「自分たちは決して少数派では無いんだ!と知った日の興奮」宇宙戦艦ヤマト あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
自分たちは決して少数派では無いんだ!と知った日の興奮
宇宙戦艦ヤマト
ご存知1974年秋~放送されたテレビシリーズの総集編の映画です
その宇宙戦艦ヤマトが与えた巨大な衝撃と影響は庵野秀明さんなどのインタビューに繰り返し述べらています
しかし、当時はまだホームビデオレコーダーは大変な高額でお金持ちの家に希にある程度
だからヤマトに衝撃を受けた者は、放送当日に何一つ見落とすものかと必死に目に焼き付けるしか方法が無かった時代でした
しばらくして地方によっては再放送があったりした程度
しかし草の根レベルでは静かに火が付いていたのです
設定資料が掲載されたファンマガジン(ファンジン)がでたりしていました
そんなものがあるのか!という驚愕!
総集編ができるというニュースは巨大な喜びでした
1977年8月6日土曜日公開
確か肌寒い小雨だった記憶
前夜祭のラジオ番組があったように思います
公開当日先着順にセル画をプレゼントするというような事が放送されたように思います
公開当日の朝渋谷に観に行ったので証言を残しておく責任を感じました
多分2回目くらいの時間だったと思います
洋画のロードショーをする大きな劇場でした
劇場前に今でいうオタクらしい男性が数人いる程度だと思って行ったら、目にしたのは宮益坂の上の方まで数百メートルも伸びる行列でした
それがヤマトの行列だったとは思いもしませんでした
それは行列に並んでいる人達も同じでびっくりして互いに顔を見交わしていました
ヤマトの映画を見れる喜びはもちろんあるのですが、それより、ヤマトの様なマンガ映画に駆けつける仲間が世の中にこんなにいる!自分だけじゃなかったんだ!特殊な趣味じゃないんだ!という驚きと興奮です
自分たちは決して少数派なんかじゃないんだ!と知ったのです
大変な大ヒットでテレビやスポーツ新聞に報じられたように記憶します
その日からテレビマンガはアニメになり子供向けの日陰の存在からサブカルチャーの中心に踊り出して全てが変わったのです
アニメ雑誌がいくつも創刊されるようになって、今のアニメ文化が始まって行ったのです
もし宇宙戦艦ヤマトがテレビシリーズだけで終わり、この劇場版が作られなかったら?
今のアニメ文化、オタク文化、世界に広がる巨大な市場は丸ごと存在しなかったかも知れません
それ程アニメ文化の歴史に於いて超重要で記念碑的な作品です
二作目の『…愛の戦士たち』が公開された当時、「ストーリーが先の大戦の“特攻”を想起させる」とか何とか、左偏メディアが騒いで、問題に成りましたよねぇ…。
「愛する人の為に生命を懸ける」って言ってるのに、そういう偏見を押し付けるのはヒドいなと、当時思った記憶があります。
今作でだってドメル将軍が献身的にガミラスの為に散っていったのに、誰も何も言わなかったのに…。でも、良い作品です。
テレビ放送版が、放映期間が長過ぎて必要の無いシーンが結構有ったので、それを総集編に纏めて《本編(=映画)で勝負した》、「製作総指揮」の西崎義展氏の規格外のパワーが、この作品の大成功を呼んだと言っても良いと思います。
ちなみに『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』(講談社+α文庫)として、その狂気の沙汰振りがたっぷり書かれていますから、興味のある方は是非御一読をお奨めします。