激動の昭和史 沖縄決戦

劇場公開日:1971年8月14日

解説

沖縄戦を舞台に、十万の軍人と十五万の民間人の運命を描く。脚本は「裸の十九才」の新藤兼人。監督は「座頭市と用心棒」の岡本喜八。撮影は「学園祭の夜 甘い経験」の村井博がそれぞれ担当。1971年7月17日より、東京・日比谷映画にて先行ロードショー。

1971年製作/148分/日本
原題または英題:Battle of Okinawa
配給:東宝
劇場公開日:1971年8月14日

あらすじ

昭和十六年十二月、ハワイ真珠湾奇襲で始まった太平洋戦争は、十七年五月のミッドウェー海戦で日米が攻守ところを換えた。同年八月米軍はソロモン群島のガダルカナル島に上陸した。これは、大本営の予想に約一カ月早い米軍大反撃の開始であった。タラワ、マキン、ギルバート、アーシャル群島と、太平洋を飛び石伝いに米軍は怒涛のように、日本本土を目指して北上して来た。圧倒的な物量差と、後手後手と廻った大本営の作戦によって十九年七月にはサイパン島が陥落。米軍は、日本の喉元に匕首を突きつけられた型で太平洋戦争は最終段階に突入しようとしていた。次は、フィリピンか、台湾か、沖縄か--大本営は米軍の進路が読めず迷った。いずれにしても、どんな犠牲を払っても本土に至る手前で敵を食い止めなければならない。今まで、ほとんど顧みられることのなかった沖縄に本土防衛の第一線として、急拠、大兵力が次々に送り込まれた。九師団、二十四師団、六十二師団を基幹とする約二十万の精鋭である。更にこの沖縄三十二軍に新司令官牛島中将が送り込まれた。陸軍士官学校の校長だった温厚な人格者である。「今、沖縄を任せられるのは、牛島以外にない」大本営からそういう期待を托されて沖縄に赴任した牛島を迎えたのは、豪傑型の参謀長の長少将と、あくまで冷静な秀才合理主義者の高級参謀八原大佐であった。八原参謀の作戦構想は、日本の航空戦力は米軍に太刀打ち出来ないとの分析から、洞窟陣地によって、決戦を行なうというものだった。これは、大本営の作戦と真向から対立した。大本営は沖縄各地に航空基地を設営し、島全体を不沈空母と化し、ハルゼー中将の米機動艦隊と航空決戦を行なう、という構想であった。大本営の意見を無視して陣地構築を進める三十二軍に業を煮やした大本営は、航空参謀を派遺して強引に飛行場を設営させた。しかし、その時すでにアメリカは沖縄戦略の方針を決定していた。十月十日、沖縄大空襲。那覇の町は一瞬にして灰になった。焼けだされた市民の中には、床屋の比嘉三平、接客婦のシーちゃんもいた。「日本軍の飛行機は何をしているんだ!」彼らは空いっぱいに飛ぶ米機の跳梁を見上げて口惜しがった。更に衝撃を与えたのは、最高の精鋭舞台といわれた九師団の台湾転出命令であった。市民たちは動揺した。役人は真っ先に逃げ腰になり、知事は公務と称して本土に出張したまま再び沖縄には帰ってこなかった。県民の不安は広がり、我先にと疎開を急いだが、疎開のあてさえない者の数の方が遥かに多かった。比嘉三平もその中の一人で、空襲で店を焼かれた彼は、ある日焼跡の電柱に“軍司令部の散髪要員を求む”という貼り紙を見つけ、三十二軍司令部内に床屋として入り込むことになった。昭和二十年一月、新知事島田叡が着任した。彼は死を覚悟の上で大阪から那覇に赴いた。島田は着任そうそう、北部山岳地帯への老幼婦女子の疎開を実施した。戦況の逼迫にともない、県庁も首里の壕へと引っ越し、軍司令部も首里城の大地下壕へと移動した。そして、防衛召集によって十七歳から四十五歳までの男子約二万の県民が陸軍二等兵となり、師範女子部と一高女生徒二百九十人名は特志看護婦として南風原陸軍病院に勤務、師範男子二百八十五名が卒業と同時に全員召集令状を受け勤皇隊として、斬込隊に、あるいは軍司令部情報部勤務の千早隊などに編成されていった。昭和二十四年四月一日、午前八時三十分。千五百のアメリカ艦艇は嘉手納の沖を埋め尽くし、二十万の米軍が怒涛のように海岸に殺到した。五日間で島を南北に両断した米軍は、日本軍司令部のある首里に向って南進した。だが、首里北方の丘陵地帯には、六十二師団が強固な陣地を構築して米軍を待ち受けていた。ここに第二次大戦最大の激戦といわれる首里攻防戦が開始されたのだ。沖縄戦を重視した大本営は世界一の巨大戦艦大和をも出撃させた。そして約一カ月後、六十二師団は大半の戦力を失っていた。五月に入り、激戦に激戦を重ねた兵力は日増しに減っていった。意を決した長は、持久戦を主張する八原を説得、最後の望みを総攻撃にかけた。五月四日、無傷で温存していた二十四師団を主力に総攻撃が開始された。あちこちで肉弾戦がくり返され、棚原一五四・九高地では自決の手榴弾が裂炸した。大本営は、沖縄へこれ以上力を注ぐのをやめ、本土決戦へのホゾを固めた。五月二十二日、沖縄軍司令本部は、持久戦に持ち込むための残存兵力をもって、島の最南端の摩文仁に司令部を移した。首里周辺の壕に重傷の身を横たえていた負傷兵たちは見殺しにされ、南風原陸軍病院では二千名が青酸カリを混入した牛乳で自決した。その中には重傷のひめゆり部隊員渡嘉敷良子もいた。沖縄県民は戦った。彼らの献身は酬いられないまま戦闘は末期を迎えた。六月二十三日、夜明け、司令部塹壕内で牛島司令官と長参謀長は最後の攻撃を断念して割腹した。「軍人は死ねばすむ、だが俺たちはそうはいかない。この島は俺たちの郷土だ」若い勤皇隊員たちは次々と斬り込んでいった。下半身のない母親の背中で泣く赤ん坊、洞窟の中から吹き飛んでくる身体、一人の教師と六人の女生徒が故郷の歌をうたいながら青酸カリを飲む。もう避難民もいない。戦いは終った。沖縄軍の死者十万。沖縄県民の死者十五万。それは県民の三分の一にあたる。

