西鶴一代女のレビュー・感想・評価
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モーパッサン(19世紀) これ、見ただろ
残念ながら最後まで集中して見れなかった
何しろ 17世紀の原作 だから。 現代的なストーリー構成になれすぎてる 私には退屈すぎた。 ただ17世紀の原作なのでこういうことが本当に ありえたという ある種のリアルさみたいなものは伝わってきた。それは 現代作家ではできないことだから貴重な作品だと思った
溝口作品の長周しが、実は、観客に寄り添った作風に思えて…
溝口映画は「雨月物語」「山椒大夫」「近松物語」
と観ていたが、
それ以前の作品は未鑑賞だった。
この映画は「雨月物語」の1年前に撮られた
作品だったが、私の
主演の田中絹代との出会いは
NHK大河ドラマ「樅の木は残った」の
主人公・原田甲斐の母親役だったが、
その毅然としたたたずまい
が印象に残っていた。
さて、この「西鶴…」、
当時は女性が能動的に生きることが
難しいことだったとは思うが、
彼女も受動的な選択を強いられた結果、
全てに暗転を重ねる人生に、
なかなか正視するのも辛かった。
これ程の悪いスパイラルの人生模様は、
本来は逆御都合主義的展開に感じても
不思議ではないのだが、
そこには、社会格差や上流階級の身勝手さ、
また拝金主義など、
当時の暗黒面が散りばめられ、
御都合的には感じなかった。
さて、今回の鑑賞を通じて、
溝口映画の長廻しが、
この作品により深く浸るべく、
観客の鑑賞を手助けしてくれる装置に
なっているのではないだろうか、
との気付きにつながり、
昨今の場面展開の早い作品では失われた、
観客に寄り添った作風ではなかったのか、
との想いにも至った。
それにしても、この作品の原作は、
井原西鶴の「好色一代女」ということだが、
内容は当時の社会状況に翻弄された
ある女性の一代記に過ぎず、
何をもって“好色”なのか、
現代と当時の認識の違いなのか、
または、単なる言葉の意味する違いなのか、
私には分からないままだ。
田中絹代の演技と美しさに圧倒された
田中絹代というと小柄でかわいい、というイメージが強かったのですがこの映画の彼女の堂々とした演技に感動しました。当時40代前半の彼女が10代から50代までを演じています。娘時代の彼女に違和感もなく、その時々の年齢、身分、立場、心持ちに応じた化粧、髪、着物、着付け、歩き方、話し方と声が変わらずお春になっていて見惚れました。夜鷹の田中絹代は凄みがありました。
あまりにアップダウンが激しい人生なので、今、この芝居をやったらついていけないか、笑ってしまうようなものになると思う。でも田中絹代の演技がそれをさせなかった。たまたま美しく生まれ、正直で芯がありつつ柔軟で優しい性分だっただけで辛い思いをせざるを得なかった理不尽が充分に伝わった。生き抜くしたたかさもあって、白馬の王子も機械仕掛けの神様も居そうで居なかったのがリアルだった。
出演者は絢爛豪華、それぞれの個性が生きていて笑える箇所もあって楽しかった。沢村貞子が上方の奥さんなんてなかなか見ることできないと思ったし、髪のくだりは可哀想ながら笑えた。沢村貞子の弟の加東大介も出ていたなあ。上方がメインの舞台だけあって浄瑠璃や太棹三味線の音色がお春の人生の伴走になっていた。江戸の城で、桐竹紋十郎が一人遣いであっても人形を遣う場面があって嬉しかった。演目は朝顔日記かなあ?(よくわからなかった)一目で恋に落ちた恋人同士の話で、深雪が盲目になったこともあってすれ違い、或いはわかっていても名乗れない状態。でもお嬢様の深雪は強い、髪振り乱して泳いで川を渡る!もともとお嬢様のお春も強い。どん底になっても逞しく与えられた環境で生きていく。田中絹代自身も。
名作だけど、お春さんが可哀想。
DVDも所有してあるけど4Kデジタルリマスター版の上映なので鑑賞。
ひさびさに観るとけど、田中絹代のヒロインのお春の扱いや境遇が無残で酷い話しだ!
