河内山宗俊のレビュー・感想・評価
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山中貞雄 その二
山中貞雄現存3作品の一つ。皆が絶賛するだけのことはあります。
但し、音声が悪くて大事なところで何を言ってるのかサパッリなので、WIKIのあらすじを片目で追いながら観ないと内容を理解できません。
この人の作品は、カメラを引いて長回しを多用します。黒澤親分も影響を受けたのか?
引いた分、江戸の街並みが俯瞰的にとらえられるので、他の時代劇に比較しても長屋や街並みの光景がリアルに映ります。
セリフの余韻を残した残影みたようなシーンも多く、脚本以上に抒情を強調します。
三作品の内では劣ります。演出面では山中水準を維持していますが、脚本がイマイチ、なぜあんなクソ野郎に命をかけなくてはいけないのか?合理性も仁義の感じられません。
わしはな、これで人間になった気がするよ。
講談好きには見逃すことができない作品。と言っても、DVDで持っていながらなかなか観ることもせず流していた作品でもある。
河内山宗俊、金子市之丞の友情物語、という趣向。直侍や三千歳は出てこない。丑松は出てくるが役どころが違っていた。憎まれ役が松江侯というのは同じだった。こういう作りは、山中監督の別作品「人情紙風船」でもそうで、下敷きの髪結新三から随分と脚色してあった。アウトローに堕ちても筋だけは通したい、男のダンディズム。エンディングの描き方に物足りなさを感じはするが、いいキレ場だと解釈すればよしか。
終映後、トークあり。/古賀重樹氏、瀬々敬久監督。
最後のタテの無常観について語る。とてもリリカルだとも。瀬々監督のピンク映画「未亡人初七日」のスジは、まるで河内山宗俊なのだそうだ。気になるな。この映画は、特集「時代劇が前衛だった」の一本。そのムーブメントを、作者主義・カルト主義ではなく集団、特権をもったものではなく運動、と語られていた。
死生観
何か「きれいなもの」のために死にたい、という憧れのような死生観がこの映画の根底にあるように思います。
きれいなもの、とは愛や純真無垢さ、思想、芸術など、人によりさまざまですが、自分が思った「美」のために身を捧げられるということが、死生観の一番高いところに見えた印象です。
一方、小柄を無くした家老の北村は、死を選べるはずが、切腹を口にしながらもうろたえて回避しようと保身に動きますが、金子から五十三まで生きれば出来のよいほうだと言われます。また、お静はそんな死生観を知る由もなく、お浪の純朴さに惹かれることを単に色恋ごとにしか見られません。
山中貞雄監督自身、徴兵制や戦争があった時代に生き、若くして戦病死となり自分で死に様を決められませんでした。こんな時代背景を思うと、この映画の重みを感じざるを得ませんでした。
すっきりしない話だな
この作品を酷評すると映画ファンとしてレベルが低いと言われそうなんだが。私はこれの脚本がよくかけてると思えない。こんな根っからしょうもないド腐れ野郎が急にシャキッとするかっての。そのシャキッとするところまでの話の内容があまりうまく描けてないので、急に・・っていう感じがするのだと思う。ドクサレ野郎が頭にくるもんだから主人公たちがドクサレ野郎のために頑張ってるみたいな感じになってしまっている。心中しようとした幼馴染が女郎屋でどのような地獄な目に遭っているかを知る。・・というところをしっかり描いていくと、多分そこがちゃんとできたんじゃないかと思う。しかし、それを描くと地獄すぎるので描けなかったのかもしれない。時代を考えると予算のせいかもしれん。それから手に入れた300両はどこに行ったか描かれてないので、すっきりしない(台詞が聞き取れなかっただけかもしれない。)。本当にその300両持って、そこへ行ったら取り返せるかどうかも。そして取り返した後、どこへ行くんだ?
全体的に脚本が手抜きな感じで、もうちょっと頑張ればもっと良くなったのに残念だという印象を受けた。しかしまあ、時代を考えると、それもいたしかたなかろう。いや、むしろ最初の伏線がクライマックス前のところで見事に生きてる点なんか驚嘆すべきなのかもしれない。
それにしても、この時代の人たち。真冬だというのに、なんて薄着なんだ。
凄い‼️
15歳の原節子
日本映画は既にトーキー黎明期にして、これほどの高い実力があったのです
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