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スタッフ・キャスト

監督
岡本喜八
特殊技術
中野昭慶
脚本
新藤兼人
製作
藤本真澄
針生宏
撮影
村井博
美術
村木与四郎
音楽
佐藤勝
録音
渡会伸
照明
佐藤幸次郎
編集
黒岩義民
衣裳
百沢征一郎
製作担当者
古賀祥一
助監督
河崎義祐
記録
梶山弘子
スチル
中尾孝
特技撮影
富岡素敬
特技照明
原文良
特技美術
小村完
操演
小川昭二
合成
三瓶一信
特殊効果
渡辺忠昭
石膏
安丸信行
特技監督助手
川北紘一
ナレーター
小林清志
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映画レビュー

2.0よりドキュメンタリータッチで描いた方が良かったようにも感じ…

2025年7月15日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

日本人として知るべき沖縄戦を描いた作品
として、また、岡本喜八監督+新藤兼人脚本
への期待もあり、TV放映を機に初鑑賞。

更には、日本軍兵士と沖縄住民との関係が
どう描かれているのか、との関心もあり
観てみたが、全編、
沖縄戦での地獄絵図を見せられたような
印象で、その点においては
リアリティー溢れる作品のように感じた。

しかし、映画そのものの出来としては、
岡本喜八も新藤兼人も不在であったかの
ような、そんな地獄の羅列にしか見えない
作品のようにも感じられた。

多分に、エピソードの盛り過ぎと、
戦いの時系列にこだわった結果なのか、
作品全体としては芯の細い各エピソードの
バラバラ感があるばかりで、注目していた、
日本軍兵士と沖縄住民との問題についても、
幾つかの描写はあったものの、
特に、ガマでの悲劇を中心とした
兵士と住民の確執への踏み込みが
不充分なばかりか、
米軍の非情性の強調ばかりだったのは
残念な脚本と演出に感じた。

