「戦後日本を拒否し続ける男、哀しい寅さん」男はつらいよ 純情篇 jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
戦後日本を拒否し続ける男、哀しい寅さん
本作は1971年公開、シリーズ6作目にあたります。渥美清43歳、倍賞千恵子30歳、マドンナ役若尾文子38歳と、みなさん脂が乗り切った若々しい姿と演技が楽しめます。
今回寅さんは3つの問題に関わります。
①五島の漁師の娘、絹代(宮本信子)の夫婦問題
旅先で偶然知り合った赤ちゃん連れの若い女、絹代。駆け落ちした夫がギャンブルにはまり、生活は破綻、絹代は五島の老父を頼ることにしますが、心細いので寅さんにお供を頼みます。寅さんは酒を飲んだり散歩をしたりしますが、逆に老父に諭される有り様で、役には立ちません。
②マドンナ、夕子(若尾文子)の夫婦問題
売れない小説家の夫との生活に行き詰まりを感じ、遠縁にあたる「とらや」へ家出してきた美人妻、夕子。寅さんは帝釈天や江戸川を案内したりしますが、役には立ちません。
③義弟、博(前田吟)の独立問題
寅さんは博とタコ社長の双方に仲介を頼まれますが、役には立ちません。
寅さんは役に立てませんでしたが、すべての問題は元の鞘に収まり、何も変わることなく映画は幕をおろします。この「変化しない」というのが、本シリーズが支持された理由かも知れません。安保闘争、高度経済成長、エログロナンセンス、大阪万博…、1971年当時の日本社会は急速にその形を変えつつあったと思われますが、この映画も寅さんも、そんな日本社会に背を向けています。寅さんのような男は戦前にはうようよいたと思いますが、「そんな戦前男が戦後社会に出現したら?」というシチュエーション・コメディが本シリーズです。敗戦を経て生まれ変わったはずの日本に、ひょっこり寅さんが帰ってきます。「義理人情を重んじる戦前の渡世人の価値観」と「戦後日本の価値観」がぶつかり、騒動が生まれます。そんな寅さんの言動は間接的な戦後日本社会への批判につながっており、社会の急激な変化についていけない多くの人々の不満、不安をすくい上げ、支持を集めたのでしょう。日本人大衆の情緒を熟知した山田洋次監督の作戦勝ちでした。
寅さんはなぜいつも旅に出るのでしょうか。もし寅さんが博みたいに一箇所に定住し、定職を持ち、家族を持ったらどうなるでしょうか。当然、社会の一員として世の中の変化に合わせて生きざるを得なくなるでしょう。彼は「フーテン」である限り、しがない定住小市民であるわれわれのヒーローであり続けることができます。寅さんは「変わらない」ために「ずっと彷徨い続ける呪い」をかけられた男です。
渡世人や世間師たちは、安定的で持続的な人間関係を持つことはありません。だからこその義理人情であり、一宿一飯の恩です。故郷を捨て旅に生きる彼らは、出会いと別れを繰り返すさだめです。寅さんの特殊な点は、帰る故郷があり、そこには情でつながる妹がいるということです。「故郷があるから俺は一人前になれない」という劇中の台詞にある通り、寅さんは定住と放浪のあいだで常に引き裂かれている存在です。定職を持ち家庭を持つことが許されない寅さん。それを許さないのは監督であり観客です。もし寅さんが定住するとしたら、それは唯一、美人で高貴な女性に「飼われる」ことなのではないでしょうか。彼の女性に対する態度を見ているとそう思えて来ます。これは山田洋次監督の性癖が反映されているのかもしれませんが。
映画の中では現代社会のシステムから逃走を続けた寅さん。でも現実の渥美清さんはこのシリーズ映画に41歳(1969)から67歳(1995)まで、足掛け26年間、囚われています。癌を抱えながらも50作目を目指して走り続けた渥美清。走らせ続けた松竹と山田監督。その姿を映画館で笑って観ているわれわれ観客。なんともグロテスクで非人間的な構図に見えてしまいます。死んで初めて、彼はこのシリーズ映画から解放されました。幕末太陽傳をシリーズ化して50作作ろうと言われたら、川島監督とフランキー堺はなんと言ったでしょうか…。
以下は、1996年8月13日に松竹大船撮影所で開催された「渥美清さんとお別れする会」における山田洋次監督の弔辞からの抜粋です。(wikipedia/渥美清)
『もうそろそろ幕を引かねばいけない。渥美さんを寅さんという、のんきで、陽気な男を演じるという辛い仕事から解放させてあげなければいけないと、しょっちゅう思いました。しかし、4分の1世紀にわたって松竹の正月映画の定番であり続けた寅さんがなくなるということがあまりにも問題であったこと。そしてもう一つは、毎年秋口になると家族のように親しいスタッフが集まって、正月映画をにぎやかに作るという楽しみを打ち切るのが辛くて、もう1作だけ、いやもう1作なんとかという思いで47作、48作を作ったのです。』
監督や会社や大衆の期待に応えようと死ぬまで寅さんを演じ続けた渥美清、渥美清を演じ続けた田所康雄。その実像は寅さんとはまったく違う、一人を好む男だったらしいです。監督に愛され国民に愛されるというのもつらいものです。