長江哀歌(エレジー)のレビュー・感想・評価
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ロケット・ビル!?
この映画には二人の主人公がいる.
一人は男.
彼は人を捜すため,ある町にやって来る.
そこは,いずれダムの底に沈む運命の町だった.
町では既に住民の立ち退きや家屋の取り壊しが始まっていた.
町中の家々が人々の手によって打ち壊されていた.
町の風景の一部だった巨大なビルが,
仕掛けられた爆弾によって破壊され倒壊し,
一瞬の内に消えてなくなった.
それらすべてを目撃したのが,この男だった.
もう一人の主人公は女.
彼女もまた,人を捜すため,この町にやって来ていた.
ただ,彼女がこの町で体験したことは,
男が体験したこととは全く違っていた.
彼女の周りでは異常な出来事が頻繁に起こった.
UFOが町の上空に飛来したり,
ビルが突然ロケットのように煙を吐いて飛んで行ったりした.
しかし,それらの出来事を目撃した人は誰もいなかった.
女もまた,これを見逃している.
彼女は,男と違って,
出来事の目撃者にはなれなかったのだった.
唯一,映画の観客だけが,その目撃者だった.
目撃者は当然,目撃したものの意味を尋ねるだろう.
しかし,映画の劇中人物にはそれを目撃した者がおらず,
よって,映画の中でその話題が語られることは一切ない.
まるで,そのような奇怪な出来事など
何一つ起こらなかったかのように,
平然と映画の物語は進んで行く.
そして,二人の主人公が,
それぞれに捜していた人を見つけ出し,
映画はあっけなく終わるのだった.
観客にとっては,そんな人捜しの物語など
途中からどうでもよくなっている.
気になるのは,あのUFOやロケット・ビルなのだった.
ここで思い出されるのが,
女の周りでは奇怪な出来事が起こっているのに,
男の周りではそうでもないと言う事だった.
しかし,本当にそうだろうか?
町の人々が家を壊してまわったり,
ビルが突如崩壊して町の風景が一瞬で変わったりする,
それが奇怪な出来事ではないと言えるだろうか.
そもそも町が一つ水の底に消えてなくなると言うこと自体,
充分に異常な事態ではないか.
ダムを建設するからと言う,ただそれだけの理由で,
こうしたことが平然と行われていることの異常さを
私達に気付かせてくれたのが,
あのUFOやロケット・ビルではなかったか.
UFOやロケット・ビルについては,
監督のジャ・ジャンクーが説明している.
なぜUFOを出現させたのか?と言う問いに対して彼は,
「ダムに沈む町が余りにも寂しいから
異星人でもやって来たらいいなと思った」
みたいなことを言っている.
また,ビルをロケットのように飛ばしたことについては
「美しい町の景観にそぐわないから飛んで行ってもらった」
みたいなことを言っている.
ただそれだけの理由でUFOやロケット・ビルのエピソードが
映画の中で語られたとするなら,実に下らないが,
しかし,だとすれば「町の水没」についてはどうなのか.
町の水没については「ダムを作るから」と言う
ただそれだけの理由で正当化がなされている.
ジャ・ジャンクーが,
「寂しいから」とか「景観にそぐわないから」と言う
ただそれだけの理由でUFOやロケット・ビルを
正当化したことが非難されるなら,
「ダムを作るから」と言うただそれだけの理由で
町の水没が正当化されるのも当然非難されていいはずだ.
ジャ・ジャンクーがそれを言わんとしているのなら,
彼の下らない説明は,
あえて為された一つの戦略だったと見なされるべきである.
なお,ジャ・ジャンクーの「下らない」説明の詳細は以下の通り.
「初めてこの建物を見たとき、三峡の神秘的な風景の美しさにまったく合わないので、飛んで行って欲しいと思ったのです。また、UFOが出てきますが、三峡ダムの工事は、世界的にも大きな出来事でしたので、2000年から2004年位までは国内だけでなく海外からも沢山のメディアが訪れて報道されてきましたが、その後はこの場所で暮らす人々の暮らしや目の前に存在する問題について誰も取り上げなくなり、忘れられた場所になってしまったのです。私はとても寂しさを感じ、こんなときに異星人でもやってきて話しかけてくれたらと思ったのです」
東京フォルメックス公式ウェブサイト掲載のデイリーニュース2006年11月17日号より一部引用
filmex.net/mt/dailynews_2006/2006/11/qa.html
以下は,ジャ・ジャンクーのインタビューの抜粋.
「ここではどんな非現実的な現象だって起きても不思議ではないと思えてくるでしょう.事実,たとえ背後でビルが轟音をたてて崩れても,もはやこの町では誰も驚きはしないのですから.」
キネマ旬報 2007年8月下旬号 53ページ
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