男はつらいよ 寅次郎の青春のレビュー・感想・評価
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バブル弾けし大日本帝國の夕暮れ時。
なんとまぁ、初見であった。
いやいや、見たかなぁ?
山下達郎さんの『クリスマス・イブ』へのリスペクトかなぁ?
幸せは勿論『結婚』ではない。
幸せは 『金である』
イズミが宮崎空港へ降りる時に遠くに見えるのは、高千穂峰で手前にDr.ノーの秘密基地の韓国岳。真ん中は1991年に噴火したばかりの新燃岳だ。この映画が上演される数年前に韓国岳から高千穂峰まで縦走したことがある。高千穂峰の山小屋で大晦日宿泊し、レコード大賞の新人賞(?)に岡田有希子さんが選ばれた年だ。
本当は北原ミレイさんの
石狩挽歌の似合うはずなのだろうが、たぶん『日南』と言う場所を昭和的な概念でアイロニーしたのだと思う。けどね。一歩遅いと思うよ。
あの大災害まであと二年。
【寅さんシリーズを第45作まで観て来て思う事、幾つかを記す。】
■宮崎県にやってきた寅次郎は、美容院を切り盛りする蝶子(風吹ジュン)と出会い、親切な彼女の家に泊めてもらう事になる。 そんな時、友達の結婚式にやってきた泉(後藤久美子)は寅次郎と偶然城で出会うが、転んで足を怪我してしまう。 それを知った満男は、泉に会う事も含め宮崎へ向かうが、そこには蝶子の弟で船乗りの竜介(永瀬正敏)と泉の仲の良い姿があり、満男は焦るのである。 ◆感想 ・数カ月前から、寅さんシリーズを少しづつ観て来て、早くも、45作目である。少し前から一気に観てしまうのが、何だか勿体なくも寂しくて暫く観ていなかった。 だが、久方ぶりに観ると、矢張りとても面白いのである。 ・寅さんシリーズの魅力を書き出すときりが無いが、一言で言えば山田洋次監督の根本思想である人間性全面肯定姿勢をベースにした、類稀なるクオリティの高いヒューマンドラマだという事であろう。 ・登場人物達は、会えば頻繁に喧嘩をしつつも、お互いに相手を心のどこかで常に気にかけ、喧嘩が終われば人間として相手に対して、控えめながら優しく接するのである。 ・数作前から、渥美清さんの健康状態の事もあり、満男と泉の恋を中心にした物語にシフトしていたが、今作では再び寅さんを慕う風吹ジュンさんが演じる情の深い蝶子が登場する。嬉しい限りである。 それで、今作のタイトルなのだろう。寅さんの生き方は幾つになっても青春なのだから。 ・それにしても、寅さんは今作でも粋である。”釣りは要らねえよ。””そちらの分も・・。” こんな台詞をサラリと言って嫌味に感じないのは、寅さんくらいではないだろうか。 ■45作目にもなると、主要キャストも老いてくる。人間なのだから当たり前である。だが、矢張り寂しいモノである。今作が最期の出演になられた名優もいらっしゃる。タコ社長も痩せたなあ。 一方、満男はドンドンと寅さんに似て来て、泉を演じた後藤久美子さんがドンドン美しくなって行く様は驚異的である。 又、当時、若手俳優のホープであった永瀬正敏さんの格好良い事と言ったら・・。 <寅さんシリーズは、山田洋次監督やスタッフの上記の様なバランスを取った、キャスティングの妙により、世界でも稀なる名シリーズになった事が良く分かるのである。 寅さんシリーズが、如何に素晴らしく、如何に当時その時々に作品を観た多くの人達に笑いと涙を与え、勇気づけたのだろうかという事を改めて感じた作品である。>
ビシバシ純情!
