GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊のレビュー・感想・評価
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初めての鑑賞はIMAX
4KリマスタリングということでのIMAX上映でしたが、映像、音響ともにIMAX仕様になってないのでIMAXの意味がよく分かりませんでした。普通にドルビーサラウンド仕様の劇場で観たら多分、印象が違うはずです。
初めて観ました。率直な感想はスカーレットヨハンソンが主演した実写版の数千倍良い作品だと思いました。(どうすればあんなに酷い作品できるんだろうか) ブレードランナー好きな自分にとっては、「え?サイドストーリー?」と錯覚しちゃいましたし、今日、様々なSF作品のベースになっているとも再認識しました。ただ、動きが乏しいのが残念。BGMは終始あの調子でこられると疲れますね。
【士郎正宗のSF漫画『攻殻機動隊』のサイバーパンク的世界観を、押井守が独自解釈を織り込んで描いた作品。幻想的なメインテーマも作品に趣を与えている。30年前の作品とは思えない先鋭的SF作品でもある。】
ー 士郎正宗のSF漫画『攻殻機動隊』自体が近未来のサイバーパンク的世界観をハードSF的アイディアを融合させ、作り上げたモノであり、作品自体が難解であるが面白い。
漫画のコマの脇に細かく書かれた士郎正宗のコメントまで読むと、大変な事になるのである。-
・尚、スカーレット・ヨハンソン主演の「ゴースト・イン・ザ・シェル」は世間的評価は低いが私は好きな作品である。
<今作は、士郎正宗のサイバーパンク的世界観を、押井守が独自の解釈やアイディアを入れ込んで制作した作品である。
唯我独尊的拘りを持つ漫画家と、同じく唯我独尊的拘りを持つ映像作家が産み出した作品であり、その不可思議なるアジアンテイストが”ブレードランナー”ではないが、アメリカのSF好きに受け入れられた作品でもある。>
全てのアニメーションを並べても頭1つ抜きん出てる
マトリックスに多大な影響を与えた作品として 知っていて、 実際に見...
これを見ないでマトリックス観るとか笑える
かの時には我が知られたる如く全く知るべし
紛れもない傑作。リアルだし面白いし美しいし斬新だし知的で論理的で…深い。
冒頭の外交官射殺でいきなり少佐がヌードになったのには、おいおいと思ったが、その後のハッカー追跡シーンで、
ジャンプした少佐がビル屋上に着地すると、鉄板が衝撃に捲れ上がるところ
ビルとビルの間の路地で水底にでもいるかのようなBGMの下、ハッカーが走り続けるシーン
…などでいっきに魅せられてしまった。
面白さのあまり何度も何度も観て、ふと考えると実は内容をあまり理解できていないことに気づいた。
さまざまな省略や謎めかし、仄かしに満ちた作品だし、原作で周知らしい知識がないと分からないところもあり、謎は枚挙に暇がない。
中でも最大の謎は、アイデンティティの希薄化に悩まされている少佐が電脳知性体と一体化して、アイデンティティそのものを譲り渡してしまった箇所だ。
新たな生命体の中で、少佐のアイデンティティはどうなったか、少なくとも本作の中では示されていない。
電脳生命体と一体化したから、新たなアイデンティティを獲得して悩みから解放された、ではあまりにイージーではないか。
それに、これではボート遊びのシーンの幻聴や、最後の少佐のセリフの意味に齟齬が生じてしまう。
つまり、本作では新約聖書コリント前書第13章の引用があるが、これを前後関係を整理して並べると、次のようになる。
「われ童子の時は語ることも童子のごとく、思うことも童子の如く、論ずる事も童子の如きなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり」
「今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧なり」
これだけでは、成人したので子供の悩みはなくなった。しかし、まだ朧気にしか見えないとなり、問題が解決したように見えないのである。
恐らく押井は、本作のテーマに付いて来たいなら、あとは自分で調べなさいと言っている。
…そう、答えはそこに見つかるのだ。
コリント前書の引用された言葉の後には、次の文言が用意されていた。
「然れど、かの時には顔を対せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られたる如く全く知るべし」
ここにたどり着いた時、押井は全面的なアイデンティティの相互了解、つまり少佐の悩みが完全に解消されたことを暗示して本作を終えたと知った。少佐には間違いなく「かの時」が訪れたはずである。
人の定義、人の幸せとは
BEASTIAで観ましたが、リマスターなのか26年前の作品とは思えないほど、普通に映像が綺麗でした。
テーマとして人の定義というのが大きく関わってくると思うが、ここではゴーストと呼ばれる人の意識や自我というものが、その人の知識や記憶から成り立っていて、そうであるならば、ロボットやネット自体が独自の自我を持つことでそれが人とどう違うのかという葛藤などが描かれていたように思う。
近い将来、仕事や家事がAIやロボットに代わられ、人も人工的な臓器が体に入ってくる未来がすぐそこまできているが、そうなると、この映画のように、人の存在価値や生きる意味についてが曖昧になり、人の幸せとは?私の生きる価値とは?という悩みが出てくる。
人は幸福になるためにこれだけ便利な世の中を目指したはずなのに、本当に人は幸せになったのか?
