異人たちとの夏のレビュー・感想・評価
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本作はホラー映画としての価値ではなく、1950年、昭和30年頃の生活への郷愁こそに価値があると思います
異人たちというのは、外国人のことではなく幽霊のことを指しています
確かに幽霊たちの夏ではあまりに陳腐です
1988年公開
原作はその前年に発表された同名の山田太一の小説
山田太一といえば、泣く子も黙る超有名な名脚本家
映画はそう数はないですが、テレビドラマとなれば、彼の作品はそれこそ無数にあります
一時期は視るテレビドラマは、大袈裟でなくどれもこれもほとんどすべて脚本山田太一とクレジットされていたほどです
木下恵介アワー、ポーラテレビ小説、金曜劇場、東芝日曜劇場などでの現代にまで知られる名作と呼ばれる作品に彼の物が沢山あるくらいそのレベルもとても高いものでした
泣いてたまるか
男たちの旅路
岸部のアルバム
ふぞろいの林檎たち
すぐに思い出せるものでもこれなのですから、どれほどの才能にあふれた脚本家であるかお分かりになるとおもいます
1934年生まれ、2022年現在87歳でご存命です
6年前の2016年には2時間ドラマを手がけ、数々の賞に輝いたほどお元気で才能も現役のままでいらっしゃるようです
本作はその売れっ子脚本家としての自身を投影したかのような主人公がある夏に体験するホラー物語です
それをハウスの大林宣彦監督が映画化したものです
といっても、ハウスのようなキッチュでポップな世界観ではなく、2004年の「理由」のような少し陰影の濃い肌触りの作品になっています
脚本は山田太一ではなく市川森一
この人は特撮界では良く知られる人で、快獣ブースカ、ウルトラセブン、怪奇大作戦、帰ってきたウルトラマン、仮面ライダー、シルバー仮面など錚々たる作品に数多く参加しています
その後は山田太一の後継者のように沢山のテレビドラマの脚本を書いた人物です
1941年生まれですから山田太一の7歳下ですが、残念なことに2011年に70歳で他界なされています
物語はケイという魔女と、主人公の死別したはずの両親と二つのお話で展開されます
両親との思い出の世界は、1950年昭和30年頃の浅草です
それを大林宣彦監督がとても情感たっぷりに撮っています
片岡鶴太郎と秋吉久美子の両親の言葉づかい、立ち振る舞い、衣装、当時の生活ぶりに心が奪われます
特に片岡鶴太郎の東京弁はスーッと耳に馴染むもので、もうそれだけで昔に連れていかれます
終盤になって思い出したかのようにホラー映画として締めくくられます
本作はホラー映画としての価値ではなく、1950年、昭和30年頃の生活への郷愁こそに価値があると思います
もちろん私達は生まれてもいません
郷愁を感じるわけがないのに何故か懐かしい
「三丁目の夕日」が好きなら、きっとあなたも本作の世界の虜になるでしょう
幽霊に取り憑かれた主人公のように
亡くなってからわかる親の愛情
片岡鶴太郎と秋吉久美子の夫婦関係と風間杜夫との親子関係がすごくよかった。自分もそうだったが、彼も亡くなってから親の愛情をひしひしと感じたのであろう。ストーリーとは直接関係ないが、彼がポン引きに声をかけられて、「もう済ませました」と言ったのには笑えた。
キャッチボールの球筋がよい
どうかしててもいい一時の夏
大林宣彦監督1988年の作品。
尾道3部作や青春人気作と並んで、名篇の一本。
妻子と別れ、マンションで一人暮らしのシナリオライターの原田。仕事で自分の要求が通らず、不満が募る日々。それ故、同じマンションに住む魅力的な女性・桂(ケイ)からの誘いも冷たく断ってしまう。
そんなある日、ふと下車した幼い頃住んでいた浅草。そこで、信じられない出会いをする。原田が12歳の時に事故死した両親と再会する…。
日常の中から突然、非日常へ足を踏み入れる…。
これぞ映画の醍醐味の一つ!