恥ずかしながら『男はつらいよ』シリーズ初鑑賞になる本作は単に永瀬正敏が出演しているからの理由で、山田洋次の『息子』に引き続き岩手訛りから宮崎の方言が素でもあり永瀬に好きな格好をさせているように思える山田洋次監督、ギターを弾き語りで「夢見る頃を過ぎても」を祭りのステージでもHILLBILLY BOPSを熱唱する姿、終盤の寅さんでもある渥美清と永瀬正敏のツーショットが渋い!! 意識した事もなかったけれど後藤久美子が可愛くて釣り合うわけがない満男なんか、周囲から甘やかされている虎さんはある意味で才能かと、満男は恵まれた環境下で甘ったれているだけの優男で性格もあまり良くはない、ナゼに寅さんは旅をしなければならないのか、送り出して向かい入れるの繰り返しを毎度シリーズ毎に、今の自分じゃぁまだまだ寅さんの生き様や渋みがわからないペーペーな男でしかないなぁ、と。 寅さんの世界観で生きて行けたら楽しいだろう、葛飾柴又の住人でも良い。。。
今回の新幹線ホームは
寅さんは宮崎で床屋の女将さん(風吹ジュン)と知り合い、お金がなかったので世話になる。 泉ちゃんは友達の結婚式に出るため宮崎に来ていた。 二人は偶然出会い、満男も駆けつける。 満男は正直すぎてモテないよなぁ。
バブル崩壊と石狩挽歌
1992年公開 バブル崩壊です 株価はすでに1989年の大納会が最大ピークでした 真っ赤に過熱したフライパンが冷めるには時間がかかるように、しばらくはバブルの余韻が続いていました また反転して好況になる、なんて甘い見方がまだまだ支配的だったのです それは地価が、まだ高値を維持していたからです その地価も1991年頃からついに下がり始め、1992年には路線価の下落としてはっきりと目に見えるに至りました この年の春「このままでは戦後最大の不況となる」という見通しが経済紙に掲載されると、株価がさらに急落します とうとう夏には東証株式の時価総額は1989年のバブルのピーク時の半分以下にまでなってしまったのです ラストシーンの下呂温泉での正月の商売をする寅さんの口上にもバブル崩壊というワードがでてくるほどです 泉ちゃんの母礼子のクラブも閑古鳥が鳴いています 仕事が上手くいかなくなると、体調までおかしくなってしまうものです 礼子も本作の終盤で入院してしまいます タコ社長の印刷工場には、外国人の工員が働くようになっていました この頃から確かに外国人が方々で働いている姿が目に着くようになってきました 今では何も珍しくもないことでしょう というかコンビニとか飲食とか、彼らがいないと仕事が回らないところばかりです 当時、飯田橋だったかの純和風の居酒屋に会社の同僚達と入ったら、注文を取りに来たホール係が外国人で驚いたことを思いだしました 注文を通すのに一苦労しました 今では考えられないことです 泉ちゃんは、結局、原宿表参道のCDショップで働いています 採用されなかった会社と違うものの楽器店には就職できたのですが、楽器部門ではなくCDショップの部門に配属されたのだと思われます 不本意でしょうが、真面目に働いているようです 満男のいる東京で働けるのですから我慢できるのです 場所は不明ですが、寮から通っているようです 火曜日はお店が定休日なので、満男はお店まで行って、お客さんのフリをして、今夜は家に来て一緒に夕飯を食べようよと誘います そのとき満男が手にしていたレコードはモーツァルトの「フィガロの結婚」です 演奏はクレイグ・スミス指揮、ウイーン交響楽団 この後、理髪店、蝶子とつづく伏線でした 21世紀の目でみると、定休日というものがあるのが奇異に感じるかも知れません 当時は定休日がどんな店でも週一回有るのが普通だったのです 商店街で曜日が統一されていたりしてたんです 定休日があるとシフトが凄く回し易いことは、シフト組んだことがある人ならよく分かると思います 営業時間も、百貨店なら朝10時から夕方18時まででした スーパーなら朝10時から19時閉店です 20時なら遅くまで開いている方です 21世紀生まれの人ならびっくりするでしょう いつ買いに行けるの?