ゴジラ(1954)のレビュー・感想・評価
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陰鬱な時代を物語る記念碑的作品
水爆反対。反対すべき兵器はそれだけではないし、その一言を叫ぶと、なんだか純朴にも聞こえてしまうのは、ちょっと捻くれてしまっているのか。
当時の技術なら仕方の無いモノクロムービー。どう頑張っても陰鬱な印象にならざるを得ない。でも、原爆二発を喰らった日本にとって、続く核兵器開発の泥沼化を聞きつけ、陰鬱な心中になるのは仕方の無いこと。むしろ、わざわざ選んでモノクロ映像を採用したのかと思うほど。4K8Kの現代でも、この映像はテーマに正しくふさわしい。
みれば恐らく当時の技術の総動員である。地方の漁村から都心の人びとのパニック状態、海上保安庁、議論紛糾する国会の有様まで再現され、人びとは叫び合い恐れおののき嘆き悲しむ。明るい笑顔はほぼ、何処にも見当たらない。当時の撮影陣は掲げられたテーマの重大さに一致団結し得たのだろう。博士に、恐るべき化学兵器の投入と自らの死を決意させた歌声こそ、その象徴だったのかもしれない。
最後の闘いは余程激しいものになるかと思いきや、実に厳かな音楽と共に、静かに行われたのが印象的だった。ゴジラこそ現代社会に対する怒りの象徴、その怒れる神を沈めるための儀式であったのかも知れない。
ゴジラは現代に至るまで様々なバージョンが作られたが、その中でも極めて重く、もっとも切なる想いを込めた作品だったと思う。現代、更に未来にわたり、決して色あせることは無いでしょう。平和な世の中が実現し、このような抗議的な映画が形骸となる時代が来たとしても。
映画に込められた後世へのメッセージ
BSの録画を視聴。
公開の9年前に終戦したばかり。
そのためか
ゴジラによる被害と
避難の描写がリアルで、
関東大震災や
戦時を彷彿とさせる。
過去に実際にあった悲劇を
再現VTRという形にして
後世に伝えるため、
このゴジラという映画に
真実とメッセージを込めたのだ。
ゴジラ登場シーンの他に、
恵美子の恋愛物語も
見応えがある。
芹沢博士が、酸素を研究中に
発見したエネルギーで作った
「オキシジェン・デストロイヤー」
が登場する。
芹沢博士は作ったことを後悔し、
コレを後世に残さない
という選択をする。
調査する者、報告する者、
公表するべきか否か議論する者、
親の氣持ち、子の氣持ち、
被災者、研究者、戦う者、守る者、
あらゆる立ち場の人の
願いや思いも込められた作品。
あらゆる賞賛に値する傑作だ。
海底洞窟に潜んでいたジュラ紀の怪獣「ゴジラ」が、水爆実験のために、生活環境を奪われ、東京で暴れまくる姿を描いた一大スペクタクル。本作の公開と同年に起きた、第五福竜丸事件を意識している。
原爆の恐怖から10年も経っていない日本が、そのトラウマと向き合った、美しくスリリングな映画だ。水爆を乗り切ったゴジラを倒すくだりも、いつか人類が、自分たちの技術で、自らを滅ぼすのでは無いかという、将来への危惧や警鐘が感じられる。
主権回復して間もなく、豊かでは無かった日本で、これだけの技術、これだけの特撮が出来たことに、いつも涙してしまう。当時としては信じられないほどの、画期的な映画だ。
ゴジラの姿が明らかになるまでのホラー感覚や、東京を破壊しつくす姿も、実に見事で驚異的だ。単なる怪奇怪獣映画の枠を超えて、あらゆる賞賛に値する傑作だ。
一度は劇場で見て欲しい名作。 出来れば前の席で。
怪獣王ゴジラの誕生作にして、すべての怪獣映画の原点となる作品。
