「実は愛に背を向けるキリスト教の怖い一面をかいま見る映画です」エリザベス ゴールデン・エイジ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
実は愛に背を向けるキリスト教の怖い一面をかいま見る映画です
本当にこの作品の絢爛豪華さは、連続して西洋絵画の名画を見続けているようなカットの連続でした。
またストーリーについても、歴史物はどこかまとめきらず中途半端な終わり方をしがちです。ところがこの作品は、前半にエリザベスの信念と揺れる女心と平行して宮廷の陰謀術を描き、物語の舞台と登場人物のキャラクターを手短に見せた上で、後半のスペインとの戦いに立ち上がるシーンから海戦シーンを見せて、誰もがイギリスをゴールデンエイジへと導いたリーダーとして、納得できる仕上がりになっています。
「鉄の女」というのは、イギリスの伝統でしょうか。
この作品で細かく描かれているのは、エリザベス1世も、「バージン・クイーン」としての孤独・葛藤です。この頃のイングランドは、まだ小国で外患内憂に満ちていました。
その難局を女王として乗り切る代償の法則として、彼女は国家と結婚し、イングランド国教会のシンボルとして信仰と信念に生きる決意をしたのです。まさに修道女のような心境であったのでしょう。
この葛藤をケイト・ブランシェットが強烈にオーラを放った演技で魅せてくれます。
圧巻は、暗殺シーンです。暗殺者が銃口をエリザベスに向けたとき、彼女はたじろぐこともなく毅然と十字架を背に、まるでイエスさまの如く、手を拡げて暗殺者を包み込む仕草をします。その圧倒的な信仰心に、暗殺者もたじろいでしまいます。
そのときのケイト・ブランシェット演技には、光を見ました。神かがり的な演技であったと思います。
服を着ていれば女王。
脱いでしまえばただの女。
宮廷に出入りする一人の男に心が引かれ、キスまで交わすものの、「バージン・クイーン」としての立場が女心を押し殺してしまいます。
その結果、寵愛する臣下ベスに自分の代理として、代わりに愛させます。ところが、いざ自分に報告無く、ベスが勝手に妊娠してしまったこと聞いたとき、どうにも収まらぬ嫉妬心が、爆発してしまうのです。この「感情の揺れ」が、絢爛豪華な宮廷をステージにゴージャスに描かれていきました。
ベスの子供を祝福しようと、エリザベスが抱きかかえるとき、床にたたきつけるのでは無いかとハラハラしました。
女王の心理に比重が置かれたため、戦争スペクタルとしては長さ的にややもの足りず、史劇としてのこの時代のところももう少し描いて欲しかったと思います。
けれどもこの衣装、演出、そして細かい作りこみは、近年希に見る歴史ものとして傑作です。2時間程度ではもったいないと感じましたね。
●キリスト教原理主義と寛容さの戦い
当時は、まだヨーロッパ諸国のほとんどはカトリックであり、なかでも列強盟主たるスペインのフェリペ2世は、「異端者に君臨するくらいなら命を 100度失うほうがよい」と述べているほど、世界中をカトリック信仰で覆い尽くし、万民を帰依させることを全身全霊で神に誓っているほどの強烈なキリスト教原理主義者でした。
カトリックによる国家統合を理想とし、フランスのユグノー(プロテスタント)戦争にも介入し、カトリック側を支援したり、1559年に禁書目録が公布され、指定された大学以外の大学でスペイン人が学ぶことも、一時的にではあるが禁止するなど、異端に対して不寛容的な政策を行いました。
それに対し、1558年にプロテスタントのエリザベスが王位に就いたとき、イングランドの約半数はカトリックでした。しかし彼女は、罪を犯したものは処罰するが、犯さぬものは保護する。行いで民を罰しても、信念では罰しない」と国民に対して好きなように信仰して良いが、まず女王の臣下であれと諭しました。
この戦いは、同じキリスト教でありながら、不寛容と寛容さの戦いであったと言えます。もしイングランドが敗れていたら、中世の魔女狩りが近世まで続くことになっていたでしょう。
しかし、スコットランド女王マリーの処刑シーンにしても、敬虔なクリスチャン同志が何故裁きあい、血を流し続けるのか、その一点に理不尽さを感じました。
現実のキリスト教は、愛と許しの教えでなく、裁きと血と恐怖が支配する歴史を綴ったのです。イエスさまの悲しみはさぞかし深かったでしょう。
スペインの没落とイギリスのゴールデンエイジ。そのきっかけとなった海戦では、無敵艦隊に対して、劣勢のイギリスに神風が味方し、勝利しました。
この変化は、主の御心はどちらにあるかという点で、現代の宗教対立にも繋がるテーマであると思います。