お茶漬の味

劇場公開日:

解説

「麦秋」に次ぐ小津安二郎作品。脚本は「麦秋」と同じく野田高梧との協力によって書き、撮影は例のように厚田雄春が担当。出演者は、最近「離婚」で共演した佐分利信と木暮実千代に、「華やかな夜景」の津島恵子、「郷愁」の三宅邦子と笠智衆、「東京騎士伝」の鶴田浩二、「お景ちゃんと鞍馬先生」の淡島千景、「母の山脈」の柳永二郎と設楽幸嗣の他に、元松竹の女優小櫻葉子で現上原謙夫人の上原葉子と、随筆家として知られた石川欣一氏が特別出演している。

1952年製作/115分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1952年10月1日

ストーリー

妙子が佐竹茂吉と結婚してからもう七、八年になる。信州の田舎出身の茂吉と上流階級の洗練された雰囲気で育った妙子は、初めから生活態度や趣味の点でぴったりしないまま今日に至り、そうした生活の所在なさがそろそろ耐えられなくなっていた。妙子は学校時代の友達、雨宮アヤや黒田高子、長兄の娘節子などと、茂吉に内緒で修善寺などへ出かけて遊ぶことで、何となく鬱憤を晴らしていた。茂吉はそんな妻の遊びにも一向に無関心な顔をして、相変わらず妙子の嫌いな「朝日」を吸い、三等車に乗り、ご飯にお汁をかけて食べるような習慣を改めようとはしなかった。たまたま節子が見合いの席から逃げ出したことを妙子が叱った時、無理に結婚させても自分たちのような夫婦がもう一組できるだけだ、と言った茂吉の言葉が、大いに妙子の心を傷つけた。それ以来二人は口も利かず、そのあげく妙子は神戸の同窓生の所へ遊びに行ってしまった。その留守に茂吉は飛行機の都合で急に海外出張が決まり、電報を打っても妙子が帰ってこないまま、知人に送られて発ってしまった。その後で妙子は家に帰ってきたが、茂吉のいない家が彼女には初めて虚しく思われた。しかしその夜更け、思いがけなく茂吉が帰ってきた。飛行機が故障で途中から引き返し、出発が翌朝に延びたというのであった。夜更けた台所で、二人はお茶漬を食べた。この気安い、体裁のない感じに、妙子は初めて夫婦というものの味をかみしめるのだった。その翌朝妙子一人が茂吉の出発を見送った。茂吉の顔も妙子の顔も、別れの淋しさよりも何かほのぼのとした明るさに輝いているようだった。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.5「上っ面の空気感」と登場人物の造形が素晴らしい。

2022年12月30日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

○作品全体
お見合い結婚をした夫婦の温度感というのはわからないけど、なんとなく漂う「上っ面の関係」の空気感が画面から溢れてくる。互いに互いを踏み込めないまま時間を過ごしてしまって、夫・茂吉が望む「遠慮や気兼ねない気やすさ」を持った関係が作れない。この状況を二人のぎこちなさだけに委ねるのでなく、それぞれがいない場所で本音をこぼし、それが対比的に「上っ面の空気」を醸成させている。本音をこぼす二人の言葉や態度は70年経った2022年でも色褪せないもので、「上っ面の空気」の鮮度の良さが面白かった。
ただ、終盤に打ち解けあう展開は理想的すぎて少しファンタジー。互いに居心地の良さを感じてる部分もあったな、というのが時間や距離を空けると見えてくるのは同意しかない。ただ、個人的には、妻・妙子はお茶漬けを食べるのでなく、お茶漬けが食べたい茂吉を認めて、妙子は妙子の食べたいものを食べる、というラストの方がしっくりきたな、と感じた。妙子が茂吉に寄せる、というよりも、互いが互いを尊重して、その上で赤裸々に付き合えているんだ、というようなラストが欲しかった気がする。神戸へ帰っていたことを謝る妙子に「別に良いよ。君らしいよ」と口にする茂吉の言葉は嘘ではないと思うので、このラストだとこの言葉の行き先がなくなってしまったみたいに感じる。

物語としてもすごく面白かったけれど、なによりグッときたのが茂吉というキャラクターと、演じる佐分利信の穏やかな演技。
一見、妙子の全てを包んでくれるような、いわば「理想的な夫」。でも茂吉も人間だからその表情でいるのにも疲れてしまうのだと思う。そのほころびがパチンコを通して「幸福な孤独感」を語る茂吉に出ていた。
「大勢の中にいながら、簡単に自分ひとりきりになれる。そこにあるものは自分と玉だけだ。純粋の孤独感だよ。そこに魅力があるんだな。幸福な孤独感だ。」
社会人として、夫として立派に振る舞わなければいけない茂吉にとって、孤独になる時間はすごく少ない。ただ、この「幸福な孤独感」を語る茂吉から、身軽だった頃の茂吉の姿が見えてくる。そしてその頃の幸福への回顧と羨望が見え隠れする。この茂吉のセリフには等身大の茂吉の姿があって、それがとても良い。
戦友と会って話す戦時中のシンガポールの思い出もそうだ。茂吉が思い出し、懐かしさに笑みを浮かべるのは「シンガポールの綺麗な夜空」であって、人との思い出ではない。そこにも茂吉にとっての「自分と夜空だけ」という「幸福な孤独感」があったのだろう。そう思わせてくれるだけで、登場人物が活き活きとして見えてくる。
ポロッと溢すように出てきた「嫌というものを結婚させたって、君と僕のような夫婦がもう一組できるだけじゃないか」というセリフも素晴らしい。茂吉の中で溜まりに溜まった感情なんだろうけど、節子もいる手前「社会人・茂吉」でなければならないから、ぶちまけるようには言葉を吐かない。そんな茂吉の気持ちが感じ取れる芝居で、これが本当に素晴らしかった。

