小早川家の秋のレビュー・感想・評価
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8時23分でした…
小津映画は古き良き侘び寂びの日本文化を体現しており〜みたいな言説を見かけるたびにいやいや違うだろと思う。
個人的にはもっとこう、ブラウン管から流れてきてほしいというか。だって考えてもみれば我々を生き写しにしたような素朴な人々が素朴に動いてる映画なんだからそもそも必要以上に気張る必要なんかないよな、と思う。そんなわけで本作も自宅で大笑いしながら見た。
もう本当に所作の至る所に人間の微笑ましい愚かしさが滲み出ていて、特に笑いどころでなくても顔が弛緩してしまう。孫とかくれんぼするフリをして京都まで逢瀬に出かけるジジイのせせこましさよ。そんなジジイを見つけてバンバンと銃で撃つフリをする孫も孫だ。お前『お早よう』に出てた頃からなんも変わってねーな!
ジジイが愛人の家で死んでいる(死ぬのではなく既に死んでいるというのがよすぎる)のを息子と娘が見たときの反応もいい。8時23分でした…と団扇を冷静に仰ぐ愛人も間が抜けている。
しかし本作のMVPは杉村春子演じるジジイの妹だろう。彼女は葬式の席に現れるや否や死んだジジイの不謹慎な悪口を矢継ぎ早に連発する。前に倒れた時に死んじまったらよかったんだ、と。そうかと思えば「…でも本当に死んじまったら終わりじゃないか」と不意に涙を流す。この緩急がたまらない。それにつられて長女の新珠美千代が涙を浮かべるのも素敵だ。
ジジイの破天荒な生き様と死に様を目の当たりにした次女の司葉子が「自由に生きてみたい」と言って想い人の暮らす北海道へ行くことを決め、それを長男未亡人の原節子が「私もそうするのがいいと思ってた」と鼓舞するシーンは少し切ない。既に子持ちの原節子は少しばかり胸中にわだかまっていた夢と欲求を、若々しい司葉子の決断に一切合切明け渡す決心をしたのだと思う。
ラストシーンは爽やかな秋晴れの空だというのに終始不穏なBGMが流れていて怖かった。火葬場付近の水場に集まるカラスたちも何か不吉な予示のように思えた。
近代日本の家族制度をフラットに見つめ続けた小津安二郎は、図らずしてその崩壊の予兆を作中の節々に覗かせていた。本作もまたそのような未来予想図の一つとして、しかしなおかつ優れた家族映画としてこれからも長く記憶されるべき一作であると思う。
個人評価:3.6 原節子が美しくまた優しく、なんともうっとりと眺め...
個人評価:3.6
原節子が美しくまた優しく、なんともうっとりと眺めてしまう。観音様を見る様に見てしまうのは私だけでしょうか。
小津作品ではいつも同じ様な、未亡人的な影のある役柄だが、またそれが達観しており、いっそう可憐さを増す。
最後のシーンがなんとも意味深で、それまでの家族劇としての見方が、がらりと変わるかの様だ。
暗めの小津作品
冒頭のバー、森繁久弥が若くて面白い。彼と原節子の縁談話と隠し子?の話。しかし、親戚関係が難しい(劇中でも藤木悠が言っている)。
全体を通してみると、結局は万兵衛の病気・死がメイン。造り酒屋も衰退の一途を辿っていたのも父親のだらしなさが原因かと思っていたら、死んで初めて父親の偉大さに気付く家族。夏から秋にかけての縁側と茶の間の会話が叙情的。
終りの方になって、笠智州がようやく登場し、重い葬送の音楽と火葬場の煙突が青い空と妙なアンバランスで訴えてくる。最後だけ見るとホラーかと思ってしまう・・・
小津監督作品の番外編ながら名品だと思います
原節子41歳
まだまだ十分に美しいです
ですが流石に娘役はもう無理で、大きな子供のいる後家さんの役で司葉子の相談相手という脇役としての登場です
原節子と小津監督のコンビは本作が最後となりました
彼女は冒頭から登場しますが本作では主人公ではありません
実質的な主人公は造り酒屋の主人の小早川万兵衛です
中村鴈治郎が見事な演技を見せます
その周囲に様々な女性が衛星のように巡る物語です
関西を舞台に東宝のスターを使った特番的風情ですが、そこは小津監督です
大満足のクオリティで圧倒されます
とにかく新珠三千代が素晴らしく、小津監督の作風に大変にマッチしています
彼女の持つ気品と気位がピタリとはまっているのでしょう
司葉子が本作のヒロインなのですが、現代的な雰囲気が今一つ溶け込んでいないように思えました
小津監督作品の常連俳優も登場します
加東大介も冒頭から登場して森繁久彌とつばぜり合いをして見せますが、少し遠慮がち
というか森繁久彌が前に出過ぎ気味です
笠智衆は顔見せ程度のチョイ役で本当にゲスト出演という体
杉村春子も出番は少ないもののクライマックスでの放言しての笑いから号泣への自然な移行の演技は見事
小津監督作品の番外編ながら名品だと思います
心から楽しめる作品です
新珠を撮った小津
20年近くの間を空けての鑑賞。この間に自分自身も歳をとり、映画の観方も変わってきた。
この作品は小津安二郎が、所属の松竹ではなく、当時の新興映画会社である東宝で撮った。しかも、東京ではなく宝塚映画であり、舞台は関西である。松竹製作ではないという以上に、関西が舞台であることに小津作品としての特殊性があるといえよう。
原節子以外の役者はみな関西の言葉を使っているのだが、そのイントネーションにはぎこちなさを否定できない。名優・杉村春子をしてそうなのだから、観ているほうも諦めがつく。
しかし、当然関西出身の役者のそれは堂に入っており、中村雁治郎や浪花千栄子は言うまでもなく、新珠三千代(奈良出身)が圧倒的な存在感を放つ。
原、杉村、司葉子など松竹の女優の中で、一歩も引けをとることなく、ついつい老父に辛くあたる娘の役を演じている。川島雄三の「洲崎パラダイス 赤信号」でも見せた勝気な女性、それを後悔する女性を見事に表している。
小津は、華やかな松竹の常連たちを周囲に配しながらも、雁治郎と新珠の父娘の物語を浮き上がらせている。例によって、司と原の結婚話が出てくるが、それを横糸にしながらも、消えゆく老舗の造り酒屋を盛り立ててきた父を娘が送り出す縦糸にドラマを織りあげている。
この作品の最大の見どころは、新珠と雁治郎の丁々発止のやり取りである。全てお見通しの新珠の口撃に対する雁治郎の切り返しは、同じく小津の「浮草」の京マチ子と雁治郎が雨降る軒下での口論を思い出させる。
もちろん、「浮草」での口論は冷たい雨の降る中の寒々しい言い争いなのだが、こちらのは親子であるが故の遠慮なしの物言いがむしろ滑稽で、コミカルなものに仕上がっている。
このコミカルな雰囲気は雁治郎が亡くなっても続くのだ。それは、ミンクのコートを買ってもらい損ねたと言って、肉親的な感情を出そうとはしない団令子。どうせなら一度倒れた時に死んでいてくれれば二度も出てこなくて済んだという杉村。極めつけは、「そうか、これで終いか、、」だけ言うて死んだと、自宅から駆け付けた家族に淡々と説明する浪花である。影の女としての後ろめたさや、遠慮など微塵も感じさせない。
観ているこちらが可哀想になるほどに、雁治郎の死を囲む人々は淡々としており、悲哀よりも笑いを誘う。そんなコメディだからこそ、新珠のカラッとしたイメージが活きる。
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