と だって現代では仕事が終わるのは深夜近くなんですから 当時の楽器店経営のCDショップなら、表参道のお店でも19時閉店でおかしくありません 閉店してすぐ待ち合わせして柴又に向かえば8時頃には満男の家に着くでしょう それに早番だったら19時前にあがれます 定休日が無くなっていったのはこの頃からです 1996年には元旦営業のスーパーが現れて仰天しました 今では驚くこともありません 営業時間もどんどん遅くなりました 深夜営業しているスーパーなんて、都心の限られた店ぐらいだったのが、今では地方でも終電時間頃まで開いているのが当たり前のようになりました CD ショップなら21時閉店に変わるのは、もう2~3年後のことでしょう 2000年には23時閉店が普通になっていたと思います なんでそうなったのかって? それはバブル崩壊でどんどん売上が低下していったから、定休日もなくして営業時間を長くしないと、昨年と同じ売上も維持もできなくなっていったからです 営業時間が延びればその分、従業員の数をふやさないとならないのですが、そんな余裕はありません だからフルタイムの正社員はどんどん減って、短時間のバイトばかりになっていったのです つまり今につながる失われた30年のスタートはこの1992年だったのです 来年がとうとう30年目です 泉ちゃんは満男の家で好きなグラタンをご馳走してもらって、彼女は作り方を教えて貰おうかなとか言ってます サクラと並んで食器を洗う姿は、お嫁さんと姑さんに見えます この人がお姑さんならいいな、この家の家族になりたいという彼女の心の声が聞こえます ♪今じゃ寂れてオンボロロ、オンボロローロロ 博が言い当てたように北原ミレイの1977年のヒット曲「石狩挽歌」です このフレーズは2番のサビの部分です その前段には ♪あれからニシンはどこへいったやら~ ともあります そして2番の最後は ♪あたしゃ涙で、娘盛りの夢を見る 劇中では変なお客さんが2番まで歌ったと彼女は言うのみで歌われませんが、観客の脳裏の中では ♪あれからニシンはどこへいったやら~という歌詞が再生されています バブル崩壊のこと歌っていると観客の脳裏で聞こえているのです やっぱり泊まっていくことになって、満男が引いてくれた布団に寝転ぶのですが、何故か彼女は虚ろです ♪オンボロローロと小さく口ずさんで天井をぼんやり見上げてています そのシーンの前で、立ち仕事で足が痛いと、畳に座ってスカートからでた足を彼女は満男の横で揉みます ほのかな色っぽさがあります 満男はそれをみているだけです じゃあ、俺が揉んでやるよ、とか言えれば きゃあ!、だめ~エッチ!という展開になるのに 「つらいか仕事」とか優しい言葉を言ってくれますが、少しも進展しないのです 宮崎での友人の結婚式に出席する話を満男にしてみても、自分達の将来を語ってもくれないのです こんなんじゃ、♪あたしゃ涙で、娘盛りの夢を見るなんてことになりそうだなあ…とか考えているのだと思います 彼女には、その歌が恋愛を先に進めてくれない満男への不満の歌として聞こえているのです その宮崎で、実際に友人の綺麗な花嫁衣装をみるとますますどうなってるの?と思ってしまうのです その友人が高校時代好きだと言っていた満男と、 今では自分がつきあっていて、彼のの家に出入りして、彼の母親と仲良くもなってまでいるのに、結婚どころか、そこに向かう道に少しも進展していない自分が不安になってくるのです 満男が宮崎に向かう飛行機で座っていたのは、通称「お見合い席」 CAさんの座席と向かい合う席で、足を伸ばせるスペースがあるので人気があります 自分もよく指定したものです でも満男みたいに飛び乗って指定が取れるのは、よほど空いてる便ぐらいです 1960年代後半から70年代後半にかけて、宮崎は新婚旅行のメッカだったそうです つまり団塊世代が新婚旅行先に人気だった観光地だったわけです 観客の多くの団塊世代が懐かしく観る光景なのです 本作では宮崎の鬼の洗濯岩とかの名所も紹介されますが、大部分の舞台は宮崎空港から南に小1時間下った日南市油津の漁港町です ♪今じゃ寂れてオンボロロ、オンボロローロロ そのままの風情の町です 風吹ジュンが演じる床屋の蝶子が、「今じゃしおれた花にしがみつくように、こん町にべったりしがみついちょるとよ」と自嘲します しかし、しおれた花は、この油津の町だけでなく、バブル崩壊でしおれてしまった日本全体を表しているのだと思います 蝶子は、演じる風吹ジュンと同じ年齢とすれば40歳です 「どっかにええ男でもおらんじゃろか」と嘆息をこぼす姿は、バブル崩壊に不安を感じている当時働き盛りの団塊世代の人々の気持ちを代弁しているのだと思います そして泉ちゃんは、自分はいつまでも待ち続けて彼女のようになりたくない、と蝶子をみています ♪あたしゃ涙で、娘盛りの夢を見る そんなの嫌だ 寅さんとの偶然の出会いによって、彼女は満男と このかっての新婚旅行のメッカで会うことになります 寅さんは満男の顔をみると、お前たちはどこまで進展したのか聞くのですが、男女の関係はおろか恋愛関係としては何の進展もないままで呆れはてて心配し始めます 泉ちゃんは彼女のできる精一杯の言葉で、結婚に向かって進みたいと懸命に満男に訴えています 「幸せがくるのを待つなんて嫌」 そのあといろいろ言いますかが、結局のところ彼女がいいたいのはそれだけです 