○カメラワークとか
・カメラが動くカットはすごく少ない。導入部分で動かすのかな、と思ったけど、不協和音が前に出るようなシーン頭で動かしているようにも見えた。

・終盤で妙子と節子が話すカットは切り返しで見せる。ここの妙子ののろけ(?)セリフは観客に向けて話しているようにも見えて面白い。観客は「ようやく気づいたのかよ!」と突っ込みたくなるけど、次のカットで節子がおんなじように思っているような笑いを見せてるのが面白い。

○その他
・Wikipediaとかを読むと小津安二郎は女の気づかない男の魅力を見せるつもりで作ったけれど、しっくりこなかったらしい。確かに、この作品を見ているとその魅力でなく信頼関係にある夫婦の魅力が勝ってしまっているなあ。

・今も昔も若い男の遊び方が変わってなくて笑った。パチンコやって賭け事やって、締めにラーメン食べて帰るっていう。まるっきりおんなじことを数年前にやってたなあ。

・「カロリー軒」の看板のレトロお洒落感と「甘辛人生教室」の語呂の良さが印象に残った。

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すっかん

3.5映画終活シリーズ

2024年9月4日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

1952年度作品
のち大スターになる、女優•男優の共演
佐分利信、鶴田浩二
淡島千景、津島恵子

作品は、「紀子」3部作より淡白

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あきちゃん

4.5お茶漬けの味のような映画

2024年8月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

【生誕100年記念】映画女優 淡島千景特集で鑑賞(フィルム上映)。

とても面白かった。
ユーモアがあり、健康的で、おおらかで、チャーミングな映画。そして、淡島千景さんもとても素敵だった(傷だらけのフィルムだし、すごいノイズでセリフが聴きとりにくいところがいくつもあったのは残念だったけれど)。

いつものごとく、本当になんてことのない話を名作にしちゃうんだから、さすが小津監督、すごいなぁ。
なにも特別な話でなくてもいい。映画って、これでいいのだ、じゅうぶんなのだと思ってしまう。
夫婦関係の妙を、生涯独身で通した小津が描く。いや、独身だったからこそ、冷静にそれが描けたのかもしれないな。

さらにいえば、ストーリーを描くのではなく、人間を描くこと。要は人間をしっかりと描くこと。
逆をいうと、人間を描けていない映画はストーリーがどんなに面白くてもダメなのかもしれないな。

腹が減ったときに食うメシは、御馳走でなくても美味い。
この映画じたいが、日常のささやかなしあわせを感じながら食べる、そんなお茶漬けのよう味わいの作品でした。

それにしても茂吉のように、ものわかりの良い、鷹揚なダンナさんも滅多にいないでしょうね。

追記
なんで「ALLTIME BEST」に選ばれてないのかな?

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peke

5.0物語類型的には「雪の女王」に似た話

2023年6月6日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

最後まで観るとなぜ『お茶漬けの味』なのか明確に分かる。これだけ直截的なタイトルの付け方は小津映画としては珍しい。タイトルから「ああ、あの映画ね」と直結できるのはこれと『東京物語』『長屋紳士録』『小早川家の秋』くらいか。(そんなことはない)
主人公は長野から出て理系で機械メーカーの機械部長をしている夫と、少女趣味が抜けず旧友と宝塚の歌を歌ったり、自室を洋室にしている(小津映画で洋室はとても珍しい)妻。
自宅でお手伝い二人が家事を担う裕福な家庭だが、子供はいない。どうやら妻は夫の少し野卑な行動に我慢ならず、夫はそんな妻とぶつからないように距離をとっている。
その関係を象徴するような出来事。夫が先に夕飯を摂っているときに迂闊に汁掛け飯で食べてしまい、それを妻が見て「犬のような食べ方は止しなさい」とたしなめられる。夫は埼玉出身のお手伝いに「君のところではこうして食べないかい?」と聞く。まあ、食べるのだ。かつての日本の民衆は、ご飯(場合によっては冷や飯)と味噌汁と香の物が関の山で、そりゃ汁掛け飯にでもしなければ……。しかし、妻の出自はそうではない。それはこの夫婦は心が通っていないことを象徴的に表現している。
つまり、この妻は心を閉ざした「雪の女王」なのだ。もちろん妻ひとりが原因でそうなったわけではないのだが、そのような状況にあることを様々なエピソードを紡いで観客に印象付ける。そのエピソードがいちいち面白い。
妻の心がどのように解放されるのかは、本編を観てほしい。解放された彼女を他の登場人物は受け入れ、また他にも影響を与える。まさに「雪の女王」。
家事をお手伝いに任せているので、お茶漬けを食べるにも何がどこにあるのやら分からない始末。それを夫婦で協力して準備していく様子がほのぼのと描かれていく。しかもちゃんとお茶漬けを夫婦で食べる!(小津は家族を描くことは多いが、法事や宴席以外で食事を摂るシーンはあまりない)
そうそう、人物を対象とした移動撮影はなくはないが、この映画では人物のいない室内を前進移動する印象的なカットが何度かある(ズームかもしないが、たぶん移動撮影)。これがなぜか登場人物の心の空白を表現しているように感じる。
小津は当時の世相を積極的に取り入れており、この映画でも(他の作品でもたびたび出てくる)野球、パチンコ、競輪、ラーメンなど、ちゃんとストーリーに絡めて登場する。夫が乗る飛行機が「PAA」でこれはPan American World Airwaysの略。Pan Namではないのだ。知らなかった。

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Nightmare?