同じ1954年に本作に先駆けて封切られた『七人の侍』(撮影は前年から)で島田勘兵衛を演じた志村喬は同作の撮影が押しに押して、本来夏場に撮り終えている筈のクライマックスの雨中の決戦シーンを極寒の2月にホースの集中豪雨を浴びながら撮る羽目になったうえ、古生物学者・山根恭平役で臨んだ今回は、大戸島のシーンのロケ地まで1時間以上も小舟に揺られた挙げ句、現地に到着してからも炎天下に裏山の山頂とふもとの海辺を往復させられてかなり参ったそうで、ほかの多くの出演者やスタッフも日射病でバタバタと倒れたらしい。お疲れさまでした。
今や日本が世界に誇る両名作映画を同じ年に製作・公開出来るなんて、「さすがは東宝」と言いたくなるが、当時の同社は極度のジリ貧状態。
戦時中、軍部主導の国威発揚作品、いわゆる国策映画に入れあげたせいで、戦後の東宝はGHQによって多くの重役や職員が公職追放され(本作の特撮担当、円谷英二もそのひとり)、その後の度重なる東宝争議でも最終的にGHQが軍を動員して介入、「戦闘機も来た戦車も来た、来なかったのは軍艦だけ」と揶揄される大騒動に。まるで本作のゴジラの東京襲撃場面みたいだが、戦後の東宝は二回もGHQに叩きのめされたことになる。
一連の騒動で数多くの人材が流出したため、配給のみに専念するべく、映画製作部門を分離して立ち上げた新東宝が、あろうことか作品の配給を巡って対立したのち独立。
当時の金額で1億数千万円(今の金銭的価値だと、百倍かそれ以上)の負債を抱え解体寸前だった東宝にとって、1954年の両作品は社運を賭けた起死回生の大バクチの側面もあった。
結果的に二作とも大ヒットしたことを偶然や追い詰められた末の火事場の馬鹿力とみることも出来るが、残る者は残り、足りない部分を新しい人材や斬新な発想で補った故のケミストリーと捉えることも出来るだろう。
本作はもともとインドネシアとの合作映画が頓挫した穴埋めとして企画された作品。
それまでにも、追放解除で復帰した円谷英二が立案した大ダコやクジラの怪物が上陸して暴れるシナリオが却下されるなど紆余曲折のうちに、1954年3月に米軍の水爆実験によって第五福竜丸が被爆したことを期に、前年に製作された米映画『原子怪獣現る』から想を得たプロデューサーの田中友幸が大多数の反対を押し切って製作を実現させている。
ちなみに『七人の侍』でビッグバジェットを託された黒澤明監督は、会社の状況から製作の中止を予期してシナリオの順番どおり撮影を進行したそう。
案の定、撮影の遅延を理由に上層部が中止の判断を下すと、撮影済みの前半部分を仮編集したフィルムを試写し、視聴した東宝の幹部を前に「この続き、見たくないですか?」と迫って中止を撤回させたんだとか。
もし黒澤や田中が上司の顔色を窺うしか能のないサラリーマン気質のイエスマンだったなら、同年の両傑作のみならず、『荒野の七人』(1960)や、ゴジラシリーズを含むその後の怪獣映画も誕生しなかっただろうし、そもそも東宝の未来さえ危うかっただろう。
国策映画で威勢を振るったばかりに、敗戦後GHQから二度も抑圧され存亡の危機に瀕した東宝は、真珠湾攻撃で勇んで開戦したものの、二発の原爆で降参した日本軍の皮肉なメタファーのよう。
本作に先行して公開された『七人の侍』は大ヒットした反面、当時の評価は賛否両論だったと聞く。
侍(兵士)を雇って戦うという作品の主題が、新憲法で謳った戦争放棄や平和国家の理念を無視して同年に発足する自衛隊と絡めて「好戦的」との批判に曝されたからだが、戦時中の体質が変わっていないと判断されることへの危機感を東宝は持った筈。