「奪い取る方だよ」って鳥取でいってくれたのにと思っているのです いま、それを言わそうとしているのです 「ああ、これが幸せだというものを私の手で掴むの」とはそういう意味だと思います しかし彼は寅さんが蝶子から逃げ出したのと同じ理由で彼女の想いを正面から受け止めることが出来きず、それきりになってしまうのです バブル崩壊 満男と泉ちゃんの関係も同じでピークを越えてしまったのです 礼子の突然の入院で、泉ちゃんは東京の就職先を僅か半年で辞めるしかなく名古屋に帰っていきます 礼子は、演じる夏木マリと同じ年齢とすれば、彼女もまた40歳 身体に変調が出始める頃です そこにバブル崩壊です 実際、団塊世代の人が何人も身体をこわして去っていったのを見ました 新幹線のドアが閉まります けれど満男はホームのままです 泉ちゃんと満男は新幹線のドアで隔てられます これが後から考えれば決定的な瞬間でした この時、満男と泉ちゃんの運命が定まってしまったのです もし日田の時のように、またドアが閉まるまえに飛び乗っていたら? 青春 青くさいほどに誠実です 必ず迎えにいくといえないほど誠実だったのです 満男は23歳、泉ちゃんは19歳 当時、女性の結婚適齢期は24歳から25歳くらいで、男性は27歳くらい いまよりずっと早婚です それなのに満男にはまだ結婚はもっともっと先のことであると思いこんでいたかも知れません 愛してる、卒業して就職したら結婚しよう そんなシンプルなことなのに、幸せにする自信がなくて空手形になるかも知れないから口にできないのです それほど、馬鹿げてるぐらい誠実だったのです 寅さんの言うとおりです、愛を口にだして、抱きしめてあげなければ、何も伝えてないのと同じなのです 将来の夢を語らなければならなかったのです それなのに新幹線のホームの自販機の陰で、別れ際にキスをしたのは、満男ではなく泉ちゃんの方でした 閉まったドアの向こうで泉ちゃんは、なんと言っていたのでしょうか? 「お正月は、会いに来て」 そんな口の動きに見えました 1993年の正月 今年は泉ちゃんは来ませんでした 彼女の母礼子の看病があるから無理なのでしょう ならば満男が名古屋に行けばいいのです なのに父と正月からランニングしています 泉ちゃんがどれだけ落胆しているか、寂しくしているか まるでわかってないのです 彼が泉ちゃんに送った手紙がナレーションされます 誠実な手紙の内容とは思います しかし泉ちゃんには別れを予感してしまうよそよそしいようなものでした 満男はやっぱり「花をそのままにしておこう」という人なんだと彼女をあきらめさせてしまうような手紙です 馬鹿です、本当に馬鹿です 情けないほど馬鹿です 彼女のことを考えていない、身勝手さに腹が立ちます しかしそんなことは、いまの年齢の自分だからそう思えることです 青春の真ん中では、そんなこと全然分かっていないのです バブル崩壊は始まったばかりです 奈落の底に転落していくのはこれからなのです バブルは何故崩壊するのでしょうか? それは、これから先まだまだ良くなると信じ切れなくなったからです 一度先行きが不安になると、不安が不安を呼んで、悪循環のスパイラルに入っていくからです 本作の物語と時代とのリンクの凄さ 山田監督の力量は恐るべきものです
夢を信じて。
満男と泉の物語もいよいよ佳境に入ってきた本作。 友人の結婚式に行った泉を追いかけて、 叔父の寅さんも加えて、宮崎の海辺の街を舞台に紡ぐ二人の物語。 私個人としても、満男と泉編の中で一番好きな作品のひとつです。 徳永英明の「夢を信じて」をバックに、幾つもの街を越えて、紡がれた二人の恋がいつか実を結ぶ、その「夢を信じて」希望と儚さ、そして、清々しさを感じる。 そんな物語だと、私は思います。
風吹ジュンはいつの時代も魅力的だと思う。 「家族はつらいよ」シリーズでも 未だにマドンナ的な役を演じている。 今作でも風吹ジュンと恋に落ちた 寅さんはやっぱり彼女と最接近することはない。
BSテレビ東京で映画「男はつらいよ 寅次郎の青春」を見た。 1992年製作/日本 配給:松竹 山田洋次監督70才 渥美清64才 倍賞千恵子51才 後藤久美子18才 夏木マリ40才 風吹ジュン40才 永瀬正敏26才 この作品で後藤久美子と吉岡秀隆がかなり接近する。 風吹ジュンはいつの時代も魅力的だと思う。 「家族はつらいよ」シリーズでも 未だにマドンナ的な役を演じている。 今作でも風吹ジュンと恋に落ちた 寅さんはやっぱり彼女と最接近することはない。 満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
愛しているなら態度で示せ!
