GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊のレビュー・感想・評価
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毎回、見る事に気になる台詞が変わる
この作品を見たのは3回目でしょうか。
今回気になったのは、素子の台詞の中で、
自分が自分であるための必要な物、の話の中で出た
「私という意識そのものを生み出し、そして同時に、私をある限界に制約し続ける。」
そして人形使いとのやり取りの中でも
素子は、人形使いと融合した後、自分が自分で居られるか尋ねるのですが、
人形使いは、それは変わると答えてました。
ただ、制約から抜け出せるとも答えてました。
ここは、今迄、自分として認識してた肉体を捨てる意味もあるのでしょうが、
自我、というか、
普通、人は自身がどうゆう人格か自分で認識していて、それによって、行動選択をすると思うのですが、
それがある為に、行動の幅が狭められる。
自分への認識を捨てる事によって、
つまり誰にでもなれて、様々な選択肢が増えるという事なのかな、、と思っています。
こうゆうお話があって、
犬が仔犬の頃から、ずっと首輪と鎖で地面の杭に繋がられている。一度も外された事はなく、鎖の長さ以上は引っ張られて行動範囲は取れない。
だから、自然と鎖の長さ迄しか動かない。
もし、その首輪や鎖を外してあげても、
自由になった事が分からず、ずっと鎖の長さでしか行動しないそうです。
それに似た話なのかなと。
自由に動けるようになった素子は、ある意味、神に近い存在になるのでしょうか、、
時代が経つ程見どころが増える名作
IMAXで鑑賞。自分の中では最初から評価が高かったというより、幾度もの鑑賞を通してじわじわと評価が上がっていった作品。というか、90年代に初見でこの作品の全貌が掴めた人ってどれぐらいいるんだろうか?その頃は「ただかっこつけて、衒学的に台詞を適当に並べ立てているだけなんじゃね?」と思ってたが、今見ると、ま、そういう所も若干あるが、時代がこの映画に少し追いついたおかげで、話がわからないような所はあまりない。こんな哲学的な内容で商業作品として成立させてたのも、その当時見に来てたアニメファンのSF偏差値の高さも凄い。パトレイバーにしても、この頃の押井監督、時代の先、行き過ぎ、読め過ぎである。アニメーションの素晴らしさは言うまでもなく、IMAXだとAKIRAの時同様、音楽、音響の立体感も存分に楽しめる。また、今回の新たな気づきとしては、今まで地味だと思っていたこの映画独特の淡い色彩設計も、時代を経てアナログの着色ならではの繊細で、非常に魅力的な色彩だと感じられた。
我思う、故に我あり
攻殻機動隊
人の脳とネットワークが繋がっている大戦後の近未来
そのネットワークにまつわる犯罪を専門に取り締まる
「公安9課」を中心とした物語
士郎正宗原作の漫画作品で氏特有の作り込まれた世界観は
多方面に影響を及ぼしいまだにSF作品はオマージュとも
とれる要素の繋がりを持っている不朽の名作
GISはその映画版として押井守を監督に
人間とプログラムの狭間で人間とは何か
人間を縛る国家国境とは何かといった社会状況に
切り込むよう大胆にアレンジ
その圧倒的な作画や表現
川井憲次氏の壮大なテーマ曲と共に
世界中の人々に影響を与え
「マトリックス」のウォシャウスキー兄妹は
公然とその世界観をプレゼンに用いたと言う
…って書いちゃうとそれで終わっちゃいますが
個人的に攻殻機動隊に触れたきっかけは
プレイステーションのゲームからでした
GISには出てこない漫画版のAIサポート戦車「フチコマ」
