寒椿のレビュー・感想・評価
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確かに宮尾登美子原作の世界のお話です しかし、どうしても自分は五社英雄監督なら、この物語をどう撮ったであろうかと考えてしまうのです
1992年5月公開、降旗康男監督の作品
原作は宮尾登美子
1980年代前半に、彼女の原作で五社英雄監督が撮った3本はどれも大ヒットしました
彼女が高知を舞台にした小説は4作あります
発表年、題名、映画化年は次のとおり
1972年 櫂 1985年
1976年 陽暉楼 1983年
1977年 寒椿 1992年(本作)
1980年 鬼龍院花子の生涯 1982年
つまり、五社英雄監督は何故か「寒椿」をスルーして映画化していたのです
「鬼龍院花子の生涯」の成功の次は、「陽暉楼」を撮りたいという五社監督の気持ちは分かります
よりテーマを掘り下げるに相応しい作品ですから
では、その「陽暉楼」の次の作品は何故「櫂」であって「寒椿」では無かったのでしょうか?
本作の方が「櫂」よりも「陽暉楼」との連続性が高いのにという疑問です
五社監督には「櫂」を先に撮る何らかのお考えがあって、それから本作に取りかかるという計画であったのかも知れません
しかし結局、五社英雄監督は「寒椿」を映画化することはありませんでした
本作公開のわずか3ヵ月後の1992年8月30日にガンで永眠なされたのです
では、その「寒椿」を降旗監督が映画化したのは何故でしょうか?
「櫂」以降、というよりその前年の「北の蛍」を撮ってから、五社監督はより大作志向になって行ったからかも知れません
「寒椿」を映画化したい
五社監督が撮らないのなら、他の監督に任せたいと東映から相談があったのだと思います
本作の製作者の奈村協は、鬼龍院花子の生涯、陽暉楼、櫂の3作品の製作者でもあるのです
では何故、降旗監督が本作の監督に選ばれたのでしょうか?
それは五社監督が本作を撮らなかったのと表裏の関係なのだと思います
本作を観て思うのは、これは男の映画だということです
女を描く映画ではないのです
岩伍を中心に、仁王山や田村などとの男達の物語が中心なのです
それもヤクザ映画に近い内容のものです
女性ももちろん描かれていますが、牡丹をはじめ女達はみんな運命に翻弄されるだけなのです
五社監督作品での女性達のように自己を強く主張して男に負けない迫力を示すことはないのです
だから、「寒椿」の映画化には五社監督は食指が伸びず、逆に降旗監督にとってはぜひ撮りたい映画だったのではないでしょうか?
公開当時、西田敏行は45歳
仲代達矢は60歳、緒形拳は55歳
配役の若返りは致し方ないのは理解できます
小津監督だって「秋刀魚の味」では、原節子から岩下志麻にヒロインを交代させているぐらいですから
第一アクションシーンがあるのです
西田敏行の演技は素晴らしいと思います
なのにアップシーンで彼の顔はなんとなく緒形拳に見えてくるのはどうしたことでしょう
牡丹役の南野陽子はイメージ通りで、美しく儚げで、演技も悪いものではありません
スケバン刑事2での高知弁の記憶もまだ残っていました
濡れ場シーンも大胆で、白い太股をだし、乳房と惜しげもなくさらけ出しています
ヤクザに手込めにされもしますし、クライマックスで指を切断されるシーンなどは衝撃です
しかし、スケバン刑事の「おまんら許さんぜよ!」みたいな目の覚める啖呵をきるような演出はありませんし、胸はペッタンコに撮ってしまうのです
工夫次第で、胸の膨らみや柔らかさは出せたはずです
もっと配役の問題があります
それは岩伍の妻喜和役の藤真利子です
「櫂」の時は30歳、本作では37歳での出演です
「櫂」の時と同じ風情での出演であったなら、イメージ通りだったと思います
失礼ながら別人のようです
ただの細い中年女性、少し綺麗なお母さんにしか見えないのです
とにかく降旗監督の喜和の解釈はそうだったのです
はっきり言ってガッカリです
岩伍が執着するのも納得できる美しさで撮ろう、残されている色香を表現しようという情熱がまるで感じられないのです
仁王山の髙嶋政宏は、ラストシーンの笑顔をみると彼で正解だったとは思いますが、相撲取り出身にはどうしても違和感があります
収穫だったのは、田村役の萩原流行です
強烈な印象を残しています
確かに宮尾登美子原作の世界のお話です
しかし、どうしても自分は五社英雄監督なら、この物語をどう撮ったであろうかと考えてしまうのです
西田敏行主演で本当に良かったのでしょうか?
ヒロインは、白くか細くであっても乳房は丸く膨らんでいる女優であるべきではなかったのでしょうか?
最低限、乳房の見せ方にはこだわりがあるべきだと思います
そうでなければ、体当たりで初めて濡れ場を演じた彼女に失礼です
そして妻の喜和役はもっと若く美しくあるべきです
そこを徹底的にこだわるべきだったと思うのです
そもそも女性が脇にやられすぎです
女性からの視点ではないのです
女性の主張が弱すぎます
というか主張させていないのです
そんなことより男のドラマを撮ろうというようにしか見えないのです
結局のところやっぱり降旗監督作品ということです
男を描いた映画であったと思います
女性を中心に描く五社監督作品とは異なるのです
監督が違うのだから、宮尾登美子原作世界へのカメラの視線もまた異なるのは当たり前です
それは分かっています
それでも陽暉楼の外観が五社監督作品と同じであるからには、おなじものを求めてしまうのです
五社監督がお亡くなりになる前に、病床にあっても本作をご覧になられることができたかどうか、それはわかりません
五社監督が本作を観られていたとしたら、一体どのような感想をもたれたことででしょうか?
これは降旗監督作品であるのだと強く思ってみれば悪くない映画であると思います
しかし、やっぱり自分は五社英雄監督が撮った「寒椿」を観てみたかった!
そうどうしても思ってしまうのです
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