水爆実験による被曝を作品のモチーフに択んだことは偶然の積み重ねとはいえ、結果、反戦・反核が本作のテーマとなったことは、戦時協力への東宝の悔悟と贖罪の表明ともいえるかも知れない。
本編(ドラマ部分)の監督は、のちに何度も東宝特撮シリーズに関わる名匠、本多猪四郎。
彼が択ばれたのは、特撮に欠かせない円谷との東宝復帰後のコンビ経験が多かったからといわれている。
本多が村田武雄と共作した脚本は被曝事故だけでなく、水爆マグロや残留(浮流)機雷、国会の紛糾に外交問題と、当時の世相をふんだんに盛り込むことによって時代のリアリティを映し出すことに成功している。
東静子演じる若い女性の「せっかく長崎の原爆から命拾いした大切な体…」という逃避的なセリフや態度も現代人の目には軽薄に映るが、終戦を経てまだ九年の封切当時の観客には、連れの男性の「やだなあ、また疎開か」というぼやきともども、実感のこもった切実な会話に聞こえた筈。
本編の映像はゴジラが絡まない部分は端正で静謐。
水平のアングルやニューフェイスの三人(宝田、平田、河内)の素朴で初々しい演技も相まって、小津安二郎作品を観ているような雰囲気すら感じる場面も。
そんな中、ふだん黒澤作品で大仰な演技を要求されることの多い志村だけは、最初は訥々とした委員会での答弁も、次第に熱がこもって最後はまるで選挙演説。学者としての正論を語っていても、見る側にマッドサイエンティストのような印象を与えている。
本編中、本多監督はいくつかの対比関係を物語で巧みに取り入れている。
一つ目は、志村演じる山根博士と新吉少年(鈴木豊明)との対比。
山根は貴重な研究材料であるゴジラを殺すことに反対する。それは専門家としては当然の主張だが、理解されずに孤立し、次第に感情的になっていく。
一方の新吉は、家族を家ごとゴジラに押しつぶされ、山根家に厄介になっている身。尾形(宝田明)から「先生はゴジラを死なせたくないんだ」と聴かされ、苦々しい表情を浮かべるも、立場上、文句は言えない。
二人の対比は、戦争を遂行、もしくは兵器を開発・使用する側と、戦争や兵器の犠牲になる側の寓意と捉えることも可能だろう。
ゴジラに関して考え方の異なる二人は二度めの東京襲撃で、ゴジラの猛威をともに目の当たりにすることになる。
想像を絶するゴジラの破壊力に唖然とする山根の傍らで、新吉は「ちくしょう」と繰り返しながら慟哭する。この時点から、山根は研究対象としてゴジラを生存させるべきという主張を封印し、ラストの「水爆実験を繰り返せば、ゴジラの同類がまた現れるかも知れない」という有名な警句に繋がるが、そこには学者としてのあらたなサンプル登場への期待感は籠もっていない。
惜しむらくは、新吉の慟哭に接した際の山根の心境の変化や葛藤をもう少し丁寧に描き込んで欲しかった。せっかく名優が出てるんだから。
二つ目は芹沢博士(平田昭彦)と尾形との対比の構図。
二人は恵美子(河内桃子)を巡る三角関係、恋のライバルという単純な図式ではなく、明らかに戦争体験者と未体験者との寓意的な対比として描かれている。
そのことは「戦争さえなければ、あんなひどい傷を受けずに済んだ」という尾形のセリフに端的に示されている。
映像で確認する限り、芹沢の怪我は右顔面の傷痕(あざ)と右眼の失明。もちろん軽い怪我ではないが、戦場での「ひどい傷」の程度はこんなものではないはず。つまり尾形は戦場の悲惨な状況を知らない立場の人物として設定されている。
その一方で、発明が兵器に転用されることを極度に畏れる芹沢は,自身が罹傷しただけでなく実際の戦争の惨状を知る立場のトラウマや苦悩として描かれている。。
