海と毒薬

劇場公開日:

解説

太平洋戦争末期、米軍捕虜八名を生体解剖した事件を二人の研究生の目を通して描く。原作は遠藤周作の同名小説、脚本・監督は「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」の熊井啓、撮影は楢山節考」の栃沢正夫がそれぞれ担当。

1986年製作/123分/日本
原題:The Sea and Poison
配給:日本ヘラルド

ストーリー

昭和20年5月、敗戦の色はもはや隠しようもなく、九州F市にも毎晩のように米軍機による空襲が繰り返されていた。F帝大医学部研究生、勝呂と戸田の二人は、物資も薬品もろくに揃わぬ状況の中で、なかば投げやりな毎日を送っていた。だが勝呂には一人だけ気になる患者がいた。大部屋に入院している“おばはん”である。助かる見込みのない貧しい患者だった。「おばはんは、おれの最初の患者だ」と言う勝呂を、リアリストの戸田は、いつも冷笑して見ていた。そのおばはんのオペ(手術)が決まった。どうせ死ぬ患者なら実験材料に、という教授、助教授の非情な思惑に、勝呂は憤りを感じながらも反対できなかった。当時、死亡した医学部長の椅子を、勝呂たちが所属する第一外科の橋本教授と第二外科の権藤教授が争っていたが、権藤は西部軍と結びついているため、橋本は劣勢に立たされていた。橋本は形勢を立て直すために、結核で入院している前医学部長の姪の田部夫人のオペを早めることにした。簡単なオペだし、成功した時の影響力が強いのだ。ところが、オペに失敗した。手術台に横たわる田部夫人の遺体を前に呆然と立ちすくむ橋本。橋本の医学部長の夢は消えた。おばはんはオペを待つまでもなく空襲の夜、死んだ。数日後、勝呂と戸田は、橋本、柴田助教授、浅井助手、そして西部軍の田中軍医に呼ばれた。B29爆撃機の捕虜八名の生体解剖を手伝えというのだ。二人は承諾した。生体解剖の日、数名の西部軍の将校が立ちあった。大場看護婦長と看護婦の上田も参加していた。勝呂は麻酔の用意を命じられたが、ふるえているばかりで役に立たない。戸田は冷静だった。彼は勝呂に代って、捕虜の顔に麻酔用のマスクをあてた。うろたえる医師たちに向かって「こいつは患者じゃない!」橋本の怒声が手術室に響きわたった……。その夜、会議室では西部将校たちの狂宴が、捕虜の臓物を卓に並べてくり広げられていた。その後、半月の間に、次々と七人の捕虜が手術台で“処理”されていった。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

受賞歴

第37回 ベルリン国際映画祭(1987年)

受賞

銀熊賞(審査員特別賞) 熊井啓
詳細情報を表示

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

映画レビュー

3.5息を引き取る

2023年2月25日
iPhoneアプリから投稿

息を引き取る

コメントする (0件)
共感した! 0件)
karasu

3.5原作を読みました

2021年1月2日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

自分の想像していた描写とちょっとは違いましたが、見応えのある作品。もっと夏っぽさと砂埃のイメージ。
当時私が生まれた年の映画とはなかなか感慨深いものです。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
ぽじのふ

4.0また見るだろう

2020年12月17日
iPhoneアプリから投稿

生かす手術も生かさぬ手術も淡々と同じ工程を踏む異様。
悩もうが悩むまいが結局同じ隘路にはまる戦時下の異様。
ではテンパってはいない筈の今の私は正常か?と考えると堪らなく怖い。
と思わせるから本作は成功作なのだ。
また見るだろう。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
きねまっきい