をプレイヤーキャラにしたアクションゲームで
独特の多彩な操作性と浮遊感
石野卓球が音頭をとったテクノサウンド固められたBGM
が何ともクセになる快作でした
そのPS版は漫画版をベースに作中のムービーも
士郎正宗版に寄せたものでこのキャラクターは
GIS異なるものでした
ただその後のメディア展開の草薙素子は
GISに準じたものになっていきます
電脳と繋がってネットの海を自由自在に行き来している
自分の考えることは果たして自分の考えなのか
周囲に左右されたプログラムなのか?ってのは
今のネット社会でも十分感じられる疑問かも
しれません
それくらい新聞テレビの論調とネットの論調に
剥離も生まれたりしています
改めて観るとその先進性には
驚かされるばかりでした
正直4Kリマスターの画質的なものは
そこまで感じられなかったですが大スクリーン
はやっぱり印象が異なりました
当然、というか義務(ほぼ)でIMAX鑑賞
なんとなくバルト9上映でないのが残念でしたが、平日にもお構いなくゴジラのTOHOで観ました。
シアター内は、私のような1995年以降メガテクボディ社で電脳・義体化したハードコアなGITSサイボーグや押井教の信者さん、アニメ賢人でほどよく埋まっていました。同じアニメ映画でも、鬼滅やコナンやドラえもんとは明らかに違った玄人たちの雰囲気、ちょっと引きますが同時に心地よい…。
内容は、すでに自分の歳と同じくらいの回数を観ているので特に驚きはありませんが、自由に監督させると難解な間(ま)と偏った思い入れシーンばかりで意味不な映画になってしまう押井監督(信者さんゴメン)が、まだ若い1995年に多種・極度の制約の下それでも自らの主張や芸術性を入れ込んで作った本作は、やはり“日本SF映画・Japanimationの金字塔”といえる傑作です。
なお自分にとって攻殻=Priceless(但しarise=黒歴史は除く)なので、劇場物は基本的に全ておさえる必要があります。特に最近は、Netflixの新作が神山版にもかかわらず不安だらけなので、精神の保養のため次の4K版も観ることになるでしょう。
ただ冷静に一言いうと、過去にNASAの宇宙ドキュメンタリーや「1917」をIMAXで観た時のような圧倒的な広大さ・没入感は、この「GHOST IN THE SHELL:|| IMAX」では得られませんでした。あぁ画面がおっきいなー、くらい。
無理とは分かってますが、SAC世界観の続編や外伝新作を観たいものです。
元祖Three Point Landing
攻殻機動隊のIMAX版のニュースを聞いてから鑑賞できる日を心待ちにしていたが、IMAX Enhancedであることにまず驚いた。巨大スクリーンに目一杯に広がる画角でまず気が付いたことは、背景のリアルさ。看板、ポスターのフォント、文面に至るまで緻密に作り込んである。自分自身が、中華難民街に迷い込んだ感覚に陥る。セル版ディスクを持っていて何度も見ているが、ここまで感じた事はない。
それと音響。体に振動を感じながら見る戦闘シーンは、迫力が全然違う。傀儡謡が始まると、全身があの独特の歌声と和楽器の音に包まれて、鳥肌が立つ。
四半世紀前に攻殻機動隊が予見していた近未来の世界が、本質的な部分において当たっていることに改めて驚いてしまう。「ネットは広大だわ」という素子のセリフは、今となっては解説なしで多くの人が理解できる。
記憶なくして人間足り得るのか、AIに記憶や自我があればゴーストは宿るのか。見る度に深く考えさせられる。A Iが創造主である人間を超えた時に答えが出るのかもしれない。
電脳世界にアイデンティティはあるか?