終盤のオキシジェン・デストロイヤーの使用を巡る二人の激論も、新兵器が悪用されることへの危惧だけでなく、もっと根源的な、戦争を知らない世代の安易な選択への予言的な警告と読み取ることも出来る。
そして最後にもう一つ。
戦争が原因で、どちらもそれまでの生活が一変することになる合わせ鏡のような芹沢とゴジラとの関係。
戦争で顔面を損傷し、ひと目を避けて研究室に閉じこもる生活を続けながら、純粋に科学の平和利用を希求する芹沢と、水爆実験で得た破滅的なパワーで安住の地を追われた報復を躊躇なく人類の文明に遂行するゴジラ。
両者のいびつなシンメトリーと、科学の誤った使用の結果、その清算のために若い才能が命懸けで人類の脅威に対峙する関係はM・シェリーの小説『フランケンシュタイン(或いは現代のプロメテウス)』にも通ずる。
ほかの学者が知らないところで水爆を開発したばかりに、同じ科学者の一人として責任を負う羽目になった芹沢にすれば、とんだ「大怪獣のあとしまつ」だが、最後は従容として、絶対に発明が悪用されないやり方でゴジラを始末する。
黒澤明は盟友の本多が監督した本作を観て、「自分が監督したら、警官だって避難誘導なんてしてないで真っ先に逃げ出す」と語ったそう。
気付いた方も多いと思うが、この映画には善人しか出てこない。それは本多監督のポリシーでもあるし、「幸福に暮らせ」と言い残して自らの命と引き換えに人類を救う芹沢の人間性に集約されている。
初めて本作をTVで観たとき、一番印象に残ったのは、逃げずに実況中継を続けて命を落とすアナウンサー。 演じた役者(橘正晃)の必死の形相や「これで最後、さようなら皆さんさようなら」のセリフが子供心に強烈に焼き付いたのを思い出す。
今観ると、戦時中の報道管制下で事実を正しく伝えなかったメディアの贖罪にもみてとれるが、この場面や芹沢の死を特攻と重ねてしまう人も多いだろう(二度とそんな世の中にしないと考えることも大事)。
芹沢の犠牲は、間違いなく作品の印象を暗くしている。だがだからこそ、この映画がゲームのように痛快なだけの怪物退治の物語にとどまらず、反核・反戦のメッセージを伴った重厚な作品として高く評価されているのだと思うし、最後の山根の警告もよけいに胸を打つ。
戦争の結果がもたらした自身の分身のようなゴジラを道連れにした芹沢の最期は同時にゴジラの悲劇性をも強調し、水爆実験の落とし子であるゴジラも「戦争の被害者」であることを鑑賞者に想起させる。そのことが反核・反戦だけでなく、文明批判という評価に繋がっているのだろう。
夜間にゴジラが上陸し、都心を火の海にする場面は東京大空襲をイメージしたとも言われるが、二度にわたる襲撃は、終戦の判断が遅れたために広島・長崎に投下された原爆の寓意なのだろうし、メディアとして戦争に加担した結果、戦後にダメージを受けた東宝のトラウマをも暗喩しているのかも知れない。
本作の劇場での鑑賞は、今夏(8/15)の京都府立博物館のフィルムシアターが初めてだったが、アーカイブの素材を使っていたので、正直言って映像のコンディションがあまり良くなかった(料金500円だから文句言えないけど)。
今回、デジタルリマスター版のクリアな画像をTOHOシネマズ二条で拝見出来て非常に満足。
ただ、こんな名作がたった1週間、昼の12:15からの上映だったのは残念。平日でも児童や学生が学校終わってから見に行ける時間設定にして欲しかった。
TVやレンタル、配信で見たことがある方も、機会があればぜひ一度、劇場の大きなスクリーンで。その際は、なるべく前の席を択ぶことをお薦めします。
