キッズ・リターンのレビュー・感想・評価
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「まだ始まってない」二人に惹き込まれる。
◯作品全体
同性の親友と出会い、成長し、傷ついたり別れたりしながらも再び合流して進みだす物語が大好きだ。
恋人同士の関係とも少し違う、ドライな空気感をまといつつ相手をさりげなく思い遣る。そういう絶妙な距離感を見るたびに、羨ましい気持ちと、ところどころノスタルジックな気持ちにさせてくれる。「理想的なくすぐったさ」が好きだし、人生に躓く苦しさが「説得力」として刺さる。そういう、自分自身に響くほろ苦さが絶妙だと感じる作品が多い。
そうした作品は物語も大事だけれど、なによりメインとなる二人の描写が鍵を握っていると思う。本作はそこが絶妙だった。
作品前半はマサルとシンジの自由奔放な日々が描かれる。かなり行き過ぎた自由奔放な振る舞いもあってマサルたちを好きになれない気持ちも少しあったけれど、冒頭で「夢破れた二人」を映すことで、彼らにとって自由奔放な生活が有限なモラトリアムであることを示唆する。その切なさが二人の行く末を見守りたいと思わせた。
二人の行動において旗振り役はマサルなんだけれど、上下の関係だったり力関係を偏らせる描写はほとんどなかった。ヤクザになったマサルがボクシングジムに来た時にはスパーリングで舎弟をボコボコにしていたけれど、シンジに対してはそういうことを一切していない。マサルは北野作品特有の破天荒さが目立つが、ヒロシが母子家庭であることを知るとイビることをやめる優しさがある。マサルの人間性が少しずつ開示されていく楽しさがあったし、それによってマサルを親しみあるキャラクターとして巧く演出していた。
シンジは良くも悪くも無色透明な人物だ。周りにいる人物に染められていってしまう弱さがあるが、それによって周りの人物がどういう人間性なのかを映すキャンバスのような存在でもある。ボクシングを契機にマサルと袂を分かった後は落ち目のボクサー・林によってシンジの色を塗り替えられてしまう展開も良かった。同性の先輩に引きずられるというのはシンジのこれまでを見ていれば説得力がある。
二人が失敗してしまったあとに、再び校庭で自転車を乗り回す姿はグッときた。授業を受ける教室の生徒と、校庭を自転車で走り回る二人。決められたレールを進む室内と好き勝手に遊びまわる室外の対比が印象的で、「墜ちた二人」であるはずなのに、その自由さが清々しく映る。森本レオ演じる教師が「外ばっかり見るな」と注意するシーンが2回ある。二人が学生時代の時とラストシーンだ。前者は周りから見捨てられた若気の至り感があって痛々しさがあった。訳もなく社会のレール外に外れようとして見えるからそう感じるのかもしれない。しかし、後者は社会のレール外にいるからこそ終わることはないし、「まだ始まってねえよ」という言葉がすごく響く。
二人にとっては墜ちたのではなく、振出しに戻っただけなのだ。結果だけみれば歳を食っただけの二人だけど、二人の晴れやかな笑顔を見ているとすべてがプラスに向かっているように感じる。不思議と希望を感じるラストは、「あのころ」の二人を活き活きと描写したからこそ、なのだろう。
◯カメラワークとか
・ボクシングジムに通い始めた不良がジムの前でガタイの良いおっさんに殴り倒されるシーンが面白かった。二人の顔をアップで映して、殴る描写はカットして倒れた不良と立ったままのおっさんを映す。こういうシーンって別に珍しくはないけど、1カットごとの時間の使い方が巧い。既視感ある演出としてはおっさんにビビる不良の表情のカットだけ長く映して、その後に殴られた不良を映すのがある。でもここではすべてのカットがほぼ均一の時間で映されていて、その淡々とした感じが逆にコメディとして際立ってた。北野武はやっぱり引き算の演出が良い。殴る芝居もそうだけど、「惹きつける時間」すら差っ引いてしまう度胸、というか技量、というか。
・シンジが卒業式の帰りに校庭を自転車で走るカット。引き構図の横位置で映すのがかっこよかった。一人っきりを際立たせるカットでもあり、校庭にいる学生服のシンジは最後なんだっていう寂寥感もある。
◯その他
・北野映画特有の「殺し屋が普通のおっさん」が本作にも。作中で一番キャラが立ってないザ・普通のおっさんなのに、やってることは作中で一番ヤバイっていう。見ている観客からしてもあまりにも普通に画面にいるから、「気づいたらもう間合いにいる」ってやつが自然とできてしまうという。「気づいたら間合いにいる」ってアクション漫画でしか見たことないけど、北野作品はそれをやっちゃうんだよなあ。
