俺は、君のためにこそ死ににいくのレビュー・感想・評価
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靖国神社で待ってるぞ
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」(新城卓監督)から。
脚本が「石原慎太郎氏」と知って、ちょっと驚いた。
「神風特攻隊」を題材に、戦争の悲惨さや司令部の愚かさ、
三度出撃して三度とも帰ってきた、田畑という男の存在など、
大ヒットの映画「永遠の0」に似かよった部分が多い気がしたのは、
私の思い過ごしだろうか。
(主題歌のタイトルもB’zの「永遠の翼」なんだよなぁ(汗))
だから、敢えてそんなシーンをはずして考えると、
特攻隊の隊長が自分の部下たちに、力強く伝える場面。
「それから・・確認しておくが、死んだら集合する場所は、
靖国神社の拝殿の門を入って、右から2本目の桜の下だ。
誰が先に行っても必ず待っていろ、靖国神社に入るのも一緒だぞ」
そして、本当に散る時も「靖国神社で待ってるぞ」と言い残して。
軍歌「同期の桜」にも「靖国神社」の言葉が使われている。
それだけ彼らにとって「靖国神社」という場所は、
大切な場所だということを知らされることになった。
そんな場所を、追悼の意味を込めて参拝して何が悪い。
石原慎太郎さんの力強い声が聞こえてきそうな作品だった。
蛍になって帰って来た特攻兵の、彼らの無念を忘れてはならない
私の心配にこの映画は大きく反して、本作は素晴らしい、反戦映画であった。
石原慎太郎氏が製作総指揮を言う事で、公開前から多くの物議を呼んでいた作品であり、しかも2007年度のワースト2位の作品として、この作品はその名を飾っている。そんな多くの思い込みが有り、中々今日までこれを観る勇気が出ないでいた。そしてまた、個人的に私は、平和な世界に住みたいと願って暮す、どちらかと言うと戦争反対派の人間であるからだ。もしもこの映画が、軍国主義礼賛映画であるなら、きっと観ていて不快感で居たたまれなくなる自分を心配して映画を観るのを延々と先延ばしにしてきたと言うわけである。
しかし、この作品は、良い意味で私の予想や、心配を裏切ってくれたのだ。
1944年当時の日本には、特攻隊の兵士として、軍部の立案したその愚かな作戦のために自分の命そのものを差し出さなければならなかった5千人にものぼる若い兵士たちがいたのだ。その彼らの無念の思いを代弁する立派な、反戦映画であり、この作品は日本の戦争と言う負の歴史記録作品でもある。
知覧の空軍基地で、特別訓練を受けた多くの若い空軍パイロット達に、志願と言う名目の命令を下して、アメリカ軍機に体当たりする特攻隊兵士、その生きては絶対に戻れない作戦を遂行させられた、この理不尽な作戦の犠牲となった若者たちの悲劇の物語を、トメさんと言うこの町で食堂を営み、彼ら兵士から、お母さんと慕われていた彼女の目を通してこの物語は描かれる、戦時中の若い世代の人々の青春群像劇であり、家族の物語とも言える作品だ。
S.・ダルドリー監督ケイト・ウィンスレット主演の「愛を読むひと」でも描かれているように、戦争当時の出来事は決して、終戦後の今の平和な時代の物差しである倫理観などだけで、当時の出来事の不条理や、矛盾や、その理不尽さを批判してはいけないと言うことが、この映画を観ている私の胸に思い起こされるのだった。
食糧難の終戦真近い頃に、トメさんも遠く親元を離れて日本中から出征して来たこの縁有る若者たちを、身体を張って我が子のごとくに見守り続けてこられた彼女を初めとする、知覧に在住する女学校生徒たちの苦労や、無念の思いが切々と伝わり涙無しでは観る事が出来なかった。
現在の日本は、厳しい戦時下と言う国難を乗り越え生き抜き、高度経済成長の時代に仕事に励み、日本の発展に寄与した多くの一般の名も無い国民一人一人のその努力と苦労の涙の上に、現在の日本の社会があり、戦争の無い今が存在しているこの事実を、今改めて感謝したい。この映画のトメさんではないけれど、「ありがとう!」と言いたい。
人は皆誰もが、平和な社会で暮らせる事を願う。しかし生れ出る時代を人は選べない。
この時代家族の無事を願い、或いは生れ育った故郷を愛し、それらを護るために、若い命を捧げて死ぬと言う生き方を選んだ人たちの事を私達も決して忘れてはならないと思う。戦死も辛いが、終戦後特攻兵士でありながら、生き残ってしまった中西隊長も辛い。また家族を失った総ての戦争体験者のその遺族の悲しみも、いくら今は平和な社会であると言っても、決してこの過去を忘れてはなるまい。それは日本が、今後また戦争と言う悲劇を繰り返さないためにこそ、必要不可欠なことであると思う。この作品はそう言う意味に於いても制作された価値は充分に有ると私は考えるのだ。
軍国主義礼賛映画?的外れなこと言うな!
石原慎太郎・東京都知事が製作総指揮と脚本を務めた本作。公開前から様々な物議を醸しておりましたが、この映画の一体どこらへんが、好戦的な“軍国主義万歳映画”なのでしょうか?
映画として観た場合、話と話の繋がりが何となくブツ切れのように感じられる箇所が幾つかあって、決して完成度の高い作品だとは思えませんでした。しかし何よりもこの映画は、特攻で命を犠牲にした当時の多くの若者たちの姿を描き、今の時代に伝えているということだけでも、充分にその製作意義はあったと思われます。誰がどう考えたって、特攻など愚かな作戦(作戦とすら呼べないではないでしょうか?)です。しかし、当時悩みながらも『日本を守る為に』と信じてその作戦を従事・実行し、大空に散って逝った人達のことを、誰が笑えましょうや?少なくともぬるま湯のような現代社会に生きる我々には、そのような資格は無いと言えるでしょう。
映画ですから、多少は脚色されているでしょう。散っていった人達のことを、称賛した描き方がなされているのも事実です。でもだからと言って、一部で言われているような“戦争礼賛映画”でも“軍国主義万歳映画”でも決してありません。少なくとも吾輩は、この映画を観て『戦争に行きたい』などと微塵も感じませんでした。
正しいか、間違ってるかの論議など、この際どうでもイイと思います。そう『あの時代があって、今の我々が存在する』これが最も重要なことであり、まぎれも無い事実なのですから。
海行かば
戦時中に良く使われたという「海行かば」が使われていて良かった。
右寄りに思われるからか、メディア等で使われることが少ないため。
こういったテーマに最も合っている曲と考えるが。
陸軍特攻基地である知覧の話だが、海軍の話が出ているのはどうか。
最初の特攻が海軍だったからなのだろうが。
陸軍的には「自分も後を追う」と言って敵前逃亡した富永の話を持ってくるほうが順当と思えた。若者が犠牲になって立派だったという話だけでなく、本来は日本国民が自らの手で断罪すべき高級将校もいたんだということも出すべきだったと考える。
映画そのものは「男たちの大和」などよりはまとまっていたと思う。
特攻に行った者が突撃して生きて帰ってきているのは府に落ちなったが。
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