そういう問いかけをこの映画に問われている気がしました。
改めて「説明の上手さ」に驚かされる
IMAX見れず、泣く泣く通常スクリーンで。
何度も見たけど、久しぶりの鑑賞。
世界観やテーマに目が向きがちな作品だが、改めて思い知らされるのが、細やかで丁寧な作りぶり。
理路整然と情報を出しながら、物語や説明のつなぎを省かず、情感でごまかすことなく。説明的なセリフはうまく物語に溶け込ませ、全体の構成は無理・無駄のないスマートな仕上がり。
まぁつまるところ、説明が本当に上手い、ストーリーテリングが極めて巧みだ、ということ。
これだけ小難しい話を、ここまでわかりやすく、しかも物語としての魅力を保ちつつ、という凄み。設定的にはものすごくSFなのだが、「まるでフィクションでもないかもな」と思えるのは、見ている側が“しっかり分かっているから”という点が大きい。
説明が上手いから、短い時間で物語が大きく展開しても、見ている側を置いていくことがない。難解なイメージを持たれがちだが、その実、とても親切な作品だと思う。久しぶりに見て、改めてマスターピースである理由を痛感。
去年、ジブリが劇場公開されて「ナウシカ」を見た時にも思ったのだが、この頃の宮崎駿と押井守は、ストーリーテリングの巧みさという点で、根本的によく似ている。
懐かしい作品
初めて観たのは何年前か忘れましたが、映画館で観れるのは本当に嬉しいです。相変わらずの哲学的な思想や退廃的な街並み ギャグがないどころかほぼ笑顔のない登場人物達 必要な説明をしないセリフ 技術を派手な方向に使わないアクション 無国情緒溢れる音楽。普遍的な無常感。渋いです。
人格を乗り移せる義体もデザインをもし自由にできるなら、要はこれアバターなんですよね。そういう意味でも自分だけでなく、現実と仮想現実の世界が曖昧になっていってるっていう。昔観た時は身体と心はなんとなく別々に捉えてたんですが、今は心は世界に引っ張られるというか。年齢も知識や経験といった心だけでは保持できないと感じてます。それは不自由な発想ですが、この年でないと実感できなかったことかもしれません。そう考えると素子の最後のセリフも、ネットも含めてこの世界は広大だし何処にでも行けるんだなと思いました。
その上で一番刺さったのは 人間が親から子供に記憶を移せないのは、人生の大半を間違えているからといったラインでした。渋いです。
広大なネットの化身のような人形使いも 意外とおしゃべりだったり 素子を探し回って一緒に成りたがったり。嘘がつけない分本音に忠実で、頭良いの追求すると馬鹿になんだなってのが とても可愛いらしいですね。甘いです。
劇場で見れる幸せ
以前見たときと印象の違い
私見
こりゃ、実写化したくわるわ。
25年前!今こそ観るべき圧倒的傑作!
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