【今再び大きな意味を持つ、”自分はいったい何者か”という問い】
前に、何かのレビューで、哲学的な問いかけのあるような、頭を揺さぶられるSF小説が読みたいみたいに書いたことがあったけれども、今回、「GHOST IN THE SHELL」の4Kリマスターの上映で、この原作はそうだったと思い出した。
今見直しても、この作品は、古さなど微塵も感じない。極端な話、リマスターしなくても大丈夫のようにさえ思う。
いや、逆に、AIに対する研究が進み、技術革新し、理解が深まるにつれて、この映画の問いかけ...生命とは何か、人間とは何か、自分とはいったい何者かということの意味は、更に重要さを増しているように感じるし、”人形使い”が話す、「子孫を残して死を得る」とか「個性と多様性」、少佐が問いただす「多様性の揺らぎ」とは、代を重ねることによって、そこから得られる”進化”をも表しているのではないかと自問自答を繰り返したくなる。
少佐が話す、この作品の有名なセリフ、新約聖書のコリント人への手紙13章の第11と12も、観る者に、その意味の理解を要求する。
「童の時は語る時も童の如く、想うことも童の如く、論ずることも童の如くなりしが、為人(ひととなり)ては、童のことを捨てたり」「今我ら、鏡もて観る如く、見るところ朧なり」
実は、これには更に続きがある。
「然れど、かの時には顔を対せて相見ん。今我が知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られたる如く全く知るべし」
僕は、これを省くことに重要な意味があったのではないかと考えている。
人は、子孫を残して自らは死んでいく、実は、その中に多様性や個性があり、そこから生じる多様性の揺らぎは、すなわち進化をも意味していて、”常に”完全なものなどないのだと。
つまり、いつまで経っても、僕たちは全てを知ることなどないのだと。
だが、しかし、今、僕たち自身は、悠久の時を経て今ここに存在しているのであり、(頭で理解しているかは別にして)それは僕たち自身に蓄積されて、変化も含めて残っていることに他ならないのだ。
それが僕たち自身なのだと。
新約聖書に書かれた言葉だが、この思考のスパイラル感は、考えようによっては仏教哲学のようで、”無常”とか、”色即是空 空即是色”に通じるものがあるようにも思える。
少佐がもう一つ興味深い言葉を残している。
「恐れ、不安、孤独、闇、そしてもしかしたら、希望。海面に浮かび上がる時、もしかしたら違う自分になれるんじゃないか。人間が人間であるための部品が決して少なくないように、自分が自分であるためには驚くほど多くのものが必要なのだ。他人を隔てるための顔、それと意識しない声、目覚めた時に見つめる手、幼かった頃の記憶、未来の予感」
そう、僕たちは僕たちでしかないのだ。
最期に新しい身体を得た少佐の言う言葉「ネットは広大」。
1995年当時の、この作品の斬新さや、それを背景にした哲学的な問いかけは、色褪せず、今更に意味を増している気がしてならないと考えるのは、僕だけではないと思う。
タイトルなし(ネタバレ)
相変わらずおもしろ!ꉂ(ˊᗜˋ*)
草薙素子がビルから飛び降りる冒頭シーンを大画面で観れた。やったぁあ。
やっぱり大画面で改めて観れて良かった。YouTubeなどにも動画が上がってたりするけど、やはり大画面で観ないと。
ストーリーは難解だ。観客を置いていく。
草薙素子たち公安9課は、、、ストーリーはwiki見てね。
最後の戦車との戦闘シーンで、草薙素子は戦車の蓋を開けようとして手足がバラバラになるんだけど、これが理解できなかった。バトーがいなければ多分死んでいた。何故こんな判断ミスを少佐がしたのか不思議。
Wiki見ると人形使いと草薙素子は融合したみたいだ。
もはやS.FではなくS
現代のAIは深層学習と呼ばれる技術によって、プログラミングによって導かれた結論ではなく、エンジニアの意思を介さない擬似的な意思の様なものを得ている。
その為、劇中の人形使いの様に自らを生命体だと主張して亡命を申請する等という事も現実的に起こり得るだろう。
「コンピュータの普及が記憶の外部化を可能にした時、あなた達はその意味をもっと真剣に考えるべきだった」という台詞は2021年現在でも通用する問い掛けだ。
近い将来、人間が生命を構成するあらゆる機能を再現し製造する事が出来る様になった時、はたして人間は新たな生命を生み出す事が出来るのだろうか。
それとも生命を創ることは神のみに許された業なのか。
生命とは何か、生命と呼ぶ為に欠かせない要素は何か。この作品が登場して25年以上経った今でも結論は出ていない。
贅沢なSF体験の85分だった。
IMAX 4Kで見てきました。
音響が格別に素晴らしく、DVDでは分からなかった細かい音がくっきり聞こえたのは感動しました。特に素子とバトーがボート上で聞いたささやき声がはっきり聞こえたのはびっくりでした。
あとやはり数十年前の作品なので、リマスターと言っても素地の限界があるのは仕方がないですが、最後街を見下ろすシーンで綺麗に手直しされてたらそれも違うなって思って、やはりいい着地点だったんだろうなと思いました。
もしイノセンスがIMAX 4Kになったらとんでもなくすごい映像体験になりそうだと思いましたwww
またIMAXの大画面であの美術を堪能できたのは幸運でした。改めて作品を見直してみると、素人ながらに美術の凄さに圧倒されました。最後の対戦車で素子が力づくでハッチを空けようとして、逆に腕の人工皮膚や筋肉が千切れて身体がよじれるシーンは、IMAXの大画面でじっくり見ていると美しいの一言で息をのむおもいでした。
やっぱ難解だけど見応えあり!
