劇場公開日 1993年11月6日

「多様性を認めるという差別」学校(1993) たまねぎ なきおさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0多様性を認めるという差別

2023年5月30日
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泣ける

笑える

知的

やはりイノさん。

2023年でもイノさんのような愛嬌のある老人?はチラホラおり、生まれつきの持ち前の性質に悩んだり苦しみながらも、そのままの状態で生きている人。
そういう人を見ると少し滑稽で笑ってしまったり、分からず屋な所に頭が来たり、何故か手助けしたくなったりする。
だが、イノさんのような人は実は特殊な人間ではなく私を含めた大多数の人間はほとんどイノさんと変わらない。
むしろ計算高いだけで全うな人間として生きているイノさんのような存在より安い人間かも知れないと
この映画を見ると思う。

人より少し劣っていたり、優れていたりしながら生活している私たちは
至るところで自分より低い存在を探してしまう癖を持つが、そんな下らないことに人生を使うより
不得意は多くとも大好きな馬のことだけで一喜一憂、夢中になれるストレートな感性を持つことの方が尊いと思える。

多様性を認めようという言葉は日本と海外では意味合いが違うが
この映画では誰もが人より劣っている部分があったり、誰かを下に扱えるほど相手と自分に差は無いのだと思わされる。

イノさんは周りからの余計なお節介(いらない親切)には激怒していた。
相手が少数派マイノリティだということを自分は認めているので親切に接してあげる
これは相手が自分よりも下で、かわいそうだから優しく接してあげているという上から目線で庇護動物扱いをしているのと変わりない。

イノさんはそこに激怒していたのである。

多様性を認めよう、という言葉は近年耳にするが
マニュアルでひとくくりにしてジャンルとして別けるのではなく 常に『相手と自分』として人を捉えなければ大きなお節介や勘違いで終わってしまう。
イノさんと対等に接することが出きるだろうか

たまねぎ なきお