その方が、大きさだけでなく、ゴジラの高さも実感出来るから。
2024.11.17 加筆修正。
定番のゴジラテーマ曲からスタート
宝田明扮する尾形秀人は原因不明の海難事故の電話が入った事で海上保安庁へ向かった。
あの定番のゴジラテーマ曲からスタート。如何にゴジラを殺せるかに終始していたね。宝田明のランニングシャツ姿も新鮮だったけど余り活躍しなかったね。
First GODZILLA
11月14日(木)NHKBSで「ゴジラ(1954)」を。
久しぶりに「ゴジラ」第1作を観る。
「ゴジラ-1.0」を観た時にゴジラの出番が少ないと感じたが、第1作も出番は意外と少なかった。最初に姿を現すのは22分くらいで全身は映らない。
それ以降も小出しに登場するが全身は中々映らない。白黒映画なのと1954年の特撮ものだからアラがみえてしまうため夜のシーンが多い。
「ゴジラ-1.0/C」を観た時にゴジラはやっぱりモノクロだな、と思ってしまうのもこの映画が頭にあったからだろう。
東京に上陸したゴジラの通った後は焼け野が原となり、多くの人々が傷つき、戦時中と同様の風景になっていた。
ゴジラを攻撃するのが設立されたばかりの自衛隊で、ジェット戦闘機はF86Fセイバーだった。最初の東京湾にいるゴジラへの攻撃が港の陸上からの機銃掃射だったのには笑ったが。
芹沢博士の開発したオキシジェン・デストロイヤーの威力は凄まじく、ゴジラは肉も骨も海の藻屑と消える。これを兵器として使う訳には行かないと自ら命を絶つ芹沢博士。
(あれ、ゴジラシリーズで残ったゴジラの骨からメカゴジラ作る話があったよね?骨なんか残って無いじゃん)
人類を破滅に導くゴジラが登場したのは水爆実験のせいだと明確に断じて、ラストでは志村喬に「このまま水爆実験が続けば別のゴジラが現れるだろう」と言わせている。
水爆実験反対、オキシジェン・デストロイヤーのような科学装置も兵器としての利用には明確に反対するメッセージを打ち出している。おい、オッペンハイマー!
余談:NHK-BSって公開中の作品を放映するのは何故?今回、東京では日比谷で「ゴジラ(1954)」を上映中だ。2019年にも完全版が公開中の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」を放映している。映画館イジメ?
私の「ゴジラ」録画ビデオをクローネンバーグの息子は観たのかな?(「ゴジラ-1.0」レビュー参照してください)
24-127
70周年記念上映にて、初鑑賞。
戦後復興を果たし、高度成長期の活気あふれる日本が映像から見て取れる。
家族観、恋愛観、男女の在り方に時代を感じさせるも、東京を火の海に変えるゴジラの姿、高度な特撮技術に感服。
素晴らしい映画体験でした。
原水爆の恐怖と科学の罪に迫る意欲作だった! 何度観ても発見がある。今回は芹沢博士の孤高の科学者の矜持に涙。
ゴジラシアター2度目の初代ゴジラは、4K上映!
やはり、TOHOシネマズ日比谷のプレミアムシアターの大スクリーンが映えます!
河内桃子のアップが美しい!
ベストカットは、銀座のデパート屋上の鳥かごの鳥たち越しに、ゴジラが吠えるシーンです。
戦後の影、昭和の日常、原水爆実験批判、太古の巨大生物のロマン、火の海の東京、病院を埋め尽くす被災者たち…
−1.0に欠けていたものが全てある!
オーソドックスに映画を作っていたら、当然必要な要素が全てある。
正統派監督が真剣に作った傑作です!
何度観ても発見がある。
今回は芹沢博士の孤高の科学者の矜持に涙。
原水爆の恐怖と科学の罪に迫る意欲作だった!