大林作品の中では『さびしんぼう』でも若い頃の両親と会う話があったが、こちらはより身に染みる。
亡き両親、人生に疲れた主人公、浅草・下町の情景…。
それらが堪らなく風情を煽る。
大林ノスタルジックの一つの到達点と言っても過言ではない。
父親と酒を飲み交わす。父親とキャッチボール。
母親にこぼした料理を拭いて貰う。母親手作りのアイスを食べる。
両親に誉めて貰う。3人で夕食。3人で花札で遊ぶ…。
原田が一人で生きてきた歳月は、両親と過ごした歳月より長い。
しっかりと一人で逞しく生きてきたつもりだが、いざ両親と再会したら…。
全てが嬉しい。全てが懐かしい。
まるで、子供のように。子供の頃に戻ったかのように。
何度も何度も訪ねる。
いつもいつも笑顔で迎え入れてくれる両親。
「また来いよ!」「またいらっしゃい!」
ユニークなのは、両親の描写。
大抵だと大人になった我が子に気付かないのが相場だが、こちらは大人になった我が子をそのままの姿で受け入れる。
タイムスリップ…ではない。浅草下町の風景など(当時の)今のまま。
となると考えられるのは…
思わぬ出来事がもう一つ。同じマンションに住むケイと恋仲に。
突然訪れた、幸せと充実。
が、その時からだった。原田の身体に異変が。
次第に衰弱していく。鏡に映った自分のその姿…!
一体、何が起きているのか…!?
風間杜夫も熱演しているが、周りの面々。
片岡鶴太郎の昭和親父のハマり具合! 減量もしたという役者魂!
秋吉久美子の艶っぽさ! あんな風に顔を近付けられたら、親子とは言えドキドキしてしまう~!
何処か薄幸な雰囲気の名取裕子演じるケイ。風間杜夫との大胆なベッドシーンもさることながら、クライマックスの大インパクト!
一応友人のようではあるが、仕事上では度々意見が食い違い、そして原田の妻子との結婚を考えている永島敏行演じる間宮。最初は何だかちと嫌な奴だが、でも見ている内に…。
毎度の事ながら、ワンシーンにビッグネームが登場するのも大林作品のお楽しみ。怪獣映画ファンとしては本作も。本多猪四郎監督の“常連”特別出演。
夏(お盆)という季節設定。3人でアイスを食べるシーンで、線香のようにスプーンをアイスに立て差し。
見てると次第に分かるし、これらからも分かるように、両親は幽霊。
でも、それでも構わない。また両親に会えるのならば。
私も結構早めに両親を亡くした。特に父親とは、成人になる寸前で死別したので、あんな風に酒を飲み交わす事が出来なかった。私自身も残念だが、父親も残念だった事だろう。
もし、また両親に会えるのなら…。
原田の場合、先述した通り、両親と過ごした歳月より一人で生きた歳月の方が長い。だからこそ、殊更浸っていたい。母親手作りのアイスは甘さ控え目だが、この一時はとても甘い。
何と引き換えにしても、この一時を。例え、自分の身体が衰弱していっても。
が、両親が我が子の生気を奪うような鬼畜の所業をするだろうか…?
いや、それでもいいのだ。生者が死者と再会するなんて、奇跡どころではない。我が身を捧げてでも。
それほどの事なのだ。
ケイが原田を心配する。
原田もこのまま入り浸っていたらいけない事は充分承知。例え短い間だけでも、夢のような一時を過ごせた。
それは両親も同じだった。
生者と死者を繋ぐお盆。それは、夏の終わりのほんの一時。
料亭ですき焼きを食べながらの別れのシーン。
素直になれない本心を隠しながら、悲しくも嬉しかった思いを吐露しながら。
両親が次第に消えていく。
「ありがとうございます」
幼い頃に両親と死別しても心からの感謝の言葉が、涙を誘う。
これで原田の身体も戻る筈…だった。
衰弱は止まらない。
何故…?
実は、もう一人…。
プッチーニの音楽に乗せて繰り広げられる展開と彼女の形相が、圧巻!