「男はつらいよ」シリーズ第45作。
Huluで「HDリマスター版」を鑑賞。
都内のCDショップで働き始めた泉ちゃん。次の日が休みだということで、家の晩ごはんに招待しようと店内で声を掛ける満男。ふたりのやり取りを聞いてたらこっちが恥ずかしくなってくるで、全く!(笑) 浮かれる満男が曜日を確かめるときに、寅さんみたいなことを言うのが笑えました。「今日何曜日だっけ? 月曜? じゃあ明日は火曜か…」(笑)
そんな泉ちゃんの親友が結婚するということで、結婚式に出るために初めて有給休暇を取得して宮崎に行くそうな…。満男も着いて行こうとしたが、その親友が昔満男に片想いしていたと教えられ、照れた拍子に階段を転げ落ちるのでした…(笑)
単身宮崎に来た泉ちゃんは結婚式に出席した後、観光がてら歩いていたらまたもや偶然寅さんに遭遇! 「おじちゃま!」と元気に駆け寄るも寅さんには同行者が…。当地で知り合った床屋の蝶子という美人。ふたりから気を使われて置いてけぼりを食らいそうになった寅さんは足を負傷! 大袈裟に痛がるもんだから話が大きくなって…。泉ちゃんがくるまやに掛けた電話で伯父さんの怪我を知ったら満男は、これ幸いと口実に使い、彼女に会うために宮崎へと向かうのでした…(笑)
蝶子は寅さんに想いを寄せていたものの、いつもの如くそうなってしまったときの寅さんの癖が発動。怒った蝶子でしたが、戻って来てくれて空港まで送ってくれたのでした…。それに纏わる満男と泉ちゃんの会話において、寅さんの恋愛を簡潔にまとめた満男のセリフが上手かった…(笑)
一行が東京に戻ったのも束の間、泉ちゃんの母・礼子が入院して心臓のカテーテル手術を受けることに…。戻って来て欲しいとの連絡があり、またもや職場を休もうとしたら許してもらえず…。悩んだ末に、店を辞めて名古屋に帰る決心をした泉ちゃん…。それを引き留めようにも手段を持たない満男…。別れ際のファースト・キスにウルっと来ました。
そして迎えた正月。ここ最近は毎年訪ねて来てくれた泉ちゃんは今年は来ず…。しかし、満男は悲しみに暮れてなどいなかった。嫌がっていた父親とのランニングを張り切って元日から敢行し、両親を当惑させるほどのやる気を見せていました。その胸中には、泉ちゃんとの別れは新たなる始まりのための終わりだったのだと捉え、いつの日か再会できることを願ってそのときまで頑張ろうとする気持ちが渦巻いていました…。
――
いよいよ寅さんが動かなくなって来ました。足を負傷したのもあまり動かなくて済むようにという工夫なのかも知れず…。どこかしら往時の勢いも無く…。顔色の悪さを隠そうとしたのか、いつもよりメイクも厳重だなと思いました。
そして、ついに笠智衆演じる御前様最後の出演となりました。と同時に笠智衆自身の遺作となってしまいました。最後を飾るに相応しいユーモラスな場面でした。佇まい自体が御前様そのものだった笠智衆は、最後の瞬間までその役を全うして下さいました。ありがとう、さようなら…。
【余談】
泉ちゃんの働いていたCDショップの棚にましゃのCDが…!