また、戦闘シーンにも注力する必要が
あったためかも知れないが、
3人の将校を初め、
各登場人物の心理描写が中途半端な印象。
だとしたら、そんな演出要素も切り捨てて、
同じ岡本喜八監督の傑作
「日本のいちばん長い日」のように、
より徹底したドキュメンタリータッチで
描いた方が良かったようにも感じたのだが。

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KENZO一級建築士事務所

3.0人間の本質

2025年7月6日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

文民保護、民間人を加害しないという国際法上のルールは1949年のジュネーヴ条約で規定されたらしいので、太平洋戦争時においては明確に違反ではなかったといえるのだろうか。そこら辺の解釈はよく分からないが、銃後もへったくれもなく、民間人が多大な犠牲を被ったという点で特筆すべきなのが沖縄だし、日本軍のどうしようもなさが極まったのもここ沖縄。そのどうしようもなさは、実のところ人間の負の側面そのもので、我々現代に生きる者も同じような行動をとる素地があり。戦時のみならず、平時において同様な行動をとっているのではないか、という内省に至る。

沖縄、自決したりさせられたり、戦うこと守ることを強いられたり。老若男女、誰にとっても生き地獄だっただろう。10代で爆弾抱えて突撃とか、青酸カリを口に含むとか。今の時代の若者には今の時代の苦悩があるとは思うが、戦時の若者の背負っていた十字架に比べ、私も含めなんと荷の軽いことか。
彼らの荷を代わりに背負う必要はないが、人生を選べなかった彼らに思いを馳せ、自分自身の人生を胸を張って生きられるように。そんなことを思う。
そして、摩文仁は時間をかけて訪れておきたいな。

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Nori

4.0「県民に対し、後世特別のご配慮を賜らんことを」

2025年7月2日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

驚く

 昭和19年、大本営は米軍の侵攻を沖縄で食い止めることを決断。人格者の牛島中将が着任し、豪胆な参謀長の長少将、優秀な高級参謀八原大佐らと作戦を協議する。しかし大本営は航空決戦の意向にも関わらず、十分な部隊は送られてこない。沖縄司令部は、陣地を構築して戦いに挑むものの、圧倒的な兵力差で市民も犠牲になっていく。
 昭和の俳優が大挙して出演、それにまず圧倒されます。そして物語は凄まじいテンポで展開し、そして内容の濃さに驚かされます。よくこの尺に収めたものだと、監督の手腕にただただ感服しました。小禄の海軍陸戦隊太田中将が残した「県民に対し、後世特別のご配慮を賜らんことを」という言葉が深く印象に残ります。県民のうち、三分の一、15万人が犠牲に。

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sironabe

5.0多くの人に観てほしい

2025年6月24日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

山岡荘八の『小説 太平洋戦争』や、吉村昭の『殉国』で、

沖縄戦の概要は知っていた。

初めて映像として観た。エアコンの効いた部屋で、ビール飲みながら。

50後半の自分が生まれる僅か20年ほど前にこんな出来事があったのかと思うと、

なんとも言えない気持ちになる。

当時の状況からすると如何ともし難い米国の攻撃への防衛、

玉砕したり、逃げまどったり、命を散らした民間人その数およそ12万人

(軍人はおよそ8万人、あわせて20万人)、

死んでも何にもならないんだが、死ぬしかない儚さ。

この沖縄戦で、日本の敗北はほぼ100パーセントとなった。

しかし、政府上層部は降伏の決心がつかず、この後、東京始め各地の空襲、

広島長崎の原爆と、戦争は、さらに数十万人の命を召し上げることになる。

開戦は避けられなかったかもしれないが、終戦へのアプローチを

もう少し強力にできなかったものか、と感じてしまう。

映画観て、画面に合掌したのは、初めてだ。

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藤崎敬太