狐の呉れた赤ん坊(1945)

劇場公開日:

解説

「花婿太閤記」に次ぐ丸根賛太郎演出作品。

1945年製作/85分/日本
配給:大映
劇場公開日:1945年11月8日

ストーリー

東海道名代の大井川金谷の宿に、酒と喧嘩では人におくれを取ったことがないという川越人足、張子の寅八、彼の好敵手は馬方の頭分丑五郎であった。場所は美しい看板娘おときのいる居酒屋浪華家と定まっていた。その寅さんが、ひょんなことから赤ン坊を背負い込んだ。話というのは街道筋に悪狐が出没するというので武勇自慢の寅八が勢い込んで出馬したが、間もなく、すやすや、と寝ている赤ン坊を抱えて来たのである。「なあに狐が化けていやがるんだ、今正体を現すから見ておれ」というので一晩中赤ン坊を監視したが、結局正真正銘の赤ン坊であった。寅八にとって赤ン坊は思いがけない厄介者だが、といって捨てるに捨てられず、丑五郎との意地づくから「育ててみせる」と言い切る破目になった。それからの寅八は善太と名づけた子供のために、酒も喧嘩もやめてしまった。善太が大病で町医者に見放された時は数里の道を走り通して京の名医松屋容齋を迎えようやく一命を取りとめた程の子煩悩になっていた。善太はやがて七つになった。彼は自然と備わる品と威厳で近所の餓鬼大将になった。ところが大名行列の先を突っ切ったため本陣に連れて行かれてしまった。これを聞いた寅八は一時は気も顛倒したが、一大決心をすると大名の宿泊する本陣に駆け込み子供の身代わりになることを懇願した。それが「武士にも劣らぬ覚悟」と、いうので、善太も寅八も許されて帰って来た。その夜祝いの酒の席で、寅八は「善坊はさる大名の落胤だ」と座興に言った。その翌日それが本当になって、なにくれと善太のことに気をつかって巡業の旅ごとに玩具や金を持ってくる関取賀太野山からその真相が語られた。寅八は美しい着物を着た善太の周囲にいる腰元や威儀を正した武士達を淋しげに眺めた。彼は悲しかった。七年の間、父となり子となり今は善太と切り離した生活などを考えることすら出来ないのだ。「お前はいつぞや本陣に乗り込んだ時死んでる筈だ、善太のためにもう一度死ねよ」という質屋の親爺の一言に翻然悟った寅八は「善太、ちゃんはもう一度死ぬぜ」と泣いた。かくて善太は江戸表の父君に対面すべく大井川を渡ることになり、川岸には彼のために美々しい蓮台が用意されたが、善太は寅八の肩で渡って行った。「善太、おめえは宿場のみんなに優しくしていたが、殿様になってもみんなに優しくしてやるんだぜ」寅八の手がしっかと善太の脚を握りしめていた。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.5いい話だった。育てていく人情話なんだろうなと思ってたけど、実はその...

2021年4月13日
スマートフォンから投稿
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collectible

4.0刀を赤ん坊に持ち換えて

2013年6月22日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

笑える

幸せ

暴れん坊だけど気のいい川越人足・寅。街道に出る狐を退治に行こうとしたら、そこには捨てられた赤ん坊が居て…。 製作されたのは1945年。終戦の年。 GHQの厳しい検閲で、チャンバラ時代劇が作れず、苦心の末作られたのが、この人情時代劇。 チャンバラだけが時代劇ではない。ましてや、当時の人全員が刀を持ってチャンバラをしていた訳でもない。今以上に義理人情があった時代。 山中貞雄の名作「丹下左膳余話 百萬両の壷」と共に、人情時代劇を定着させ、時代劇の可能性を広げた作品と言えよう。 赤ん坊を育てるハメになった寅。最初は嫌々、悪戦苦闘だったが、次第に情が沸く。酒も喧嘩も博打も止め、子供の為にひたすら奮闘。元気に育った子供を誉められると大層嬉しそうな顔をし、粗相を犯した子の身代わりになろうともする。 二人は擬似親子。どうして擬似親子は、実の親子以上に親子の在り方を訴えられるのだろう。 昔も今も、この設定は続きを読む

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近大

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