反戦反核のメッセージ
毎年、8月終戦記念日あたりになると、戦争映画やら戦時ドキュメンタリーを見るのですが、気分転換にと思って見たのがこの、「ゴジラ」。いやいや、これは反戦反核の強烈なメッセージを持った映画で、びっくりしました。まさにタイムリーな鑑賞でした。
ゴジラの映画は数あれど、いくつかは見たこともあるかもしれませんが、このファーストゴジラは多分、初めてだったかもしれません。(番組の予告とかでチラッと見たとかはあるかもですが)
戦後10年経たないうちに作った映画。戦後まもない時代の流れで登場したゴジラの存在は恐怖をあおります。あえて言うことでもありませんが、子供向けのただの怪獣映画ではないことは間違いありません。世界で唯一核の被害に遭った日本だからこそ、こんな映画が生み出されたのでしょう。
芹沢博士が発明したオキシジェン・デストロイヤー。これを世の中に出してはいけない、しかし、ゴジラを倒すためには必要なんだ・・・と葛藤する科学者としての立場は、大げさではないでしょう。あのアインシュタインだって、原爆開発に加担してしまった結果、「原爆で罪もない人たちを傷つけてしまった。許してほしい」と、湯川秀樹の手を握って涙したらしいです。
全ての始まり
ここから全てが生まれたのかと思うと、
ワクワクと言うより緊張感を持って観れました。
流石に今観ると新しい物はないのだけど、
戦後9年で生まれたと言う意味合いを考えると、
単に子供映画ではなく、
戦争という恐ろしい出来事の具現化、
次また戦争が起こって本土決戦になった時の被害、
核を落とされた日本から水爆実験の反対を
「ゴジラ」と言う怪物で表しているのかなと想像出来、
ここから続くゴジラ映画の中でもテーマに於いては
もっとも重要な作品なのだと感じました。
また、アイデアも素晴らしく
今もまだヒーロー物で使われるスーツでの演技
そもそもゴジラという空想の生物を戦後まもなくで
作り出した事は感嘆に値します。
「ゴジラ」を観た事で
長く続くシリーズとは別として
また1から作り出した「シンゴジラ」
初代ゴジラから大きなインスパイアをうけ
リスペクトから生まれ原点回帰した「ゴジラ-1.0」の
魅力にも気付けて観て良かったなと思いました。
重いテーマとは別に
単純に戦後、敗戦から立ち上がり世界に追いつこうとする
日本人の想像力は凄いなと感じました。
本物の特撮
もちろんCGなんてない1954。今は「特撮」に分類される映画にも普通にCGが使われている。
もちろんそれは決して悪いことではなく、相乗効果でより派手な表現が可能で今まで観たことのない映像を観せてくれる。
しかし本当の特撮は迫力がすごい。スクリーンには本物のゴジラがいた。
70年前の努力、技術、アイデアを詰め込んだ世界に誇れる作品。
もしリアルタイムで子供の頃観ていたらゴジラに恐怖するか、かっこいいと夢中になるかどちらにせよ大きく感情を動かしてくれただろう。
抗う術のない存在
それを表現するにはどうすれば良いのか?
どのような姿にすれば良いのか?
これを実写化し圧倒的迫力に昇華することができたのは
元来より見えないモノとの距離を近くに持ち
ないところから再生構築してきた我が国の制作者だから
だと思う。
ハリウッドや近年公開のGと比較すると
ちゃっちい。と一蹴されそうな部分はあるが、
それは鑑賞者の想像力如何かと思う。
僕はハリウッド夜Gより
やっぱりこのゴジラだわ◎
原点にして最高傑作
あたくし、初代ウルトラマン放映開始の年に生を授かり
特撮の造形にハマりまり、ゴジラといえばメカゴジラ以降という認識でした。
ウルトラシリーズなどのテレビ番組の製作リズムだと電線まで作り込む時間はありませんが、当時の東京に走ってたトロリーバスの架線と一般の電線、山手線の架線まで細かく作り分けまで拘り「白黒作品だから」「ゴジラに破壊されるから」
という妥協は一片も見られない製作スタッフの気迫を感じました。
また、50m級の巨大生物がどのような動きなのかをお手本がない中見事に演じ切った中島春雄氏のゴジラの動きにも気迫が伝わりました。
定期的に何度も観直したい名作中の名作です。
ハリウッド以降の近年ゴジラとは比べちゃいかん!
