あしたのレビュー・感想・評価
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『生きる』意味の教科書。
これは公開当時に観に行った記憶しか無いので、細かいレビューは省くが、『生きることの貴さ』『喪ってしまった者の哀しさ』を、いつもの様に2つまみ程度の笑いをまぶして作った、大林宣彦監督お得意のウェルメイドな映画だと思う。
一応は《新.尾道三部作の第2作》に該当する訳だが、原作選びに無理が有ったのか、別に『尾道』に限定しなくても良い話で有り、思うような仕上がりに成らず『日本昔ばなし』の一品の様に成ってしまった為《新.尾道三部作》は、今作で瓦解してしまった気がする。
赤川次郎の不可思議な小説を題材にするが、いつもの様に『大事な人を喪ってしまった哀しみ』『これからを生きる人への希望』を“特別な捻りを持たせずに”作ってしまった事、また(出ている役者陣は皆名優揃いで好演してはいたのだが)登場人物が多い群像映画にした事、それらが逆に仇となり、観る者の心に迫る悲しみが、個々の役者の話の分だけバラけてしまって、訴求力が弱くなってしまった事などが、本作を《残念な結果》にしてしまった様な気がする。
当時は人気作家だったとは言え、赤川次郎原作に拘る必要は無かったと思うし、『船の遭難沈没事故』と云う設定が、そもそも映画に合わなかったと云う事も有るだろう。
もっと登場人物(乗客)を減らして、話がバラけない配慮がチャンと出来ていれば、高橋かおりは一躍今作で〈スター〉に成れたと、今でも思う。
彼女の煌めくような美しさと力みの無い演技がとっても爽やかで、毛ほどのイヤラシさも無かっただけに、余計に悔やまれる作品だ。
今となっては、中古のDVDを探すしか観る手段は無いが、大林作品がスキな方には是非観ておいていただきたい佳作である。
暗さを深めていく1995年の日本への大林宣彦監督のエールだったのです
1995年公開9月公開
1995年は多くの方にとって記憶に残る年でした
なにしろ1月には阪神淡路大震災が起こり年が明けたのです
3月にはオウム真理教の地下鉄サリン事件がありました
バブル崩壊はいよいよ誰の目にも明らかとなりつつありました
大規模なリストラが一流企業でも本格化した年でした
真っ黒い夜が始まったかのような年だったのです
そんな中で、亡くなられた人、喪われたことへの想いを断ち切って、あしたへ立ち向かう元気を出そう
それが暗さを深めていく1995年の日本への大林宣彦監督のエールだったのだとおもうのです
だから呼子丸は真冬の真夜中に現れて、夜明け前に去っていくのです
だからあしたが訪れた時、登場人物達はみな晴れ晴れとしてそれぞれのいるべきところに帰っていくのです
あしたは頑張ろうと
呼子丸
死者が呼ぶ船
それに呼ばれて乗って去るのなら、退場すべきは老人であって、子供ではないのです
1995年、戦前生まれの方々が退場を始めて、日本の社会の様々なところで代替わりが起こり始めていました
団塊の世代が最年長の世代になろうとしていたのです
彼らが社会のフロントランナーに立ったことを知った不安と気負い
それが終盤の勝と篠山が肩を組んで泣くシーンに見事に表現されています
彼らが残された小さな子供や女性や若者を皆預かり、責任を持ってこの真っ黒な海に乗り出すことになったと初めて気がついたのです
呼子丸のいくところではなく、あしたへ向けて下の世代を連れて行かないとならないのです
若者達、女性達もそれぞれに新しい人生に前を向いて立ち向かおうとしています
そして21世紀
本作公開からいつしか28年も経ちました
夜はとっくに明けたはずです
でも空を厚く低く雲が覆っていて
まるで夜がまだ明けていないかのように暗いのです
それでもあしたは来ているのは間違いないのです
今度は団塊の世代の人々が退場を始めました
次の世代に代替わりが起こりつつあります
コロナ禍もオリンピックも終わりました
どうやらデフレも終わったようです
いつまでも過去に拘泥しているなら、呼子丸が今夜訪れるかもしれません
先日、念願だった尾道の観光ができました
大林宣彦監督や小津安二郎監督の尾道での数々のロケ地を巡り、さらにはおのみち映画資料館も見学することができました
兼吉渡しの渡船で向島に渡ってすぐのところには、本作の呼子港の待合室のロケセットが移設されて今も残されています
ガラス窓から中を覗くと、本作でみたままで切符売場もベンチも看板も残されていました
程よく老朽化して、白いペンキ塗装も日焼けして色褪せて本物の待合室のような風情を醸し出していました
尾道はあなたが来るのを待っています
まあまあだった
だらだらしていて飽きる。群像劇で一人一人スポットを当てて、同じような分量で描くので長い。岸部一徳と弟、何してんだとコメディ要素のようなのだけど特に笑えないし、最後の最後ではシリアスな存在になるのでアホなのかと思う。尾道の地理がどうなってるのか把握していると面白いのかもしれない。やたらと小さなおっぱいが見られて、ちょっと気まずい気分になる。
以前に見た時は面白かった気がしたのだけど、そうでもなかった。
生きるってことをかなり強調した映画。
序盤で椎名ルミ、高橋かおりの初々しいヌード。2人とも胸は小さい。美少女を脱がせる大林マジックを感じた。
とにかく大林監督の下に集まる常連の俳優さんたちがいい。演技力もわざとらしいほど下手に演じさせるのか、そこが微笑ましかったりする。特に多岐川裕美、岸部一徳、林泰文などなど・・・案外、宝生舞が良かったのにビックリ。
ヤクザの親分植木等を狙う岸部、田口トモロヲ、林。そして彼を守るベンガル、小倉久寛。大林監督に“人を殺すシーンは撮らない”ポリシーがあるため安心もできるのですが、かなり危ないところもあり。まぁそれが逆に生きることの大切さを訴えてくるのだ。
原作は知らないけれど、これだけ登場人物が多いのに見せ場を作ってあるところが凄いとも感じる。お笑い担当の小倉とか、性欲担当の峰岸徹とか・・・寂しい人もいたけど、なぜだか希望を与えてくれる。もちろん泣き担当の植木等のパートはいいなぁ。
小屋での高橋、林の初体験シーンなんかが恥ずかしいほど不要な部分だと感じるけど、それもクライマックスに繋がるんだと思うとしょうがないのかもしれない。
原田知世のゲスト出演もいい。9人という人数を数えていれば想像はできたんだろうけど、なにしろ登場人物が多くて・・・
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