・「同性の親友と出会い、成長し、傷ついたり別れたりしながらも再び合流して進みだす物語」、他の作品だと『ガングレイヴ』とか『覇王別姫』とか。二人で傷つけあいながら再びそれぞれを理解するっていうところがすごく好きだ。殆どの作品は分かれてしまうともうそれっきりなことが多くてなかなか探すのが難しい。
悶えろ!青春
シンジ「マーちゃん 俺たちもう終わっちゃったのかなー?」
マサル「バカヤロー まだ始まっちゃいねーよ」
監督と脚本は『あの夏、いちばん静かな海。』『ソナチネ』『HANA-BI』『座頭市』『アウトレイジ』の北野武
久々に鑑賞
思うところあって今月集中的に北野武作品を見返している
粗筋
仲良し悪ガキ高校生コンビがボクシング挑戦をきっかけに袂を分かつ
才能がなくボクサーに挫折したマサルはヤクザな道を踏み組の親分を目指す
マサルの付き添いできたシンジにはボクシングの才能がありプロボクサーとしてチャンピオンを目指す
青春群像劇
安藤政信が最高にかっこいい
当時新人だったようだ
彼はもっともっと売れても良かった気がする
2人だけの話だと記憶していたがマサルとシンジの同級生ヒロシが職を転々としたり
ジムのチャンピオンのイーグル飛鳥が試合に負けて引退したり
漫才コンビ南極五十五号が売れっ子芸人を目指して日々ステージに上がる
などなど
そちらの方にもスポットライトを浴びせている
北野映画の劇中音楽はやはり久石譲がよく似合う
下条正巳は北野映画にも出演していたんだな
カツアゲされる高校生に宮藤官九郎それはわりとよく取り上げられる
しかしその隣には空耳アワーでお馴染みの菊川浩二が
「アホな放尿犯」「みりん?ぽいなぽいな」「ナゲット割って父ちゃん どうすんだい!」の菊川浩二の姿がそこにはいた
ちなみに「悶える」という言葉は元々いやらしいことに限定した言葉でなかったらしい
「悩ましい」にしてもそう
なぜネガティブな誤用が正しいものとして浸透してしまうのか
配役
カツアゲや暴力や酒タバコなどやりたい放題の不良高校生のミヤワキマサルに金子賢
マサルを「マーちゃん」と呼びマサルを慕いよく連んでいるが暴力は振るわない親友のタカギシンジに安藤政信
我流を薦めるジムの先輩ボクサーのハヤシにモロ師岡
ジムの会長に山谷初男
ベテランのトレーナーのシゲさんに重久剛一
いざこざを起こしたマサルと助っ人ボクサーを止めるジムのトレーナーに倉崎青児
練習生にミット打ちの指導をするジムのトレーナーに梅津正彦
マサルにカツアゲされた高校生の知人の助っ人ボクサーに石井光
ジムのチャンピオンのイーグル飛鳥に吉田晃太郎
シンジにジャブを教えるボクシング練習生の先輩に松本理寛
ボクシング練習生に水島新太郎
普段は穏やかなヤクザの組長に石橋凌
すぐキレる組の若頭に寺島進
ラーメン屋の息子で組の子分のカズオに津田寛治
ヤクザの親分に下条正巳
マサルの同級生で真面目な性格のヒロシに柏谷享助
不良三人組のリーダーのハナヤマに矢部享祐
不良三人組の短髪に大塚義隆
不良3人組の金髪に翁和輝
漫才コンビの南極五十五号に北京ゲンジ
母の仕事を手伝うサチコに大家由祐子
喫茶店を経営するサチコの母に丘みつ子
はかりの会社の上司に平泉成
タクシー会社の上司に日野陽仁
ヒロシが乗せたタクシーの客に大杉漣
日本史を担当する担任教師に森本レオ
マサルやシンジに新車カローラを燃やされる教師の橋田に芦川誠
メガネをかけたベテラン教師に伊藤幸純
マサルにかつあげされる高校生に宮藤官九郎
マサルにかつあげされる高校生に菊川浩二
ラーメン屋の親父に田村元治
成人映画を扱う映画館のもぎりのおばさんに松美里杷
組長と対立する別の組織のヤクザで自転車に乗って組長を襲うト字たかお
グラサンの大男にジャンボ杉田
酒場の男に森下能幸
青春もの
不良少年二人
一人はヤクザに、一人はボクサーに
それぞれのトップを目指す
ただなんだかんだで散っていく
かなり淡々と、それでいてうちに秘めた感情を透けさせながら描く
並行して描かれる、お笑い芸人を目指す同級生や喫茶店のお姉さんに恋する凡人な同級生のエピソードのバランスがいい
俯瞰しながらも、どこか温かい視点。きっと監督の視点であり、視聴者もその視点を通してそう見る。
独特なカットのユーモアもいいバランス
劇的なハッピーエンドではなくとも、なくてはならないその瞬間
温かく思い出される青春の1ページ
俺たち…終わっちゃったのかな…?