成瀬巳喜男映画もビックリのクソ男集団に翻弄されて、大名の役付きから夜鷹にまで落ちてしまうお春さん可哀想。
東宝映画系なのでお馴染みの加東大介が、いつもの如くやらかしてお春さんをドン底に突き落とす!
若き三船敏郎の凄まじい体技を生かしたマッハ土下座から退場なども見所?
主演の田中絹代と当時結婚も考えていた溝口健二監督だか、愛する人への倒錯するサディズムを感じる。
溝口健二は、とんでもなくこだわりを発揮する人で、現場は凄く大変だったらしいです。
この辺は黒澤・小津と同じで、病的なまでのこだわりがあり、時代もなんとか受け止めてくれたから日本映画黄金期だったのかな。
確かに傑作で、4Kデジタルリマスター版は、めちゃくちゃ綺麗で70年前の映画だか、最近撮影されたかの様な画質で、江戸時代にしか見えない当時のロケや精巧で画面映えするリアルなセットを際立っている。
美術監督の手腕も芸術的。
撮影も溝口健二とはこれ一本しか組んでない人だけど、見事な画面構成と長回しの場面も素晴らしい。
他の溝口作品に比べると少しコントラストが弱い感じがするけど。
溝口健二監督の戦後作品の最高傑作。
戦前の「祇園の姉妹」に比肩する溝口健二の傑作であり、日本映画を代表する小津安二郎監督の名作「東京物語」に並ぶものです。公開当時絶賛されなかったのが私には全く理解できない。晩年の名作群が映画発祥の地フランスで高く評価されるようになってから、漸く後年日本でも正当に扱われるようになりました。私の好きな溝口作品のベストは、これに「祇園の姉妹」と「近松物語」が並び、「残菊物語」「雨月物語」「山椒大夫」と続きます。
お春が体験する人生流転の数々の逸話を歴史絵巻の如く映画に織り込んだ重厚な脚本が素晴らしい。様々な男たちに翻弄され、不運な境遇に打ちのめされても、しぶとくしたたかに生きるお春。時代や社会の制約があるとは言え、そこに男と女の凝縮された形と姿が象徴的に描かれている。その経験をともにした男たちを羅漢堂に並ぶ仏像に比喩して懐かしむ女の凄さ。江戸松平家のお部屋様から夜鷹までを全身全霊で演じる田中絹代の渾身の名演が圧巻です。そして、冷徹に突き放し見詰める溝口監督のリアリズム演出がすべてを纏め上げます。女性崇拝の普遍性に到達した溝口監督の力的傑作。
どうせ世の中、何をしたって同じことや
冒頭、バケモノ女の三人が出てきて、思い出を語る。
その、お春。ジェットコースターのような流転の人生。落ちっぱなしならヤサグレてすむが、なまじ陽の目も見た分、儚い人生の落差が激しく、波乱万丈。
蓮如上人の御文章を引き合いに、「朝の紅顔、夕べには白骨と化すと申しますなあ」の台詞はまさにお春の人生を物語っている。
しかしこの映画を作成した時代、まだ江戸の風情を残したロケ地がいくらもあった。朽ち果てた築地塀。広々とし、なお閑散とした参道。遠くまで建物のない広い空。使い込んだ家屋と古く踏み固められた土間。そして彦根天寧寺の羅漢堂。、、、。その映像だけでも見惚れてしまう。
また、ワンカットごとの切り方が、舞台転換を味わっているようで、現代においてむしろ趣き深い。
明らかに世界的な映画遺産です
強烈な映画体験でした
明らかに世界的な映画遺産です
このような長回しの手法は今では当たり前で現代の私達には驚きはしないし、うかとすると感動もなくスルーしてしまうかも知れない
けれども当時初めてこの映像を観た人々は仰天したに違いない
その後の世界中の映画界が真似をしているのがその証拠だと思います
物語のレベルの超絶的な高さは、元より井原西鶴の原作に依るものですが、それを的確に構成して映像作品にまとめあげた力もまた超絶的です
美術の素晴らしさは映画の域を遥かに超えています
隅々まで神経の通った、これもまた超絶的な美術です
カメラと照明もまた陰影のある白黒の特性を最大限に引き出した映像を美しい構図や斬新な構図で捉えています
田中絹代の演技は文句無しに日本女優のナンバーワンであることを示しています
撮影時43歳
娘から熟女、そして老女を演じわけるだけではありません
堕ちる所まで堕ちた老女の悲惨の人生をその顔で見事に表現していました
ファムファタルという言葉があります
男を破滅させる運命の女という意味です
お春という日本のファムファタルを彼女が体現してみせているのです
彼女は自己に係わる全ての男を破滅させ、自らまで破滅させたのです
お春は何も悪くないのです
罪はただ美しいだけ、愛に正直なだけなのです
女性の美は単に顔の美醜や体のスタイルだけではない、所作や言葉遣い、子供の頃から受けてきた躾や教育まで含まれることをその全存在で演じています
大昔の女性が如何に人間として扱われず悲惨な状況であったかに驚くかも知れません
しかし、それは程度の差はあれども今も大して変わることないと思えます
夜の街でガールズバーにしつこく誘う女性達の姿は今も昔も大差ありません
隣に女性がつくお店などでの様々な女性の話が思いだされます
若い娘達は確かに綺麗だけれどもその話は大抵どうでもよく詰まらないものです
が、スナックやパブなどで聞く熟女のお姉さま方の虚実わからない過去のお話には引き込まれることが多いものです
彼女達はこれからも一体どのような運命が待っているのでしょうか?