5.0今日的なテーマであるのかもしれません 海と毒薬のタイトルの意味とは 大海原に毒薬を一滴垂らした所で、何ほどの事があるのか?との問いかけなのだと思います

2020年7月2日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

強烈な映画でした
打ちのめされました
映画自体の内容にも、熊井啓監督の演出、出演者の演技、美術、その全てにです

医学を舞台にした映画の金字塔「白い巨塔」すら凌駕するほどのリアリティです
延々と続く手術シーンはもう逃げ出したいほどです

その反面、主人公達が取り調べを受ける、鉄格子の牢など、ある種のシュールレアリズムなセットなのです

1986年公開の作品です
しかしまるでその30年も昔1950年代に撮影されたかのようです
白黒フィルムで撮影だけでない、粒子の粗さが醸し出す風合というか肌触りがそうなのです
80年代やそれ以降にも白黒作品はいくつかあります
しかし、国内作品だけでなく、海外作品も含めて
同じ白黒映像であっても根本的に違うのです
記録映画的な印象をもたらす意図でしょう
あるいは50年代に撮影されるべき映画であったという告発なのかもしれません

暗くて、重くて、難しい
これは熊井監督が特典映像のなかで本作をこう表現されていました
正にその通りです
原作の遠藤周二から映画にならないのではないかと言われたとも

倫理観
それがテーマだと思います

それは絶対的なものなのだろうか?
相対的に動くものなのだろうか?
絶対的なものだとしたらその基準はどこにあり、誰が定めるのか?
相対的であってはならないなのか?
神の存在を信じなければ、絶対的な座標軸を持ちえないものなのか?
それはキリスト教で無ければならないものなのか?
ならば劇中にあるように、広島長崎への原爆はどうなのか?東京や福岡などの都市無差別爆撃はどうなのか?
神を信じさえすれば、絶対的な座標を持てるというがそう言いきれるのだろうか?
だから倫理観など相対的なものなのだろうか?
人としての倫理観を踏み外さないための座標軸
それを見失わないようになるためにはどう生きれば良いのだろうか?
様々な思いが渦巻くのです

人体実験という異常な事件は戦争中だけのものでしょうか?
超一流企業のエリートと言うべき優秀な人々が不適切経理という不正に大勢が組織として、手を染めたり、おかしい!と声を上げ告発しようとする幹部を追い出したりする事件が少し前にいくつもありました
それらと、どこが違うのでしょうか?

倫理観の座標軸がずれたなら、その立場にいたならきっと本作のような恐ろしいこともやるでしょう
同じことです

戦争中の軍部や医学関係者を告発しているだけがテーマの底の浅い映画では決して有りません

倫理観が腐食して座標軸を見失っいつつある私達現代人全てに共通するテーマなのです

本作が1986年というバブルに突入しようという時期に公開されたのは偶然ではないと思います

バブルにより倫理観は麻痺させられ、座標軸はズレで傾き方向性を見失ってしまい、その結果一体何が起こったのか?
それはその後の歴史が物語っています

そして21世紀も20年も経過した令和の時代
私達の倫理観の座標軸はどこにあるのでしょう?

キリスト教徒であるから、きっと神を恐れ原罪を信じているような人間であったと思われる外国人のスーパーエリートでさえ倫理観の座標軸がズレていたのか逃亡劇を起こしたのもついこの間のことです

コロナウイルス禍の先の世の中はどんな座標軸になるでしょうか?
もっと流れ流されていく座標軸なのでしょうか?

極めて今日的なテーマであるのかもしれません
海と毒薬のタイトルの意味とは
大海に毒薬を一滴垂らした所で、何ほどの事があるのか?との問いかけなのだと思います
自分だけが、この部署だけが、会社が、多少間違ったことをしたところでなにも問題はない
実害がないのだから良いではないか?
そのような人間になってはいないか?という意味合いなのでしょう

あなたは海に毒薬を垂らしても平気な人間に決してならないと言い切れるのでしょうか?
それを本作は突きつけているのです
汗がでてくる思いです

自分ひとりの行動で、クラスターを作るかも知れない時代なのです
これこそ神に試されているのかも知れません

コメントする 1件)
共感した! 1件)
あき240
関連DVD・ブルーレイ情報をもっと見る