うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーのレビュー・感想・評価
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おわりなき日常の恐怖映像
時間と空間がなくなるアクションシーンは物理法則無視の気持ちよさで、フィクションとは、映画とは、そしてその対比の日常とはを問うていく作品でした。
明らかにこの後の作品の方がスマートにその境目を映像で描いていたが、これはやはり1984年の映画なのでちゃんと楽しめました。
しかしこのメタ、メタ、メタ、は少しトゥーマッチかなぁと思ってしまったのもありました。
たぶん年をとったのでしょう
ループ作品の原点にして頂点。
40年前の作品なのに、全く色褪せていない傑作。
私の中では「うる星やつら」はこの作品で完結している。そう思う程に、非常に完成度が高い。完成された芸術作品と言っても良い。
一点だけ、夢邪鬼が見せる悪夢のシーンは少し冗長だった感は残る。
だがそれ以外は本当に素晴らしい。
令和という娯楽が溢れた現代では面白くもなんともない
友引町に舞い降りた悪夢…
押井守さんのうる星やつらです!
初鑑賞
タイトルからして夢オチを予告する良心的手法
Dr.スランプは原作もアニメも夢中になったがうる星やつらはそうでもなくあまり見なかった
なぜかはよくわからない
面白いのに
ラムちゃんがあたるに付き纏い電気ショックを浴びせる光景が子供の頃はダメだったのかもしれない
志村けんが若い頃に別れ話がもつれ包丁を持った女に追いかけられ甲州街道をしばらく走った逸話があるが似たようなものだろう
原作は『めぞん一刻』『らんま1/2』『犬夜叉』の高橋留美子
脚本と監督は『人狼 JIN-ROH』『機動警察パトレイバー』シリーズの押井守
押井守監督の代表作かつ出世作
第一作より第二作の方が評価が高い作品はわりとあるが日本のアニメではこれがその代表格
しかし原作者が怒り心頭に発する正真正銘の原作レイプの代表格
原作者が概ね満足していればファンの一部がいくら怒っても客観的にいって原作レイプではない
メキシコ旅行の際に久米田康治にもお土産を買ってくる優しい人が激怒するのだからよほどのことなんだろう
近いうち原作を読んで確認した方が良かろう
友引高校学園祭準備期間中
同じようなことを繰り返す毎日
帰宅しようにもなぜか街から出られなくなった
SFミステリーコメディー
巨大な亀の上に友引の街の光景
古代の人々が想像した世界観を彷彿させた
亀と居住スペースのあいだには象ではなく巨大な人間の石像が支えている
サクラが「2度目は悲劇 3度目は喜劇」と言っていたがこれはマルクスの名言で2度目3度目ではなくはじめ2度目が正しいのではないか
「暗いよー狭いよー怖いよー」の面堂終太郎
声を担当する神谷明やっぱり大好き
格が違う
一方でサクラの声を担当した鷲尾真知子
ドスのきいた声でいい味を出している
彼女をサクラの声としてスカウトの人はかなりの有能
神谷明を除くと一番印象に残っている
うる星やつらといえばラムちゃんあたる以上に面堂やサクラが印象深い
タクシードライバーとして重要なキーパーソン夢邪鬼としてなぜか藤岡琢也がゲスト出演
パトレイバーの竹中直人みたいなものだろう
あといくら高校生のノリとはいえ純喫茶第三帝国はヤバすぎる
遅れてきた青年が青春の学生運動の夢を総括
押井が政治好きなのは有名だと思うが、その原点は大学に入ったらキャンパスにはもはやヘルメットを被った各セクトの学生はいなかったということだろう。大江健三郎のいう「遅れてきた青年」。それが押井である。
その欲求不満を彼はさまざまな形で映像化しているが、もっともオリジンに近い具現化が本作ではないか。
高度成長の後、東西冷戦構造ががっちり固められた何一つ変わらない日本には、永遠なる日常の倦怠が支配する。
その倦怠を密かに打破したいという願望を、あろうことか永遠なる日常の代表作マンガの中で達成するという野望が、本作の最大の動機である。
映画はお馴染みの学園ドタバタ騒ぎで始まるものの、そもそも学園祭の前日が果てしなく続いているという設定だから、それが「終わりなき永遠なる日常」という現実の比喩であることは明らかだ。
ところが、雨上がりの通学路の水たまりに溺れてみると、永遠だった日常が突然、非日常の様相を呈し始める。