郷愁誘う感動ヒューマン・ファンタジーかと思いきや、
ラストはちょっぴりのホラー。
ノスタルジックと怪談。
夏になると怖い話が見たくなる。
生者と死者が再会するお盆。
どうかしていると思われてもいい。いや、寧ろ、何が起きても不思議じゃない。
日本だからこその夏とお盆にぴったり。
大林監督が我々皆に届ける、一時の夏。
そんな夏も、今年も終わった。
小さいけど、本当に小さいけど、そこには確かに幸せがあった。
とってもよかった
公開当時に映画館で見て、その後もレンタルで2回くらいは見ていて大好で、追悼でHuluに上がっていたので見た。最後に見たのは20代の時でそれから主演に風間杜夫の年齢をはるかに追い越して見たら、ずっとあまり好きではなかった名取裕子とのやり取りや場面にぐっと来た。鶴太郎と秋吉久美子の粋な感じはずっと一貫してすごくいい。永島敏行もなんだこいつと思っていたのだけど、改めて見ると分からなくもないし、あんなに支持してもらえたら心強い。半面、風間杜夫の思いあがった感じが鼻につく。バブルの真っただ中な感じもよくて、とても面白かった。そんな風には描かれてはいないけど、景気の良さが随所に滲み出していてこの時期にお金を好きに使える立場だったらさぞ楽しかっただろうな。
(追記)
永島敏行がお化けの名取裕子を横蹴りで倒す場面がすごい。咄嗟の判断であんな勇敢な行動ができるような男でありたい。名取裕子は自分がお化けのくせに両親と会うのを妨げようとして厚かましいのだけど、最初に風間杜夫の部屋を訪ねた時は切実な思いがあっただろうし、それには一体何が原因だったのか、よほどの事情があったのだろう。気の毒に思う。
観終わってしみじみする珍しいホラー映画??
数々の名作を世に送り出した大林宣彦監督、謹んでご冥福をお祈りいたします。
尾道三部作他、若手俳優たちを多く発掘したことも映画界に残された大きな足跡だと思っています。懐かしのチャールズブロンソン『マンダム』のCMも大林監督だったんですね?Wikiで調べて初めて知りました。
※全く関係ありませんが、友達に「顎になんかついてるよ!」って言って顎を触った瞬間「う〜んマンダム!」っていうのが流行りましたねー。
原作の山田太一さんは『ふぞろいの林檎たち』をまず思い浮かべ、自分自身、同世代の主人公たちと学生時代、就活、社会人を同じように過ごさせてもらい、なんて我々の思いを代弁してくれるんだろうって感心したこと思い出しました。
映画の本題ですが「DESTINY 鎌倉物語」のようなファンタジックな物語かと思いきや、分類的にはホラー映画になんでしょうね?!幼い頃に死別した息子を悪い幽霊(怨霊)から救うために両親が当時のままの姿で現れます。当時にはできなかったキャッチボールや色々な会話、今半のすき焼きを食べながら消えてしまうシーンは、もう涙なしでは観られません。
大好きな映画『蒲田行進曲』の銀ちゃん役の風間杜夫さん、やはり少し臭めの演技、いい感じでした。
ほっこり心温まるとてもいい映画なんじゃないでしょうか。あまり話題にならなかったのがちょっと残念です。
【セピア色の”すき焼きのシーン”は何度観ても、涙が込み上げてくる作品。親とは”どのような状況”でも子供が心配なのだ・・。】
ー 大林宣彦監督、素晴らしき多くの作品を届けて頂き、本当に有難うございました。ご冥福をお祈りいたします。-
作品の内容は、人口に膾炙しているので、敢えて記さない。
<鑑賞当時の感想>
・”親子の関係”とはどのような状況でも永遠に繋がり続けるという事。
・山田太一さんの小説自体が素晴らしいのだが、その作品の”独特の世界観”を崩さずに映像化した大林監督の力量と市川森一の脚本の凄さ。
ー書いているだけでも、凄い布陣である。-
■想い出のちょっと恥ずかしいシーン
・名取裕子さん演じる妖しくも哀しき女ケイ(凄い、色気であった・・・)と原田とのベッドシーン。初見時は学生で、TVで友人と観ていたので、かなり気まずくもドキドキしながら観たなあ。
■白眉のシーン
・浅草の誰もいないお盆の時の道路で、原田(風間杜夫)と鯔背な寿司屋職人の父(片岡鶴太郎)とのキャッチボールのシーン。そして、二人が交わす会話。
・今半別館の二階で、三人がすき焼きの鍋を囲んでの会話の素晴らしさ。
