決戦!南海の大怪獣のレビュー・感想・評価
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円谷英二の亡骸に、円谷特撮技術の総決算をもって恩返しすると誓って完成させたという作品
1970年8月公開
正式タイトルは「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦! 南海の大怪獣」
タイトルが似ている作品が他に3つある
ひとつは名作「三大怪獣 地球最大の決戦」で1964年12月公開
ふたつ目は「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」で1966年12月公開
三つ目が「ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃」だ
これは前年1969年の12月公開
「ガメラ対大魔獣ジャイガー」は、オール怪獣総進撃と本作との間の1970年3月公開になる
「ゴジラ対ヘドラ」は翌年1971年7月公開
その間には、実質的なガメラシリーズの最終作の「ガメラ対深海怪獣ジグラ」が1971年3月公開で入る
こういう時系列になる
さて特撮の父、円谷英二は1969年8月公開の「日本海大海戦」で興行映画の特撮製作は実質的に最後となる
というのも、その年の12月の「ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃」でも特技監修円谷英二とクレジットされるが撮影には関わっていないからだ
円谷英二と一番弟子の有川貞昌は、1970年3月開会の大阪万博の三菱未来館で使用する映像製作に集中して多忙だった為だ
それでこの作品では、特技監督助手とクレジットされている若手の弟子の中野昭慶が取り仕切っている
本作は当初1970年3月公開を予定していたようだ
カメーバという亀の怪獣が登場する怪獣映画を、ガメラシリーズとその年3月に激突させるという目論見だったのかも知れない
ガメラとの直接対決は、翌年3月の「ゴジラ対ヘドラ」でゴジラ映画で実現されることになる
しかし脚本が難航して遅れ、完成したのがその年の1月
早速同月に撮影を始めたものの、3月公開は無理となり8月公開に延期となった
特技監修は円谷英二の予定であったそうだ
ところがその円谷英二が、1969年の秋に体調を崩し、一時は入院もして12月には伊東の別荘に療養生活にはいる
そして明けて1970年1月25日、とうとう68歳で病死してしまう
結局本作は、一番弟子の有川貞昌が、特殊技術とのみクレジットされ、助手として中野昭慶がついて完成させた
告別式には、撮影を中断して特撮スタッフ一同で円谷英二の亡骸に円谷特撮技術の総決算をもって恩返しすると誓ったと言う
本作の特撮はどうか?
さすがに力の入り方が違う
新怪獣3体の登場させ、さらにその怪獣の造形、怪獣どうしの闘い、どれも前作のオール怪獣総進撃とは雲泥の違いをみせる
クライマックスの火山の爆発シーンは、3年後の日本沈没に繋がる迫真性のある素晴らしい爆発を観せてくれる
では素晴らしい怪獣映画なのか?
残念ながらそうとは言えないのが悲しい
ストーリーは陳腐、新怪獣が3体も登場してもどれもスター怪獣になる華がない
造形は良くても、ラドンやモスラ、ギャオスのようなスター怪獣のオーラを放っていないのだ
もちろん看板スター怪獣ゴジラも登場しない
これでは新人俳優だけの映画だ
スター怪獣に育つ将来性が期待できるならまだ良い
どうみてもザコ怪獣に過ぎない
「イカゲソ、カニ、スッポン 決戦!南海の大珍味」とよく揶揄されるぐらいだ
決戦!とタイトルにあっても3体の怪獣が三つ巴で闘うものでもなく不満がのこる
かっての三大怪獣地上最大の決戦とは、スター性、闘いの規模、迫力、ストーリー性
どれも低過ぎてガッカリするばかりだ
冒頭のアポロ月ロケットにソックリなヘリオス7号は、発射シーン、揺れの無い慣性飛行、着水シーンなどどれも良いできだった
本作前年の7月に人類初の月着陸を果たしたアポロ11号の余韻が冷めやらなかったことの反映だろうが、デザインの独自性は皆無だ
宇宙アメーバが宇宙探査機に付着して大惨事となる着想は、1969年の米国のSF小説「アンドロメダ病原体」が元ネタかも知れない
但しハヤカワSF文庫の初版は1970年1月
本屋には1ヵ月位前には並んでいたと思う
島の娘サキ役の小林夕岐子は、オタクの間では有名人
1967年のウルトラセブン第9話チブル星人の登場回「アンドロイド0指令」でのアンドロイド少女ゼロワンを演じたことで特に有名な女優だ
金髪のロングヘアーが強烈な印象を残した
1968年の「怪獣総進撃」ではヒロインの真鍋杏子役に大抜擢されている
本作撮影中の1970年3月東宝の機構改革のひとつとして特殊技術課は廃止された
つまり円谷英二の死をもって、東宝特撮は本作をもって終わったのだ
本作の特殊技術を担当した有川貞昌は、この時まだ45歳
特技課が廃止されても、東宝でいくらでも活躍できたはずだ
しかし彼は翌年の1971年、東宝を退社し東宝グループのテレビ製作がメインの国際放映に移籍してしまう
「オヤジ(円谷英二)がいなくなっちゃったんじゃ、もう東宝にいる意味が無くなった」と語ったと聞く
東宝に残り特撮の跡目を継いだのは、本作の特撮監督助手で公開時若干35歳の中野昭慶だ
彼は本作翌年の「ゴジラ対ヘドラ」以降のゴジラのリブートを支え、3年後には「日本沈没」の大成功をもたらして大輪の華を咲かせ見事に重責を果たしてみせたのだ
円谷英二の墓は、東京都府中市のカトリック府中墓地にあるという
日本特撮の父、円谷英二 R.I.P.
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