その果てにあるのが、階数がしょっちゅう変化する学校校舎や荒廃した世界の中で繰り広げられる非日常の自由と解放、無政府主義的全学連的安田講堂占拠的wな世界である。
本作のハイライトは、間違いなくメガネが語る似非革命コミューンの年代記だろう。それ以外のカメや夢邪鬼やらのエピソードは、単なる辻褄合わせに過ぎない。
学生運動で存分に遊んだ押井は、最後に日常に戻らなければならない。青春は終わった。そろそろ現実に戻って、人々とちゃんと向き合って、付き合った女性にも責任を取らないといけない。
押井はそうした私的思い入れを、ラムの「責任取ってね」のセリフで示唆している。交際女性の妊娠でも連想させるかのように、わざわざラムを幼女の姿にまでして…。その意味で本作は、彼の青春の「総括」なのである。
高橋留美子がそれに気づかないはずがない。自分の作品の中で、他人に勝手に青春の総括などされてはたまったものではない。原作者激怒必至の怪作というしかあるまいw
答え合わせで観た
実写映画の予習として鑑賞
映画史に残る映画だと思います。
「文化祭前日」と言う時間ループに捉われたあたる達が、そのループから抜け出す為に奔走する物語。
映画史に残る名作だと思います。
映像の美しさ、荘厳なBGM。ストーリーも「独創的」と言うだけでなく、2回転調を行うことで鑑賞者を飽きさせることがありません。難解に成り勝ちな押井ワールドも、個性豊かなうる星やつらの面々が演じることにより、絶妙に中和されていると感じます。
そして、最後のエンディングで「謎かけ」を放り込むオマケ迄つける周到さは、流石としか言いようがありません。
1984年は、アニメにおいてエポックメーキングな年だと思っています。このビューティフルドリーマーとナウシカが劇場公開された年だからです。この2作は、映画専門誌の「キネマ旬報・読者投票」でナウシカが1位、そしてビューティフルドリーマーが7位にランキングされました。格調高き映画専門誌の読者に2作も認められたことは、アニメの認知が一般社会にも広まったことを証明したと思っています。
そして、前評判が高くアニメファン以外からも注目度が高かったナウシカは兎も角、オタク向けと思われていたビューティフルドリーマーが高く評価されたのは、そのままこの作品の完成度の高さの証左だと思っています。
インセプション?
長年、何度も見ていると流石に飽きる
斬新な展開、設定、絵づくりで、何度見たか分からない。
このコンテンツはかなり好きだけど、劇場版を最も見ていて、次がテレビアニメ、そして実は原作への思い入れはほとんどない。
最初にテレビから入り、劇場版のビデオでハマって、原作を読んでみると意外と楽しめなかった記憶─。
最も見たであろうこの劇場版、何がそれほど自分を引きつけたのか─。やはり一風変わった作品だったからだということが大きいからで、その摩訶不思議な映像を繰り返し見て楽しめた。
時を経て改めて見ると、さすがに全てにおいて色褪せたものを感じてしまって、あの感動はもう皆無、残念ながら・・・。
ふと、思い出すのは、繰り返し見続けていく中で、一番面白いと思っていたビューティフルドリーマーからかわって、最初のオンリーユーが自分の中でだんだん一番になっていったこと。挿入歌含め、やっぱ最初が一番─。
とはいえ、このビューティフルドリーマーの情熱、野心、トライは消えることはなく、観賞の面白みが減ってきているとはいえ、色々と見るべきところはまだまだある、というかフォーエバー。
大人になって…
「終わりなき日常」における倫理的態度
本作ではうる星やつらの内包する世界観、そして「終わりなき日常」と呼ばれた80年代の空気感を批評的に描き出すことに成功している。
学園祭の前日が永遠に繰り返されるラムの夢は比喩的に言えば、うる星という作品の無限ループ構造そのものであり、同時にあたるを胎内に閉じ込めようとするラムの欲望である。
ラムの夢の世界を内破し現実に帰る方法は、あたるがラムに告白し「責任を取る」しかない。けれどもそれは、それこそ永久にラムの体内に閉じ込められることになるパラドックスでもある。
ここで示されているのは内破の不可能性を承知の上であえて内破を試みなければならないという一種のアイロニズムである。そしてそれこそが80年代的「終わりなき日常」における一つの倫理的態度だったのかもしれない。
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