原爆の子のレビュー・感想・評価
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子供も大人もお姉さんも
人生2回目の、リニューアルしては初めての、原爆資料館に足を運んだ(o📣'▽')o📣、外国人が多かった、全体的に人が多くて平日だけど受付まで20分ほど行列に並んで辿り着くまでかかった、まあ展示物は想像の範囲内で特段新鮮な衝撃はなかったが思ったより?割りと突っ込んだ表現の写真もあって出来栄えに納得した(´ー`*)ウンウン✌️
「ひろしま」にあって「原爆の子」にないものとは? そして広島サミット
1952年8月公開
原作は1951年に刊行された「原爆の子〜広島の少年少女のうったえ」という作文集です
編纂したのは広島大の学長の長田新(おさだあらた)
原爆投下時は広大の教授として被爆し重傷を負った人物
1952年4月、日本は独立を回復しました
GHQの検閲による原爆についての表現のタブーが解けたことをうけて、早速同年8月6日この作文集を原作にして本作が公開されたという訳です
監督、脚本は新藤兼人
まだ3作目ながら新進気鋭と評価がその当時から高い監督でした
その後、名監督として世界に名前が轟いていくのはご存知の通り
素晴らしい作品です
日本人だけでなく世界中の人が観るべき映画です
同じ原作で「ひろしま」という映画が本作の公開の翌1953年10月に公開されています
本作に当初協力姿勢を示していた日教組が本作の製作の方向性に強烈な不満を示し、別個に映画化したものです
そちらと本作を続けて是非一緒にご覧になるべきと強くお勧めします
「ひろしま」には本作に無いものがあります
それは原爆被爆直後の地獄絵図です
初めて広島の平和資料館を見学して受けた衝撃と同等以上のものを受けると思います
公開当時とは比較にならないほど、特撮やCGが発展した21世紀でも、その作品には及ばない迫真性があります
それは本当に体験した真実の記憶をそのまま再現したものなのだからです
それは本作に一切ありません
物語は終戦の7年後の夏休みから始まるもので、被爆直後の回想シーンは殆どありません
そしてもう一つ「ひろしま」あってに本作にはないものがあります
それは憎悪です
「ひろしま」には憎悪が溢れています
原爆への憎悪
放射線への憎悪
原爆症への憎悪
そして原爆を投下した米国への憎悪です
ことにそこに重点がおかれています
憎悪は憎悪を呼びエスカレーションしていきます
最終的には再び原爆投下へ至る道です
「ひろしま」は原爆を憎むあまりそういう映画に残念ながらなってしまっているのです
しかし、本作には憎悪はありません
ただ悲しみがあります
そしてその悲しみを乗り越えて未来を作って行こうという前向きな希望があるのです
本作は「ひろしま」が訴えようとした怒りや憎悪を静かに胸の中に飲み込んで、そのような高みにまで昇華させているのです
だからこそ本作は大変に抑制的な演出なのです
本作「原爆の子」と「ひろしま」は同じ原作の表裏一体の作品です
二つで一つと言って良いかも知れません
片方だけでは不足なのです
2023年5月、G7 広島サミットが開催されました
戦争中のウクライナからゼレンスキー大統領も駆けつけたことで歴史に刻まれたサミットになりました
世界の首脳が平和資料館を訪れ、原爆慰霊碑に献花黙祷をなされました
広島の被爆は、日本の話ではなく、世界の話になったのです
憎悪の連鎖は、原爆の応酬への道です
「過ちは繰り返しません」とは、そういうことだと世界の首脳の方々が悟り心に誓われて各国にお戻りになられたのだと信じたいです
2023年6月、広島サミットが終わった後、本作を観なおしてから改めて原爆ドーム、平和記念公園、平和資料館を訪れてそう思いました
本作と「ひろしま」を観たなら「二十四時間の情事」も併せてご覧になられるべきとお勧め致します
悲惨な戦争がもたらす苦しさ
乙羽信子扮する小学校教師石川孝子は、広島に帰るところであった。孝子ひとり原爆の後、生き残ったのだった。眼が見えなくなった元奉公人岩吉を見つけ岩吉宅へ行った。ピカドンの影響する病気はいつ出るともしれず病死する者もいた。悲惨な戦争は人の命を奪い、苦しさをもたらすものでしかなかった。映画としては乙羽信子が生徒の家を廻る淡々としたものであった。若い宇野重吉が印象的だったね。
新藤音羽コンビ
めくらの岩吉さんは孝子の家で働いていた老人。顔は焼け爛れ、薄明かりを頼りに乞食をして生きている。生き残った孫を孤児院に預けざるを得ない状況に胸が痛む。その後幼稚園で一緒に働いていた夏枝を訪ねたが、原爆の影響で子供を生めない体になったと告げられショックを受ける。アルバムを見て懐かしく思い、かつて園児だった三平、敏子、平太の三人の教え子を訪ねることにした。三平を訪ねたところ、丁度父親がピカの影響で臨終する現場に出くわしてしまった。また、敏子は原爆症で教会で介護を受けていた。平太の姉は原爆の日に足を怪我したまま障害が残ったが、婚約者からは予定通り結婚しようと言われ、ようやく幸せを感ずることができた孝子であった・・・
戦争、原爆の爪痕は障害、貧困、病気を植え付けていったが、人間の心までは奪えなかった。真摯に生きる姿と相互扶助、人間信頼の心を感じ取った。三平の作文には稚拙な文であるのに衝撃を覚えるほどの訴えがあり、心打たれました。できれば、他の子供たちの作文も掲載してほしかったかな。
もっとも感動するのは平太の姉の嫁入りのシーンだったし、ラストの宇野重吉の乞食小屋が燃えるシーンでは、ひょっとして自殺の意図もあったのではないかと思われたので、ちょっとだけ評価がマイナスとなってしまいました。
広島で起きた悲劇の断片
広島で生き残った子供たちの書いた作文からエピソードを拾っていて、1つ1つ別々に起きた事を幼稚園の先生が元教え子を訪ね歩くという設定でまとめている。
ピカドンのシーンはお世辞にも良く出来ているとは言い難く低予算なのだが、撮影時期が戦後まもなくでロケーションはリアルだ。
映画として面白いかと言われるとそうでもないのだが、当時広島で起きた事を知る意味は大きい。
押売。
現在の科学的知見からみてどうなんだろうか?、と疑問に感じる部分はあるけれど、一般市民が1952年当時に感じていたことを投影させたらこうなったんだろうな、と。
親切や価値観の押し売り感がかなり鼻につくのは、この数十年で日本におけるスタンダードが大きく変容したことを物語っている。
一度観てみてもよいけど、見返そうとは思わない作品でした。
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