士郎政宗作品、数少ない映像化成功例
当時、難解なテーマで消化不良でした
終盤のモタつきが悔やまれる
一人の人間として生きるとき、その時感じる世間の冷たさや静けさ
本作は予告編や、前情報のみを頭に入れ作品をイメージすると
ハイレグ女性刑事がサイバーパンクの世界をベースに
ハイテク技術を使い、ドンパチやっていることがメインのアニメーションという印象を受けるかと思います。
しかしながら実際鑑賞してみると、その世界は
とても冷たく、静かな世界観でストーリーは進みます。
それは、サイバーパンクの世界観を用いた刑事物というよりは
サイボーグ化され、ネットワークで情報を共有できても
アイデンティティは各個人が持ち、他者とは簡単に意識は分かち合えない、
人間は個別であるということを再認識させるような、
哲学的な内容を感じさせてくれる作品です。
もちろん、マトリックス等のハリウッドアクションに影響を与えている
アクションシーンもとても良いのですが、
私としてはこの映画が持つ、とても冷たい、とても静かな世界観から感じられる
『人間関係とは何か』、みたいなところが好きです。
このような視点で見ていただくと、より一層楽しめるのではないかなと思います。
素晴らしい作品だとは思うけど・・・
脳の電脳化、身体のサイボーク化が当たり前になった未来。「人形使い」と呼ばれる凄腕ハッカーを、刑事である主人公が追う物語。
押井守の名前を世に知らしめた作品です。
映像の精緻さ、パトレーバーから引き続きの小倉氏が描いた街並み。そして「サイボーク化された人間」という設定と「アニメ」という表現方法により、魅力が最大化されたアクション。流石の一言です。
ただ、この映画は草薙元子の自我を求めるお話なのでしょう。「電脳化された知能」に対する不信。自我に対する不安。それに悩み、解消しようとした草薙の物語です。
それはそれで素晴らしいテーマですが、上映時間80分では表現仕切れないもののように感じました。
TVのように12話をかけてじっくりとストーリーを作らないと、この映画の結末は唐突感を感じざるを得ません。
押井監督は大好きな監督さんですが、「毒気が強すぎて制御し難い監督」と言う印象が強くあります。そしてこの作品は、以前の作品と比較して、押井色がストレートに押し出された作品のように感じます。
個人的な好みの話で恐縮ですが、私には「あたる達友引高校の面々」や「遊馬達第二小隊の面々」が程よく毒気を中和した、ビューティフルドリーマーやパトレーバーの方が、より良い作品だと感じています。
初日初回 東銀座東劇にて
原作既読。当時買ったパンフレットやテレフォンカード(!)をまだ持ってます。
押井守氏が映画化するということで期待半分で正直不安も半分でしたが、コメディ要素をほぼ廃したゴリゴリハード路線エロスなしで、原作のエピソードを改変しつつ再構成したストイックで硬派な仕上がりは、原作とは違うアプローチながらも別の高みに到達していたように思います。
不満があるとすればフチコマの不在ですが、そうすると後年のテレビアニメ版くらいのボリュームがないと消化不良になったような気もするので致し方ないところでしょうか。
ボイスキャストは個人的にはこれ以外あり得ません(特に田中、大塚、山寺の御三方)。
公開当時は海外でここまで人気が出るとは思いませんでしたが、今はアニメーション映画のマスターピースという認識です。
そして田中敦子氏の訃報に大ショック。少佐…。ネットは広大ですか…。
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