ゴジラが好きな人ならその原点なので見るべきだと思います。逆にそうでもない人、ハリウッド盤やシン・ゴジラ、や-1.0など近年のゴジラしか知らない人ならどうでしょう?
今の映像技術に慣れてしまった人にはいくら70年前の当時の技術であることを割り引いても物足りなさはあるかもしれません。ただゴジラがハリウッドに上陸する前のゴジラ対○○とか、怪獣大戦争的なタイトルの子供の夏休み映画的な位置付けの時代がありましたがその頃と比べたら比べ物にならないくらいの迫力があり高い完成度だと思います。もちろんその頃のモスラやキングギドラ、メカゴジラが好きだという人もいますがこのシンプルなゴジラを一番にあげる人の気持ちは頷けます。
ハリウッド以降とは比べてはいけないのかな、どちらも良い所があります。
昭和29年で白黒なのに…
今見ても迫力がすごい。街が破壊されるシーンは強烈。水爆実験とのからみや芹澤博士の話もグッとくる。実は今回はじめてみた。それでハリウッド版では海底にいたのか、と。大画面で再確認できるゴジラの一作目。なかなか貴重。
やはりオリジナル
怪獣映画、特撮映画の体を取りながらも、内容は強烈な反戦映画。核時代における被曝国からの見事な批判作品となっている。ゴジラはまさに原爆であり、水爆である。その恐ろしさを具現化した姿なのである。子供映画ではなく、大人が鑑賞し考えることを促す作品である。この作品の価値はそこにある。最近、「オッペンハイマー」を鑑賞し、この作品を鑑賞すると手に負えない人間の責任がどれだけの災厄をもたらすかが良く分かる。この後のゴジラのエンターテイメントは物事を考えさせない日本のだらしの無さが露骨に表れている。
ゴジラの原点にして重厚なSFドラマの極地点
単純に怪獣映画として観てきたゴジラシリーズの捉え方が一変する、衝撃的な作品でした。人類が制御できない科学技術を発明してしまった芹澤博士の激しい葛藤と苦悩は、単なる反核ではなく今も普遍的な人類の課題だと思います。芹澤博士の思想と行動は、先日公開された『オッペンハイマー 』にも通じると同時に,ある意味超えた、強いメッセージ性を感じました。一方、モンスター映画としての本田猪四郎監督の演出は、ドラマ作品のように重厚かつ手堅いものがあり、感服しました。なかなかゴジラの姿を見せず、土着の呪術的存在のようでいながら、業火をバックに銀座を蹂躙する姿はまさに魔王のような禍々しさです。映像においても、荒れ果てた漁村の風景は銅版画のようだし、街を破壊し尽くすゴジラの姿は墨で描いた戯画のようにも感じられ、様々な表情が見えるモノクロ画面が素晴らしいです。役者では、宝田明の若い時のイケメン振りもさることながら、平田明彦のインパクトには敵わず。
70年の歴史の原点を味わえる最高に贅沢な体験でした
TOHOシネマズで今日から始まったゴジラ生誕70周年記念上映イベントの「ゴジラ・シアター」、その幕開けとなるのが1954年製作の輝かしきシリーズ1作目の本作
とにもかくにも本作が劇場の大スクリーンで観られるというだけでも相当に貴重な機会、全国でたったの5ヶ所でしかやってないのにラッキーな事に勤務先からすぐ近くのTOHOシネマズでやっていたので観ないわけにはいかないでしょう、と仕事帰りに鑑賞
これまで何度か観てきましたが劇場で観たのは初めて。
やっぱり劇場で観るとこれまでとは全く違う印象を受けます、最高の没入感を味わえ文句なし!本当に素晴らしい体験でした