お春程のファムファタルでなければ、みなきっと小さな幸せを掴んでいると信じたいものです
もし彼女達の誰かが正真正銘のファムファタルだったらとっくに、この自分が破滅していたはずです
かなり昔、ある重役秘書の美しい女性がその職を解かれ、子会社の一般事務員となったことが身近にありました
彼女には何も問題もなく、ただ付いていた実力派重役が本社から転出したに過ぎないのです
若く美しい美貌を持ち、颯爽として様々なVIPの大量のアポイントメントを切り盛りする凛とした姿は大勢の男性陣の憧れだったのです
その彼女が小さな段ボール箱を抱えて悄然と役員室を去る後ろ姿が本作を観ていて突然思い出されました
何もできず、小さな台車を用意してあげ一緒に殺風景な業務用エレベーターで無言で降りたのでした
果たして彼女は今どうしているのでしょうか?
首を打たれた若党の勝之介のように、彼女の幸せを願わずにはいられません
流転の果てに
意外に観やすくて面白かったです。
江戸時代、数奇な人生を歩んだ女性の一代記。溝口健二監督、1952年の作品です。
美しさ故に翻弄されてゆくお春。
海外で先に評価が高かったそうですが、わかる気がします。大名家の世継ぎの生母から花魁、果ては辻に立つ娼婦と、江戸時代の風俗をイキイキと見せてくれたうえ、「羅生門(1951)」の三船敏郎も出演です。
激しさと切なさが混然とした和の楽器の音色も心にしみます。演者の居住まい、立ち姿が美しいです。
次々と理不尽に踏みつけられていくお春ですが、ささやかながら一矢報いるユーモラスな場面もあり、人間の底にある強さも感じます。
そして、流転の果ての彼女には圧倒されました、演じる田中絹代には凄みがありました。
華やかな女性を並べての殿様のお妾探しの場面はつい笑いました、失礼よね。
田中絹代が落ちぶれていく。
田中絹代の身持ちの崩れていくさまが凄まじい。善良そのものの顔をした田中が、ちょっとした間違いやタイミングの悪さが原因でどんどん身持ちを崩していく。
同じ役を若尾文子あたりがやったら、落ちぶれたところからの這い上がり方が楽しみな作品になっていただろう。観客は「落ちるところまで落ちたところを観たい」と思ったことであろう。
しかし、田中が落ちぶれていくのでは、「もうこの辺でやめておいてあげてほしい」という思いを噛み殺しながら、観客は最後まで彼女の再起を見守ろうとするのではないだろうか。
そして、最後までその望みはかなえられることもなく、男の身勝手によって、悲しい流転を繰り返す女の一生を見ることになるのだ。
転がり落ちていく女の業
仏師が精魂込めて彫りあげた仏像のように、一切の手抜き無しに作られた名作です。
少女だった頃、何か不幸な出来事があったり、悪い人間にだまされて身を持ち崩すのではないかと一抹の不安を抱いたりしたものですが、私にとってこの映画はそうなった場合を擬似体験させてくれる作品でもありました。
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