「岡田茉利子の各個撃破!」秋日和 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
岡田茉利子の各個撃破!
原節子さんの訃報を聞いて、「晩春」を銀座で観た日の夜、自宅所蔵のBlu-rayを鑑賞。
何度目かの鑑賞ゆえに、セリフや筋はとくに追わず、何が映っているのかだけをとらえようと目で追った。
驚いたことに、今更ではあるが、司葉子と岡田茉利子たちが会社の同僚たちと山を歩くシーン(複数形)がすごい。彼らが横一列に並んで歩くシーンは全部、彼らの歩幅、歩調、手の動きが一致しているのだ。某国の軍事パレード並みに登場人物たちの動きが統制されている。しかし、それでいて、軍事パレードのような不自然さは微塵もなく(それは、何度も観てる自分がいままで気付かないくらい)、画面には若者たちのハイキングに似つかわしい明るいリズムが生まれているのだ。
そういえば、佐分利信の事務室の前の廊下を映す時も、画面奥を横切る人物は、必ず手前(から奥へ消えるのも含めて)の人物の動きに合わせて、現れては消える。
何でもない状況にこそ細心の演出。このことによって、観客はいつまでも小津の作り出した画面から目が離せなくなる。
そして、いわゆる肩ごしのショットは、小津作品にはないのではないのではなかろうか、ということである。この作品に関して言えば、やはりその考えは当たった。登場人物が対面するシーンは、肩ではなく、背中越しのミディアムクロース。司葉子と佐多啓二がラーメンをすするのも、二人が同じく壁に向かうカウンターである。
佐分利信、中村伸郎などくせもの揃いの「おじ様」たちの楽しい自虐的な下ネタによって、物語は明るく、都会的な雰囲気に包まれているのだが、ここには、人間のどうしても避けて通れない、親捨て、親殺しについての寓話ともうけとれる、緊張をはらんだテーマが流れている。
帰宅するとスーツから和服に着替える、佐分利信の「脱ぎっぷり」が毎度楽しみなのだが、この作品の脱ぎっぷりよりも、「彼岸花」のほうが恰好良い。なぜだろう、脱いだスーツを拾い上げて片づける奥方が、戦後的な強い女・沢村貞子よりも、やはり、もっと父権に従順な感じのする田中絹代のほうが、絵として様になるのだろうか。それとも、「彼岸花」では、山本富士子との駆け引きがあったのに、この作品では岡田に一方的に押しまくられる佐分利には、もはや父権主義の香りはそこまで求められないということなのか。