シリーズ最近作の「ゴジラ−1.0(以降マイゴジと記載)」で素晴らしい感動を覚えたのが記憶に新しいですが、こうやって観るとマイゴジは第1作をこよなく愛する人々が敬意を込めて70年のVFX技術の進化をフル活用して作った究極のリメイク作品なんだと理解しました
ゴジラが銀座をぶっ壊しまくり東京を火の海にしたり、そんな中TVレポーター達が命がけの実況中継はするわ、戦闘機はゴジラの頭上をグルグル回るわ、と70年前に作られたとは思えないマイゴジでも再現された現代にも充分通用する手に汗握る大興奮の名シーンの数々に圧倒されました
制作自体がリアルな戦後間もない状況下での見ごたえのある強いドラマ性、そしてキャスティングも良かったですね、尾形を演じる宝田明さんがカッコよかったし、ヒロイン山根恵美子を演じる河内桃子さんは清楚で上品な素敵な女優さんでした、そして“芹沢博士”をエネルギッシュに演じる平田昭彦さんも素晴らしく、彼ら若手を包み込むように名優・志村喬さんが静かに力強く山根博士を演じ作品に深みを持たせています
その後70年、日本国内だけでもマイゴジで通算30本が作られることになる日本が世界に誇る一大エンターテインメント・シリーズの礎の極致をまざまざと見せつけられ、本当に感動的で至福の時間を過ごしました
TOHOシネマズさんの素晴らしい企画に感謝です、11月まで続く本企画、全作品制覇しようと思います
まさに原点にして頂点
ゴジラ生誕70周年記念上映「ゴジラ・シアター」が全国のTOHOシネマズさんで実施中。
本日は日比谷の259席の巨大スクリーンでデジタルリマスター版『ゴジラ』(1954)を堪能。
すでに本作品を数十回は鑑賞しているが今回は『ゴジラ-1.0』『オッペンハイマー』の鑑賞後。
デジタルリマスター上映のおかげで公開当時スクリーン再現できなかった円谷英二監督の細部のこだわりやミニチュアを駆使した遠近感は改めて「さすが!」と唸ったが、今回は特に本編パート(ドラマ)の素晴らしさを再認識しましたね。
単なる怪獣映画、特撮パニック映画ではなく反戦映画としてのしっかりとした人間ドラマ、ゴジラが大戸島で出現するまでの緊張感、特撮とドラマのバランスの良さは本多猪四郎監督、脚本の村田武雄さんの力量に寄るところが大きいですね。
改めてキャストにも注目して鑑賞しましたが、フレッシュな演技の宝田明さん、河内桃子さんをはじめ、芹沢博士役の平田昭彦さん、山根教授役の志村喬さん、新聞記者役の堺佐千代さん、
婦人代議士役の菅井きんさんなど当時の東宝常連スターが総出演、群衆が逃げまどうシーンも何百人ものエキストラを動員して臨場感もあってゴジラの特撮パートがなくても本編パートだけでも惹きつけられましたね。
上映後には富山省吾プロデューサーのトークコーナーもあり産みの親の一人田中友幸プロデューサーとの思い出話や制作秘話、田中プロデューサー、本多猪四郎監督、円谷英二監督、伊福部昭さんの4人の天才を集めた森岩雄さんの話も聞けて大変貴重でした。
まさに原点にして頂点。堪能いたしました。
今になって最初のゴジラ
子供の頃からゴジラはおもちゃとかで遊んでいたが最初の作品は見たことが無かった。-1.0が面白かったので見てみました。
モノクロ画像でわかりにくいシーンもありましたが、なるほどしっかり作られていると思いました。
-1.0の色々なシーンがこの作品をベースにしているというのはよくわかりますね。-1.0を見た人がこの作品を見ると更に-1.0の意味が理解できると思いますね。どうにもならないという絶望感はこっちの方が上かも。
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