「監督が意図したハッピーエンドファンタジーを、悲しい不条理劇と解釈する私たちの精神性」パンズ・ラビリンス 雨丘もびりさんの映画レビュー(感想・評価)
監督が意図したハッピーエンドファンタジーを、悲しい不条理劇と解釈する私たちの精神性
デル=トロ監督は、辛すぎる現実から離れて空想世界に生きると決めた人間の心理を「逃避ではない」「幸せな人生だ」と言い切る。
(DU_BOOKS「ギレルモ・デル・トロのパンズ・ラビリンス」)
しかし私たち日本人は、祭りやお盆や七夕など、リアルとワンダーがほどよくブレンドされた世界を生きているので、どちらかに振り切られると居心地悪く感じてしまう。
ごはんや食器には作った人の気持ちが込められているし、悪いことをした人にはいつか天罰が下ると期待して生きる私たちにとって、フィクションは今生を輝かせるためのものであり、決して現実を捨てて旅立つ亡命先では無いからだ。
この乖離は、ちょっと私たちには埋めがたい。
オフィーリアが3つの試練を乗り越えて獲得した幸福は、枯れた木に一輪の花を咲かせ、やがて荒廃した世界を美しく彩る礎(いしづえ)となることを暗示する。
しかし、監督の思惑に反して、私たちがこの映画を鬱エンディングとして捉えてしまうのは、虚実入り混じった "この世界の片隅で" 生きる幸せを、オフィーリアに体感して欲しかったからであり、「空想の中でしか幸せを得られなかった」彼女に憐憫と寂寥の情を抱くからだ。
デル=トロ監督は、とてつもなく優しい人だ。
苦しい現実に晒された人々の受け入れ先として、自身のフィクション世界を念入りに構築し、もはや人が暮らせるレベルで具現化させようとする。
その愛情には、頭が下がる。
誠実で、自分や映画製作サイドの人々に厳しく、どこかでつらい思いをしている観客たちへの博愛を忘れない、あったかい包容力の持ち主だと思う。
だからこそ、彼の差し伸べた救いの手を握り返せないことが申し訳ない。
『パシフィックリム』でブレイン・ハンドシェイクするしかないよね。