デス・プルーフ in グラインドハウスのレビュー・感想・評価
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猫のゾーイ
全映画の中で1番好きなエンディングかもしれない。
タランティーノ作品の何でも上位に入るフェイバリット作品。
前半後半の色味や質感を変えてるからか、物語内では少ししか時間たってないのに数年後みたいな空気があるのが、時代の変化を描いてるような気がして
前半のフラストレーションを後半で一気に爆発させてくれる最高な構成。
グラインドハウスのB級映画みたいなものとして作られてるけど、普通にクオリティ高すぎてて製作の意図が逆にハズレてるのでは?と思うぐらい好き。
みんなかっこいけど、異常に身軽で根っからの陽キャエネルギーに溢れてるゾーイ・ベルが大好き。
猫のゾーイ!
最後は両手をあげて叫ぶんだよ。
グラインドハウス(US公開版)としての感想です。
2012年5月に池袋・新文芸坐のオールナイト・イベントで、2013年9月に新橋文化劇場で鑑賞(初鑑賞は2008年4月にDVD-BOXを購入して、それぞれの単品版は2007年9月と10月にTOHOシネマズ六本木ヒルズのスクリーン2、スクリーン4-現スクリーン6-にて初鑑賞)。
映画を観ていると“永遠に続いてほしい”と強く思うぐらいの夢のある作品に出会うことがありますが、私にとって、その一つだと思えるモノが、ロバート・ロドリゲス監督とクエンティン・タランティーノ監督の奇跡の大企画となった本作『グラインドハウス』がそれに当てはまります。
ゴーゴー・ダンサーとして冴えない日々を送るチェリー(ローズ・マッゴーワン)は元恋人のレイ(フレディ・ロドリゲス)と再会後に全身が膿だらけの集団に襲われ、片足を失い、病院へ担ぎ込まれるものの、そこには次々と遺体が運ばれ、チェリーを襲った膿だらけの集団が次々と生まれていき、彼女は絶体絶命の危機に陥る(『プラネット・テラー』)。
久々に地元に戻り、友人(シドニー・タミーア・ポワチエ、ジョーダン・ラッド)と共に酒場へ繰り出した美女バタフライ(ヴァネッサ・フェルリト)は行く先々で不気味なダッジ・チャージャーに付き纏われている事に気づくが、その運転手のスタントマン・マイク(カート・ラッセル)は酒場にも現れ、バタフライに対して「俺のためにラップダンスを踊ってくれ」と要求される(『デス・プルーフ』、粗筋は以上)。
本作の単品版(“デス・プルーフinグラインドハウス”、“プラネット・テラーinグラインドハウス”)を観るまで、自分はどちらかというとテンポの良い作品しか見てこなかったので、この意図的なテンポの悪さに驚きました。特にタランティーノ監督による『デス・プルーフ』は今のテンポならば、一時間で終わってしまうような内容をタラ監督が得意とする会話劇と怒濤のカーチェイスで展開し、その会話劇は酒と映画のマニアックな知識を織り混ぜ、あまりにもコアなネタな為に眠気を感じさせるものですが、スタントマン・マイクのキャラクターに説得力を持たせ、そこに疑問を感じさせない描かれ方が絶妙で、会話で引っ張り続けたあとのカーチェイスのシーンは、その眠気をも吹き飛ばし、画面に釘付けにさせ、圧倒する見せ方に衝撃を受け、ロドリゲス監督の『プラネット・テラー』はテンポは『デス・プルーフ』よりも良いですが、画面の傷や音飛びの効果が際立ち、特殊効果やメイク、CG映像といった予算が掛かっていながら、実際はそんなに掛かっていない技法の使い方、『ターミネーター』のエッセンスを受け継いだ話など、ロド監督流の魅力が全開で、70年代の低予算映画をロクに知らない自分としては、初めての体験と言える作品でした。
私は初めて、この本来の『グラインドハウス』を観た時に物足りなさを感じました。何故なら、単品版にあったシーンがカットされていたり、別々の台詞が一つのシーンで纏められていたり、『デス・プルーフ』もテンポが良くなり、スタントマン・マイクの性癖に纏わる部分が無かったりと、これが本来の形なのは分かるのですが、当時はあまり受け入れられず、単品版こそが全てと思っていました。しかし、本作のフェイク予告から生まれた『マチェーテ』や『ホーボー・ウィズ・ア・ショットガン』を観た頃から印象が変わり、その後に名画座で上映された際に、初めて受け入れられました。
