく無かったのでこれはこれで良かったです。
※修正(2021/06/18)
下の上
黒澤明の用心棒と椿三十郎は上の上。
これは下の上。
意外と面白かった・・・というのが素直な感想です。
この作品の存在はず~っと前から知っていました。
これ、レンタル屋さんにないんですよね。マイナーすぎて。
かと言って買うのもなぁ・・・喜八作品は駄作も多いし・・・ってんでなが~い間、気にはなっていたものの見れずじまいで。
それが最近になって行きつけのビデオ1さんがゲットしてくれただないですか!
即、レンタルしました。
これは、喜八の一流作品でではないです。
”斬る”
より下です。
でも、十分に楽しめる、ファンには宝物となり得る作品だと思います。”斬る” と以上に黒澤作品のおもっきり出来の悪いイミテーションだということを初めから知ってさえいれば・・・。
そして、この映画で光るのはやはり三船敏郎。
主役の勝新太郎を完全に食っています。
『座頭市対用心棒』とか『キングコング対ゴジラ』とか、邦画でまたこういう豪華贅沢な映画を見たい!
シリーズ20作目。1970年の作品。
勝新=座頭市と三船敏郎=用心棒が激突!
厳密に言えば、本作での三船は黒澤作品で演じた用心棒=三十郎とは全くの別人なのだが、誰がどう見たって用心棒である。
二人の初対面シーン、挑発、やり取り、待ってました!の対決シーン!
座頭市は大映、用心棒は東宝なので、さながら“大映ガメラ対東宝ゴジラ”を見ているよう。
三船敏郎のゲスト出演が話題だが、その他も実は豪華。
監督/脚本はシリーズ初登板の岡本喜八。しっかりツボを抑えた作り。
撮影は宮川一夫、音楽は伊福部昭とシリーズ常連組。
三船以外の出演者も、若尾文子、岸田森、米倉斉加年、寺田農、神山繁、滝沢修、嵐寛寿郎…。
記念すべき20作目を飾るに相応しい“デラックス版”!
おおまかなストーリーは、敵対するやくざ一味にいる市と用心棒が出会って男惚れ。挑発し合いながらも暗黙の内に協力し合って、敵対するやくざ一味を共倒れさせる。
そして最後は市と用心棒の一騎打ちになるのだが、予想通り引き分け。
対決と言うより、“共演”か“似た者同士”かも…?
アクション、ユーモラスな人物描写、エゴ剥き出しの悪党どもや市たちのドラマ…。
岡本喜八だけあって娯楽性を詰め込み、話もそれなりに面白味はあるのだが、別に相手が用心棒でなくとも成り立つ話であり、ストーリー的には至っていつもの“THE座頭市”。
本当に“座頭市対用心棒”で支えられていた気がする。
一捻り二捻り、ユニークな味付けが欲しかったが、こういう贅沢な企画はなかなかあるもんじゃないので、理屈抜きに楽しむべき。
その為に企画された作品でもあるだろう。
邦画でこういう思い切った贅沢企画が無い。
“○○対○○、夢の対決!”のような豪華贅沢な企画がたまにあってもイイ気がする。
追記
最近、ハリウッドで『ゴジラvsコング』があったばかり。
やっぱりこういうのって、楽しいよね♪
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