北野武監督が、自身を俳優ビートたけしとして出さない、数少ない作品の一つ。
二人の不良少年がいる。
一方はボクシングに挑み、もう一方はヤクザの道に突き進む。
日本に数多くあるボクシングジムで、そこに通っている者だけで、プロボクシングの
ライセンスを得られるのは、ごく一握りだけ。
その上で日本チャンピョン、更に上の世界チャンピョンに登り詰める人間など
数千平方キロメートルの砂浜で、小さなダイヤの原石1粒を見つける様な
奇跡の数…
もう一つのヤクザの世界も、よく「ニューヤクザの映画」で見られる、若いのに
ヤクザ世界の上下関係を理解できず、親分にタメ口を聞く奴なんか、実際の
ヤクザの世界では、あっさり切り捨てられるという現実…
ラストは、ネタバレになるので書きません。
久石譲さんが北野映画で作った曲では、この作品が一番好きですね。
北野映画で、唯一サントラを買って聴いていました。
最後のセリフが、最高👍️
評価が良さげだったんで、楽しみにして観たら、あんま良くない…
最後のセリフが最高だけど、作品全体を評価すると、60点ぐらい。
演技、下手ですね…(苦笑)
最後のセリフに、元気や勇気もらえます。
配信がない
安藤政信にハマってからずっと見たかったが、配信されないのでついにゲオ宅配レンタルで借りた。
昔の日本映画って感じ。演技が大袈裟(?)なのも哀愁がある。
ヤクザも出る。昔っていうよりかは北野武だから?
安藤政信かっこいい!
ボクシングで鼻が曲がって悲しんでるところを北野監督に慰められたらしい。
北野武くん、まともな映画も作れるんだ‼️
北野武も松本人志もくだらない映画作りで、趣味を行かせていいなー、そう思います。
これは、唯一まともです。
なぜなら、演技が良いからです、キャスティングだけは凄いんですね。
安藤政信、は、良いですよ。
このテーマで一本撮りきる北野武に痺れた
青春映画の傑作と言おう。
未だ始まっていないと言わせつつ青春の終わりの始まりを確かに切り取る北野ベスト。
そこに高らかに響く切実なテーマ曲が、自らの手で青春を才能を握り潰して人生最良の時期を終わらせる愚を思い切り「肯定」する。
その北野の眼差しは優しい。
そこがいい。
人生うまくいかない、けど進む。色んな性格や、やり方が、あるけどどれ...
人生うまくいかない、けど進む。色んな性格や、やり方が、あるけどどれでもすべてうまくいく事はない。生きてるかぎりは前に進もうというのが上手に描かれていた。冒頭から音楽が最高だった。
単調な映画だった
何か面白いわけではなく、人間は流されて流されて楽な方に流れていって、落ちるところまで落ちるか、最後は落ちる感じの映画だった。
その中には人間の自己中心的な考え方が垣間見えて、なんとも後味の悪さがあった。
漫才コンビが対照的に描かれていたのはビートたけし監督だからかな。
挫折を経た成長の青春期を温かく見詰めた北野監督の映像センスのオリジナリティー
北野武、脚本・監督の昨年度話題になった作品。第一作をテレビ見学してから暫くぶりの北野作品だったが、詩的な映画の世界観に一目置く評価をするに至る。青春前期の不良学生二人の無軌道な時間を余分な装飾を省いて描いた、若い人たちへの作者の愛情と理解が底辺に確りとある好感の持てる繊細な青春映画に仕上がっていた。シチュエーションに凝った映像美は無い。その代わりカット繋ぎに監督独自の個性がある。その間や語り口は漫才師出身の監督のオリジナリティーであり、日本映画では余り見掛けない編集の面白さであった。今回感心したひとつに、この編集が挙げられる。北野監督自身編集に加わっているのが納得の成果である。
演出では、淀川長治氏が絶賛した二人乗りの自転車が授業中の誰もいない校庭で戯れるシーンが素晴らしい。主人公ふたりの疎外感と危うさ、そして自由気ままに見えて何処へ行けばいいのか分からない不安感。その無軌道な青春の時を象徴する映像表現の感覚の見事さ。そのワンシーンの表現力に感心していると、更にラストシーンで物語の核心を突く使い方の技巧の高さに唸らされる。ここでは教室から二人を見下ろす教師の台詞が意味深い。数年前と同じ馬鹿な戯れをまたやっていると軽蔑するが、成長していないのは代わり映えしない授業を繰り返す教師の方ではないのかと。
主人公ふたりがそれぞれボクサーとヤクザの道を選び、一時は自分の満足とするポジション、到達点にのし上がったと思いきや、再び以前の姿に回帰する挫折の物語。しかし、その挫折感は若者に許された成長のひとつの証しとして、清々しく終わる。自分が納得した生き方をした結果に過ぎない潔さが共感を呼ぶ。また、通常の映画が行う主人公の家庭や家族の描写を省略して、家庭事情や社会問題の安易な映画的解決を避けているのもいい。主人公ふたりの一高校生の姿に集中して、これを支える同級生たちの社会人として出発するエピソードを効果的にカットバックさせている。全体のユーモアとシリアスのバランスも絶妙であった。
タイトルバックのセンス、音楽の使い方のセンス、俳優に過剰な芝居を求めないセンス、この北野監督の鋭敏な映画感覚で独特な味わいの詩的映像の世界を創作したことに、素直に賛美を送りたい。
1997年 1月20日
もしかしたら1990年の中原俊監督の櫻の園の北野武監督なりのリメイクであったのかもしれません
希にみる傑作です
若い時の全能感
やがてそれが打ち砕かれる時が誰にも訪れます
大人になるというのはそれを言うのだと思います
まだ始まっちゃいねーんだよ!