寅さんの答えは「そりゃ結構毛だらけ猫灰だらけだなぁ」(笑)
北原ミレイの「石狩挽歌」ってどんな曲・・・ボンボロロ・・・と、泉を家に招待してお風呂にまで入り泊まっていくという家族的なつきあい。高校時代はブラバンでフルート、今はCDショップで働く泉。友達の結婚式に出席するため宮崎へ行くという・・・ その頃寅さんは宮崎にて床屋の蝶子(風吹ジュン)と知り合い、『髪結いの亭主』(1990)のごとく髪をあたってもらいうっとりしていた。彼女は船乗りの弟(永瀬正敏)と暮らす独身。寅さんはまたまた偶然に泉と会い、足に怪我をして入院。緊急の電話を受けたため満男が急きょ宮崎に向かう。満男君、毎度毎度泉のことを追いかけるように旅をしてるけど、いつでも会えるんだから、張り切らないように! 泉の家庭事情とか満男の心情にかなり時間を割いていたためか、宮崎での姉弟のエピソードがちょっと弱かった。足の怪我がたいしたことなかったのに、寅さんとしては治らないフリをしていたところがよかった。そして音楽が多彩。冒頭ではレコード店の「フィガロの結婚」、違うと思うけど「セビリアの理髪師」、蝶子の名前から「蝶々夫人」とオペラが並び、江戸川の土手では「新世界第二章の家路」が流れる。そして北原ミレイの「石狩挽歌」に美空ひばりの「港が見える丘」。劇中では永瀬正敏が自宅で弾き語りしたり、祭りでバンド演奏をするのですが、最も印象に残るのは徳永英明の「夢を信じて」が2回も流れたところだろうか。とにかくシリーズの中では最も音楽が多彩だった。 一山も二山もあると寅さんが予言した通り、泉は母の手術のため仕事を辞め、名古屋へ帰るが、別れ際にキスされた満男。失恋ということではないけど、寅さんについて旅に出たいなどという気持ちもわかるなぁ。 さらに今回気づいたのは、旅に出る寅さんを駅まで送る際に、満男が言う「何年先になるかわからないけど、大人になってもう一度泉ちゃんに出会ったとき、新しい物語が始まる」なんてのは『男はつらいよ50 お帰り寅さん』を予言していたようなところが凄い!びっくりしましたよ。
新しい物語が始まるまでの切ない別れ…
シリーズ45作目。
OPの夢は、
明治。文豪・車寅次郎の下に、甥の満男が恋人の泉と共に駆け落ちしてくる。文武両道の寅次郎は追っ手を撃退し、若い二人の恋路を手助けする…。
サイレント映画風に、ドストレートにここ数作を表したような夢。
尚、OPの夢は本作が最後になった。
泉が東京のCDショップに就職して半年。仕事は大変だが、休みの前日は満男の家によくお邪魔したりして、依然良好な関係。
中学時代の友人の結婚式に出席する為、泉は有休を取って宮崎へ。
その宮崎にて。
港町の油津で理髪店を営む蝶子は、「何処かにええ男おらんじゃろか」と嘆く。
すると、
「お姉さん、その男、俺じゃダメかな」と声を掛ける四角い顔の粋な男。
蝶子の店で散髪して貰う。
心地よい空間、気持ちいいくらい手慣れた散髪、ほんのり甘く、官能的なひと時…。
前年(91年)日本でもヒットした『髪結いの亭主』をモチーフ。
マドンナ・風吹ジュンも堪らなく色っぽい。
蝶子は船乗りの弟・竜介と二人暮らし。ギターも弾ける今風の色男。演・永瀬正敏。
突然のどしゃ降り。雨宿りのつもりが、蝶子の家に長居。
そして、油津に来ていた泉とばったり再会する。
ある日、寅さんが(大した事無い)怪我を。
泉が電話で報せ、満男は慌てて宮崎へ。…が、本当は伯父さんの事はどーでもよくて、泉に会いに行きたいだけ。
ところが、来てみてがっかり。
泉と竜介がやけに仲がいい。
あからさまにふて腐れ、不機嫌になる満男。
初めて現れた恋敵に嫉妬。
…と思いきや、
竜介にはフィアンセが。
途端に機嫌がよくなる満男。う~む、伯父さんそっくり。
初めての恋敵や嫉妬でなかなか進展しない満男と泉の恋路にひと波乱起こるかと思ったら、さほどでもなく。
寧ろもう一つの心配は、寅さんの方。