特に、原田の父の台詞に涙が滲む。
”こいつは12で両親を失って・・・・、良く頑張った・・。”
・原田の両親(母は、秋吉久美子・・そりゃ、美しいですよ。)が後ろの襖窓から夕陽が差してくる中、徐々に姿が消えていくシーン。そして、暗くなった間に独りで座り込む原田の背中・・。
ー個人的に邦画の名シーンの一つだと思っている。-
<初見時から数十年振りに観ると、ケイの本当の姿が露わになるシーンなどは正直厳しいものがあるが、それでもこの作品は私にとっては忘れ難き名作なのである。>
牡丹灯籠
緑色のアイスの皿
"ホラー二本立て“になってしまったのは残念(笑)
どうもおかしい構成だと思ったら、Cape Godさんのお調べでは「亡き両親が悪霊《KEI》に取りつかれた息子を正気に戻すために現れた」というのが物語の骨格なのだそうだ。
それならば、ラストシーンで、雑草の更地でアイスの皿が再登場するのだが、名取裕子に向けてどこからかあの皿が投げつけられるとか、の演出が加わっていたならもうちょっと違ったかも。
そんなわけで作りは「?」だったけれど、
すき焼きの場では不覚にも声を出して泣いてしまった。
大人になっても、子ども時代にも、僕らはさまざまな幽霊に脅かされ苦しめられてるよね・・・
でも「お前を誇りに思うよ」とあの世から聞こえる声が
疲れた心にこんなにも嬉しい。
うんと泣いて、元気になった映画でした。
最後に自分だけ取り残されるような感覚
1980年代の作品とあって、ぎりぎりの昭和感がいい雰囲気。
かといって、異次元すぎる訳ではなく、妙にリアリティがある。
後半はところどころ飛ばして見たものの、最後のオチは王道ながらおどろおどろしい部分があり◎笑
主人公の両親と、同じマンションの女との絡みは
どちらも中毒のようにハマっていく様子が生々しかった。
昔の記憶と恋愛関係、、
ふむふむ。まるで目の前の辛い現実から逃れるためにでてきた幻影のように、しつこく頭から離れない。
一度快楽を味わったが最後、現実世界に戻ってこれなくなる。
主人公が過去に固執して凝り固まった考えから、それらが具現化してでてきた幽霊のような、、
考え出すとなかなか深い意味合いがあるように思う。
ただ見終わった後は、なんだかとってもスッキリ!
なんなんだ、、
かなり昔の作品ですが、時代を超えてオススメしたいですね。
久しぶりに前のめりで物語の世界観に引き込まれました。
一言で言うと、前向きに生きていくことの大切さを教えてくれる作品です。
死んだ両親とほのぼのとした時を過ごす。映画らしい素敵な設定ですね。...
ラストに、えっ?
時空を超えた作りや亡くなった人間が幽霊として出てくるので、大林作品の王道と言えるものでした。
父親役の鶴ちゃんと母親役の秋吉久美子が、昭和30年代のおおらかな日本社会を象徴しています。いつからこんなにギスギスした日本になってしまったんでしょうか。いくら戻りたくても戻ることができない良き時代。
特にその時代を知る方が鑑賞すると、熱いものが込み上げてくるかもしれません。それは主人公がその世代の日本人のメンタリティーのメタファーとして描かれているから。作品が上映された時代は、家族という概念が変わり始めた頃でした。時代が急激に変わり過ぎたんですね。
そして、主人公が経験する中年という壁。現在の自己を否定し、生まれ変わることを求める年齢にフォーカスしています。
「さびしんぼう」でも描かれた同世代として対面する母親との微妙な関係性も通過儀礼のひとつ。男性(大林監督)の初恋はきっと母親なのでしょう。淀川先生も、そんなこと言ってたなあ。
両親という死者との再会によって生きる喜びを取り戻す主人公。逆に死者である「ケイ」という恋人によって、あの世へ連れて行かれそうにもなる。どちらにしても、生きる目的を無くした主人公が、生を意識した瞬間です。とにかく、「生きるのだ」。とにかく、「生まれ変わるのだ」。
賛否両論あるラストですが、もう少しなんとかなったら日本映画史に残る名作になったのではないでしょうか。でも、大林監督らしいと言えばらしいので、これで良かったかな?
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