まだ全能感が失われてなければ、まだ子供で居られるのです
ポジティブであれ!
若者へのエールのようで、実はバブル崩壊でうつむいていた当時の大人へのエールだと思いました
というかそのエールは20年以上経っても今もなお必要とされています
普遍性を持つ名作だという証明なのでしょう
そして、もしかしたら1990年の中原俊監督の櫻の園の北野武監督なりのリメイクであったのかもしれません
落ちこぼれは落ちこぼれなりの青春があり、繰り返し同じようで、ひとりひとりの青春は唯一無二のものなのです
誰しもが経験する物語
極道の世界へ入るも厳しい掟を前に制裁を受けるシンジ、ボクシングで頂点を目指すも周囲の人間関係で自ら堕ちていくマサル、2人それぞれが夢を追いかけそして挫折して、それでも最後にママチャリを2人乗りしながら笑っている所で鑑賞者それぞれが自分の人生と照らし合わせることができる作品だった。
今作も久石譲の音楽が素晴らしい。
全然笑えない漫才の練習をする姿や、成人映画館になんとか入ろうとす...
全然笑えない漫才の練習をする姿や、成人映画館になんとか入ろうとする様子がなかなか良かった。説明的な部分を一切排除。卒業式もなかったし、それぞれの道を進む経緯もはっきりしない。何となくわかる、すべて勝手に想像してくれ、勝手に感情移入してくれ・・・そんな投げやりなプロット。しかし、皆虚しい生き方。心理描写がさっぱりないのだ。
変な営業の会社からタクシー運転手になった二人なんかは、一般的だからもっと描写してほしいところだ。漫才の彼らが一番まともそうに見えるところなんて、タケシの勝手な思い込みでしかない。ヤクザなんか出すなよ・・・
リアルな青春映画
若者のそれぞれの人生を描いた映画。
話のメインはマサルとケンジという二人の不良高校生。
毎日授業妨害やカツアゲに明け暮れているが、カツアゲをした相手の知人がボクサーで、ボコられる主犯格のマサル。
その悔しさをバネにマサルもボクサーを目指し、ボクシングジムに入る。同級生ながら舎弟のようなケンジも何故か一緒にジムに入らされる。
しかし、才能があったのはケンジの方で、マサルはそのジムでもまた、苦汁をなめる事になる。彼はそのままヤクザの道を歩む事に。
一方ケンジはメキメキとボクシングの実力を磨き、大会で活躍する。
物語はこの二人と同時並行的に
漫才師を目指すヤツら
喫茶店の女を落とすために毎日頑張る陰キャ学生
マサルのコバンザメの三下達がボクシングを頑張る話
ヤクザ同士の抗争
ボクシングジムの先輩達の話
この映画はこういった、マサル、ケンジを含めた上記のような人たちの日々の奮闘劇が同時並行的に描かれています。
その中で起こる成功・葛藤・挫折・未熟さが非常にリアルに泥臭く描かれていて、ストーリーの分かりやすさも手伝って、彼らの気持ちが痛いほど伝わる話に仕上がっています。
ほとんど女っ気は無いけど、登場人物の青春時代ならではのリアルな描写が味わえます。
また、最後の展開は個人的には、色々あったけど死んでない感じが良いんじゃないかなと思いました。
劇中では救われなかった人物もいたけど、それでも一定の成功を勝ち得た瞬間もあったので、ありふれた言葉だけど、何かに頑張っていればある程度、道は開けるという事を感じられる良い映画だなと思いました。
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