本作が“永遠に終わらないでほしい”と思えるのは、フェイク予告(ロドリゲス監督“マチェーテ”、ロブ・ゾンビ監督“ナチ親衛隊の狼女”、エドガー・ライト監督“Don’t/ドント”、イーライ・ロス監督“感謝祭”)と二つの本編、合間に挟まれる架空のCM(近隣の劇場で売っているホットドッグ)など、お遊び的な感覚で作られているのに、“観る人を選ぶけれど、面白い映画を作ったよ”という意気込みが全体から伝わってきて、そこには説教臭さいメッセージや感動の押し付けといったウザったい要素は無く、近年の作品では観られない強烈で刺激的な描写とデジタル上映の普及やホームメディアの高画質・高音質化によって失われたフィルムの傷や音飛び、色褪せを通じて観る映画の魅力に気づかせてくれて、そこに作品の裏事情が透けて見えることも無く、3時間11分の長尺を飽きずに楽しめて、夢中にさせてくれるからです。映画を観すぎて、目が肥える事が少なくなく、映画そのものに夢を見られる事も減っている状態だからこそ、本作は貴重な作品で、21世紀のB級のエンタメ作の最高傑作と称しても、言い過ぎでは無いと思います。映画を通じて、超ド級の興奮を味わいたい方にお勧め(ハードな描写が満載ですが)したい、そんな一本がここにあります。
『デス・プルーフ in グラインドハウス』
説明不可能な大興奮
恐ろしく奇妙な映画
内容ははっきり言ってほぼ無いようなもんで、映画全編ほぼタランティーノ得意の無駄話方式で埋め尽くされてる
ただ繰り広げられるガールズトークが生み出す映画のリズムと、タランティーノが描き出すグラインドハウスムービーの世界観が合わさると何故だか興奮必至のスーパーエンターテインメントになっちゃうというまさしくタランティーノマジック 特にラストは見てて思わず一緒にガッツポーズが出てしまったぐらい この空気感は他のタランティーノ映画の中にも感じたことの無い全く説明不可能なもので本当に訳ががわからないんだけども、現に興奮してしまうものは仕方ない
あと出てくる女の子みんなキュートでタランティーノ足フェチっぷりが発揮されてた
こんな映画は世界中でもこの映画だけだと思う
グラインドハウスってヤツを見せてやるぜ
タランティーノファンから高めの評価を得ているこの映画。だが内容は知らずカーアクションがあるってぐらいの知識で映画館へ。
ラストでどよめきが起こり拍手までありましたよw
なるほどこの突き抜けた阿呆らしさが受けてるんだな〜と。
CGなしのリアルスタント見せてやるぜ!って心意気もスゴイ。それも女性が!そしてラストの爽快感は唯一無二!
しかし!しかしw
映画はバランスとしてはかなりいびつだし、いつものダベリ女性バージョンは長い。長すぎる。長回しで撮る意味あるのかと。前半で出てきた人みんな死んじゃうし。カート・ラッセルin とタイトル出るが本人はすごく見たくない映画なんじゃないかなぁーw
と色々言ったけど、そういうアバウトなのをごちゃまぜにしたのがグラインドハウス映画なんだぜ!とタラがいってるような映画でしたな。
やってくれたぜ、タランティーノ!
限りなくB級風の、A級作品!
ラップダンス最高!
パルプ、イングロリアス、プルーフ
カメラアングルを替えて再生されるカークラッシュに意味もなく白黒になる画面に引き込まれた
第二部の女4人がレストランで食事をするシーンのカメラアングルがレザボアドックスみたいだった
足のドアップに下らないガールズトークなどタランティーノ節が炸裂していた
タランティーノってバーのマスターがよく似合う
タランティーノ作品の中でパルプ、イングロリアスに次いで好きな作品
ジョン・マクレーンの娘があまり活躍しなかったのが残念
全身の血が沸騰!
くだらなくていいのさ
「レザボアドッグス」ですごい人がいるもんだと思い、
「パルプフィクション」でこいつは本物と思い、
「ジャッキーブラウン」で巨匠の領域に入ったと思い、
「キルビル」はまったくついていけなかったのですが、
本作はついていけなさを通り越してやっぱりタランティーノはすごい!
と思った作品です。
他の人がレビューで、「タランティーノはビッチを集めるのがうまい」と書いておられましたが、まったくの同感。この映画、ビッチしか出てきません。そして、ここまで「ビッチ」をうまく描き、高尚な文化にまでしてるのですから、映画人としてこの人はやっぱり一級品なのです。
だって、普通に生きてたら、ここまで目を皿のようにしてビッチを描けないですよ。すこしでも道徳やら、常識やらといったものが頭をもたげたら、ここまでビッチを躍動させることなんて無理です。
この人の精神性そのものが、低俗にして高潔なのだと思います。本当に低俗文化を愛してるのだなと思います。どこまでも常識に対して挑発的な映画なのですが、この世界を受けいれられたら、心がもっと自由になるような気がしました。
正直で危険な欲求
娯楽映画はタランティーノがオススメ
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