蝶子にはある想い人が。何年か前に店にやって来た一人の男。「俺と一緒にならないか」と声を掛けられ、その時は返答出来ずにいたが、また店に来たら、答えは決めている。が、それ以降…。
そんな時現れたのが、四角い顔の粋な男。
(大した事無い)怪我も良くなり、柴又に帰る事を決めた寅さん。
急に怒り出す蝶子。密かに寅さんに想いを。
無論寅さんは何事も無いまま、柴又へ。
不器用な甥の恋路に嘆くが、自分も然り。
尚、ラストで蝶子の思わぬその後が語られる。
泉の母が入院する事に。再び有休を取って名古屋に帰ろうとするが、職場はそれを認めない。
悩んだ結果、泉は仕事を辞め、名古屋に戻る事を決める。また母親と暮らし、名古屋で就職する事も。
東京駅に駆け付ける満男。これまで一緒に居ながら、何もしてやれなかった事を悔やむ。母親の為に自分が犠牲になる事はない、と。
母子家庭の事情。泉の決心は変わらない。
惹かれ合っているのに、このどうしようも出来ないもどかしさ…。
発車直前。物陰で初めて交わしたキスが切ない。
いつもならエンディングの正月には訪れていた泉。が、今回は…。
4作続いた満男と泉のラブストーリーは、一旦の終了。
満男は決意する。また泉と再会した時、新しい物語が始まる事を。が、その胸中は本当は…。
そして二人はシリーズ最終48作目で再会し、遂にその恋路に決着が付く。
本作にはもう一つ、忘れてはならない事が。
第1作目から、寅さんを時に厳しく、時に温かく見守ってきた御前様役の笠智衆が、本作が遺作に。
最期の出演シーンは茶目っ気たっぷり、ユーモラスに。
実家が寺で、本人も住職をしていた事もあり、人柄も役柄も有り難みも全て含め、御前様は笠智衆さんそのものでした…。
よかった
当時『髪結いの亭主』がヒットしていたので、その影響なのか、理髪師の風吹ジュンが男に飢えたいい女で寅と仲良くなる。弟の永瀬正敏が祭りでコピーバンドで演奏していて、満男が酷評する。シティのガブリオレをオープンで乗り回す。
ゴクミがCDショップに就職したけどすぐに辞めてしまった。
満男が寅のことを「あの人は奥行きがない」とズバリ指摘する。
Vol.45 ゴクミはつらいよ第4弾(かな?)あまりのつらさにゴク...
Vol.45 ゴクミはつらいよ第4弾(かな?)あまりのつらさにゴクミは今回で一区切り。いい感じだと思う。今作での満男の成長に注目。 今作、風吹ジュンが妖艶。ゴクミとはまた違う魅力でWマドンナ。 ・今作がラストという冒頭の小芝居。しっかり本編とつながっています。その本編が笑える。 ・泉に夢中な満男を見守るさくら。暖かい。 ・すぐ階段落ちの満男。嫉妬もします。 ・またも旅先で偶然出会う泉と寅。 ・寅と満男の恋愛談義。満男に見抜かれ、やり込められる寅。 ・満男と泉の恋の行方。切ないが微笑ましくもあり。 笠智衆の最後の出演。あまり動かぬ寅。やや寂しさが募ります。可笑しくも悲しくもハートフルでもあり。良作です。
若い恋
「寅次郎の青春」 全部観ていたつもりになってました この作品初めてです なるほど「青春」だった 思ってるだけで何もしないんじゃな、 愛してないのと同じなんだよ。 お前の気持ちを相手に通じさせなきゃ 愛してんなら態度で示せよ! 寅が満男にこんなことを言っていた それができないから悩んで苦しんでもがいてる それが青春ど言うなら年齢は関係ない 出来ないものは出来ないんだ! 私だってそんな思いはたくさんあった 人を好きになるとどうしたって触れたくなる キスだってその先だって思ってしまう それが愛情表現なのか単なるふしだらさなのか今だって分からない 分からないけどきっと相手も同じなのだと思いたい スケべな気持ちが先走れば大切な人から嫌われる そんな思いでいっぱいなのだ 恋愛に不器用のままでいたい 始めて観た寅さんは相変わらずの寅次郎でした 少し目に煙がしみました
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