悪魔が来りて笛を吹く(1979)のレビュー・感想・評価
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鰐淵晴子は素晴らしかった それだけが収穫
1979年1月公開、東映作品
1977年が、金田一耕助もののピークだった
東宝から「悪魔の手毬歌」、「獄門島」、松竹から「八つ墓村」と3本も公開されている
1978年は東宝の「女王蜂」のみ
1979年は東映の本作と、東宝の「病院坂の首縊りの家」、角川の「金田一耕助の冒険」と3本と1977年と同数の公開だが、どの作品も内容の低下は一目瞭然
角川の作品はフィナーレというか、打ち上げの映画、つまり句読点だ
横溝正史の映画化ブームはこの1979年で終わった
市川崑監督、石崎浩二主演版もハッキリいって監督がもう飽きている
本作が成功していれば、本家を横取りできたものをこの内容では駄目だ
結局ブーム自体を終わらせてしまった
映像のタッチは横溝作品に合っていたと思う
鰐淵晴子は素晴らしかった
妖しく美しく小説の世界から抜けでたかのようだ
斉藤とも子は悪くはないが、鰐淵晴子との対比が釣り合わない
もっともっと華奢で潔癖さを際だたせないと、人物の対比構造がなりたたない
なにより西田敏行の金田一耕助は駄目だ
まるで見えない
等々力警部も夏八木勲では違う映画の雰囲気だ
脚本も演出もメリハリがなく、だらだらと続くのは苦痛だ
役者達、撮影、美術がかなり頑張っているのにと、残念に思う映画となってしまった
製作は東映の依頼で角川春樹が雇われプロデューサーとなっている
テレビドラマ版・獄門島の視聴率が良かったとの理由で斎藤光正監督が起用されるのなら、素直に古谷一行の主演で撮らせてやるべきだったと思う
失敗の原因は製作にあると思う
傑作ここに誕生せず
先日NHK-BSでSPドラマとして放送された、吉岡秀隆が金田一耕助に扮した『悪魔が来りて笛を吹く』。
そしたら、他の同映像化作品もまた見返したくなった。
市川×石坂の東宝版、松竹の『八つ墓村』、古谷一行が金田一に扮したTVシリーズ版…世は横溝正史ブーム真っ只中製作された、こちら東映版。1979年の作品。
金田一は、西田敏行。
東京の宝石店で強盗殺人事件が起き、容疑者とされた元子爵。
遺書を遺して自殺するも、その後目撃情報が続く。
やがて元子爵の旧華族邸で連続殺人事件が発生、忌まわしい人間模様が明らかに…。
原作者自ら「この恐ろしい話だけは映画にしたくなかった」と語るほど数ある金田一の事件群の中でも、悲劇的で、陰湿で、歪み乱れた、ドロドロドロドロ渦巻く愛憎劇。
監督の斎藤光正は古谷金田一のTV版“横溝正史シリーズ”の『獄門島』での手腕を買われ、抜擢。
おどろおどろしい雰囲気は巧く出している。
しかし、雰囲気はいいが、ミステリーとしての醍醐味やドラマ性に欠けた。
松竹の『八つ墓村』もちとミステリー要素に欠けているものの、それを凌駕するほどのインパクト抜群の怪奇ホラー性やアダルトなムードのドラマ性があったが、本作はいずれも及ばない。
また、重要部分が幾つか脚色もされている。
“悪魔ここに誕生す”の文字を消すのがまさかの金田一自身だったり(!)、何より犯人とその動機。
犯人の復讐の動機となるある人物が本作では生きている設定となっていて(自殺はしようとしたが)、これじゃあ犯人の悲劇性が少々薄れてしまった感は否めない。
それから、これを言っちゃあ元も子も無いが…、
西田敏行に金田一は合わない。
渥美金田一も賛否分かれているが、それ以上ではないだろうか。
人間臭い金田一像ではあるが…、やっぱりどうしてもイメージではない。だって、金田一はあんなにぽっちゃりではないもん!
キャストでは、鰐淵晴子の妖艶さがひと際印象的。
原作シリーズでは何度か登場する金田一のパトロン的存在の風間(演・梅宮辰夫)の登場はユニークだが、金田一と美禰子のロマンス的な関係は蛇足だった。
総じて、まあまあか後一歩。
ついでに、先日のNHK-BSのSPドラマについても。
スタイリッシュで現代的センスの演出ではあったものの、犯人の動機や悲劇性はかなり印象強く描かれ、この狂った血族関係含め、狂気すら滲み出していた。
何と言っても、金田一に扮した吉岡秀隆の好演。
松竹の『八つ墓村』で映画デビュー、素朴で庶民的な親しみ易さの彼がいずれ金田一を演じるのは運命的に決まっていたのかもしれない。
ラストはある事件の依頼が舞い込み、第2弾も見てみたいと思った。
尚、『悪魔が来りて笛を吹く』の映像化最高作は、古谷金田一のTV版“横溝正史シリーズ”。
配役といい、出来映えといい、いずれも見事!
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